花衣ー皇国の皇姫ー

AQUA☆STAR

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傾国編

第1話 運命の始まり

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 継承の儀を終えてから早いもので約半月が経過した。就任前にお祖母様の補佐をよくこなしていたため、村長のまつりごとというものはあらかた理解出来る。しかし、それはあくまでどんな仕事かを分かっているだけ。与えられた仕事、そして自分が実践しようとしている政策には、知識は必要不可欠であった。

 村長に就任してからというもの、政の合間を見つけては古今東西の文献や学術書を読み漁った。特に、この神州よりも文化や歴史が先を行く大陸の宋帝国の文献は、どれもが革新的なものばかりで驚かされた。

 やりたい事があっても、知識が追いつかなければ何も出来ない。文献では足りない部分は、長い間村長をしてきたお祖母様に聞いたり、お姉様に聞いたりする。他の村人に聞いたり、御剣にも聞いたりした。

 様々な政策を考えているが、特に最優先で進めていたのが農地改革。まずは農業の活性化のために農地の改革から乗り出した。人、もっと大きく括れば生き物の生命の根幹は食だ。

 葦原村の土壌の質はあまり良いとは言えず、どちらかと言えば痩せた土地だった。それでも豊かに作物が育つのは、村の人たちの献身的な農作業の賜物とも言えるだろう。毎年試行錯誤を重ね、成功すればそれを誰かが独り占めすることなく、村全体で共有する。こうする事で、村全体の生産量向上を目指していた。

 しかし、それにも限界がある。何よりも、痩せた土地で必要分の収穫を得る事を考えると、効率が悪い。生産性も悪く、気温が下がれば不作となり、最悪の場合は飢饉となってしまう。今の葦原村の農業は、良いも悪いもその日の気温や気候に左右される。

 その上、穀潰しと名高い皇に献上するとなれば、今の蓄えは心許ない。献上米は年々数を増やされており、このままでは次年度の種籾まで取り上げられてしまう。

 そこで私が手をつけたのは、土壌の肥沃化と新たな肥料の制作だった。

「肥料…ですか?」
「えぇ、ちょうどこの前仕入れた文献に載ってたものを試してみようと思うの」

 文献の出処である東叡大陸、昔は春蘭と呼ばれた宗帝国では、信州よりも農耕が盛んに行われている。元より、神州に農耕を伝来させたのは、東叡大陸からの宋人そうひとだといわれている。

 稲作について記されている『水稻種植』を神州語に翻訳した『水田農業』には、耕起から肥料の作り方、収穫に至るまで記されている。

 ちなみに葦原村では、稲作など穀物の他に芋や野菜といったものも栽培している。芋は栄養の足りない土壌でもよく育つため、飢饉の対策として重宝している。

 さて、文献を基に肥料を作るために集めたのは稲の藁の皮、草、家畜の糞尿など。囲いの中に集められ、発酵させた糞尿などの臭いに、そばにいた千代が鼻を摘んで悶絶しそうになっていた。

「これらを混ぜて腐らせたものを、適量で畑に撒くの。実は、御剣に頼んで少し前に混ぜて腐らせておいといたものがあるわ」
「み、瑞穂様ぁ、く、臭いですぅ…」
「そりゃあ、あれだものね…」

 私は手伝いに来てくれた男衆に、肥料を撒くのをお願いする。

「よぉし野郎ども、糞がなんだ、さっさと撒いちまうぞ!」
「オゥ!!」

 こういう時の男衆は頼もしい。臭いなど気にせず、熟成させた堆肥をせっせと畑に撒いてくれた。あとは土壌と混ぜ込み、卯月の田植えに間に合わせる。

 こうして、農地の改革を進めていた私であったが、実は別方面のある問題に悩まされていた。

 今現在、葦原村は隣村の煤木村、鏑矢村、乙富村などと交流があり、互いに不足しがちになる物資を融通しあっている。

 例えば、葦原では稲から米がよく取れるが、川魚はほとんど取れないため、稲の育ちにくい煤木村に稲と魚を交換したりしている。各村とも農業を行っているが、収穫が芳しくなければ各村が不足分を分け与えて融通する。

