夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

14 剣戟

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 空気を揺らす劇的な剣線。体の反応が全く間に合わなかった反英雄の剣の振りはガブナ―の首筋の紙一重の位置で停止していた。宙を割くような切れ味はまるで空間を隔てて斬撃を成しているかのように、刃が触れていないにも関わらず彼の首の首には一閃の血の赤が滲みだしてきた。

 白飛びしそうな意識の中で彼は現状を把握する。命のやり取りというのは刹那を長い時間のように感じさせるというが、今のガブナ―の置かれている精神状態はまさにそれだった。瞠目してこれでもかと剥かれた眼はサングラス越しにぎょろぎょろと辺りを視覚的に捉える。
 今、血を噴出しているのは反英雄とガブナ―の間に割り込み攻撃を受け止めた白英淑だった。彼女は釣り竿に扮したケースもろとも斬撃の隙間に入り込んで受け止めようとしたが、そのあまりの威力に自分の剣刃がケース越しに彼女の肩に減り込んでいた。力を加えるために刃の辺りまで掴んだ左手もまだ自らの刃で傷ついており、ボタボタと血を零している。

 刹那の合間に英淑が動き出す。破れたケースごと剣の柄を取り的確に取り回し、隙の無い重装の鎧の狭間に刃を通そうとする。だが、何かを察してか動きを急激に変化させ、身を大きく仰け反らせた。
 と思えば反英雄は英淑めがけてほぼノーモーションで大剣を振る。子供一人分ほどの刀身と幅を持った大剣が空気をスライスし、先程まで英淑の胴があった位置を掻っ切る。その後も英淑は二歩三歩と後退を果たすも恐ろしい足捌きで緊迫して攻撃を織りなす反英雄の動きは、もはや完全に異次元の存在と相対しているような感想を強制される。
 刃はもとより凶器にほかならないが、反英雄が持つそれはまるで神々の持つ神器のようだった。自分の体格に迫らんとする得物を振り回す腕力など本来なら人間には荒唐無稽な芸当だが、夢の力を現実に持ってきている反英雄には基本スペックのほんの一部に他ならない。本気を出した反英雄であれば既に英淑の全身はサイコロカットされていてもおかしくはないだろう。当てる気がないのか、それとも出力を加減しているのか、その数度の斬撃は英淑でもギリギリ回避できるレベルに収まっていた。

 英淑の肌には朝露のように大粒の汗が噴き出している。限界に近い集中力を以て臨んでいるのだろう。ガブナ―からしても戦力的にみてカテゴリー5に実技を用いて勝つのは人間が空を飛べるようになっても無理だと断言できるが、やはりそこは天才の領域、彼女の持つ類稀なる剣聖の素質と身体能力が現状の生存を許しているといっても過言でなかった。

「ハァ……ハァ……ガブナ―…警部補………さすがに反英雄ともなると」
「ヘヘ…わかりますよ…絶望しかないっすよね」

 英淑の声が震えている。
 声どころではない。既に全身が総毛立ち、足元から手指の先まで震えあがっているのだ。
 剣士ならば理解できる間合いの概念や剣戟の重み、テンポ間や身動きの方式などそのどれもがこの世界のものとは明らかに違う。たとえ回避に全身全霊を果たしたとしても、その一つ一つの身動きの選択が凌駕され得ると直感的に分かってしまうのだ。英淑は持ち前の動体視力で反英雄の挙動を幾度も見切ろうとしたものの、動き出しから技が放たれるまでの尋常でない速度を捉えることなど一度もできなかった。
 
「コォー…」
 
 反英雄の姿はどこか大気に対して漫然と揺らいでいるようにも見えた。赤と黒を基調とした鎧が不気味なほど静かにそこに在る。剣呑な雰囲気と言えばそればでだが、鬼気迫るオーラが不可視なはずのプレッシャーをそこに生じさせるような趣がある。

「クレプスリー……今、この場で船を沈めても構わんか?」
 鎧の奥から声が出る。人の喉から出たとは思えない鑢がかったような声音だった。
 船を沈めるという提案。反英雄と相対する英淑にとってもガブナ―にとってちっとも予想外な発言ではなかった。
 それが可能だとわかっているからこそ、驚きこそしないが一層の恐怖と絶望感ばかりが心に山積していく。
 
