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プロローグ

出会い

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「……⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎?」

 聞き慣れない言葉がすぐそばで聞こえて俺の意識は覚醒した。
 重たい瞼を開けると俺を覗き込んでいる天使のような少女がいた。
 天使と言っても純白の翼があるとか、天使の輪があるとかではない。
 
 キラキラと輝く銀髪にキメの細かい雪原のような色白の肌。
 それに加えて人形のような美貌は生まれてこの方見たことのないほど可愛らしい。雑誌やテレビに出ている女優でもここまで美しい人物はいない。
 
 その中でも一際目を引くのが瞳だ。柔らかな印象を受けるその瞳は陽光を反射して輝く澄んだ海のよう。
 
 ついに自分は死んでしまって、この子は迎えにきた天使かなにかかとバカなことを考えてしまったぐらいには綺麗だ。
 
 そんな天使のような少女は俺が目を覚ましたのに気付くと頬をリンゴのように真っ赤に染めて狼狽した。

「⬜︎⬜︎!? ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎??」

 相変わらず何を言っているのかわからないが、とにかく慌てている事はひしひしと伝わってくる。

「えっと……俺の言葉わかる?」

 少女は不思議そうな顔をしたあと、手をポンと叩いた。

「⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎!」

 おそらく「なるほど!」と言ったのだろう。依然として言葉はわからないけれどそんな気がした。
 
 すると唐突に少女の目の前に奇怪な文字が出現し宙に溶けて消えていった。
 にわかには信じがたい光景に俺は目をパチパチと瞬いた。そして少女が口を開く。

「……聞こえてた?」
「え?」

 少しだけムスッとしているのは気のせいだろうか。
 ともあれ不思議なことに少女が口にした言葉が理解できた。
 
 依然、言語としては理解できない。しかし少女が話している内容はしっかりと理解できる。不思議な感覚だ。
 それに違和感がすごい。まるで腹話術を聞いている気分だった。

「あれ? もしかして伝わってない?」
「……あ、いや、ごめん。ちゃんと伝わってる」

 少女が首を傾げると、なにやら難しい顔をして考え始めたので慌てて返事をした。

「よかったぁ。……それで……」

 少女は一度言葉を止めると、キリッとした表情で決然と言い放った。

「き、こ、え、て、た?」

 地面をバンと叩きながら詰め寄ってくる。
 なにを慌てているのかはわからないが凄まじい気迫だ。少し頬が赤くなっている。

 ……聞こえてたもなにも……。
 
 少女が発していた言葉の意味が分かったのはよくわからない文字が空中に浮かんでからだ。

「初めの言葉のことを言っているのなら聞き取れなかった。言葉が分からなくて」

 俺の言葉を聞いた少女の雰囲気が和らいだ。
 先程の言葉はよほど聞かれたくない事だったのだろうか。
 
 ……気になる。

 気にはなるが確実に墓穴を掘ることになるだろう。俺もそこまでデリカシーを欠いているつもりはない。たがらグッと堪えた。

「そう。よかった!」

 少女はホッと息をつき胸を撫で下ろすと太陽のような笑顔を浮かべた。
 
「私の名前はラナ。君は?」

 少し首を傾げて問いかけてくるラナ。
 その動作だけでも可憐だ。あざとさが一切ない。仕草の端々からして上品なのだ。
 
 俺は思わず見惚れてしまった。

「……俺は……レイ。柊木レイ。レイって呼んで」

 少女は明らかに日本人では無い。「レイ」であれば外国でも通用する名前だ。発音も楽だろう。だから名前で呼んでほしいと伝えた。
 
「ヒイラギ……レイ? 珍しい名前ね。どこの出身なの?」
「東京の田舎町だよ。キミ……」

 名前を呼ぶのが気恥ずかしくて一度言葉に詰まった。

「……ラナはどこの出身なんだ?」

 頬が熱くなる。幼馴染以外を名前で呼ぶのは初めてだ。
 チラリと横目で表情を盗み見る。ラナは特に気にした様子もなかった。
 俺はほっと息を吐いた。

 ラナの出身はどこかの外国である事は間違い無いだろう。およそ日本人の顔ではないし、言葉も通じなかった。

「私? 私はグランゼル王国だよ」

 グランゼル王国。
 予想通り外国だった。だが聞いたこともない国だ。

 ……どこかの小国だろうか?

「それにしてもトウキョウ? 聞いたことのない国だけどどの辺にあるの? 連合国のどこか?」
「ん? 東京は都市だよ? 連合国はわからないけど、島国の日本って知らない?」

 日本を知らないなんてことあるのかと感じたが、俺の言葉を聞いた少女の反応は劇的だった。

「ニホン!? もしかしてレイは勇者様なの!?」
「え? 勇者……様?」

 ラナの荒唐無稽な発言に俺は固まった。
 
「………………それって御伽話とかの?」

 まるまる五秒ほど固まった後、ようやく口から出たのはそんな言葉だった。

「うん。そう」

 ラナはこともなげに頷いた。どうやら聞き間違いではないらしい。

「伝説の剣とか持ってたりするあの?」
「剣を持っていた勇者様も伝承には残ってるね。勇者様には神器があるから」
「……神器」

 やはり聞いたこともない。
 さっきからラナの言葉にまるで現実味を感じられない。
 しかし、ラナは先ほど魔法のような力を使った。地球ではあり得ない現象だ。

「ラナ。さっきの言葉がわかるようになった力はなに?」
「魔術のこと?」
「……魔術」
「知らないの?」

 ラナの言葉に俺は頷いた。

 聞いたこともない言葉、知らない国。魔術。それに勇者。まるでゲームやアニメのようだ。
 とても自分がいた世界と同じとは考えられない。

 ……ならここは異世界なのか?

