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第二章 勇者
2.3 "女神"
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フニオの声が後から聞こえる。私はある場所で足を止めた。
そうして、私が見つけたものは。
人間のものかどうかわからないけど、たくさんの赤い血の跡だった。
地面に突き刺さったたくさんの矢、短剣の刃には紫色の何かが付着している。
「なに、これ……」
フニオは地面を嗅いでいる。そして悲しそうな表情で、ある方角を見つめた。
「恐らくアンバースクウィレルがここで襲われたのだろう。矢や短剣についているのは、アンバースクウィレルを狩るためのしびれ薬だろうな。この国にはアンバースクウィレルを狙う密猟集団がいると聞く」
え? 密猟集団? アンバースクウィレルってそんなに貴重な魔獣なの?
襲われて……怪我、してるんだよね?
「助け……られないかな」
「助けてどうするんだ? 第一これが自然の流れというものだ」
知ってる。弱肉強食ってヤツだ。でも。
「私が狼に襲われたとき、とにかく恐ろしかった。死ぬかもしれないって。アンバースクウィレルだって突然襲われて必死で逃げてたんだと思う。私はフニオに助けてもらえたから今がある。だから、苦しんでいるのなら、助けてあげたい」
「お人よしだな。言っておくが、アンバースクウィレルは強い。放っておいても自分で何とかするだけの力はあるはずだ。追えば危害を加える人間とみなされて攻撃される可能性だってある。そうなったら、俺も優花を守り切る自信がない」
フニオの言葉は正しい、と思う。
自分に何が出来るかもわからないのに、助けたいと思うのは単なる感情論だ。
しかもその選択によって、自分を守ってくれる存在まで危険に晒す。
ただ……。気になるのは、霧に包まれたときに伝わってきた感情。
あれはまちがいなく、痛みと苦しみ。助けを、求めていた。
フニオの言葉に黙ってしまった私を、澄んだ青紫色の目が見つめる。
私の考えを見透かすように、フニオがため息をつく。
「まったく、本当に……こんな日がくるとは思っていたが……しょうがない奴だな」
――――? こんな、日?
「どうしたいのか顔に書いてるぞ」
「あ……。ごめん」
「仕方ない。この状態だとそう遠くには行っていないだろう」
「ありがとう、フニオ!」
「優花の判断に順じたまでだ。礼はまだ早い」
フニオだって、あの霧に乗った感情に気づいていたはずだ。だけど、私の安全を優先した。
きっと、そういうことだ。
フニオが北西の方角を見る。
「行くぞ」
「うん!」
フニオはアンバースクウィレルまでの最短ルートを走る。
道らしい道は当然ない。悪路をボロボロのルームシューズではそんなに早く走ることはできない。
少し歩き慣れたとはいえ、足にはやはり新しい傷ができる。それでも私は無我夢中でフニオの後を追いかける。
しばらくして、フニオがふいに止まる。
そこは丸く開けた場所で、広場のようになっている。奥には十メートル程度の高い岩壁がある。おそらく、小高い丘の一部が崩れ落ちてこのような地形になったのだろう。
その場所の中央で、何かが倒れている。……人だ。
生臭い血の匂いが辺りを漂う。
深い緑色のローブを着た男性、白いローブを着た女性、折れた剣を握ったまま倒れている男性。
体中傷だらけで、おびただしい血を流している。
彼らは絶命しており、周囲の様子からも激しい戦闘があったことが分かる。
「アンバースクウィレルはこの近くにいる。だがもう霧をだす魔力さえも残っていないようだ」
「間に合うかな……」
フニオが血を避けてゆっくりと周囲を探る。私はそれに続く。
三人の密猟者たちの遺体を通り過ぎたあたりで足を止め、私はもう一度彼らの遺体に手を合わせる。
フニオがチラリとこちらを見る。が、そのまま何も言わず地面に目を落とす。
と、何かに気づいたようだ。
私にも分かる。明らかな血痕だ。それが広場の端、高い壁の切れ目まで続いていた。
血痕をたどった先……。いた! 樹の根元あたりに茶色い毛皮の小動物だ。
私はフニオと共に足音を殺しながら駆け寄り、膝をついて様子を見る。
アンバースクウィレルはリスに似た、いやリスにしては二まわりくらい大きな小動物だった。
体中傷だらけで、血まみれだ。
手足に力は無く、虫の息といった感じだった。
「大丈夫っ!?」
思わず声をかける。
アンバースクウィレルはそんな状態でも大きな瞳で私を、フニオを睨みつけ、言葉を発する。
「まだ……いた……の。ニン……ゲンっ」
しかしその小さな体は小刻みに震えている。
言葉が通じることに驚きながらも、それならばと私も続ける。
「怖がらせてごめん。私はあなたを傷つけない。あなたを、助けに来たの」
アンバースクウィレルは私の言葉を理解したのか、睨みつけるのをやめ、ただじっと私を見つめる。
警戒しているが、その小さな体の震えも少し収まったように感じる。
「フニオ、治せる?」
「どうだろうな、ここまでの傷だ。前言ったとおり、俺の回復の霧は持続的なものだ。これほどの傷、修復しきるまでにアンバースクウィレルの体力がもつか……」
「そんな……」
このアンバースクウィレルが負った大きな傷を治すには、大きな威力の即時回復が必要。
フニオだって、万能じゃないんだ。
でも……。
でも、なんとか助けたいっ!!
