夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

13 珍客

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 人が夢に見るのは何も世界を揺るがすような野望ばかりではない。
 日々の営みの中で蓄積していく小さな感情。発散の行方を知らない欲求の数々。
 それらを解消するための捌け口として、人類を結び付ける夢想世界の在り方は都合が良かった。

 夢の中では人間の本性の部分が露わになる。社会規則という名の折の中で、現実での身を護るために抑圧している荒ぶる心の色彩は、時として夢想世界でその理性という名のメッキを剥がしてしまうのだ。


 夢想世界で起こる犯罪。
 
 暴行、傷害、脅迫、恐喝。
 殺人、強盗、放火、強姦。
 無論、現実世界でこれらを実行すれば刑事処罰の対象となる。
 だが、これが夢の世界での出来事だとすればどうだろうか。夢の世界に持ち込んだ個人の闘争を裁くにはどれほどの巨大な力が必要なのか。
 ただでさえ広大な夢想世界。悪意を持って危害を加えようとする存在は何も"悪魔の僕"に限った話ではない。この開かれた共通で広大なフィールドは、普段は真面目に振舞う良識人も、日夜犯罪に勤しむ大悪党たちにも平等に新たなを与えてしまったのだ。

 夢想世界で醸成された想像力の暴走は世界の治安を劇的に悪化させた。夢の世界で行われる犯罪は"別解犯罪べっかいはんざい"と呼ばれるようになった。
 夢の世界では市民が有する憲法や条例、暗黙の了解などで保障された身体、生命、財産、自由、名誉などが侵害される。そこに100%の悪意はなく、例えばその日の日中にトラブルを起こした個人間の嚙み切れない因縁が夢に波及し、夢想世界での活動の箍を外してしまうような些細な入口が多い。だが、一度やると決めてしまえば人間は歯止めが利かなくなるもので、現実世界ではおよそできないような凶悪な事件にまで簡単に手に染めてしまうのだ。
 一発殴ってやろうと腹に決め、邂逅した因縁の相手を勢い余って嬲殺してしまったり。
 煽り運転をされた不満から夢の世界で面識ない人間を撥ねてストレスを紛らわせたり。
 失恋の痛みから逃れるために夢の世界で当てもなく姦淫の旅路に身を委ねたり。
 別解犯罪は市民に浸透する麻薬となった。

 当然、これらを裁くことはどんな機関にとっても難しい。
 夢の世界での犯罪に対する法整備は困難を極め、増大する被害者の訴えもその真偽を確かめることも不可能に近い。物的証拠が残るわけでもなく、犯罪自体を抑制する術すらない。これが本当の意味での無法地帯かと言わんばかりの無秩序が夢の世界に蔓延した。
 そして、これは裏社会で暗躍していた犯罪者たちにも恰好の手段となり得た。本来では物理的に接触することが困難である組織や個人を結びつける手段として夢想世界上の座標のパスが用いられた。犯罪組織同士の密談や国家権力との談合も、現実世界のような粘り強く張り付く記者やパパラッチの眼を気にせずに行うことができる。盗聴や盗撮の心配などなく、ランダムなシード値のように生成される世界の中では裏社会で活性化する交流やそれを仲介する仲買人の需要を強めていった。

 とはいえ、無秩序に拡大すると思われていた別解犯罪にも今は一定の水準でキープされているような状態が続いている。その理由は超大な力を持つカテゴリー3以上の悪魔の僕の存在があった。
 彼らは夢を追う凡人とは一線を画すような欲望の怪物だった。強い望みであればあるほど、その欲望は他者を巻き込み侵害する。端的に言えば、夢の世界で暴行や殺人に走るような人間の姿は彼らの眼に付きやすいのだ。自分こそが最強だと信じて止まない怪物の前にある短絡的な欲求は目障りに飛び回る虫や路傍に生えた草と変わりない。眼に付く不愉快を断絶するが如く、怪物たちは周囲にある意思ある存在を屠り去っていった。
 一個体で大規模テロに等しい脅威を持つカテゴリー3。
 周囲を巻き込む災害クラスの固有冠域を当然のように展開して君臨するカテゴリー4。
 存在のそのものが核戦争の猛威と同列と比喩される地球規模の異能であるカテゴリー5。

 これらの存在にとって欲に走った人間など実に矮小な存在だった。当然のように踏み躙り、懺滅する。より具体的な夢の世界に飲み込まれた人間たちは現実世界でも非業の運命を辿り、悪魔の僕の脅威指数は別解犯罪の中でも他を逸脱した異次元の高さと言って良かった。

