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埋葬蟲.1
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例年ならば眠って過ごすはずの冬は想像以上に長く、静かだった。日々は変わらずに過ぎていき、所々に蜘蛛糸が張り巡らされた宮殿の中は、月光に似た光を放つ茸で煌々と照らされていた。
元々は蜜蜂の巣であったこの自然の要塞を、たった一匹で攻め落としたシノノメは夜行性の毒蜘蛛で、昼間という時間帯には枯葉の寝床の中で眠って過ごしていることが多い。シノノメが若い衝動を発散させるためにムラサキの肉体に手を触れるせいで、眠りに沈んでいる時間こそ随分と長くなったのだが、昼間にはそっと起き出して丹念に身繕いをし、宮殿の中を散策することがムラサキのささやかな楽しみのひとつだった。
共寝をすると、毒蜘蛛の高い体温は蝶にとって心地がいい。それを伝えてから、シノノメは時折、戯れにムラサキを腕に抱いて眠るようになった。代わりに、ムラサキに『蝶の愛撫』をするように求めてくる。長い指を使って共寝の相手の髪や首筋や顔に触れる蝶の仕草は、孤独な雄蜘蛛をすぐに深い眠りに落とした。最早この上、ムラサキを残酷に捕食することはないだろうというところまで心許していたムラサキは、翅以外の全身をすっぽりと包む長身の雄蜘蛛の気紛れな抱擁の中を逃れ難く思うようになっていた。
しかし、それでも、昼間という時間はムラサキの眼から気怠い眠気を押し退ける。故に、シノノメを起こさぬように気を払いながら、抱かれ疲れの残る身体を引き摺って着物を整え、貯水池の水で身体を清めて、長い髪に櫛を通した。
ある日、ムラサキは、枯れ木の洞の壁沿いに小さな階が刻まれてあることに気が付いた。大人の蟲人がやっと通れるほどの階は、恐らく兵隊蜂の斥候が使う出入り口に繋がっていて、器用に糸を使って洞内を移動するシノノメにとっては無用の物なのであろう。故に気付かれずに薄く埃が積もっていた階段を、ムラサキは裾が破れた大きな翅を引き摺りながら、ゆっくりと登ってみる。果たして、階の終点は、枯葉と樹皮で巧みに隠された、斥候蜂の出入り口になっていた。
指先で軽く樹皮の緞帳を掻き分けると、途端に斬り付けるような冷たい風が吹き込んできた。しかし、ほんの僅かな隙間から見えた灰色の光は、間違いなく冬の陽射しなのである。初めて目にする冬の太陽の色。だが、ムラサキは、今すぐここから外に翔び立とうとは思わなかった。刺すような北風の中で生き延びる術を持たない蝶には、月光に近い光で満たされた木の洞の中の方が暖かく、外より余程優しい場所だ。たとえここが恐ろしい外つ国の毒蜘蛛の巣であったとしても、以前より暗澹とした気持ちにはならない。
疑似交尾に至る前、シノノメは、ムラサキの示した仕草から新たなことを学んだ。
「──ん…、っ…。」
重なり合った唇の間で、絡まった舌がピチャリ、と濡れた音を立てる。牙を持つ、毒のある蜘蛛との口づけは、最初のうちは恐ろしかった。しかし、手練れたムラサキの技の中から舌と舌を擦り合わせる快楽を知った雄蜘蛛は、決してムラサキに尖った毒牙を突き立てようとはしない。
唇を重ねながらシノノメの、毒々しいまでに鮮やかな桃色の髪を指先で梳いてやると、彼は軽く咽喉を鳴らして紫の翅の付け根を撫で擽ってくる。
例年ならば眠って過ごすはずの冬は想像以上に長く、静かだった。日々は変わらずに過ぎていき、所々に蜘蛛糸が張り巡らされた宮殿の中は、月光に似た光を放つ茸で煌々と照らされていた。
元々は蜜蜂の巣であったこの自然の要塞を、たった一匹で攻め落としたシノノメは夜行性の毒蜘蛛で、昼間という時間帯には枯葉の寝床の中で眠って過ごしていることが多い。シノノメが若い衝動を発散させるためにムラサキの肉体に手を触れるせいで、眠りに沈んでいる時間こそ随分と長くなったのだが、昼間にはそっと起き出して丹念に身繕いをし、宮殿の中を散策することがムラサキのささやかな楽しみのひとつだった。
共寝をすると、毒蜘蛛の高い体温は蝶にとって心地がいい。それを伝えてから、シノノメは時折、戯れにムラサキを腕に抱いて眠るようになった。代わりに、ムラサキに『蝶の愛撫』をするように求めてくる。長い指を使って共寝の相手の髪や首筋や顔に触れる蝶の仕草は、孤独な雄蜘蛛をすぐに深い眠りに落とした。最早この上、ムラサキを残酷に捕食することはないだろうというところまで心許していたムラサキは、翅以外の全身をすっぽりと包む長身の雄蜘蛛の気紛れな抱擁の中を逃れ難く思うようになっていた。
しかし、それでも、昼間という時間はムラサキの眼から気怠い眠気を押し退ける。故に、シノノメを起こさぬように気を払いながら、抱かれ疲れの残る身体を引き摺って着物を整え、貯水池の水で身体を清めて、長い髪に櫛を通した。
ある日、ムラサキは、枯れ木の洞の壁沿いに小さな階が刻まれてあることに気が付いた。大人の蟲人がやっと通れるほどの階は、恐らく兵隊蜂の斥候が使う出入り口に繋がっていて、器用に糸を使って洞内を移動するシノノメにとっては無用の物なのであろう。故に気付かれずに薄く埃が積もっていた階段を、ムラサキは裾が破れた大きな翅を引き摺りながら、ゆっくりと登ってみる。果たして、階の終点は、枯葉と樹皮で巧みに隠された、斥候蜂の出入り口になっていた。
指先で軽く樹皮の緞帳を掻き分けると、途端に斬り付けるような冷たい風が吹き込んできた。しかし、ほんの僅かな隙間から見えた灰色の光は、間違いなく冬の陽射しなのである。初めて目にする冬の太陽の色。だが、ムラサキは、今すぐここから外に翔び立とうとは思わなかった。刺すような北風の中で生き延びる術を持たない蝶には、月光に近い光で満たされた木の洞の中の方が暖かく、外より余程優しい場所だ。たとえここが恐ろしい外つ国の毒蜘蛛の巣であったとしても、以前より暗澹とした気持ちにはならない。
疑似交尾に至る前、シノノメは、ムラサキの示した仕草から新たなことを学んだ。
「──ん…、っ…。」
重なり合った唇の間で、絡まった舌がピチャリ、と濡れた音を立てる。牙を持つ、毒のある蜘蛛との口づけは、最初のうちは恐ろしかった。しかし、手練れたムラサキの技の中から舌と舌を擦り合わせる快楽を知った雄蜘蛛は、決してムラサキに尖った毒牙を突き立てようとはしない。
唇を重ねながらシノノメの、毒々しいまでに鮮やかな桃色の髪を指先で梳いてやると、彼は軽く咽喉を鳴らして紫の翅の付け根を撫で擽ってくる。
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