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第三章

73. ただ伝えたかった

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「ぁ……はぁ、っ……はぁ……」

 くったりとベッドに倒れこんだレオンスの体をシモンが優しく持ち上げた。胡座をかいたシモンに、まるで恋人同士のように膝の中に抱かれている事実に頭が追いつかない。けれど余す所なく抱き尽くされた体は力が入らず、シモンのされるがままとなっていた。

 互いに幾度も精を吐き出して、レオンスの熱も随分と収まりを見せつつあった。シモンが抜けた後孔はいまだ余韻に濡れてはいるものの、蠢きは落ち着いてきた。けれど内から湧き出る感情をどう堰き止めたらいいのかわからない。

「ぅ……ぅっ……」
「泣くな、レオンス。君の涙は美しいが、見ていると不安になる」

 涙で濡れた頬をシモンの指が優しく撫でる。
 こんなに甘い言葉を吐けるのかと思いながらも、レオンスはその疑問をなかなか口にできない。なんで泣いているのか、自分でもよくわかっていないのだ。

 愛していない相手との性交が泣くほど嫌だったのか。
 愛していないのに泣くほどに気持ちが良かったのか。
 愛がなくても満たされた気持ちでいる自分に嫌気がさしているのか。

 そのどれでもない気がしたし、どれでもある気がした。

 涙を拭かれ、肩で息をするレオンスの背中をシモンがぽんぽんと撫でるように軽く叩く。愛しい相手をあやすように、その愛が浸透するように。ただただ、涙を流すレオンスを慈しむように。
 それがレオンスの心をいっそう揺れ動かすのだが、それでもその手を払いのけようとは思わなかった。

 レオンスがひと頻り泣き、嗚咽する間、シモンは「泣くな」と言いながらも、根気強くレオンスが落ち着くのを待っていた。愛してるも、好きだとも言わずに、シモンと体を重ねた行為に涙を流すレオンスを許してくれていた。
 そうやって、ようやく涙が落ち着いた頃。レオンスは混乱から少しだけ回復した頭を回転させて、疑問を口にすることができた。

「あ……あ、の、シモン隊長……」
「ん?」
「先ほどの、話なんですが……。その、隊長が俺の、こと……」

 好きだと言っていたか——その疑問が紡げない。

 気恥ずかしいような、自意識過剰のような、気がして……。
 それに発情中は理性と本能がめちゃくちゃになってしまうのだ。だから、先ほど頭に響いた言葉はレオンスの勘違いのような気もしていた。今回は周期こそ乱れているが、効き目が悪いものの抑制剤は飲んでいる。だから、以前の事故のときのように理性がほぼ飛んだ状態ではなかった。だがそれでも、発情期の自分はなかなかに信用ができない。熱に浮かされたオメガは本能のままに性を求める卑しい存在だと、レオンスはこの半年で十分すぎるほどに痛感していた。

 だから、次の瞬間に耳に届いたシモンの言葉に目を瞠った。

「君のことを好いているのは本当だ」
「えっと……その……え? あ、え……その、冗談、ですよね……?」
「冗談なわけあるものか」

 驚いて顔を上げれば、すぐ近くに真摯な目をした男がいた。
 今さらながらに、ベッドの上で座りながら抱き締められている格好に狼狽える。けれど、体を交えたあとで、ヒートの疲れも残るレオンスは一人で動くことも難しい。逞しい腕に体を抱き留められていて、汗ばむ体が二つ、寄り添っていた。

「いつ……? どうして……」
「いつ、どうして、か。ふむ……君は難しい質問をするな」

 シモンは顎に手をあてて思案する。いや、思案している風を装っているだけかもしれない。多くの兵を指揮する男の思考を読み解くのは難しいが、それでも今のシモンは会議室で地図を囲んで作戦を熟考する表情とは違って見えた。

「だって……俺とセックスしたから、その気になっただけじゃないんですか」
「さあ、どうだろうか。そうでは無いというのは嘘になるかもしれないな。体から始まる関係というのも、世の中には無くはないだろう?」
「それは、まあ……」

 レオンスとて、純心を持ち合わせているわけではない。
 爛れた関係は好まないし、レオンス自身は体から始まる恋愛関係を結んだことはないが、誰もが品行方正に、どこぞの令嬢向けの恋愛指南書の如く段取りを踏んで恋愛するわけではないことは知っている。レオンスとしては、想いあってから体を重ねたいと考えているので、自分の中での順序はある。だが、そういう状況から結ばれる恋を非難するつもりもない。
 それを厳格そうなシモンが口にするのは驚きではあったが。

「だが、体を繋いだからという理由だけで言ってるわけではない。君を抱く前から好意を抱いてたからな」
「そうですか…………って、え……? あ、えっ……と…………え?」

 前から好意を抱いていたと話すシモンの表情は穏やかだ。先ほど自分を組み敷いていた男が放っていた色香は薄れている。
 シモンが冗談で言っているわけでも、情交による一時の感情に流されて言っているわけでもないという証がそこにはあった。そのことに、レオンスは二の句が継げなくなった。

「返事が欲しいわけではないんだ。そもそも君からしてみれば、こんな場、こんな状況で想いを告げられるのは気が重いだろう。冷静な判断ができているか不安もあると思う。私は軍人だからこういう場は日常の延長だ。だから、戦いの場で恋愛感情を持つことに戸惑いはない。だが君に、私と同じように考えてほしいと強制するつもりはないんだ。想いを返して欲しいとも言わない。まぁ、返せないと言われるときは、その前に些か覚悟する時間がほしいところだがな」

 ふっ、とシモンが小さく微笑む。

「君は、自分に対しても、私に対して、今の状況に申し訳なさを感じているだろう? 好いてもいない相手と、と。だが私は君に好意を抱いているのだから、少なくとも私に対して申し訳ないと思う必要はないんだ。それを知ってほしくて、つい私の想いを伝えたくなってしまった。急なことをしてしまって、すまない……。だが先にも言ったとおりだ。私は君をそういう意味で好きだから、その心の重荷を半分は降ろしてほしい。言い方は悪いが、私としては君を抱けるのはだからな。気にすることはない」

 そう語る男の瞳は、威厳に満ちた上官でもなく、自分に想いを寄せる男でもなく、まるで古くからの友人のようなカラッとした光が差していた。「気に病むな」と再度言って、シモンはくしゃくしゃとレオンスの頭を撫でた。
 恋慕ではなく親愛を感じる手つきだった。

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