 だからこそ、TD2PやAD2Pのような対悪魔の僕の構図を想定した同盟の活動は存在意義を示すが如く悪魔の僕の討伐や拿捕に傾倒し、一般が起こすような別解犯罪の対処は両組織に内在する"管理塔"と呼ばれる総合情報局が管轄する捜査部がその対処を主に担うようになった。
 捜査部には夢想世界における特定犯罪者の無条件の殺害までの権利が保障されている。これは、未だに別解犯罪が市民生活の大いなる脅威であるという世論に肯定された暴挙でもあるが、事実、夢想世界での具体的な捜査活動を可能とする両組織の絶大なる信頼力と世論の依存体質に由来された賛否両論ある現状だった。





 曲芸師クラウンと呼ばれる存在。
 風に揺れるオレンジ色のAFROアフロ頭
 浮世離れした、どこか日本には似合わない恰好をした青年だった。何より目に留まるのはそのアフロヘア。風に吹かれて暴れるそれは恐ろしく繁茂したサンゴ礁や宙を彩る爆薬の明色を思わせる。
 背丈は2mを余裕をもって越えるレベルの巨躯であり、それでいてすらりとした体系はトップモデルのような気品がある。黒く照った皮のジャケットを基調に併せたコーディネートは流行りを過ぎたようなロックミュージシャンのような風体であるが、どこかそれも様になるような妙な貫禄を持ち合わせている。

 捜査部のガブナ―雨宮にとって、その容貌はもはや見間違えるレベルでないほどの大物だった。
 闇社会、裏社会。とにかくそのような薄暗いフィールドで絶大なる信頼とカリスマ性を持ち合わせた仲買人であり、悪魔を契約していない人間でありながら悪魔の僕と同様のカテゴリー3の脅威レベルを定められている。
 彼がこれまで手掛けてきた犯罪工作は枚挙に暇がなく、現実世界の大規模なマフィアや大物政治家の後ろ盾を持つまでの相対的な権力を用いた犯罪者たちの仲買や公的権力の操作を手掛ける別解犯罪のスペシャリストといえる存在だった。彼が取り持つ間柄は現実世界での犯罪者に留まらず、詳細は不明であるにしても少なくとも10体を超えるカテゴリー3以上の悪魔の僕とのを築きあげているということでも有名だった。

「わかっていると思うが貴様は重要指名手配犯。掛け値なしの大悪党だ。こちらには無許可で貴様を撃ち殺すだけの権利もあり、夢の世界にいない貴様には時速500kmの弾丸をどうこうすることも出来ない」

「あらあら、まァまァ」

 ガブナ―雨宮が手にした拳銃。サイレンサーが取り付けられているため、発砲音が海に鳴り響くということもないが、如何せん彼が立つ展望ラウンジに在るにはそれは似合わない代物だった。だが、そこはガブナ―のうまい立ち位置操作によって他の客からは死角になるように配慮されていた。
 そうでなくても海や飛んでいるウミネコに心を奪われている乗船客からすれば、そもそも彼らのようにうろつく男たちの存在など眼中にないのだろう。


「撃って良いという免罪符があっても、なかなか撃てないもんなんだなァ。優しいのか、馬鹿なだけかね」
「望みは薄いを思うが一応尋ねる。投降の意志は?」
「ないね。捕まえられるもんなら捕まえてみろ。それとも撃ち殺すかァ?簡単ですわな、そっちの方がずっと」

 ガブナ―がゆっくりとクラウンに近づく。銃口はクラウンの頭に向けてひたと据えている。

「でも、あっしを殺したら持ってる情報もなくなっちまうね。資産に換算すれば80億ちょっとくらいにはなりそうな情報がこのユーモア溢れるオツムに詰まってるもんで」
「何が目的だ。……貴様を殺すのはコンマ0.01の判断で出来る。俺の気が変わらないうちに答えろ」
「目的?そんなのわざわざ言わなきゃわかんねぇかね。佐呑のパスが欲しいんだよ。そんでお友達と一緒に君らのボスが作ってる監獄を潰し、支部を潰し、ボスも殺す。単純だろ?」

 ガブナ―は険しい表情を固めたまま、クラウンを嘲った。

「他の誰ではなくキンコルさんの島にわざわざ飛び込むなんざ、あのクラウンともあろう大物にも焼きが回ったか。夢の世界でイキったガキなんざ、あの人の敵じゃねぇよ。挙句の果てにゃあの人を殺すだと?調子に乗るのも大概にしろクソガキがッ‼」

「まぁ、確かに現実オーバーだとしょっぱいのは確かだなァ……でも、ちょっと何ヶ所か訂正させてもらってもいいかい?」
「………………」

 アフロが揺れる。

「一つ、あっしは別にその拳銃の挨拶をどうすることも出来ないとは思ってない。
 二つ、君のボスを殺すのはとっても簡単。
 三つ、俺がイキるのは現実世界でもいっしょ」