――――そうだ!
「フニオは私の魔力を食べてるって言ってたよね? という事は私も魔法が使えるよね?」
「どうだろうな」
「フニオはどうやって魔法を使うの?」
「俺の雷撃は固有スキルだ。魔法とは違う。だが優花の魔力を基に、練り上げ、放つ」
魔力を練り上げ、放つ。
難しいな、私に出来るかな?
不安はあるけど、迷っていても仕方ない。
「私、この子を助けたい。フニオ、サポートをお願いしても良い?」
「ああ」
フニオの白い光の霧がアンバースクウィレルに向かって放たれ、アンバースクウィレルの傷ついた体を包み込む。
私がこのアンバースクウィレルに対して出来ることは、祈ること。
もしも願いが力となるのなら――
私は両手を組んで、目を閉じる。
イメージしたのは、水。
植物を育てる、雨の水。
そして今朝見た澄んだ美しい湖の水。
それは全ての生命の源。
そこにフニオの白い光の霧を凝縮するイメージ。
温かい癒しの海で包み込む……。
『その願い、きっと届くよ』
脳裏に響く、どこかできいたことのある声。
同時に、私の体の中で何かがよどみなく巡り始める。
温かい。でも、力強い力の流れ。
――――優花。
初めて聞く声のはずなのに。不思議、心が落ち着いていく。
――――優花。
――――優花!
「優花! それ以上魔力を練ってはダメだ!」
必死で止めるフニオの声に、私は目を開ける。
目に飛び込んできたのは、アンバースクウィレルの美しい姿。
その体は空中に浮かびあがり、全体を乳白色の水の球体が包んでいる。
その水の中で、アンバースクウィレルの体は浄化され、体の傷を少しずつ癒していく。
温かい光を背にうけて、茶色の毛皮がキラキラと光る。
その姿を見て、私は感じた。
――――あぁ、女神だ。
そうして、私が見つけたものは。
人間のものかどうかわからないけど、たくさんの赤い血の跡だった。
地面に突き刺さったたくさんの矢、短剣の刃には紫色の何かが付着している。
「なに、これ……」
フニオは地面を嗅いでいる。そして悲しそうな表情で、ある方角を見つめた。
「恐らくアンバースクウィレルがここで襲われたのだろう。矢や短剣についているのは、アンバースクウィレルを狩るためのしびれ薬だろうな。この国にはアンバースクウィレルを狙う密猟集団がいると聞く」
え? 密猟集団? アンバースクウィレルってそんなに貴重な魔獣なの?
襲われて……怪我、してるんだよね?
「助け……られないかな」
「助けてどうするんだ? 第一これが自然の流れというものだ」
知ってる。弱肉強食ってヤツだ。でも。
「私が狼に襲われたとき、とにかく恐ろしかった。死ぬかもしれないって。アンバースクウィレルだって突然襲われて必死で逃げてたんだと思う。私はフニオに助けてもらえたから今がある。だから、苦しんでいるのなら、助けてあげたい」
「お人よしだな。言っておくが、アンバースクウィレルは強い。放っておいても自分で何とかするだけの力はあるはずだ。追えば危害を加える人間とみなされて攻撃される可能性だってある。そうなったら、俺も優花を守り切る自信がない」
フニオの言葉は正しい、と思う。
自分に何が出来るかもわからないのに、助けたいと思うのは単なる感情論だ。
しかもその選択によって、自分を守ってくれる存在まで危険に晒す。
ただ……。気になるのは、霧に包まれたときに伝わってきた感情。
あれはまちがいなく、痛みと苦しみ。助けを、求めていた。
フニオの言葉に黙ってしまった私を、澄んだ青紫色の目が見つめる。
私の考えを見透かすように、フニオがため息をつく。
「まったく、本当に……こんな日がくるとは思っていたが……しょうがない奴だな」
――――? こんな、日?
