花衣ー皇国の皇姫ー

AQUA☆STAR

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傾国編

第2話 兄妹

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「痛ッ」

 村のはずれにある家に向かう途中、いつもの発作が起こった。変な声と、斬り付けられた様な痛みが頭に響く。

「大丈夫か?」
「うん、たぶん大丈夫」

 前を歩いていた御剣が心配してくれる。今日はまだこれで治まっているが、酷い時は強烈な頭痛と吐き気、目眩に襲われる。小さい頃、一度だけ死の淵を彷徨った経験もあった。

 鞄の中からお祖母様が作ってくれた専用の薬を取り出し、木で作った水筒の水と一緒に流し込む。いつ襲ってくるか分からないのが、この頭痛の怖いところだ。

 最近では、この薬を自分で作っている。こうして村の外にいる時などのために、お祖母様から早いうちに薬の作り方を学んいて正解だった。

「御剣、あなたはその小夜って子と、右京っていう兄に会ったことあるのよね。どんな人なの」
「小夜は頭の良い子でな、12になるが宮廷学士を目指している。兄は武人だ、芯のある男で何よりも妹の小夜を大切にしている」
「武人、ってことは中央の人⁇」
「そうだ。そろそろ着くぞ」

 そう言われて前を向くと、ツタ草が巻かれた柵に囲まれ、街道の脇にひっそりと佇む一軒の平屋があった。入り口まで近づくと、何処からか薪を割る音が聞こえてくる。

「薪割り中か」

 私が御剣に続いて中庭へと向かうと、そこには鉢巻を巻いて薪作りに精を出す

「ようアンちゃん…っと、そちらの御方は初めてみるな」
「あぁ、墨染様の跡を継いだ瑞穂だ。瑞穂、彼が右京だ」
「何だって⁉︎」

 庭で薪を割る彼の名は右京。

 彼は武人でこの国の役人で、そこそこの立場にある人物だ。中央側の人間でありながらも、不正や横暴を許さない聡明な人物でもある。

 まさか、村のすぐ近くに住んでいるとは知らなかった。

 それにしても、役人として働く時、身なりを整え言葉遣いも丁寧な彼も、普段はこんな風に砕けた口調で普通に生活していることに、また違った印象を受けた。

 彼は私のことを認識してか、いつもの様に堅い口調に戻る。

「葦原の村長、ご足労感謝致すと共に、先ほどの御無礼をお詫び致します」
「いえ、お気になさらず。今日は墨染様の代わりに妹様にお薬を持ってきただけですから」
「寛大な御心に感謝いたします。では、汚いところですがどうぞお上りください」

 私と御剣は右京に続いて屋敷に入る。汚いと言う割には隅から隅まで整理が行き届いていて、不要な物はほとんど置かれていない。

 私は御剣に耳打ちする。

「御剣、彼は大丈夫なの?」

 心配なのは、彼が害のある立場であった場合に、私たちが受ける損害についてであった。彼と彼の妹が葦原村から離れた場所に住んでいるのも、中央の役人である立場上、葦原村に余計な気を遣わせないためだと聞いていた。

「俺の刀を賭けても良い、奴は大丈夫だ」

 心配ない、という事だろう。御剣が武人の魂とも言える刀を賭けるくらいだ。囲炉裏のそばに腰を下ろして座ると、右京は二人分のお茶を持ってきてくれた。

「私は初めてですが、御剣とは何度も?」
「左様でございます。御剣とは村長が墨染様の頃から付き合いがありまして。墨染様が来られない時は、彼が代わりに来てもらっていました」
「そういうことだ。そういえば、小夜は?」
「まだ寝てる。昨日は勉学に根を詰めていたから、もうすぐ起きてくると思うが…」

 少しすると、とことこと軽快な足跡が聞こえ、襖が開かれる。

「兄様! あれほど朝には起こしてくださいと言いましたのに!」

 入ってきたのは、私の胸くらいの背丈で寝巻き姿の女の子だった。左目の下に、右京と同じほくろがある。

「み、み、御剣様!?」
「おはよう、小夜」
「すっ、すっ、少しお待ちください!」

 御剣の姿を見ると、女の子は慌てて部屋を出て行く。しばらくして、寝巻きから普段着に着替え、顔を赤くした女の子がそそっと入ってくる。

「お、おはようございますです、御剣様…」
「おはよう小夜、身体の調子はどうだ?」
「す、少し良くなっているのです」

 女の子は右京の後ろから、目を合わせず恥ずかしそうに御剣と話す。そのやりとりに、私と右京は目を合わせて苦笑する。

「小夜、そちらに葦原の村長さんがいらっしゃる。ご挨拶しなさい」
「え、えっと。はじめまして、私は葦原の村長、瑞穂。よろしくね、小夜ちゃん」
「…です」
「ん? 小夜、聞こえないぞ?」
「御剣様とは、御剣様とはどう言う関係なのです?」
「え?」
「もしかして、御剣様の思い人なのですか?」

