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十七章トラウマと嫉妬

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「ふふ、効いてる。私の匂いは体を麻痺させて思考力と判断力を鈍らせるの。一気にたくさんの香りを嗅がせれば全身の筋肉や脳を一瞬だけ強張らせて動けなくする事もできる。使い方は多種多様」
「つまり、直が一瞬だけ動けなくなったのもその香りのせいだね」

 悠里が鋭く見破ると俺も納得した。

 そうか、最近この女に直がキスをされたのもこの香りが原因であったというわけか。普段の俺だったらそんな事などすぐに見破ることができるのに、今の俺はやっぱり思考力が鈍ってて正常な判断がとれない。白井というトラウマの影響が、全ての感覚を鈍らせているのだ。

「ふふ、御名答。そうする事によってあなたの心を傷つけて戸惑わせるのが目的。まあ、それ以外でもあなたの前で直様の唇を奪えた時、この上なく最高に気分がよかった。やっと借りを返せるってね。150年前はあなたに大和様を譲ったけれど、今回はそうはいかない。今生では直様の心は私が手に入れる。今のあなたは嫌いじゃないけれど、昔のあなたがチラつくから悪く思わないでね」
「っ……」

 だめだ。と、そう言いたいのに、今はそんな風に勇ましく口を開く気になれなかった。

 直は俺じゃなくてもいい。そう知ってから、直への想いと気力すら奪われている気がした。


「ふふ、何も言わないのね。いや、言えないという事かしら。という事は、思った以上にあなたの心はもうズタズタという事」
「お前に何がわかる」
「自分では傷ついていないフリをしているようだけど、あなたの心はもう傷だらけ。見ていてよくわかるわ。ここ数日間にいろいろ起こりすぎて、あなたはとても疲弊している。妬み、嫉妬、孤独、恐怖。本当に可哀想……。私や白井様の術中にこうも陥っているんだから」
「術中……やっぱり、最初から俺の心を弱らせるために仕組んでたんだな。バカ社長が死んで牧田が俺に絡んできた時から」
「そう。あなたに白井様のトラウマがあると見据えて動いていた。始めは白井様の記憶を無理に思い出させようと動いていたけれど、それじゃあ簡単すぎて面白くないじゃない。だから、自然とあなたが白井様を少しずつ認識して怯えていく様子を楽しむために、白井様がよりあなたを手に入れやすくするために、心を疲弊させていく事にしたの」

 敵からの精神攻撃はよくある基本パターンだよな。そう思いながらそれに引っかかっている俺は間抜けすぎるけど。

「まずは白井様の香りとある人物の香りを牧田から漂わせてあなたに接触した。そして、あなたは知らず知らずのうちにそれを嗅いでいた」
 
 牧田が学び舎園に忍び込んでいた時の事だろう。その時、確かにある匂いがしたのは覚えている。その香りはこの女が細工した香料だったという事だろう。 

「異変になんとなく気づいたのはあなたが男性を怖いと思い始めた段階からね。ただの男性恐怖症だと思っていたようだけれど、その香りは白井様の匂いそのもの。白井様にトラウマがあるあなたにその匂いは地雷そのものなのだから、男性恐怖症という症状が顕著に表れた。そして、恐怖心があなたの思考力と判断力を鈍らせ、徐々に精神を追い詰めていった。鈍くなる事はすなわち心が剥き出し状態で、脆く傷つきやすくなる。あなたが白井様を怖いと思えば思う程ひどくなる一方なのよ」
「っだから、甲斐君は急にあの時から男性恐怖症になったという事か。白井の匂いのせいで恐怖症が表れたのも納得できた。じゃあどうして直までその対象に入っているの?Eクラスのみんなとかは大丈夫だったのに」

 悠里が睨むように鈴木に訊ねると、鈴木はよりいっそう口元をゆがめた。

「慣れ親しんだ者には潜在的な安心感から恐怖症の対象には入らないのだけど、それが黒崎大和の匂いだったら?」
「え……」
「大和様の匂いも混ぜたの。だから、あなたは自分の愛する直様すら拒む羽目になったのよ」
「っ……!」

 そうして、俺と直を引き離そうとする作戦でもあったのだろうな。その作戦がものの見事に効果覿面で、俺は直に対して恐怖心を抱くようになり、最近のキス事件で不信感が芽生え、孤独を感じるようになったのだ。

「そんな絶不調なあなたは今じゃ気分は最悪なんじゃなくて?」

 極めつけは、自分は必要とされていないと知ってしまった事だ。孤独を感じるようになってから、自分はもう一人の自分150年前と比べていらないんじゃないかとさえ思うようになってしまった。

 愛する直には不信感を拭えないし、子供達ももう一人の方がいいと思い始めている……と、思う……。

 ああ、だめだ。考えれば考えるだけどうせ自分なんて……と、思う一方で……負の感情が止まらない。

「まあ、そうかもな……」

 俺が素直にそう呟くと、鈴木は満足そうに背後に視線を向けた。

「だそうですわ、

 途端、背筋がぞわりと凍り付いた。全身が震えてどくんと心臓の音が嫌な風に高鳴る。

 気づかなかった。いや、俺でさえ気づけなかった。この女の背後にこんな恐ろしく冷たい気配を漂わせる人物に気付かないなんて。しかも、その現れた人物の顔が白井……いや、


「黒崎……大和……」

 俺が茫然と口にして、隣にいた悠里やEクラスのメンバー達が驚いている。

「おい、あれって……」
「直様!?」
「雰囲気や髪の色は違うけど……でも、直様に似てる」
「そっくり。本人?」
「違うよ!」
 
 悠里が否定する。

「あれは直じゃない!別人だよ!」
「うん、直はあんな冷たい瞳してないよ」

 直の親友の昭弘君とあずみちゃんも否定する。

「そう……こちらの御方は直様じゃないわ。我らが王である白井汚郎様」

 鈴木は跪き、こうべを垂れる。黒崎大和の顔の男は口の端を持ち上げた。

「白井汚郎って……この学園の新しい理事長と同じ名前じゃないか?」

 なっちが首を傾げながら言うと、皆が「確かにそうだった」と頷く。

「それに……ホワイトコーポレーションの社長もその名前だったはず」

 かしまし三人娘の山岸が青い顔をしながらそう呟くと、みんなも一様に青い顔をしだした。


「やっと、あえたな……俺の甲斐」

 その反応にやっぱりこいつが白井汚郎。脳裏に一瞬だけセピア色の光景が浮かんだ。あのおぞましい目や鼻が潰れた顔ではなく、なぜか150年前の自分が愛した人の顔と声で現れたのだ。

「なぜ、黒崎大和の姿に……」

 俺が震える体を必死で我慢しながら訊ねた。こうして話しているのもおぞましいほどに体が恐怖トラウマで縮こまる。

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