 反英雄含めたカテゴリー5に相当する"超大物の悪魔の僕"を打破することを目的としたTD2Pのプロジェクトは一般に『大討伐』という名称で知られている。大討伐の規模はカテゴリー4以下のの悪魔の僕の打破や拿捕を目的とした『討伐』とは一線を画した軍事費用やマンパワーを投じて行われる一大軍事作戦であるが、これまでに反英雄を対象として行われた大討伐は三度も敢行されている。
 だが、その全ての作戦の成果は凄惨なTD2Pの被害を以て幕を引いている。投じられた聯隊規模の人的資源の損失は国際世論から軍事構造そのものを対象とする批判を呼ぶ種となった。反英雄が年間に殺害する人間の数は約1000人という統計が出ているが、反英雄の大討伐を試みることで失われる人命はその百倍を凌ぐとさえ言われている。

 反英雄の能力は単純なる自己強化の重複効果。究極反転によって現実世界でもそれが使えるとはいえ、やっていることは実にシンプルなのだ。己と武器一つに膨大な想像力のリソースを割き、神羅万象を凌駕する領域にまで自己を昇華させる。
 能力の性質上、ボイジャー:スカンダが夢想世界で行っていることとそう異ならない。
 だが、シンプルであるが故にこそ、その力に付け込む隙など存在しないのだ。


「それはアカンでしょ。船沈めたらあっし、海の藻屑よ?」
「夢に潜れば良いだろう」
「寝てても本体が溺れたら物理的に死ぬでしょうが、馬鹿なの?脳筋なの?」

「コォー……」

 さすがに船内には既に混乱が伝播している。ウミネコやら海を眺めていた観光客もただならぬ気配に充てられて反英雄を認識し、中には絶叫しながら失神するものもいたほどだ。バタバタを観光客たちが船内へ引っ込んでいるために人の気配は少ないが、それでも反英雄ほどの怪物の間合いから逃れているとは言い難い。
 ガブナ―は溜まらずに拳銃を反英雄に向けて発砲するが、何の冗談か反英雄はそれを籠手に包まれた指先で挟んで受け止めてしまった。続いて何度も発砲するが、バカでかい剣を盾に使うわけでもなく、ただ単に身を傾けて避けたり手で掴んでしまったりと攻撃の意味は皆無だった。
 英淑もガブナ―に併せてステップし、反英雄に間合いを詰めて片手剣で斬りかかる。顔面蒼白であまりにも絶望感漂う表情だったが、それでも体捌きは抜群で回転するように遠心力を活用しながら器用に反英雄の鎧の隙間に向けて剣を振る。だが、そのどれもがクリーンヒットとは言い難く、反英雄の振る大剣の圧力もあって完璧にいなされてしまっている。
 反英雄の斬撃にキレが増し、えげつない角度から飛んでくる攻撃に英淑は呼吸を詰まらせた。どれだけ四肢をフル動員しても攻撃は反英雄に届かず、返しの軽い一撃がこちらの致命傷になり得る。うまく身をこなして宙から蹴りを放ってみても、完全に見切った上でカウンターの拳を放ってくる反英雄の姿を見て彼女は自分の愚かさを痛感した。
 鈍痛に伴って凄まじい衝撃が彼女を宙に放り投げる。五臓六腑が悲鳴を上げるような堪えがたい苦しみが一瞬で全身を硬直させ、彼女はバルコニーの端の手摺に激突した。

「……ッ」

 赤子扱いされる英淑を横目にガブナ―は絶句した。
 そして、さらに彼は息を詰まらせる。騒乱に包まれた船内には反英雄の姿を野次馬感覚で見ようとする馬鹿な若者も居たのだ。年若い男女がスマホを片手にざわざわと言葉を交わしながら、反英雄の姿をカメラに収めてネットに上げようと必死になっている。血を吐きながら倒れている英淑の姿もまた好奇の対象となるらしく、あまりの光景にテンションがあがっているのか人間本来の危機回避能力が働いていないようだった。

「このアフロのお兄ちゃんは撮ってくれないのかなァ」
 クラウンは若者に対してケタケタと笑って言う。

「なに、あのアフロ」
「やべぇじゃん、やべぇやつばっかじゃん」
「ホントに鎧来てるわ、厨二っぽ」


「おい、お前ら何してる‼逃げろッ」
 ガブナ―は腹の底から訴えたが、若者は興奮気に言葉を交わすばかりで聞き入れなかった。


「冠域延長:蒐集謄本ナイツ・ブック
 空気が強張る。冑の奥にある悪魔の僕の青い重瞳が拍動する。反英雄本体から溢れ出る赤黒いオーラと目元からの青い靄が混じり合い、周辺の空気は化学反応を起こすようにバチバチとした空間の炸裂が生じる。反英雄が大剣を体の上に掲げ、そこに招き寄せられるようどこからともなく雷が降り落ちる。