 横に座っていた御剣が、飲んでいたお茶を噴き出した。

「やっぱり、やっぱりそうだったのですね!」
「ちょ、待て小夜。何か勘違いしていないか?」
「だって、兄様が新しい村長様のお側付きが御剣様だって言ってました!お側付きとは、生涯添い遂げるという事なのです!」

 御剣が右京を見ると、ばつが悪そうに目を逸らす。

「どう言う事だ、右京?」
「あ、いや。俺はただ二人の関係が恋人みたいだなって話を、ちょっとな…」
「そんな根も葉もないことを…」

 とりあえず、私は御剣とはそんな関係ではないと説明し、誤解を解くことにした。

「…と言うことなの。確かに私は昔から、御剣と主従関係ではあるけど。そう言った関係じゃないわ」
「そうなのですか、御剣様?」

 小夜の言葉に、御剣は首を縦に振る。誤解が解けたのを見計らって、右京が改めて自己紹介を促す。

「小夜。自己紹介は?」
「し、失礼しました。わ、私は右京が妹、学士の小夜なのです。学士としての専門は、古代学を主としてますです」
「学士って、あの?」
「はい。とは言っても、まだまだ見習いなのですが」

 この歳で学士だということも衝撃を受けたが、その上その難解さから誰も手をつけようとしない古代学を専門としているとは思わなかった。

「そうそう、小夜。これ、今週のお薬な」
「あ、ありがとです。兄様、昨日の続きがあるので、少しだけ失礼しますです」
「分かった」

 御剣から薬を受け取った小夜は、深くお辞儀をして部屋から出て行った。

「不束な妹で申し訳ない」
「いいえ、兄想いでとってもいい子だと思うわ。ところで御剣」
「何だ?」
「まさかと思うけど、あの子に手を出していないわよね」
「無論」
「本当に?」
「ほ、本当だ」

 ふーん、と御剣を見るが、表情を変えないことから嘘ではなさそうだ。すると、右京が何かを思い出したのか口を開く。

「そうだ、アンちゃん。一つ頼まれてくれないか?」
「あぁ、何だ?」
「もし良いなら、ひと狩り付き合ってくれないか。商人連中から、害獣駆除も頼まれているし。良い獲物が獲れたら小夜に振舞ってやりたい」
「構わないか、瑞穂?」
「別に良いわよ。どうせ行くなら、とびっきりの大物を獲ってきなさい」
「決まりだな。それじゃあ、村長はどうします?」

 私は狩りに行っても役に立ちそうにないので、ここで留守を守ることにした。

 
 ◇


「なぁ、アンちゃん。話には聞いていたが、中々良いお方じゃないか」

 獲物を探して山道を歩いていると、前を歩いていた右京がそんな話をしてくる。

「まぁな、たまに仕事を放ったらかしにして何処かに出掛けるが、やる時はやる。主としては申し分ない」
「はっはっは、上に立つモンってのは、それぐらいが丁度いいんだよ。両極端なモンは、ある一方でしか物事を考えられないからな。そだな、例えばこの国の馬鹿ヤズラみたいにな」

