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第四章「血塗られた水の王国」

行くべき道

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全く、若いのに無茶してくれるよ。ただの甘ったれなお坊ちゃんだと思ってたけど、まさかあんな行動力があったなんてね。

フッ、やはり俺の見込んだ通りだったようだ。お前達とも久々に力を合わせる事になるとは思わなかったがな。

うむ、我々の協力なくしては彼は確実に命を落としていただろう。いや、彼のみならずレウィシアが助かる事すら叶わなかったかもしれぬ。無事でレウィシアを助けられたのが何よりも幸いな事だ。感謝するぞ。

フフッ、僕たちもまだまだ頑張らなきゃね。あの子達の未来の為にも。

そうだな。だが、テティノは……

ウォルト・リザレイによって生命力を多く費やした彼は最早長くは生きられぬだろうな。彼が生きていただけでも奇跡と言ってもいいかもしれぬ。レウィシアを救うにはウォルト・リザレイしか方法がなかったとはいえ、何とも哀れな事よ……

せめてあいつらもいたらまた違ってたのかなぁ。僕たちとは相容れない奴らだけど。

あいつら……か……



真っ白な空間の中、響き渡るように聞こえてくる会話。それぞれの声の主となる者の姿は見えないものの、空間には緑、青、赤の三色の小さな光の玉が輝いていた。
「うっ……」
夢の中で繰り広げられていた名も知れぬ人物達の会話が終わらないうちに、テティノは眠りから覚める。気が付けばそこは自室のベッドで、目の前にウォーレンの姿があった。
「おお、テティノ王子! 気が付かれましたか!」
ウォーレンが声を掛けると、テティノは思わず周囲を見回す。
「ここは……天国じゃないよな? 僕は生きてるのか……?」
「何を仰っているのですか! 紛れもなく現世です! 無事で何よりですぞ!」
今此処にいる場所があの世ではなく自室であると確認したテティノは一先ず気持ちを落ち着かせる。ウォルト・リザレイを使用した影響で、僅かに身体に痛みが走っていた。
「レウィシア達は?」
「先程国王陛下の元へ向かわれました。どうやら陛下からお呼びが掛かったとか」
「そうか」
テティノは自室の天井をぼんやりと眺めていた。