「うわっ、っげぇ!」
「眩しいー!」

「冠域固定。……哀れなり、無垢な凡徒共。攫え、雷剣。生者も死人も焼き尽せ」
 
 反英雄が放つ一撃。明確な殺意をようやく認識しても、今更若者たちが助かる道など在りはしなかった。深い蒼色の雷が宙に奔り、辺りを詰め尽くす光の波となって眼前のバルコニーから周囲の海までを搔っ攫った。衝撃波が周囲に振り撒かれ、ガブナ―は攻撃を受けずとも転倒してしまった。攻撃が直撃した若者たちが無理に扱われた人形のように雷が当たった部分だけがごっそりと欠落してしまっていた。中には上半身まるごと飲み込まれた若者もおり、立ち往生とはさながらに下半身だけが直立しながら絶命していた。
 海もまた雷が降り注いだ値は黒く変色し、魚と思しき黒い粒が遠くの景色にパラパラと浮かんでいた。

 反英雄はバチバチと雷を纏って音を鳴らす剣を担ぎながら、英淑に重々しく歩み寄る。止めを刺す気だと誰でもわかる。ガブナ―は今の一撃の衝撃派だけでキンキンと頭に痛みが鳴り響ていたが、それでもどうにか反英雄を止めようと駆けだした。
 咄嗟に彼は反英雄の腕を掴む。ゆっくりと振り返る反英雄の眼から噴き出す青い靄が威圧するように彼を包むも、ガブナ―はさらにもう片方の腕で反英雄の剣を持つ方の腕を掴んだ。

「……………コォー……コォー」

「…………………………………」

「何してんのさ、反英雄。見つめあっちゃって、恋でも始める気かい?」

 睨み合うガブナ―と反英雄。それを見かねてクラウンが尋ねる。
 それから数秒経っても両者は動き出さなかった。

「合気か、ご苦労なことだな」
「まさか反転個体に通じるとは思わなかったけどなッ……こりゃあ良い!…世界初の発見だろうよ!」

 ガブナ―雨宮は合気道の使い手だった。TD2P捜査部は現実世界で武装した犯罪者と相対することもあるために誰もがそれなりの武術や武道を嗜んでいるものだが、彼にとっての武器は極め抜いた合気道による密接状態からの制圧力なのだ。
 人間相手でもなかなか使う機会の限定された技術ではあるが、彼自身もこの技術を究極反転後の悪魔の僕に通じるとは思っていなかった。だが、力の流れを制するこの技術を用いれば、たとえ反英雄であってもその自由を奪うことは可能だった。

「お前も、才能があるな」
「……はっ、かの反英雄様に言われるとは光栄だな!」

 反英雄の剣に雷が落ちる。雷撃を振り飛ばすあの技を出す気だ。

「………ッ‼」
「お前のような奴は、死ぬべきだ」
「糞が!」

 合気の束縛が解かれる。というより、反英雄も合気を使ったのだ。力の流れが逆流するように、全ての抵抗力が無効かされて一挙に数十倍の重力のような圧が流れ込んでくる。
 反英雄は剣を振りかぶる。片手でガブナ―を拘束したまま、バカでかい大剣を片手で振り上げてそれを繰り出す気だ。

「……………………………………………そうか」
 反英雄の動きが止まる。
 チラリと英淑を見るような仕草をし、今度はどこか上向いて直立する。

「クレプスリー」

「なぁんだよ、もう」

「私はここで退去させてもらう。あとは好きにしろ」

「……は?」

 反英雄が全身から青色の光をどっと噴き出す。すると、霧が晴れるようにその姿がその場が消えてしまった。
 最初からそこにいなかったと言わんばかりの一瞬の霧散だった。反英雄に掛けられていた合気による拘束の効力も失せ、ガブナ―には力が戻る。

「……………」
 ガブナーは不思議そうに数舜の間顔を俯かせていたが、すぐに胸元から新たな拳銃を取り出してクラウンに発砲した。

「うわちょっ…!アブねぇだろ」
「……………」

 続けて二度、発砲。クラウンの両肩から血が噴き出した。
「いや、撃ちすぎぃ!」
 続けて発砲。クラウンの右腿が崩れる。
「めっちゃドSやん。…なんだよ、反英雄ちゃん帰ったからって王様気取りかよ!いいねぇ、下っ端らしくて最高!」
「うるさい。何だか知らないが、反英雄が消えたのは誤算らしいな。こっちには嬉しい誤算だ」
「せんせーい。それが人を撃って良い理由になるんですかー!?撃たれたとこから血が出てます。血、わかる!?血‼」

「カテゴリー4、曲芸師。ここで拿捕する。貴様の行先は世界最高の大監獄、佐呑の監獄塔だ」

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