 この国の役人や兵達が右京を慕う理由がよく分かる。彼のような人物が国の皇であれば、この国も全く違うものになっていただろう。

「おっ、アンちゃん。あそこを見ろ」

 右京にそう言われて林の奥を見ると、数匹の兎が餌を求めて集まっていた。音に敏感な兎を逃さないために、右京は音を立てない様に背中に背負っていた弓を構える。

「さて、肩慣らしにまずはアレをやるか」

 矢をつがえて狙いを定める。

 空気を切り裂くような音と共に、放たれた矢は一羽の兎へと向かっていく。

 しかし、狙いは大きく外れ、音に驚いた兎は何処かへ逃げてしまった。

「あぁ、そう言えば弓だけは下手だったよな。緋ノ国武術指南長さん」
「その役職で呼ぶな。俺だって得意不得意はある」

 再び獲物を探していると、今度は鹿を見つける。今度は俺の番だ。

「おっ、結構でかいな」
「やるか」

 弓を構え、矢をつがえる。狙いは前足の付け根より少し上、心臓付近。

 矢を放つ。放たれた矢は吸い込まれるようにシカの心臓部へと命中する。

「おおっ、やったな!」
「久しぶりだったが、当たってよかった」

 正直、当たるとは思ってなかったが、一射で命中させ、無力化出来たのは嬉しかった。

 余韻が冷めないうちに獲物を取りに行こうとするが、ふと殺気を感じる。

「そういや、ここに来る前に害獣って言ってたが、もしかしてこれか?」
「あぁ、こいつは不味いな。一旦ここから離れて隠れよう」

 右京も殺気を感じ取ったのか、周囲に目を配っていた。すると、地面が揺れるほどの足音が聞こえてくる。

「おいでなすったな」

 草むらからでてきたのは、体長が16尺ほどある化け物のような熊だった。

 今まで見たことないほどの巨軀な熊は、周囲を見回すと先程仕留めた鹿をじっくりと見つめ、喰らい始めた。

「結構でかいな」
「おい、あんなでかいのは今まで見たことないぞ」
「奴が今回の目標だ。ここ最近、山を通る商人や旅人が何人も襲われてる。ここまででかいとは思わなかったが…」
「思わなかった? 他に情報はなかったのか?」
「そりゃ、奴に出会った奴は誰も生きて帰ってねぇからな。本来、熊は人を襲わんが、奴は違う。人が弱いってことに気付いたんだろうな」
「なるほど、そういうことか。さて、それならこれは必要ないな」

 構えていた弓を地面に置く。ただでさえ素人なのに、弓でヤツを討ち取れるとは思えない。

「そうだな。さて、ようやくこっちの出番ってわけだ」

 俺たちは刀を抜き、鹿を喰らう熊の前に飛び出す。俺たちに気がついた熊が、喰らうのをやめて咆哮する。

「やる気満々らしいな」
「ほんじゃ、まぁ、いっちょやるか」
「隣は任せたぜ、右京」
「こっちもな、アンちゃん」

 二人同時に熊へと斬りかかる。右京が右を、俺は左を目掛けて突進する。熊は向かってきた俺たちに向けて、両腕を振りつけてくる。

 迫ってきた前足を飛んで避け、横を抜ける瞬間に脇腹を斬りつける。しかし、厚い皮が少し裂けただけで、致命傷には至らない。

「くっ!」

 熊が振り下ろした前足を、右京は刀で受け止める。その隙に背中を斬りつけるが、全く効いていない。熊の薙ぎ払いを避け、俺と右京は間合いを取る。

「硬いな」
「全然効いちゃいない」
「あぁ、寧ろ怒らせちまったようだ」

 素早く動く俺たちにイラついたのか、熊の口からは生暖かい息が漏れていた。

「来るぞ!」

 体重に任せた突進が迫る。避けることには成功したが、俺たちの後ろにあった木をやすやすと薙ぎ倒していく。

「でかい癖に速いな」
「あれを食らったら、ひとたまりもないぜ」
「何か策はあるか、アンちゃん」
「右京、俺が囮になる。その間に後ろに回り込んでヤツの頸を狙え。何度も同じ手は通用しない。一回限りだ」
「任せろ」

 俺は熊の目標となるように大きな動きをする。案の定、熊は俺に狙いを定めて後ろに回り込む右京に注意が向いていない。
 
 再び突進してきた熊を避けるが、熊は学習したのか途中で止まり、横に避けた俺を吹き飛ばそうと前足で薙ぎ払ってきた。

 刀で受けるしかない。

 猛烈な衝撃を受け、後ろへと吹き飛ばされる。まともに食らえば、身体の一部が千切れて吹き飛んでいた。身体が千切れていないのを確認し、頑強な自分の身体に感謝した。熊は倒れていた俺の前にやってくる。そして、とどめをさそうと前足を振り上げた時だった。

