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第三章

【書籍化記念、番外編】 アリスとノルと魔女の薬 (後編)

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「エル!」

 ぬけるような青空の下、王太子の庭園でルイスを見つけたアリシティアは、膝の上で開いていた本をベンチに置き、飛び付かんばかりにルイスに抱きついた。

「うわっ、熱烈だね、アリス。僕に会えて嬉しい?」

 溢れるような笑顔のアリシティアを、蕩けるような甘い笑みを浮かべたルイスが抱き上げた。

「嬉しい」

「そう。僕のこと大好き?」

「大好き」

「ああもう! 今日も僕の最愛の婚約者は可愛すぎる」

 アリシティアをぎゅうぎゅうと抱きしめ、ルイスはアリシティアの頭上に頬をすり寄せる。そんなルイスを背後で、ノルが拗ねたように唇を尖らせた。

「何言ってんの、全部薬のせいじゃん。普段ツンツンしかないアリアリに薬を盛って甘えさせようだなんて、本当に酷いよね」

 ノルの言葉に、途中参戦しトランプ勝負に勝利したルイスが余裕の笑みを浮かべる。

「何度言っても、学習しないアリスが悪いんだよ。それに、アリスに薬を盛った実行犯は誰だっけ?」

「俺はいいの。この前俺にワライダケ盛った犯人、アリアリだったんだから。そんなことよりさあ、この薬ってぇ素直になると言うより、精神が幼児化する薬なんじゃないの~?」

 昨日、ルイスを警戒するアリシティアに、ルイスの代わりに魔女の薬を飲ませたのは、この黒髪の少年だ。

 ほんの一ヶ月ほど前に、アリシティアにワライダケのエキスを飲まされ、笑いすぎて三日間お腹と背中が筋肉痛になった、仕返しである。

「そう? 僕としては、幼児化とは違う気がするな。だってアリスは子供の頃から、何だか妙に達観していたし、自分とは別の視点から世界を見ているような子だったし。されるがままではあるけど、幼いときのアリスってこんな感じではなかったんだよねぇ」

