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東雲.6 ※
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毒蜘蛛と共に越冬の巣穴に閉じ込められてから、どれほどの時が過ぎ去っていったのか、ムラサキには知る術がない。
例年であれば眠ったまま過ごす冷たく厳しい冬の長さを、この森に生き、越冬という習性を持つ蟲人達は推し測ることができないのだ。短い冬の陽射しが差し込む僅かの間、天道虫達はその名の通り、太陽の暖を求めて起き出すこともあったし、冬の寒さの中でも餌を採りに行く埋葬蟲のような者達もいなくはないが、それでも、空を飛ぶ大きな翅を持った蟲人達は、身に染みて容赦なく体温を奪う北風の中を生き延びることはできない。第一、食餌となる花々や樹液が枯れ果て、川も凍り付いてしまうようでは、寒さに耐えたところで飢えて死ぬのが精々だ。
であるのに、枯れた巨木の中には、蜜蜂の食料がふんだんに残されていた。蜂達が蝋で塗り固めた壁が寒風を防いでいて、木の洞の中は暖かく、眠りに就かなくとも生きていける。何より、雄の蜘蛛によって強引に発情に導かれた身体は、この季節を春や夏だと錯覚していた。これでは眠るどころではなく、常に浮ついて、どこか落ち着かない気分にさせられる。
蜂が遺した食料のお陰で、満足な食餌も採れず肉付きの悪かった身体には、元通り靱やかな筋肉が付いて、血色が戻ってきた。疲労困憊を隠し切れなかった面輪にも、色鮮やかな翅にも艶が戻り、優しげで端麗な顔つきは、冬を迎える前よりかえって若々しさを増している。貯水池の水鏡に映った自分の顔を見詰め、ムラサキは複雑な表情で眉尻を下げた。
シノノメは、言葉通り、群生しても月明かり以上の光を放つことのない月詠茸を必要以上に刈り取ることはしなかった。お陰で、一歩先を見通すのがやっとだった大広間の中も、食糧庫の中も、焦茶色の眸でよく見渡すことができる。寝床周辺の茸は丁寧に刈られていたが、それはかえって、シノノメによって強いられた恥ずべき痴態を隠すという意味では有難かった。いや、如何にムラサキの眼には見えなくとも、夜行性の毒蜘蛛には全て視えているのだと思えば、心の中には諦観の暗雲しか湧かなかったのだが。
シノノメが茸の手入れをしたり、ムラサキの肉体を弄んだりしていない時、彼がどこで何をしているのかを見たことはない。木の根元、蜜の匂いをさせる洞穴の入口に幾つか仕掛けた罠を確かめに行っている、と漏らしたことはあったが、その先の光景を知ろうという気にはとてもなれなかった。肉食性で、新鮮な生き餌しか口にしない毒蜘蛛に生きながら貪り喰われる蟲人の末路を想像するだけで背筋が寒くなったし、そんな光景に敢えて首を突っ込もうとは到底思えない。
代わりに、数百の蜜蜂が女王と共に暮らしていた宮殿の中を、自由に歩き回って時を過ごした。ムラサキの行いをシノノメは咎めなかったし、寝床にいる時以外はさして興味もない様子である。ここから逃げたところで生き延びられはしない胡蝶が決して巣穴から逃れられないことを彼は恐らく知っていて、その上でムラサキに束の間の儚い自由を与えているのだろう。
しかし、ムラサキの肉体に嘗ての色艶が戻っていくにつれ、ムラサキを好きなように扱うシノノメの手付きは、明らかに変わっていった。或いは、雌というものの扱いに手慣れていなかった乱暴なだけの若い雄が、真似事とはいえ、交尾の愉しみ方を徐々に学んできた所為かもしれない。
毒蜘蛛と共に越冬の巣穴に閉じ込められてから、どれほどの時が過ぎ去っていったのか、ムラサキには知る術がない。
例年であれば眠ったまま過ごす冷たく厳しい冬の長さを、この森に生き、越冬という習性を持つ蟲人達は推し測ることができないのだ。短い冬の陽射しが差し込む僅かの間、天道虫達はその名の通り、太陽の暖を求めて起き出すこともあったし、冬の寒さの中でも餌を採りに行く埋葬蟲のような者達もいなくはないが、それでも、空を飛ぶ大きな翅を持った蟲人達は、身に染みて容赦なく体温を奪う北風の中を生き延びることはできない。第一、食餌となる花々や樹液が枯れ果て、川も凍り付いてしまうようでは、寒さに耐えたところで飢えて死ぬのが精々だ。
であるのに、枯れた巨木の中には、蜜蜂の食料がふんだんに残されていた。蜂達が蝋で塗り固めた壁が寒風を防いでいて、木の洞の中は暖かく、眠りに就かなくとも生きていける。何より、雄の蜘蛛によって強引に発情に導かれた身体は、この季節を春や夏だと錯覚していた。これでは眠るどころではなく、常に浮ついて、どこか落ち着かない気分にさせられる。
蜂が遺した食料のお陰で、満足な食餌も採れず肉付きの悪かった身体には、元通り靱やかな筋肉が付いて、血色が戻ってきた。疲労困憊を隠し切れなかった面輪にも、色鮮やかな翅にも艶が戻り、優しげで端麗な顔つきは、冬を迎える前よりかえって若々しさを増している。貯水池の水鏡に映った自分の顔を見詰め、ムラサキは複雑な表情で眉尻を下げた。
シノノメは、言葉通り、群生しても月明かり以上の光を放つことのない月詠茸を必要以上に刈り取ることはしなかった。お陰で、一歩先を見通すのがやっとだった大広間の中も、食糧庫の中も、焦茶色の眸でよく見渡すことができる。寝床周辺の茸は丁寧に刈られていたが、それはかえって、シノノメによって強いられた恥ずべき痴態を隠すという意味では有難かった。いや、如何にムラサキの眼には見えなくとも、夜行性の毒蜘蛛には全て視えているのだと思えば、心の中には諦観の暗雲しか湧かなかったのだが。
シノノメが茸の手入れをしたり、ムラサキの肉体を弄んだりしていない時、彼がどこで何をしているのかを見たことはない。木の根元、蜜の匂いをさせる洞穴の入口に幾つか仕掛けた罠を確かめに行っている、と漏らしたことはあったが、その先の光景を知ろうという気にはとてもなれなかった。肉食性で、新鮮な生き餌しか口にしない毒蜘蛛に生きながら貪り喰われる蟲人の末路を想像するだけで背筋が寒くなったし、そんな光景に敢えて首を突っ込もうとは到底思えない。
代わりに、数百の蜜蜂が女王と共に暮らしていた宮殿の中を、自由に歩き回って時を過ごした。ムラサキの行いをシノノメは咎めなかったし、寝床にいる時以外はさして興味もない様子である。ここから逃げたところで生き延びられはしない胡蝶が決して巣穴から逃れられないことを彼は恐らく知っていて、その上でムラサキに束の間の儚い自由を与えているのだろう。
しかし、ムラサキの肉体に嘗ての色艶が戻っていくにつれ、ムラサキを好きなように扱うシノノメの手付きは、明らかに変わっていった。或いは、雌というものの扱いに手慣れていなかった乱暴なだけの若い雄が、真似事とはいえ、交尾の愉しみ方を徐々に学んできた所為かもしれない。
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