一方レウィシアはルーチェ、ラファウスと共に謁見の間へ来ていた。玉座には王と王妃がいる。深くお辞儀をしては王の前に跪くレウィシア。
「レウィシアよ、この度は無事で生還出来たようで何よりだ。聞くところによると、例の道化師との戦いに敗れた事で生死の境を彷徨っていたそうだな」
「はい。ケセルという名を持つ道化師の恐ろしさは途方もないものでした。あの禍々しい邪悪な力……思い出すだけでも身も凍り付く恐怖を覚える程です。そればかりか……」
レウィシアは亜空間でケセルの幻術に嵌められた事による自らの行いを告げようとするが、思わず言葉を詰まらせ、俯いてしまう。
「どうした? 他に何か言う事があるのか?」
王の言葉にレウィシアは一瞬顔を上げるが、なかなか声に出せないでいた。その様子が気になったルーチェとラファウスは無言でレウィシアの方を見る。後には引けない状況の中、下手にはぐらかさず率直に話そうと決めたレウィシアは一呼吸置く。
「……戦いの中、私はケセルの幻術に惑わされるがままに、港町に住む十数人の人を殺めてしまいました。私の手で……人を……」
俯きながら涙を零し、手を震わせながら全てを打ち明けるレウィシア。
「お、お姉ちゃん……!」
「なんて事……あの時街中で見た大量の死体は……」
愕然とするルーチェとラファウス。十数人の死体が王都内に放り出されていたところを目撃していた事もあり、ケセルによってレウィシアと戦わされた事で命を落とした人間だという事実に言葉を失うばかりだった。王と王妃はレウィシアの告白に表情を険しくさせ、黙って見据える。レウィシアは再び跪き、顔を上げて言葉を続ける。
「敵の罠によるものとはいえ、我が手で人の命を奪ったという事実に変わりありません。如何なる罰もお受け致します」
王は表情を変えず、辺りが一瞬の重い沈黙に包まれる。
「……それは本当なのか?」
「はい」
真剣な表情でレウィシアが答える、王はそっと立ち上がる。緊迫感が漂う中、ルーチェとラファウスはレウィシアと王の姿を見ながら息を呑んだ。
「……レウィシアよ。人の命を奪う事は人として許されざる罪であるのは確かだ。だが……私にはそなたを裁く事は出来ぬ。全ての災いの元凶はあのケセルという道化師の男にあるのだからな」
王は俯き加減に話を続ける。
「我が王家も過去に人としての許されざる罪を背負っているが故、今を生きる民が過ちを繰り返さぬよう正しき世を作らねばならぬ。その為にも……」
淡々と話す王はレウィシアの目をジッと見ては、再び玉座に腰を掛けた。
「テティノは……禁断の魔法とされている大魔法で生命力を費やしてまであなたを救いましたのよ。あなたも、テティノと共に闇に立ち向かう運命の子なのでしょう?」
王妃の一言に驚くレウィシア。王妃はレウィシアを救ったテティノの力がウォルト・リザレイによるものだと既に察していたのだ。
「あなたは自らの意思で殺生を行うような者ではないと承知していますわ。命を失った人々の無念を晴らす為にも、テティノと共に人々や世界を守る事を望んでいますのよ」
王妃が優しい表情を向けると、王は軽く咳払いをする。
「……レウィシアと選ばれし者達よ。王として命じさせてもらう。どうか我が息子テティノと共に邪悪なる者を打ち倒し、マレンを救うと同時に我がアクリム王国や全ての人々、そして世界を守ってほしい。レウィシアよ。人の命を奪った罪の意識を抱えているならば、それがそなたにとっての贖罪となるであろう」
王の命令に、レウィシア達は一斉に返事する。
「国王陛下。この命に代えてでも……使命は必ず果たします」
力強く言うと、レウィシアは深く頭を下げて謁見の間を後にする。ルーチェとラファウスも頭を下げ、レウィシアの後に続く。去り行くレウィシア達の姿を、王は黙って見送っていた。


……王国の過去の罪は、決して消えぬもの。港町マリネイが襲撃されたのも一種の裁きともいうかもしれぬ。将来このアクリム王国が滅びの運命を辿る事があったとしても、人が生んだ闇による人としての過ちを繰り返す事は絶対にあってはならぬ。それを来世に伝える為にも……レウィシアを始めとする選ばれし者達の力が必要なのだ。

だから、裁く事は出来なかった。いや、裁きや罰を受ける必要など無い。人の命を奪ったにしてもそれはケセルという名を持つ邪悪なる道化師の奸計が引き起こしたものであり、レウィシアに罪は無いのだ。彼女は、死の淵を彷徨っていたところをテティノが己の命を懸けた事で救われた命でもあるのだ。