 トリガーが掛かる指に力みが奔る。発砲を決断した脳の反射。今ここで仕留めねばと何かに急かされたような気がした。

 だが、それに追随するようなが発砲をさせなかった。ガブナ―の指の脊髄が叫びあげる緊急信号によって制御された。この場で全ての挙動を静止させなければならない程の異常事態に五体の全てが絶叫しているようだった。

 鉛のように重たい汗が頬を滑る。金縛りにあったように脚はピクリとも動かないが、手指は戦慄のあまりにぶるぶると震えている。サングラスの奥で彼の眼がこれでもかと剥かれ、その異常事態の正体を眼前に据える。そこにあってはいけないと断言できる別格の超存在がそこには在った。


「コォー……コォー」

 ガスマスクを通したような不気味な呼吸音。浅いようで深い呼吸はその甲冑に包まれた肩を上下に動かしている。
 アルマディン・ガーネットを思わせるような赤黒く無骨な質感を持った全身鎧。情景に溶け込まないあまりにも異質な立ち姿は、それだけで見る者の心肺機能を損なわせるような威圧を振りまいているようだった。
 

「嘘だろ………意味わかんねぇよ」

 この世界に七体しか登録されていない神話級の存在であるカテゴリー5の悪魔の僕の一柱。
 個体識別名:反英雄はんえいゆう。カテゴリー5の中でもさらに4体しか実現の例がない『究極反転』と呼ばれる特別な力が扱える紛れもない現実世界での最強格の存在だった。
 中世の騎士を思わせるような装備もまた、現実世界で行使している反英雄の夢の能力の顕れだった。別解犯罪に代表されるような夢の世界での大立ち回りはあくまでも夢想世界における自分が自分に掛ける想像力に助長されたバフに限定される。夢の中だからこそ自分自身が世界の主人公たりえるのであって、現実世界にそこまでの自己満足を押し付けるようなどとは夢にも見ないようなことだろう。
 だが、夢の世界での特殊能力をそのまま現実世界で可能とさせてしまうのが、この究極反転と呼ばれる術だった。
 現実世界で理想を押し付ける存在はどう足掻いても人類との共生には向かない。究極反転個体を通称X個体と呼ぶが、現実世界での人類の命運はこのX存在の挙動に委ねられているという風潮は今や世間の定説となってしまっている。


 反英雄はどう見ても立ち入り禁止と思われる船の設備の上に立っている。見かけ上はクラウンより小柄だが、その恰好とあまりの威圧感に十分な距離を開けていてなお、心の底から気圧されてしまうようだった。
 手にした剣は赤黒い靄を帯びるように不気味な光を放っている。実際に見るのは初めてだが、世界中で報道される神出鬼没の大悪鬼の姿など見間違えるはずもなかった。

「あっしのお友達に挨拶するかい?」

「カテゴリー5までお友達ってか……ふざけてやがる」

 クラウンは現実世界での戦闘能力は皆無だという見解が多かった。事実、多くの夢の中での凶悪犯罪者の強さの所以は夢想世界という万人に都合の良い世界がフィールドであるからして、現実では才能や適した訓練に育まれた戦闘能力や実技能力を凌ぐことなどできない。だからこそ、現実世界で逃げ場のない戦場におり、なおかつ非武装と思われるクラウンなどは数あるシチュエーションとガブナ―はどこか安心してしまっていた部分があった。

 だが、クラウンの余裕はいわば世界最強の用心棒を従えているからこそのものであり、それを察したガブナ―の思考は脳内を小人が反復横跳びでもしているかのように混乱の極致に達していた。


(マズいぞ……マジでヤバすぎる。
 あの反英雄…本物か。いや、アレがはったりなわけないか。…最悪だな。
 仮に運が回ってクラウンを殺せたとしても、そのあとの反英雄の動きがわかんねぇ。
 船内皆殺しか。それとも直接佐呑に乗り込んで本当に潰しにかかる気か?
 キンコルさんに伝えねぇと。いや、でも、俺、あと何秒生きてられんだ‼?)

「コォ…---……コォー」


「あっしたちを見なかったことにして回れ右して船旅が楽しむか。ここで死ぬか。選ばせてあげるようかァ」
 
 クラウンはケタケタと笑った。小首を左右に傾げるような奇妙な笑い方。
 選択を迫るように反英雄の体が宙に投げ出され、見た目に反して丁寧な着地をしたうえで手にしていた大剣をガブナ―に向けて差し向ける。


「お前もか」

 血飛沫が舞う。ガブナ―の視界が赤く染まった。



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