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十七章トラウマと嫉妬

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 ベランダの外に出ると冷たい風が頬を掠めていく。しばらくぼうっと夜空を眺めていると、隣の窓から微かに声が聞こえてきた。耳を澄ませているとこの声は子供達だ。笑い声が聞こえているから楽しんでいるのだろう。時々、直の声も聞こえる。

「あ、おばあちゃま、そろそろ直樹と甲梨を寝かせてきます」
「あら、もうそんな時間ね」
「パパ、いっしょにねよー」
「ずるい、ぼくもおとしゃと~!」
「真白も~!」
「こらこら。父様が困ってます。父様の隣で寝るのはかわりばんこ制ですっ」

 しっかり者の甲夜が子供達のお姉ちゃんとして引っ張って行っている。中身は俺以上に年上の150歳だもんな。俺よりしっかりしてるよ。

 しばらくすると、さらにまた隣の部屋の灯りが点いた。子供達が寝室にやってきたのだろう。

「父様、湯たんぽみたいです」
「そうか?」
「はい!150年前の父様も寒がりなウチを温めてくれてて、その時を思い出しました」
「……昔か。そんな事もあったな」
「ねえパパ。昔のママ、どんな人だった?」

 真白の質問に、自分の事ではないのに妙にどきりとした。

「とっても優しい人だったよ。綺麗で、優しくて、困っている人を放っておけない人だった」
「へぇ~パパみたいなイケメンのハートをぬすんじゃうママっていつのじだいもすみにおけないね。ねえパパ。そのむかしのママと今のママ、どっちが好きなの~?」
「あ、こら甲梨!そんな質問は」

 空気を読むことに長けた甲夜が咎めるも、直はなんでもない様子で返す。


「そりゃあどちらも好きだよ。選べない」


 …………。

 胸が切なくなった。選べない、か。つまり悪い風に捉えればどちらでもいいって事なんだろう。

 別にはっきりしろとは言わないが、なんだか忖度したような回答に聞こえてしまった。本当に直からすればどちらも選べないのだろうけど、今生きているのは俺であって150年前の自分ではない。

 別に……俺じゃなくてもいいんじゃないの……?

 よくない心の闇が吐露された。心の奥がドロドロして、なんだかすごく惨めな気持ちが溢れてくる。


「懐かしいです。150年前の母様は慈愛の塊みたいな人で、ちょっと天然が入ってるけどのほほんとしていて、とても女性らしい人だったなあって」
「むかしのママ……やさしそうっ。わたしもあってみたいなぁ~」
「真白も、気になる」
「むかしのおかしゃ、ぴーまんのこしてもおこらない?いまのおかしゃ、たべなしゃいってすぐおこりゅ。ちらかしたらかたずけしなしゃいって」
「もー直樹、それ、ちゃんと食べて、片付けない直樹、悪いよ」
「だって、ぴーまんきりゃい。かたずけにがて。さいきんのおかしゃ、すぐおこる。こわい。きりゃい」
「こら、直樹!そんな事言っちゃダメでしょう!母様がいるってどれだけ恵まれているかお前はわかってないようだね」
「だってぇ……おかしゃ、さいきん、おこりんぼなんだもん」


 おこりんぼか。

 まあ、母親って嫌われ役だもんな。時としてきつく叱らなきゃならない時もあるから、嫌われる事もあるだろう。

 それでも、今その話題は俺にとっては地雷だ。いろんなマイナス思考が脳裏を覆っていく。

 俺じゃ役不足?必要ない?やっぱり女のお母さんがいい?

 子供達も無意識に女の母親150年前の俺を求めているんじゃないだろうか。

 女だから子供も生めて、庇護欲をそそられるようなか弱さが断然男の俺より守りがいがあるって、心のどこかで思っているはずだ。そんな俺となんて比べるまでもない。だから子供達の前だから配慮して、どちらも好きだと言ってごまかしているんだ。

 直は……架谷甲斐という存在なら……誰だっていいんだ……。

 やっぱり、俺じゃなくてもいいんじゃないか……。


 醜い嫉妬心と孤独感がまた心にダメージを蓄積させていく。さらに自分を追い詰めていっている事に気付かず、俺は一晩中泥沼の混沌に陥っていた。いくら150年前の自分自身とはいえ、自分をはっきり選んでくれない旦那に対して不信感と胸のしこりが出来ていた。

 これも、奴らの策略とも知らずに。

 その晩、俺が眠ったのを見計らってか、もう一人の俺の人格が目を覚ました。きっといつもみたいに直に逢いに行くのだろう。何をしに行くかなんて知りたくないし、知りたいとも思わない。考えるだけで胸やけのような不快感が巡る。