我々は今、レウィシアと我が息子テティノを信じるしかない。彼女達が大いなる闇を打ち倒してくれる事を。そして、ケセルに浚われたマレンを救ってくれる事を――。



謁見の間を出たレウィシア達はテティノの部屋に向かおうとする。
「ごめんなさい、二人とも……私……」
罪の意識を抱える余り、ルーチェとラファウスに詫びるレウィシア。
「詫びる必要などありませんよ。第一、あなたに何の罪があるというのですか」
ラファウスが真剣な表情で言う。
「全てはあのケセルという男が元凶であるのは間違いないでしょう。自責の念に駆られてはなりません」
「でも……私のせいで……」
「前を向きなさい、レウィシア! 国王陛下に誓ったのでしょう? 誓いを裏切るなんて事をしようものなら私が許しませんよ。それに……あなたには私達がいます」
鋭い視線を向けながらもレウィシアを叱咤するラファウス。
「……お姉ちゃんは悪くない。お姉ちゃんには何の罪もない。ぼくはお姉ちゃんの事、信じてるから……ぼくも、お姉ちゃんの力になるよ」
ルーチェがそっとレウィシアの手を握る。二人の想いを感じ取ったレウィシアは自分の精神面の脆さと、己に与えられた使命の重さを改めて実感する。
「……そうね。国王陛下に誓った以上、今やるべき事をやらなきゃ。いつまでも気にしたところで始まらないものね。ありがとう、二人とも……」
レウィシアは穏やかな表情をしつつも、ルーチェとラファウスの手を取った。ラファウスの表情も穏やかなものになっていく。落ち着きを取り戻したレウィシアは再び足を動かす。
「ところで……テティノは大丈夫でしょうか」
ラファウスは自室で眠るテティノの様子が気になっていた。
「彼が私を助けてくれたのよね。しかも禁断の大魔法で生命力を費やしてまで……?」
レウィシアは王妃の言葉が気になっていた。そこで、テティノがやって来る。
「やあ、君達か。父上との話は終わったのか?」
「ええ。あなたにはお礼を言わなきゃいけないわね。本当にありがとう」
感謝の笑顔で礼を言うレウィシアの姿を見た瞬間、テティノは心が救われた気分になった。
「無事で良かったよ本当に。君を救えたのは僕だけの力じゃない。ラファウスとルーチェがいたからこそなんだ」
テティノはルーチェとラファウスに笑顔を向ける。
「私も、ずっとあなた達の声が聞こえた気がするの。あなた達がいなかったらもう生きる事すら出来なかった。だから、とても感謝しているわ」
髪を靡かせ、目を潤ませながら微笑みかけるレウィシア。
「さあルーチェ。今テティノに言うべき事があるでしょう」
ラファウスの一言にルーチェが頷くと、テティノの方に顔を向ける。
「うん? どうかしたのかい?」
「あの……テティノ、さん。あの時はひどい事言ってごめんなさい。ぼく……」
ルーチェが申し訳なさそうな顔で詫びると、テティノは笑顔を向けつつも目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「ああ、いいんだ。気にしないでくれ。僕の方こそごめんな」
テティノはルーチェの頭を撫でる。その様子を見ていたレウィシアは首を傾げる。
「どうしたの? ルーチェと何かあったの?」
「気にする必要はありませんよ」
ラファウスが冷静に回答する。
「レウィシア、君にも色々心無い事を言ってしまったから改めてお詫びするよ。本当にすまなかった」
テティノは過去の言動を省みつつも、頭を下げてレウィシアに詫びる。
「ううん、もういいの。あなただって色々思い悩んでいたみたいだし、気にしてないから」
レウィシアは優しい笑顔でそっとテティノに手を差し伸べる。テティノは快くレウィシアの手を取って握手を交わす。
「ようやく打ち解けましたね」
笑顔で握手をしているレウィシアとテティノの姿を見て、ラファウスは安心した気持ちになっていた。
「ところで、君達はこれからどうするつもりだ?」
「うーん……今後の事はまだちょっと考え中といったところね」
「そうか。僕も……君達と一緒に行こうと思うんだ。あの時言ってただろ。災いを呼ぶ闇と戦う使命が与えられていると。マレンの為にも……僕は今、君達と共にその使命を果たさないといけない。だから、僕も君達の仲間として同行させてくれ」
テティノの決意が込められた目を見ながらもレウィシアは快く頷く。ルーチェとラファウスもテティノの同行に賛成の意を示していた。
「使命……何としても果たしてみせるわ。この命に代えてでも負けられない」
決意を固めたレウィシアは自分の拳を見つめ、力を込める。
「父上と母上に挨拶してくる。少しばかり待っていてくれ」
テティノは謁見の間へ向かって行った。
「テティノが同行してくれるのは良いのですが……ケセルと戦えるようにならなくてはなりませんね。許せない愚者ですが……今の私達では敵わない程の力を持っているようですから」
ラファウスの一言にレウィシアは俯き、考え事をする。
「……お姉ちゃん……」
ルーチェが少し不安げな様子でレウィシアに声を掛ける。
「大丈夫よ。ちょっと考え事してただけだから」
レウィシアはルーチェに微笑みかける。
「私達がこれからすべき事は、何があるのでしょうか……」
ケセルの圧倒的な強さと途方の無い恐ろしさを知っているラファウスは、今後行くべき場所が掴めない現状に内心不安を抱えていた。


