蟲人の森 -蝶の王-

槇木 五泉(Maki Izumi)

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東雲.11

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「俺は、羽虫って奴が嫌いだ。地べたを這いずり回る蜘蛛と違って、何処へでも自由に飛んでいけるんだろ。…なら、あの海を越えることも出来るのか?」
「──シノノメ。残念だが、それは不可能なんだ。」

 その時、ムラサキは何故となく、この若い外来の毒蜘蛛が空飛ぶ蟲人を嫌う理由が理解できたような気がした。この森に棲む蟲人は誰しもその存在を知りもしない海の外の国からやってきた、記憶を喪った毒蜘蛛の郷愁は、どのような願望になるのか。

『もし、自分にこの海を渡れるだけの翅があったのなら』

 そんな声なき願望が聞こえた気がして、ムラサキはしかし、ゆっくりと首を左右に揺らす。

「言っただろう。この森の外は、恐ろしい巨大な鳥の住処だ。巨木の上には決して飛び上がってはいけない、それは、私たちの言い伝え。この目立つ翅で海なぞ飛ぼうものなら、たちまち鳥の餌食になるだろうよ。それに、この海の向こう側までどのくらい遠いのか、知る術がない。何処かに渡りをする蝶の群れがいるという話を聞いたこともあるが、嘘か本当かは解らない。…とまれ、私には無理なのだ。休む場所がなければ、そう長く空を舞っていられるものでもないのでね──。」
「ふん…。」

 ムラサキの、血の通う翅の付け根を探りながら、シノノメはゆっくりと鼻を鳴らす。
 捕食者で、立ち居振る舞いこそ粗暴ではあるが、彼はムラサキにしてみれば初仔のような年頃だ。複雑な胸の内を抱えながら俯き、疲労感に身を委ねてシノノメと共に再び眠りに落ちることを選んだ。実際のところ、冬でも体温の高い冬眠をしない毒蜘蛛は、その身にただ寄り添っているだけならば大層心地が好かったのだ。

「…お前の翅を引き千切ったところで、それは俺の翅にはならない。──植わらないに決まってる。第一、昔のことを思い出そうとするだけで、俺は頭が痛くなるんだった。…忘れろ。」
「──あぁ、いいとも。お休み、シノノメ。」

 柔らかく温かなムラサキの翅を撫でていた手が止まる頃、同じ眠気に襲われたムラサキはもぞりと身動ぎをして、シノノメの温かな身体へぴたりと身を添わせる。それはひとえに、暖かい場所を好む蝶の習性であり、決してムラサキの理性に従った行動ではなかったのだが。
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