 出した答えが自分でも驚くほど腑に落ちた。心の奥底に水が染み渡るようにスッと入り込んでくる。
 気持ちがやっと追いついてきて心が躍った。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 なぜ夢と異世界が繋がったのかはわからない。
 わからないが、ラナから感じる人の温もりがこれら現実だと俺に突きつける。

 ……それにあんなバケモノが日本にいるわけないか。

 初めて夢を見た日以来、幾度も考えた。
 あのバケモノはなんなのか。あんな悍ましいモノが日本、ひいては地球上に存在するのか。
 もしいたとしたらなぜ何も被害が起きていないのか。
 その答えがようやく出た。異世界の生物だというのなら納得できる。

 だけど自分が勇者かと問われるとそれは違うように思える。

「でもやっぱり俺は勇者じゃないと思う。神器なんて物持ってないし。ほら」

 両手を広げて見せる。
 俺が身につけているのは真っ黒な布切れだけだ。

 ……あれ?

 なんだこの布切れは。俺はこんなもの知らない。それによく見ると身体付きも変わっている。
 
 入院生活をしていたせいで貧弱な身体をしていたはずなのに、今は鍛え上げられた魅力的な肉体をしている。
 全身に満遍なく筋肉が付いており、脂肪もない。
 本当に自分の身体なのか不安になり、ペタペタと触れてみるが紛れもなく自分の身体だった。

 ……それにバケモノ?

 その時、唐突に頭痛がした。
 
「くっ!」

 視界が揺れるほどの頭痛。思考にもやがかかっていく。

「んーーー。確かに。でもあの強さは……」

 頭に人差し指を当てて、ラナはなにやら考えている様子だった。
 しかしすぐに顔を上げた。

「まあいっか!」
「……いいんだ」

 震える唇でなんとか言葉を返す。頭痛は治るどころか、さらに悪化し始めた。頭が割れそうだ。

「うん! 考えても分からないしね! それにしてもレイはどうやってここまで来たの? 多分気軽に人が入れる場所じゃないと思うんだけど……。……レイ?」

 ラナが心配そうに見つめてくる。

「どうやってって……それは……」

 記憶を辿ると激しい頭痛がした。先程までの頭痛とは比較にもならない。

 目の奥がチカチカと明滅する。視界が血のように赤く染まっていく。

「レイ!?」

 ラナが何か叫んでいるが、言葉が理解できない。頭が理解を拒んでいる。
 なにか……なにか何か大事なことを忘れている。そんな気がする。
 しかしどうやっても思い出せない。一方で痛みは増すばかりだ。

「くぁっ」

 痛みが限界に達し火花が散った。
 瞬間――さまざまな光景がフラッシュバックした。

「ぐぁ……」

 腕が切断される光景。足が切断される光景。身体が分断される光景。四肢の端から削られていく光景。頭が潰される光景。生きたまま全身を焼かれる光景。生きたまま凍らされる光景。生きたまますり潰される光景。……光景……光景……光景。

 その中では必ずあの醜悪で下品で悍ましい嗤い声が絶え間なく響き渡っていた。

「…………思い…………出した」

 あの地獄のような日々の全てを。味わった痛みを。
 
 頭痛が引いていく。靄が晴れるように意識が明瞭になっていく。

「大丈夫?」

 ラナが心配そうに見つめてくるが、気にしている余裕などなかった。
 
 気力を振り絞って、膝に手を付き立ち上がる。いまだに霞む視界で周囲を見回した。
 見覚えのない場所だ。一言で表すなら遺跡のような場所だった。
 
 しかし、ひとつだけ見覚えのある物があった。

「扉……」

 石造りの巨大な扉。
 それは俺が目指して手が届かなかったもの。
 しかしその扉は開いている。その先は暗くて見通せない。

 ……俺は辿り着いたのか?

 記憶が全くない。だから確かめなければならない。そんな気がした。

「……行かなきゃ」
「え? 待っ……!」
「ごめん。すぐに戻るから」

 気付いたら駆け出していた。ラナが何か言っていた気がするが、耳に入ってこなかった。俺は足をもつれさせながらも走った。
 
 扉に近付くにつれて何やら異臭がした。しかしそんな些細なことは思考の外へと追いやった。今はただ一刻も早く辿りつきたかった。
 
 そして必死に足を動かし、ようやく辿り着いた。
 巨大な扉だ。見上げるほどに。間違いなくあの時の扉と同じだ。

「なんだ……これ……」

 扉の向こうには凄惨という言葉が生ぬるく感じるほどの光景が広がっていた。
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