 ルイスの肩にぐりぐりとおでこを押し当てるアリシティアの頭に鼻先を埋め、ルイスが答える。

 そんな二人の姿を眺めながら、不意に思いついたように、ノルが口を開く。

「そうだ! ねぇアリアリ。アリアリは俺のこと大好き?」

 ノルの問いに、アリシティアは考えることなくにっこりと微笑む。

「もちろん大好き」

 屈託のない笑顔で答えた瞬間。

「はぁ?」

 常よりも遥かに低い不機嫌な声を出したルイスがノルを睨む。だが、そんなルイスを無視して、ノルはアリシティアに向けて、両手を差し出す。

「じゃあ、ぎゅーってして?」

「いいわよ」

 ノルの要望に応えようと、アリシティアがルイスの腕の中から抜け出そうと動く。だが、ルイスはそれを許さなかった。

「アリス、ノルにギュッてしちゃだめだよ」

 アリシティアを抱きしめる腕に力を込めるルイスに、アリシティアが不思議そうに首を傾げる。

「ダメなの?」

 王家の影として、王弟の元でアリシティアと共に教育されたノルは、アリシティアにとっては子分を通り越して、ペットの犬のようなものだ。けれど……

「僕以外にギュッてしちゃダメ」

 ルイスの真剣な声音に、アリシティアは不思議そうに首を傾げる。その時。

「何だか珍しい組み合わせだね。ルイスも休憩中?」

 サクリと下草を踏む音がして、三人が声の方に視線を向けると、この色鮮やかな美しい庭園の主である王太子が供も連れず歩いてくる。瞬間。

「アル兄様!!」

 アリシティアがするりとルイスの腕の中から抜け出し、アルフレードに駆け寄る。そして、きゅっと抱きついた。その光景に、ルイスが不機嫌に眉根を寄せた。

「……アリス? 今僕が言ったこと、もう忘れたの?」

 一瞬で自分を裏切り王子に走った婚約者に、ルイスは文句をいう。
「なに? ルイスはまたアリスを虐めてるの?」

 アルフレードはそんなルイスを見て、くすりと笑った。

「心外ですね。僕はアリスを虐めたことなんて、ただの一度もありません」

「どの口がいってんだか~」

「うるさいよ、ノル。そんなことより何でアルフレード兄上がここにいるんですか。 アリスから離れて下さい」

「そうだよ、王太子さまずるい。次は俺がアリアリにぎゅっとしてもらう番なのに!」

 唐突に現れた王太子に、ルイスとノルが口々に文句をいう。

「私はアリスとここで約束していただけだし、そもそもここは私の庭園なのだが、何故君たちに文句を言われているのかな?」

 アリシティアの頭をぽんぽんと叩きながら、アルフレードが仮面のような笑顔をルイス達に向ける。 

「それは~、ルイス様がアリアリに、魔女の薬を飲ませて、一人で可愛いアリアリを堪能しようとしてたからなのぉ~」

「魔女の薬?」

「そう、王都にどこかの魔女がばら撒いた、素直になる薬って言われてるやつなの。でも、俺は幼児化する薬だと思うんだよね」

「へえ、それは困ったものだね」

 全く困っていなさそうな口調で、相変わらずキラキラした王子様スマイルを浮かべたアルフレードは、アリシティアを見下ろす。そして……

「アリス、気をつけ!」

 アルフレードの号令と共に、アルフレードから即座に離れたアリシティアは、ビシッと背筋を伸ばし、顎をひく。

「お手」

 アルフレードが手のひらを上に向け手を差し出す。瞬間差し出された手のひらに、しゅたっとアリシティアが右手を乗せる。

「おかわり」

 続く声と共に、即座に左手を乗せる。まさに条件反射である。

「うん、いつもと変わらないなあ。……アリス、アリスから見て私はどんな人?」

「アル兄様は、世界一胡散臭いけど、本物のキラキラ王子様」

「それに関しては、今度話し合いが必要だね。じゃあ、アリスは私の何?」

「兄様の世界一可愛い幼馴染で、謎に包まれたセクシーな悪女」

「……もう少し君は自分を見直した方がいいと思うけど、まあいい。じゃあ、アリスは私の事をどう思っているの?」

「大大大大大好き!!」

「はあ?!!!!」

 アリシティアの声に重なるように、ルイスが不満の声を上げる。

 だがそんなルイスを無視して、アルフレードはアリシティアの頭に手を乗せる。そして、

「うん。いつも通りだね。という事は、アリスは私の前ではいつでも素直って事だ」

 などと一人納得し、アルフレードは上手に芸を披露したペットを褒めるように、アリシティアの頭をわしゃわしゃとなでる。


「まあ、日頃の行いの差だね。ルイスは自分の行動をみなおしたほうがいいよ」

 アルフレードは普段のアルカイックスマイルではなく、心底楽しそうな笑みをルイスに向け、「じゃあね。アリス、約束はまた今度にしよう」と、上機嫌に去っていった。



「王太子さま行っちゃった。……アリアリなんの約束してたの?」

「一緒にお散歩デート……」

 去っていくアルフレードの背に、アリシティアが寂しそうな視線を向ける。だがその視界はルイスの手で遮られた。

「もしかして、定期的にこうやってアルフレード兄上と、ここでデートしてたの?」

「そうよ、ここは決められた人しか入れないから、私がアル兄様と二人でお散歩してても、変な誤解をされて噂になったりはしないでしょう?」

 普段であれば、「閣下には関係のない事です」と、一言で済ませてしまう所であるが、『素直になる薬の』効能か、ポロリと正直に話してしまう。

 そんなアリシティアに、ルイスは冷ややかな視線を向けた。


「──へえ。僕とデートなんてしたこともないのに、アリスは浮気の常習犯なんだ。これはもうお仕置きが必要だよね」

 いつもの胃もたれがするような甘ったるい笑みを浮かべ、ルイスはアリシティアを抱き上げた。

「え? なんで???」

 意味不明とばかりに、ルイスは腕の中で暴れるアリシティアをしっかりと押さえつける。

「アリスは僕の心の狭さを理解してないようだよね。相手がアルフレード兄上でも叔父上でも、もちろんノルでも、僕以外に懐くのは許せないの。ノル、今日はもう好きにしていいよ。お疲れ様」

 そんな言葉を残し、ルイスはアリシティアをジャガイモ袋のように担いで、さっさと歩き去ってしまった。

「えー、こんなに笑えるアリアリを独り占めするなんて狡い。俺もアリアリで遊びたかったのにぃ」


 などと不貞腐れる黒髪の少年の言葉に答える人は誰もいなかった。






 ***

 一週間後。
トランプ勝負に負けた二人の影は、前世異世界軍人の記憶を持つディノルフィーノ伯爵家先代当主、ガイオ・ディノルフィーノの前に整列していた。

「アリシティア・リッテンドール、レナート・ディノルフィーノ、我がガイオズ地獄の特訓ブートキャンプによく来たな」

 迷彩服を着たアリシティアとノルの前で、深い皺が刻まれた顔で、ガイオはニタリと笑う。

「さあ、まずはあそこに見えているディアナ神殿まで、五往復だ」

「ええ?!! ちょっと、じいちゃん!! あそこに見えてるって、山の頂上じゃん!! 登るだけで半日かかっちゃうよ!」

「シャラップ、レナート! ここではガイオ隊長と呼べ!」

 ディノルフィーノ三兄弟の末っ子が、目前の老いてなお強健な祖父に文句をいう。そんなノルの隣で、アリシティアが、シュタッと右手をあげる。

「隊長、質問があります!」

「何かな、リッテンドール訓練兵」

「現在我々は武器しか所持しておりません。登山のための食料や野営用具を調達してきてもよろしいでしょうか?」

「それらはすべて、現地調達だ。適時己で考え行動しろ」

「「ええーー!!?」」

 思わず不満の声を上げる二人の訓練兵をガイオの鋭い目がギロリと見据える。

「何か文句でもあるのか?」

 びくりと体を震わせた二人は、ピシッと背筋を正し敬礼する。

「「ノー、サー!」」

「よし、では行け。三日以内に五往復できなければ、さらに追加で五往復だ!わかったな」

「「サー、イエッサー!」」

 返事と共に、アリシティアとノルが走り出す。

 そんな後ろ姿を見ながら、ガイオ・ディノルフィーノは、がりっと頭を掻いた。



「馬鹿者どもが。王弟殿下の椅子にブーブークッションなぞ仕掛けるから、こんなことになるんだ。本当に学習せんな」

 呆れたように呟くガイオの言葉は、無論走り去った二人の耳には入ってはいなかった。



 ちなみに、アリシティアとノル、二人の七並べ勝負の場に、ルイスが乱入し、勝利を掻っ攫っていく事まで、全て王弟の計画内であったことを、二人は未だ気づいてはいなかった。




 終わり。


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ブーブークッション
ジョークグッズ。座ったりもたれたりするとオナラのような音がする。










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