謁見の間にて、テティノは王と王妃の前で深く頭を下げていた。
「テティノよ、行くのだな?」
「はい。私はレウィシア達と共に与えられた使命を果たすべく旅に出ます」
力強く答えるテティノの声。瞳には強い意思が感じられる。
「お前はレウィシアを救う為とはいえ、我が王家では禁断の魔法と伝えられている大魔法『ウォルト・リザレイ』を使ったと妻から聞いた。お前は何をしたのか解っているのだろうな?」
「……ええ」
「お前の生命力がどれ程費やしたのかは解らぬが、レウィシアだけではなくお前が生きていたのも奇跡に近いものだ。よってお前の寿命は決して長くはない……。だが、お前は使命を果たさなくてはならぬ。今ある命を決して無駄にするな。使命を終えたら必ずマレンと共に帰って来い。良いな」
王の目は、今までテティノが目にした事のない優しい眼差しをしていた。
「……はい! 父上、母上……このテティノ、与えられし使命を必ず果たしてみせます!」
声を張り上げた返事をして去っていくテティノ。今まで触れた事のない親としての愛情に初めて触れたテティノは心の底で抱えていた蟠りが解け、決意を改める。
「テティノ……すっかり見違えましたわね。まるで別人のようですわ」
「うむ。あれはまさに甘さを捨てた戦士の目。自らの命を犠牲にしてまで人を救おうとする意思と覚悟の心があいつに備わっていたとはな……」
テティノが去った後、王の目から一筋の涙が溢れ出す。