 要するに、助け合いだ。こうする事で、中央の嫌がらせを受けないようにしている。本来であれば海辺の集落や遠くの村と交易を図りたいが、そこにはまた別の大きな壁が存在する。

 それが、関所。

 緋ノ国の第五代皇であるヤズラが私腹を肥やす為に各地の街道に関所を設け、通行料という建前で法外な手数料を支払わせている。幸い、煤木、鏑矢、乙富との間には関所がない。

 荷車などで交易のために遠方に向かうには、街道は避けられず、山道を徒歩で少量運ぶ歩荷ならまだしも、交易の品や商人を載せた荷車は、深く険しい森を抜ける事なんて出来ない。

 結果、物流が滞り物価が高騰。さらに各村や地方は自給自足を余儀なくされ、物資自体が不足する事態を招いていた。

「国内の物流を妨げるなんて、頭おかしいわよ彼奴ヤズラ

 思わず、今の愚政に悪態をつく。誰が何を言おうと、今代の皇の政は、明らかに愚政だ。何処かで中央兵が聞いていたとて知ったことではない。筆を走らせながら隣に座る御剣に愚痴をこぼす。

「気持ちはよく分かる。だが、現状は関所を通らなければ交易は行えない。しかし、馬鹿正直に交易を行えば、こちらが損をすることに間違いない」
「関所について改革する懇願書でも出そうかしら」
「そうしたいのは山々だが、封殺されるのが目に見えている。それに、十中八九目をつけられる」

 御剣の言うことは間違っていない。だからこそ、現状で最適な案を、数少ない選択肢から捻り出す必要があった。

「ねぇ、御剣。良い方法はないかしら」
「しばらくは従来のように隣村との交易だけに抑えておくのが得策だと思う。時間が経つにすれ状況は変わる」
「座して待つのみ…ね」

