七月の七等星

七草すずめ

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七月四日|奇跡の雫

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 先輩の汗はきれいだ。特に、校庭を走っているときに額をつたう汗は、グアムの海よりもアルプスの天然水よりもきれいだ。照りつける太陽の下でキラキラ滴る汗に「奇跡の雫」という名前をつけた。わたしは水道の裏に身をひそめながら、五分に一回通過するユニフォーム姿の先輩を待っている。
 ところで、わたしの汗はくさい。わたしの髪はうねうねしている。わたしの肌は浅黒い。わたしの顔の造形は歪んでいる。なのに先輩は、わたしに「声がかわいいね」と言った。去年の文化祭で、メイド服を着せられていたわたしにそう言ってくれた。わたしはその言葉を頭の中で何度も何度も何度も何度も何度も再生したので、先輩の表情も声の調子も抑揚も何もかもを正確に思い出せる。解像度は再生するたびにどんどんあがっていく。
 先輩の汗がきれいなのは、心がきれいだからなのかもしれない。たとえばいつも「いじり」という名目でわたしをいじめてくる奴らの汗、それはものすごく汚らしいし死んでも触りたくない。そして、心がきれいな先輩の汗なら舐めたいし飲みたいし浴びたい。つまり、心と汗はイコールでつながっている。わたしはいつも、先輩の心に少しでも入り込みたいと思っている。すなわちそれは、先輩の汗でできたプールにダイブしたいということだ。
 先輩が目の前を走り抜けるとき、わたしはサッカー部の顧問に繰り返し感謝する。顧問が持久走という練習メニューを課したからこそ、わたしは先輩の汗を間近で眺めることができている。まだ高校生なのでお中元を贈ったことはないが、わたしが大人なら顧問にハムかゼリーを贈っている。それくらい深く感謝している。
 だけど、なんだか不安になってきた。さっきも述べたとおり、わたしの汗はくさい。ということは、わたしの心もくさいということになる。それはとてもよくないことだ。くさい心の持ち主がきれいな心の先輩に好いてもらえるとは、とうてい思えない。きれいな心になりたい。きれいな汗になりたい……。少し考えてひらめいた。きれいな汗になりたいのなら、わたしが先輩の汗になればいいのだ。先輩の汗は奇跡の雫だ。わたしは奇跡の雫の一員になる。とてもいい思いつきだった。
 さっき先輩が通過してから四分が経った。あと一分くらいでわたしの前に戻ってくるだろう。そうしたら先輩の前に飛び出して、先輩の汗にならせてください、と頼んでみよう。心がきれいな先輩のことだから、きっといい返事をくれるに違いない。そして汗も心もきれいなわたしになったら、先輩に告白するのだ。好きです、付き合ってください……と。想像しただけで恥ずかしいし、上手く言える自信はない。だけど奇跡の雫になれたなら、きっと恥ずかしがらずに言えるはずだ。さあ、先輩に頼もう。すぐにでも汗にならせてもらおう。早く戻ってこないかな、早く……。
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