……全く、馬鹿者めが。いくらレウィシアを救う為とはいえ、何処まで勝手な無茶をすれば気が済むのだ……。

お前の行いは決して間違いではない。非難する気も無い。だが、お前は確実に私よりも先に死にゆく運命になってしまった。お前が生きられるのは後何年かは解りかねるが……。

せめて、生きて帰って来い。お前は、もう半人前ではないのだから。




「クレマローズですか」
「ええ。もしかすると私にも知らない何かがあるかもしれないわ」
レウィシア達が今後の事について話し合っている中、槍を手にしたテティノが戻って来る。
「待たせたな。さあ、行こうか」
旅の準備が整った一行は歩き始める。
「……とはいったものの、これからどこへ向かうべきなんだ? あのケセルとかいう奴に対抗出来る手段を探さないといけないんじゃないか?」
「そうね。その方法を探す為にもまず私の母国クレマローズへ戻るわ」
「クレマローズだって? 君の国に何かあるというのか?」
「多分ね。他に行くべきところが見つからないとならば、一度は国へ帰ってみるのもアリだと思うのよ」
ケセルに対抗する方法を探すに当たって次なる目的地が掴めない中、レウィシアはふと母国であるクレマローズの事が頭に浮かび、元来クレマローズは太陽の戦神と呼ばれし英雄の血を分けた一族によって建国された国であり、もしや自分でも知らない何かしらの秘密が隠されているのかもしれない。そう直感していたのだ。
「まあ、当てもなくウロウロするよりはマシかもしれないな。僕もクレマローズがどんなところなのか気になってるんだ」
「少なくとも田舎の国じゃないわよ」
「おいおい。未だに根に持ってるのかい?」
「ジョークよジョーク」
微笑みかけるレウィシアに、テティノは少し恥ずかしそうな顔をする。そんな二人のやり取りにラファウスも思わず笑顔になる。一行が王宮から出ると、レウィシアが突然立ち止まる。教会の前で犠牲になった人々の葬儀が行われているのだ。悲しみに暮れる遺族の姿――その中には妻と幼い子供の泣く姿もある。そんな光景を目にしたレウィシアは言葉を失う思いで立ち尽くしていた。
「レウィシア、思い詰めてはいけませんよ。お気持ちは解りますが、今はやるべき事があるでしょう?」
ラファウスが横から囁くように声を掛けるものの、レウィシアは無言で葬儀の様子をジッと見つめている。
「何者かに殺されて王都内に放り出された人々の葬儀だな。これもあいつのせいなんだろうな……」
テティノの一言にビクッと反応したレウィシアは項垂れ、体を震わせ始める。
「レウィシア!」
ラファウスが声を張り上げて言うと、レウィシアは我に返ったように顔を上げる。額には汗が滲み出ていた。
「だ、大丈夫よ。私は平気だから……」
無理矢理笑顔を作りながらも振り返るレウィシア。
「何だ? 何かあったのか?」
事情が解らないテティノが問い掛けるが、レウィシアは何でもないと返すだけだった。
「お姉ちゃん……本当に大丈夫なの?」
ルーチェは心配そうにレウィシアにしがみ付く。レウィシアはそんなルーチェに笑顔を向けながら無言で頭を撫で、やり切れない想いを抱えつつも気持ちを切り替えようとする。
「……行きましょう。今出来る事をやらなきゃ」
ルーチェと手を繋ぎ、再び歩き出すレウィシア。
「一体何があったんだ?」
レウィシアの様子が気になるテティノがこっそりとラファウスに耳打ちする形で問う。
「今は何も聞かないで下さい」
冷静に回答してレウィシアの後を追うラファウス。テティノは腑に落ちない思いをしつつも、一先ず言葉に従う事にして足を動かし始めた。その時、一匹の犬がシッポを振りながら走り寄って来る。ランだった。
「レウィシアさぁぁん!」
メイコが駆け足でレウィシアの元へやって来る。
「メイコさん!」
「レウィシアさん! 無事で助かって何よりです! きっと私の援助がお役に立てたのでしょうか?」
「そ、それはどうでしょうね?」
「まあ、今回ばかりは私も死ぬかと思いましたけどね! なんせ血ヘドをゲボ吐く程のダメージを喰らいましたから!」
明るい調子で接してくるメイコを前にレウィシアは思わず顔が綻ぶ。
「誰だ? この人も君達の仲間なのか?」
「いいえ。ちょっとした成り行きで知り合いになったお方ですよ」
テティノの問いにラファウスが答えると、ランがシッポを振ってテティノの足元に擦り寄って来る。
「おいおい何だ、いきなり擦り寄って来て。随分人懐っこい犬なんだな」
「あら! そちらにいらっしゃるのは王子様ではありませんか! さてはレウィシアさんったら、もしかして王子様と交際でも始めたんですかぁ?」
「なっ……?」
「ちょっと、馬鹿な事言わないでよ! そんな関係ってわけでは……」
「ウフフ、可愛いジョークってやつですよ!」
相変わらず軽いノリのメイコとレウィシアのやり取りを見ているうちに、ラファウスは和んだ気分になっていた。
「皆さん、これからどちらへ行くおつもりですか?」
「私の母国クレマローズよ。やはりメイコさんもご一緒に付いて行くつもり?」
「えっとその件なんですけど、一先ず皆さんとはここでお別れになりますねえ。一度本部へ帰還しないといけませんので!」
メイコの言う本部とは、ある町に設けられた世界各地で行商活動をしている商人団体の拠点となる場所であった。団体の一人であるメイコはこれまでの行商の結果、目標売上額達成という任務を果たした事で本部へ帰還するつもりなのだ。
「あ。もし私の力が必要であればトレイダという町においで下さいませ! 私が所属している商人団体の本部はそこにありますから! では、縁があればまたお会い致しましょう!」
メイコはランを片手で抱き上げると、翼の装飾が施された宝石リターンジェムを掲げる。すると、メイコとランの姿は吸い寄せられるようにワープして消えて行った。
「何というか、いつになっても幸せそうな人ですね」
呟くようにラファウスが言う。
「私と違って悩みがなさそうだから羨ましく思えるわ。イキイキしてるというか、ね……」
レウィシアは空を見上げる。晴れ渡る空だが、レウィシアの目には何処か憂いのある色に見えていた。
「どうした? あのメイドの人はもう帰ったんだろ? 行くよ」
テティノの声で改めて行動を再開するレウィシア。
「クレマローズは此処からだと結構遠いし、船で行かなきゃダメね。でも……」
「ああ、船ならば王都に住む船乗りに手配してもらうよ。僕が利用している飛竜のオルシャンは一人乗りだから役に立てそうにない。マリネイがあんな事になった以上、彼に頼るしかないからな」
テティノが言う船乗りとはフランコという名の漁師で、ウォーレンの友人となる人物であった。一行はテティノに連れられてフランコの家を訪れる。
「こ、これはテティノ王子ではないですかい! お久しぶりですなあ!」
ほろ酔いの大男――フランコが酒瓶を片手に迎えてくる。家内は酒の臭いで充満していた。
「相変わらず酒臭い家だな。訳あって船を利用する事になってな。君の船を借りたいんだ」
「へええ、噂通りマリネイは壊滅したんですかい?」
「そうでなければ酒の臭いがプンプンする君の元に訪れたりはしないよ。これから大事な旅に出るところなんだ。船の手配を頼む」
「へい、畏まりました! っと言いたいところですが、整備にちょっと時間がかかりそうでしてねぇ……一日くらい待ってもらえませんかい?」
「何だと? 仕方のない奴だ……。翌日までにしっかり終わらせてくれよ」
船の整備に時間が掛かるといった事情で旅立ちは翌日まで延期という事になり、一行は仕方なく王都の宿屋で休む事にした。使命を果たすまでは王宮に戻らないと決めていたテティノも同伴でレウィシア達と共に宿屋で一泊する事になり、一行は宿屋に入る。
「いらっしゃいませ……って、テティノ王子! 一体どのような御用で……」
「この者達との同伴で特別に宿泊をお願いする。宿代ならば払うが」
「いえいえ! お代だなんてとんでもございません! 現在は二つしか空き部屋がございませんが、それでも宜しければ……」
「構わん。二部屋だけでも十分だ」
テティノの王子としての権力によって宿代は無料となり、レウィシアはルーチェと、ラファウスはテティノとそれぞれ二人ずつ用意された二つの部屋で一晩過ごす事になった。