 そんな話をしていると、こちらに走ってくる者が見えた。その慌てぶりから、何か重大な事が起こったのだと察した。

「村長!てぇへんだ!」

 慌ててやってきたのは、息を切らした村衆の芳一だった。芳一は膝に手を置き、肩で息をしながらも必死で話し出す。

「中央の兵どもがやってきて、勝手に蔵から献上米だけじゃなく、備蓄米まで持ち出そうとしてやがる!」

 各村には、兵士が献上米を回収する日が決まっている。今日はその日ではないはずだ。そうであれば、ここへ来た兵士の独断の可能性もある。

 私は御剣に目配せする。

「行くわよ御剣」
「あぁ」

 私たちは急いで屋敷を飛び出し、村の蔵がある方向へと向かった。


 ◇


 蔵の近くでは、すでにヤズラ配下の中央兵と村衆による押し問答が始まっていた。双方興奮しており、今にも掴み合いが起きそうな状況だ。

 その上、相手は武装しており、こちらも農具を手にしている。一触即発の非常にまずい状況だった。

 兵士の一人が声をあげる。

「いいかよく聞け! 今回から貢物の量を増やす! 皇様に貢献できるんだ、感謝しろ!」

 突然の割り増し。収穫が少ない中、そのような暴挙を血気盛んな村の男衆たちが許すはずもなかった。

「事前の通達もなしに、それも村長の許可なく蔵から持ち出すとは、どう言うつもりだ!」
「誰のおかげでてめぇら飯食えてると思ってんだ!」
「穀潰しどもが!」

 しかし、兵士も上官に命令されている手前、簡単には引き下がらない。

「ええい黙れ黙れ! すでに決まってることだ!」

 流石にこれ以上放置すれば、この後どうなるかくらいは予想がつく。これからここで起きるであろう争いだけは、絶対に防がなければならない。

「静まりなさい!」

 声を張り上げる。

 私がそう叫ぶと、一瞬で騒然としていた場が沈黙する。私に気がついた村人たちが道を開け、私は兵士達の前に立った。

「む、村長」
「貴様、誰だ」
「墨染に代わり、新たに葦原の村長となった瑞穂よ」
「あぁ、貴様か。おいぼれの跡を継いだ小娘ってのは」

 明らかな挑発、しかし、ここは堪えて相手の出方を見る。

「説明してもらえるかしら」
「皇様の命により、今日からこの村の貢物を増やす。割り増し分は今日回収させてもらう。あとは、俺の言いたい事は分かっているよな?」

 兵士が不敵な笑みを浮かべて私を見てくる。その顔を、私は小馬鹿にする様に見返してやる。

「なるほどね、よく分かったわ。あんた達の所の頭が食べる飯の量が増えたから、もっと寄越せって言いたいのね」
「なっ! 皇様に無礼だぞ!」
「はははっ、肥えた大将の下で働くったぁ、部下も大変よなぁ」
「飯も追いつかないとは、こりゃ傑作だぁ」
「一食に米10合くらいかぁ?」

 私の言葉に続いて、村人達が野次を飛ばし、ついには笑い出す。当然、馬鹿にされた兵士達は苛立ち始めていた。

「葦原の村長、貴様どういうつもりだ。皇様を侮辱したこの不敬、ただでは済まんぞ」
「私はただ、あなた達の苦労を労っているだけよ。貢物ね、ちょうど蔵にある家畜の餌ならくれてやるわ」
「ええい! 黙れ黙れ!」
「調子に乗るな小娘!」

 兵士の一人が剣を抜き、私の目と鼻の先に突きつけてくる。磨き上げられた刀剣に、私の顔が映し出される。

「貴様、抜いたな」

 御剣が鋭い声を効かせる。

「待ちなさい、御剣」
「ッ!?」

 そばにいた御剣が刀を抜こうとするが、それを手で制する。

「あー、おいおい、何やってんだよ」

 すると、兵士達の後ろから聞き覚えのある声がした。

「ゴタゴタしてると思って様子を見にくれば、何だよこの様。米の回収にいつまで時間をかけているんだ」
「こ、これは、沙河様」

 兵士達を掻き分けて前に出てきたのは、下っ端のまとめ役であり、元はこの村の一員だった私たちの同い年の沙河だった。

 沙河は馬上から私を見下ろしてくる。

「久しぶりだな瑞穂、元気にしてたか?」

 その言葉に、私は愛想笑いで返答する。

「えぇ、見ての通りよ」
「どうだ、もう俺はこいつらをまとめる立場になったんだ。良いだろう?」
「満足してるようで何より」
「それにしても瑞穂、よくこんな貧しくて汚らしい村の村長を引き受けたな。俺と一緒に城下に住めば、仕事もあるし何より上品に過ごせるぞ」

 私の中で、何かが切れる。

「てめぇ、よくもそんなことを言えたな!」
「お前も元々、この村の出だろうが!」
「故郷を侮辱するなんて最低よ!」

 村を馬鹿にされた村人達が、口々に野次を飛ばす。同じ村で育ってきた仲間だった頃からは考えられないほど、彼は変わってしまった。

 目の前にいるのは、目先の欲に囚われて仲間を存外に扱う、完全な部外者だった。

「そうね、じゃあひとついいかしら」
「お、聞くぞ。瑞穂の頼みなら何なりとでも」

 私は沙河を睨みつけた。

「じゃあ、頼みごとをひとつ。私は家畜の家畜と一緒に住みたくないし、なによりも私たちの故郷を馬鹿にする人間が大嫌いなの。今すぐここから消えてくれないかしら」
「はっ? 今なんて?」
「聞こえなかったの⁇消えろって言ってるのよ。そのふざけた面で、二度と私を見ないで。それと、村に近づかないで頂戴」
「なっ、なんだと」
「私たちは生まれも育ちもここ葦原村、皆が家族。家族を、故郷を馬鹿にする人は、家に帰ってくる資格はないわ」

 呆気にとられる沙河に、追撃が加えられる。

「そうだそうだ!」
「誰もてめぇなんか呼んでねぇ!」
「引っ込め!」
「さっさと帰れ!」
「いてっ!?」

 小さな子供が沙河に石を投げつける。兵士が子供の手を掴もうとするが、屈強な村人達に阻まれる。

「ちぃっ!」
「今回は見逃してあげるわ。要るものだけ持ってさっさと消えなさい」
「こ、この…」
「沙河様、物資の積み込み終わりました!」
「くそ。よし、戻るぞ」

 沙河は私を睨みつけて帰っていく。姿が見えなくなると、周りにいた村人達が笑い出し、そして私を称えてくれた。積荷として持ち出されたのも、これまで通りの定数量の献上米はだけだった。