「残念だが、こっちの番だ」

 後ろに回り込んでいた右京が、熊の首に全力で刀を振り下ろした。


 ◇


「数ある古代文明の中でも、四大文明と呼ばれるのがメルソポタ、リジープ、シャング、春蘭なのです。その中でも、春蘭は特に緋ノ国やそのほかの国に大きな影響をもたらしましたです」
「例えば?」
「代表的なのは稲作なのです。他には、今使われている文字は春蘭の文字記号を元にしていて、この文明がなければ今のような…」

 御剣たちが狩りに行っている間、私は小夜の部屋に来ていた。部屋は難しい書物や勉強道具が山積みにされていて、娯楽がほぼない部屋だった。唯一あるのが、手作りの振り子くらいだ。

 そして、小夜から古代学の講義を受けているが、ちっとも理解できていない。

 本当に分からない。

「古代学って難しいわね。全然分からないわ」
「何事も勉強からなのです。最初は私も何も分からなかったです」
「うっ…」

 結構、ぐさっと来る一言だった。

「文献だけ読んでその通りに理解するのは、ただ文献の知識を身につけてただけで終わってしまうです。そこから新たな発見や別の観点を見つけ、常に一歩進んだ知識を身につけるのが、学士の務めなのです」
「うぅ…」

 見事にとどめをさされてしまった私は、話題を変えることにした。

「そう言えば、小夜はずっとお兄様と暮らしているの?お父様やお母様は⁇」
「はいです。ずっと前にお父様が戦で、お母様が病気で亡くなってから、兄様が私の面倒を見てくれました」
「そうだったのね。ごめんなさい」
「いいです。私には大好きな兄様がいますから」

 小夜は満面の笑みを浮かべてそう言う。

「村長様は?」
「私かぁ。ちょっと分からないの」
「分からないのですか?」
「うん。お母様は私が村長になって少しして何処かに姿を消したの。お父様は、分からない。お母様に聞いても何も教えてくれなかったし」
「そうだったですか」
「まっ、人生いろいろってこと。そうだ、お近づきの印って言うのもなんだけど」

 私は鞄の中からある物を取り出して小夜に手渡す。それは、我が家に代々伝わる銀色の鈴である。

「わぁ、これって鈴なのですか?」
「うん。私の家では昔から、友達になる人に鈴を渡す習慣があるの。何でかは知らないけど」
「瑞穂さんって面白い人なのです」
「ふふ、ありがと」

 私たちが会話に花を咲かせていると、玄関の扉を開ける音がする。

「おーう小夜、帰ったぞ」
「兄様!おかえりなさ、んなっ⁉︎」

 小夜は声がしてすぐに立ち上がり、玄関へと向かう。そしてすぐ悲鳴が聞こえてきた。慌てて私も玄関に向かった。

「どうしたの小夜!? …って、ひゃ!?」
「く、く、く、熊なのです!」

 玄関から覗いていたのは、化け物みたいな熊だった。その後ろからひょっこりと顔を出した二人は、服がぼろぼろになり、身体は土で汚れていた。

「御剣、何これ?」
「何って、熊だ」
「そんなこと分かってるわよ!」
「でっかい奴獲ってこいって言ったろ?」
「そ、そうは言ったけど…」

 こんな化け物みたいな獲物を獲ってくるなんて、想定外にもほどがある。

「さてと、こいつをどうするか」

 でかすぎるのも困りものだ。

 右京が作った熊料理をご馳走になると、外はすでに日が沈み暗くなりかけていた。土産の肉や毛皮を背負うと、右京と小夜が外まで見送りに来てくれた。

「残りは塩漬けにして保存しておく、欲しかったらまた来てくれ。流石に二人じゃ食べきれないしな」
「あぁ、すまんな」
「村長、今日は助かりました。何と礼を言えば」
「気にしないで。それに村長は堅苦しいし、今度から瑞穂でよろしく。あと、堅い口調もなしで」
「左様で。それでは、瑞穂様。アンちゃんもまたな」
「瑞穂様!」

 小夜が私のもとに駆け寄ってきた。

「また来てくださいです」
「もちろんよ。また来るわ」
「本当なのですか?」
「うん、約束ね」

 私は小指を出す。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
「指切った」

 小夜と約束を交わし、私たちは村へと戻った。


 ◇


「本当に、よろしいのですか?」
「何だてめぇ、怖気付いてるのか? なぁに、簡単な仕事だ。婆を人質にしてくるだけだ」
「ですが、あのお方は他国にも知られる高名な薬師です。もしその身に何かあれば…」
「ざけんな! 皇様の命令に逆らうのか!?」
「わ、分かりました」
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