夜――ホットミルクを口にしていたテティノは、ベランダに出て風に当たりながらも外の様子をずっと眺めているラファウスが気になっていた。
「ラファウス、さっきから何故外を見ているんだ?」
ベランダに出ると、冷たい潮風が吹いていた。
「風の声を聴いているのですよ。聖風の神子たる者、風の声を聴くのも習わしなのです」
振り返らずに呟くラファウス。緑色の長い髪が揺れ、良い香りが嗅覚を擽る。
「テティノ。レウィシアを救ったあの大魔法は……生命力を費やす程のものだったのですか?」
ラファウスの問いに一瞬驚くテティノ。
「……聞かされていたのか」
「ええ。あなたの母上……王妃様がそう仰っていました」
テティノは少し俯く。
「……レウィシアを救うにはあの手しかなかった。レウィシアを救えたのは君達が協力してくれたおかげでもあるし、君達の協力でも奇跡に近かったくらいなんだ。君達がいなかったらレウィシアどころか、僕自身も今頃生きてはいなかった。僕がこうして生きているのも、君達の力があってこそ。だけど……決して長く生きられないのは確実なんだ」
俯き加減にテティノが言うと、ラファウスは絶句する。己の命を大きく縮めてしまい、残り少ない寿命で生きる運命を背負ってしまったという事実に言葉を失う思いで一杯だった。
「あと何年生きられるのか、僕自身にも解らない。数年くらいか、もしかしたらあと半年しか生きられないかもしれない。けど……後悔はしていない。守るべきものも守れないで、徹底して打ちのめされて何も出来やしないまま腐っていくなんて御免だからさ」
テティノが呟くと、ラファウスは思わず涙を浮かべる。
「……あなたはもう、誰もが認める立派な人ですよ。いえ、一人の人間の命を救った英雄です。他人の為に自分の命を与えるなんて。私が代わりにその力を使う事が出来たら……エルフの血を引く私は普通の人間よりも長く生きられるから……」
一筋の涙を零しながらテティノの手を握り、切ない表情を見せるラファウス。並みの人間よりも寿命が長いハーフエルフの身であるが故に、自分の生命力を分け与える事が出来たらというやり切れない気持ちを抱えていた。テティノはラファウスの言葉を受けた瞬間、何とも言えない感情が沸き上がり、目が潤み始める。自分を認め、自分を想う言葉。そして、自分を憐む気持ちも含まれた言葉。様々な気持ちを感じ取り、自然に涙が溢れ出る。
「……ラファウス……ありがとう……僕なんかの為に、本当にありがとう……」
涙が止まらないまま感謝の意を露にするテティノの頭をラファウスはそっと撫でる。
「たまには……頼ってもいいのですよ。あなたは十分に無理をしたのですから……」
ラファウスはテティノの涙を拭い、小さな胸に頭を抱き寄せる。ラファウスの目からも涙が溢れていた。


