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七月二十四日|絶叫
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窓の外から叫び声が聞こえた気がして、テレビの音量を下げた。時計を見ると、ちょうど日付が変わったところだ。気のせいだろうかと思いながら耳をすましていたら、再び声が聞こえた。今度ははっきり、女性の絶叫だとわかった。
怖かったけれど、何か事件なら通報しなければまずい。音を立てないように窓を開けて、そっとベランダに出る。声の主はすぐに見つかった。何度か顔を合わせたことがある、となりのアパートの女性だった。
女性は、アパートの駐車場の真ん中に大の字で寝そべっていた。わたしのマンションはその駐車場に隣接していて、どの部屋に住んでいてもその様子が見渡せる。下の階に住む夫婦もベランダに出ていたようで、真下から「やばくない?」と話し声が聞こえた。
女性は赤ちゃんのように手足をじたばたさせ、また叫んだ。
「もう疲れた! 疲れたああ!」
これはどう考えてもただごとではない。通報するか、降りていって声をかけるか、見なかったことにして部屋に戻るか。迷っているうちに、女性に変化が起きた。ゆっくり立ち上がり、ぐるぐると駐車場を歩き始めたのだ。
「いやああ、あああ、あああ」
女性は絶叫に強弱を織り交ぜながら、全身を使って感情を表現していた。それは怒りなのだろうか、それとも悲しみだろうか。その姿を見ているうちに、不思議と女性を応援したい気持ちになってきた。
「がんばれ!」
ついそう叫ぶと、女性ははっとした表情でこちらを見た。ドキッとしたのも束の間、「がんばれー!」「いいぞ!」と他にも応援の声が飛び交った。どうやら女性の様子を見ていたマンションの住人は、わたし以外にもたくさんいるようだった。
「嫌だあ、もう疲れた、やめてやるうう」
女性は再び叫びだしたが、その声色にはわずかに高揚が滲んでいた。叫びと叫びのあいだにくるりとターンしたり、天を大きく仰いだあとに勢いよく地に伏せたりと、動きもパフォーマンス性を帯びてきた。
「負けるな!」「がんばれ!」
歓声のあいだにピイと指笛が鳴り、女性の派手な動きひとつひとつに拍手が湧いた。わたしも額の汗を拭いながら、左右にペンライトを振った。どこかの階の住人は女性にスポットライトを当てた。女性が走るとライトもそれを追い、女性がうなだれるように倒れると青い光に変わった。
「もうだめだああ」
勢いが最高潮に達した女性は、叫びながらぴょんぴょん跳ね、駐車場の中央で立ち止まると、ふうと息を吐きうつむいた。フィナーレが近付いているのがわかった。
「あああ……あああああああ」
女性の呟くような声は、クレッシェンドの要領で徐々に大きくなり、地域一帯に響き渡るほどの大絶叫となった。観客はその声に魅了され、うっとりとした顔でそれを見ていた。どのくらい叫びが続いただろうか。その声は突然、ぷつんと途切れた。会場は静まり返った。月の光すらうるさく感じるほどの静寂だった。
どこからかパチパチと拍手が起こり、我に返ったわたしも夢中で両手を叩いた。嵐のような拍手が渦となり、女性を囲んだ。下の階の夫婦は花束を投げた。さまざまな部屋から紙テープが投げられた。大喝采を浴びた女性は照れた表情で花束を拾い、マンションに向かって一礼すると、アパートに帰っていった。
「アンコール! アンコール! アンコール!」
マンション中の期待を乗せた手拍子に、女性が応えることはなかった。それでもわたしたちの興奮は冷めやらず、拍手はいつまでもいつまでも続いていた。
怖かったけれど、何か事件なら通報しなければまずい。音を立てないように窓を開けて、そっとベランダに出る。声の主はすぐに見つかった。何度か顔を合わせたことがある、となりのアパートの女性だった。
女性は、アパートの駐車場の真ん中に大の字で寝そべっていた。わたしのマンションはその駐車場に隣接していて、どの部屋に住んでいてもその様子が見渡せる。下の階に住む夫婦もベランダに出ていたようで、真下から「やばくない?」と話し声が聞こえた。
女性は赤ちゃんのように手足をじたばたさせ、また叫んだ。
「もう疲れた! 疲れたああ!」
これはどう考えてもただごとではない。通報するか、降りていって声をかけるか、見なかったことにして部屋に戻るか。迷っているうちに、女性に変化が起きた。ゆっくり立ち上がり、ぐるぐると駐車場を歩き始めたのだ。
「いやああ、あああ、あああ」
女性は絶叫に強弱を織り交ぜながら、全身を使って感情を表現していた。それは怒りなのだろうか、それとも悲しみだろうか。その姿を見ているうちに、不思議と女性を応援したい気持ちになってきた。
「がんばれ!」
ついそう叫ぶと、女性ははっとした表情でこちらを見た。ドキッとしたのも束の間、「がんばれー!」「いいぞ!」と他にも応援の声が飛び交った。どうやら女性の様子を見ていたマンションの住人は、わたし以外にもたくさんいるようだった。
「嫌だあ、もう疲れた、やめてやるうう」
女性は再び叫びだしたが、その声色にはわずかに高揚が滲んでいた。叫びと叫びのあいだにくるりとターンしたり、天を大きく仰いだあとに勢いよく地に伏せたりと、動きもパフォーマンス性を帯びてきた。
「負けるな!」「がんばれ!」
歓声のあいだにピイと指笛が鳴り、女性の派手な動きひとつひとつに拍手が湧いた。わたしも額の汗を拭いながら、左右にペンライトを振った。どこかの階の住人は女性にスポットライトを当てた。女性が走るとライトもそれを追い、女性がうなだれるように倒れると青い光に変わった。
「もうだめだああ」
勢いが最高潮に達した女性は、叫びながらぴょんぴょん跳ね、駐車場の中央で立ち止まると、ふうと息を吐きうつむいた。フィナーレが近付いているのがわかった。
「あああ……あああああああ」
女性の呟くような声は、クレッシェンドの要領で徐々に大きくなり、地域一帯に響き渡るほどの大絶叫となった。観客はその声に魅了され、うっとりとした顔でそれを見ていた。どのくらい叫びが続いただろうか。その声は突然、ぷつんと途切れた。会場は静まり返った。月の光すらうるさく感じるほどの静寂だった。
どこからかパチパチと拍手が起こり、我に返ったわたしも夢中で両手を叩いた。嵐のような拍手が渦となり、女性を囲んだ。下の階の夫婦は花束を投げた。さまざまな部屋から紙テープが投げられた。大喝采を浴びた女性は照れた表情で花束を拾い、マンションに向かって一礼すると、アパートに帰っていった。
「アンコール! アンコール! アンコール!」
マンション中の期待を乗せた手拍子に、女性が応えることはなかった。それでもわたしたちの興奮は冷めやらず、拍手はいつまでもいつまでも続いていた。
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