「傑作だったぜ村長!」
「見たかあいつらの悔しそうな顔!」
「今日一番の笑い話になるぜ!」
「瑞穂」

 振り返ると、御剣が心配そうな顔をしていた。

「良かったのか、沙河にあんな言い方して」
「良いわよ別に、あれぐらい言わないと。そうでもしないと気がつかないもの…」

 私は沙河達が消えていった方角を見る。

「はぁ、これはお祖母様に怒られるなぁ。 …」

 小さく呟き、踵を返して屋敷へと戻った。


 ◇


「くそっ!くそっ!くそっ!」

 俺は怒りに任せて壁を蹴る。大きな音を立てるが気にしない。

 むかつく、何で俺の思い通りにならないのか分からない。村を出て、国の兵士となって、今や一部隊をまとめる部隊長にまで上り詰めた。

 それがこの様だ。良いように言われた上、部下の前で辱められた。

「そうか、あいつのせいか」

 いつも瑞穂の隣にいる、あいつのせいだ。

「御剣!」

 絶対、絶対にあいつを許さない。
 あいつさえいなければ、あいつさえいなければ。


 ◇


「沙河達にきつく言ったようだね、瑞穂」
「申し訳ございません、お祖母様」

 その日の夜、私はお祖母様に呼ばれて屋敷のある部屋にやってきた。ここは、お祖母様が薬の調合を行うところで、私も調合を学ぶときに入る部屋だ。部屋に入ると案の定、お祖母様の口から出たのは昼間の揉め事に対する苦言だった。

「大きな力に抗うには、相応の代償を払わなければならないと、私は常日頃から言っていたはずだよ」
「はい」
「ほんの少しの躓きが、大きな事故を招く。それが、我らにとって受け入れ難い事であっても、な。此度の騒動が、予想もつかない結果を招くことも、覚悟の上じゃろうな」
「十分心得ております」
「ふむ。何かあれば私が出るとしよう。矛盾しているようだが、よく言った。これで少しは懲りて、傲慢な態度もましになるだろう。何より、瑞穂たちに怪我がなくて良かったわい」
「立場が変わり、地位を得れば、人はあれほど変わるものなのですか?」
「…それは、お前自身が一番分かっている事じゃのぉてか?村長になったら自分の姿を見てみぃ。良いも悪いも、それまでの自分と大きく変わったろう」
「愚問でした」
「さて、瑞穂。お前を呼び出したのはこの話をしたかったのと、ひとつ頼みごとをしたかったのだ」

 お祖母様は調合した薬を箱に詰め、手渡してきた。

「この薬を明日、ある者に届けて欲しい。その者は身体が弱くてな、この薬を定期的に飲まなくてはならんのだ」

 ふと、お祖母様がこの薬をよく作っていたことを思い出す。

「最近、身体が鈍ってしまってな。今までのように私が届けてやるつもりだったが、此度は任せよう。それに一度、お前にその者と家族を会わせておきたい。頼まれてくれるな?」
「勿論です」
「その者は村のはずれにある小さな家に兄と共に住んでおる。場所は御剣が知っておるからな。明日は御剣について行くと良い」
「御剣が知っているのですか?」
「私が動けないとき、奴に代わりに行ってもらっていた。聞いていたな、御剣よ」
「はい」

 お祖母様は障子の向こうを見る。

「いつも通り頼むぞ」
「承知」

 障子を挟み、その一言だけが返ってきた。

「お祖母様、ひとつ聞いてもよろしいでしょうか?」
「言ってみい」
「その、今回私が薬を持って行くお方の名を教えてください」
「ふむ、名か。その者の名は小夜だ。兄の名前は右京と言う」
「分かりました。では、明日必ずお役目果たします」
「うむ」

 一体どんな子なんだろう。そんなことを考えながら、私は眠りへとついた。
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