その頃、レウィシアはベッドの上でルーチェを胸に抱き寄せていた。
「こうしてまた、あなたをこの手で抱きしめられるなんて……彼には本当に感謝しなきゃあね」
優しい表情を浮かべながらもルーチェの頬を両手で撫でるレウィシア。だがレウィシアは内心、自分を救った際に己の生命力を費やしたというテティノの事が気掛かりであった。
「お姉ちゃん……暖かい……いつものお姉ちゃんに戻ってよかった……」
ルーチェは慣れ親しんだレウィシアの匂いと温もりに包まれて幸せな気持ちになっていた。
「ふふふ、可愛い。ずっと暖めてあげる」
レウィシアは笑顔でルーチェを抱きしめる。
「私……ルーチェを抱きしめている時が一番幸せ。あなたといるだけで心が暖かくなるというか、もっと頑張れる気がするから……」
レウィシアはルーチェの小さな体を抱きながら顔を寄せる。
「ねえルーチェ」
「何? お姉ちゃん」
「……何があっても……お姉ちゃんの事、嫌いにならないでくれる?」
眼前で問うレウィシアにルーチェは頷く。
「……ぼく、お姉ちゃんがいなかったらきっと生きていけない。ぼくを助けてくれたのもお姉ちゃんだし、お姉ちゃんはぼくのお母さんみたいな人だもの……。王国の人はみんなお姉ちゃんの事をお姫様って言うけど、ぼくにとってはたった一人の大好きなお姉ちゃんだから……。嫌いになんて、ならないよ……絶対に」
ルーチェが抱えている想いを打ち明けると、レウィシアは目を潤ませながらもルーチェの頭を包み込むように抱きしめる。
「ルーチェ……ありがとう……大好きよ……ルーチェ……」
優しい香りと暖かい温もりに満ちたベッドの中、ずっとルーチェを抱きしめているレウィシアは感極まって涙を流し、嗚咽を漏らし始める。ルーチェは言葉に出来ないまま、レウィシアの胸の中で安らぎを感じていた。


私がここまでルーチェを愛してしまったのは、ネモアと重なっていたからというのもあるけど……きっと、母親のようにこの子を守りたいという母性が私の中に備わっていたから。