「どうしたいのか顔に書いてるぞ」
「あ……。ごめん」
「仕方ない。この状態だとそう遠くには行っていないだろう」
「ありがとう、フニオ!」
「優花の判断に順じたまでだ。礼はまだ早い」
フニオだって、あの霧に乗った感情に気づいていたはずだ。だけど、私の安全を優先した。
きっと、そういうことだ。
フニオが北西の方角を見る。
「行くぞ」
「うん!」
フニオはアンバースクウィレルまでの最短ルートを走る。
道らしい道は当然ない。悪路をボロボロのルームシューズではそんなに早く走ることはできない。
少し歩き慣れたとはいえ、足にはやはり新しい傷ができる。それでも私は無我夢中でフニオの後を追いかける。
しばらくして、フニオがふいに止まる。
そこは丸く開けた場所で、広場のようになっている。奥には十メートル程度の高い岩壁がある。おそらく、小高い丘の一部が崩れ落ちてこのような地形になったのだろう。
その場所の中央で、何かが倒れている。……人だ。
生臭い血の匂いが辺りを漂う。
深い緑色のローブを着た男性、白いローブを着た女性、折れた剣を握ったまま倒れている男性。
体中傷だらけで、おびただしい血を流している。
彼らは絶命しており、周囲の様子からも激しい戦闘があったことが分かる。
「アンバースクウィレルはこの近くにいる。だがもう霧をだす魔力さえも残っていないようだ」
「間に合うかな……」
フニオが血を避けてゆっくりと周囲を探る。私はそれに続く。
三人の密猟者たちの遺体を通り過ぎたあたりで足を止め、私はもう一度彼らの遺体に手を合わせる。
フニオがチラリとこちらを見る。が、そのまま何も言わず地面に目を落とす。
と、何かに気づいたようだ。
私にも分かる。明らかな血痕だ。それが広場の端、高い壁の切れ目まで続いていた。
血痕をたどった先……。いた! 樹の根元あたりに茶色い毛皮の小動物だ。
私はフニオと共に足音を殺しながら駆け寄り、膝をついて様子を見る。
アンバースクウィレルはリスに似た、いやリスにしては二まわりくらい大きな小動物だった。
体中傷だらけで、血まみれだ。
手足に力は無く、虫の息といった感じだった。
「大丈夫っ!?」
思わず声をかける。
アンバースクウィレルはそんな状態でも大きな瞳で私を、フニオを睨みつけ、言葉を発する。
「まだ……いた……の。ニン……ゲンっ」
しかしその小さな体は小刻みに震えている。
言葉が通じることに驚きながらも、それならばと私も続ける。
「怖がらせてごめん。私はあなたを傷つけない。あなたを、助けに来たの」
アンバースクウィレルは私の言葉を理解したのか、睨みつけるのをやめ、ただじっと私を見つめる。
警戒しているが、その小さな体の震えも少し収まったように感じる。
「フニオ、治せる?」
「どうだろうな、ここまでの傷だ。前言ったとおり、俺の回復の霧は持続的なものだ。これほどの傷、修復しきるまでにアンバースクウィレルの体力がもつか……」
「そんな……」
このアンバースクウィレルが負った大きな傷を治すには、大きな威力の即時回復が必要。
フニオだって、万能じゃないんだ。
でも……。
でも、なんとか助けたいっ!!
――――そうだ!
「フニオは私の魔力を食べてるって言ってたよね? という事は私も魔法が使えるよね?」
「どうだろうな」
「フニオはどうやって魔法を使うの?」
「俺の雷撃は固有スキルだ。魔法とは違う。だが優花の魔力を基に、練り上げ、放つ」
魔力を練り上げ、放つ。
難しいな、私に出来るかな?
不安はあるけど、迷っていても仕方ない。
「私、この子を助けたい。フニオ、サポートをお願いしても良い?」
「ああ」
フニオの白い光の霧がアンバースクウィレルに向かって放たれ、アンバースクウィレルの傷ついた体を包み込む。
私がこのアンバースクウィレルに対して出来ることは、祈ること。
もしも願いが力となるのなら――
私は両手を組んで、目を閉じる。
イメージしたのは、水。
植物を育てる、雨の水。
そして今朝見た澄んだ美しい湖の水。
それは全ての生命の源。
そこにフニオの白い光の霧を凝縮するイメージ。
温かい癒しの海で包み込む……。
『その願い、きっと届くよ』
脳裏に響く、どこかできいたことのある声。
同時に、私の体の中で何かがよどみなく巡り始める。
温かい。でも、力強い力の流れ。
――――優花。
初めて聞く声のはずなのに。不思議、心が落ち着いていく。
――――優花。
――――優花!
「優花! それ以上魔力を練ってはダメだ!」
必死で止めるフニオの声に、私は目を開ける。
目に飛び込んできたのは、アンバースクウィレルの美しい姿。
その体は空中に浮かびあがり、全体を乳白色の水の球体が包んでいる。
その水の中で、アンバースクウィレルの体は浄化され、体の傷を少しずつ癒していく。
温かい光を背にうけて、茶色の毛皮がキラキラと光る。
その姿を見て、私は感じた。
――――あぁ、女神だ。
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