「――――」
「――――」

 会話はよくわからないし、聞こえない。俺自身、半分寝ているから会話内容が聞き取れなかった。ただ、唯一聞こえたのは……『愛してる』って言葉だけ。

 俺じゃないに向けた求愛の言葉だ。その言葉が、俺の心を大きく抉り、絶望感のような感情があふれてきた。


 俺の居場所はもう……どこにもないんだ………。

 



 翌朝、いつ戻ったのか思い出せないが、いつの間にかソファーで眠っていた。きっと150年前の甲斐が、俺が起きたのに気づいたから急いで戻ってきたのだろう。だからかもしれないが、ソファーで寝たせいで腰が痛い上に気分も最悪だった。

 あえて見ないふりをしていたが、いつもコソコソ直に逢いに行くもう一人の人格に腹が立っていた。それを黙っている直にも腹が立っていた。そして、すごく悲しくなった。

 俺よりがいいんだなって。


 俺は声を押し殺してソファーで涙を流した。自分自身に嫉妬するなんて馬鹿げていると思いながらも、それは決して自分ではないのだから。



 本日もなんとなく学校に行く気力も元気もなく、時計を見ればもう昼前だった。精神的な気だるさにゆっくり起き上がる。こんな時間から学校に行く気になるはずもない。食欲もない。何もしたくない。だからこのまま無気力のままさぼろうと思い、もう一度ベットでごろ寝をする。

 スマホに届いているメッセージを見れば、早苗さんが子供達を保育園や学校に送り出したよという連絡が入っていた。母親としての仕事を放棄してゴメンなさいと思いながらも、動かない体に鞭打って起き上がる。

 起き上がると言っても、居間でぼうっとテレビを付けて眺めるだけ。テレビは相変わらず矢崎直と鈴木カレンの事を報道している。報道する内容がこれしかないのかとメディアのバカな一つ覚えな部分に呆れる。

「今日の気分はどうですか?」
「……さいあく、かも」

 今日も護衛として相沢先生が来てくれていたようだ。全然気づかなかった。気配探知ができないほど、体は絶不調なのかもしれない。

「食事、食べれますか?」
「どうだろう。また吐くかも。昨日も食べれなかった」
「……そうですか。なら、ゼリーとか出しておきますよ。さすがに何か食べないと体がもちませんから」
「うん……そうだな。ゼリーなら食べれるかも……ありがと、真生まさきさん」

 急に名前呼びにしたら偉く面食らって驚かれた。

「甲斐君……本名でしかも下の名前呼びとかイキナリは心臓に悪いですよ」
「心臓に悪いってたかがそんくらいで?先生ってば俺に意識しすぎでしょ~あはは」
「そりゃあしますよ。あなたは私にとって特別なんですから」
「へ……?」

 きょとんとしていると、いきなり先生の顔が至近距離にあってびっくりした。

「ずっとあなたがこんな状態なら……私は堂々とあなたのそばにいられるんですけどね」
「せ、先生……近いんだけど」
「わざと近くしているんです」
「なんで……」

 そんなイケメン面が近くにあったら落ち着かないって。

「さあ、なんででしょうかね。あなたの可愛いらしい反応が見たいから、でしょうか」
「っ、可愛らしいとか、やめてくれよ。野郎相手に」
「そう言いながら顔、赤いですよ」
「誰だって至近距離でいられちゃ照れてしまうだろ。その女子ウケするツラで」

 視線をそらして退くように促すと、先生は渋々退いてくれた。なんなんだまったく。俺に気があんのかよアンタ。誤解するような真似はよしてくれっつうの。

「ただ、最近腹が立っているんです」

 先生は苦渋な表情を浮かべた。

「あなたを苦しめている存在も、あなたを蔑ろにする周りも、その状況にも、全てに腹が立っているんです。どうしてあなたがこんな辛い目に遭わなければならないのかって」

 先生はきっと今の状況を察して怒ってくれているのだろう。俺だけがまるで孤独みたいに見えるから。

「先生は心配してくれているんだな」
「当たり前です」
「じゃあ……今、そばにいてくれていいかな……?」

 今すごく孤独だから、誰かにそばにいてほしいのだ。

「もちろん、いいですよ。私はあなたの力になりたいんですから」

 先生が俺の隣にいてくれる。今、最もほしい言葉をあんただけがくれる。

「……ありがとう、真生さん」

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