この子はまだ幼いのに目の前で両親を失った辛さを抱えているから、ここまで守りたいと思えるようになったのかもしれない。

この戦いが終わったら、ずっと一緒にいたい。ずっとこの子の傍にいてあげたい。だから、今こそ全ての邪悪なる闇に負けない強さが欲しい。

その為にも、私の中に眠る真の太陽を目覚めさせる。この子や、全てのものを守れる真の太陽を――。


それぞれの想いを胸に秘めながらも、夜は更けていく――


翌日。船の整備が終わり、一行はフランコの船に乗り込む。船を動かすのは、持ち主であるフランコであった。
「クレマローズが何処にあるのか解るか?」
「へえ、アッシも初めて聞くところなもんで海図を見ても辿り着けるかどうか……」
フランコは海図をジッと見つめる。
「ああ、何となく解った気がしますぜ」
「本当か?」
半信半疑の様子で首を傾げるテティノ。
「テティノ王子!」
突然聞こえてきた声。思わず外に出ると、ウォーレンを始めとする槍騎兵隊が集まっていた。
「ウォーレン! お前達までどうして?」
「フランコから今日旅に出られると聞いてやって参りました! テティノ王子、どうかお気を付けて!」
「一つの命を救ったテティノ王子は我がアクリムの誇りです! 無事でマレン王女を助け出せるよう、心より応援しております!」
槍騎兵隊は王と王妃からテティノの偉業を聞かされ、その噂は既に王都の人々にも広まっていたのだ。
「テティノ王子、万歳!」
槍騎兵隊のみならず、王都の人々もテティノを称え始め、一斉に応援を始めた。更に飛竜オルシャンも優しい鳴き声を上げながらやって来る。皆が自身を王国の英雄と称え、応援している。そんな光景を前にテティノは思わず涙を浮かべる。
「何という事だ……みんな……僕の為にそこまで……」
感極まったテティノは涙が止まらない。
「あなたはもう半人前ではありません。今は私達だって付いています。だから、胸を張りましょう」
ラファウスが笑顔で声を掛ける。その傍らでレウィシア、ルーチェも笑顔を向けていた。テティノは流れる涙を拭い、皆の想いに応えるように大きく頷く。
「へへっ、アッシも微力ながら手伝わせて頂きますぜ! いざ未開の地、クレマローズへ出航ぉぉ!」
フランコが舵を取ると、船は汽笛を鳴らして出航を始めた。


父上……母上……今度こそ、僕を認めてくれたのですね……。

僕は、もう半人前の出来損ないじゃない。

今まで僕は自分の為に戦っていたけど、これからは全ての人を救う為に戦わなくてはならない。今、救うべきものがあるのだから。

残された命がどれくらいなのかはわからないけど、こんな僕でも何かを救う事が出来る。救うべきものを救う為に、死をも覚悟した道を選んだんだ。今は死ぬ事を恐れている場合じゃない。妹を救う為にも、僕は戦う。全ての邪悪なる闇と。



――亜空間では、水晶玉を手にしたケセルとゲウドが佇んでいた。
「闇王に立ち向かおうとする連中が氷の大地で燻っているというのか?」
ケセルの魔力で生み出された偵察用の魔力エネルギー体が浮かび上がっている。
「ヒッヒッ……ヴェルラウドという赤雷の騎士ですかな。あの小僧もなかなかやるようですぞ」
ケセルは手に持つ玉を凝視する。玉にはうっすらと何かが浮かび上がる。それは、少年のような顔だった。
「クックッ……今は奴らの好きにさせておくか。器となるものをじっくりと練り直す必要が出てきたものでな」
「ほほう……主の器ですかな? 一体どのような器ですかのう?」
「クレマローズの王子たる者……ネモア・カーネイリスだ」
玉に浮かぶその顔は、ネモアの顔そのものであった。ケセルは含み笑いをしながらも玉の中のネモアの顔をジッと眺めていた。
「ゲウドよ、闇王は貴様に任せる」
「ははっ!」
そう言い残すと、ケセルの姿が消えていく。
「……全く、ケセルの奴も面白い事を考えるのう。王子の小僧を主の器に選ぶとは。ヒッヒッヒッ……思っていた以上に楽しい事になりそうじゃのう」
亜空間に一人取り残されたゲウドはただひたすら不気味に笑い続けていた。



凍てつく吹雪が吹き荒れる氷の大地で、二人の男が向き合い、それぞれ剣を構えている。両手で大剣を持つオディアンと神雷の剣を持つヴェルラウドだった。吹き付けてくる吹雪を物ともせず、無言で見つめ合う二人。そんな二人の様子を見守っているのは、スフレであった。
「――行くぞ」
ヴェルラウドとオディアンが同時に突撃し、お互い激しく剣を振るい始めた。

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