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第三章

16.人形師リーベンデイルと時渡りの旅人①

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 王宮奥。窓もなく、壁面の全てが本に覆われた、禁書庫の中。
 ベアトリーチェは、入り口近くに置かれたソファーの上で足を組み、古びた一冊の本を開いていた。
 長く美しく整えられた爪先で、ページを捲ろうとした時。不意に吹き込んで来た風が、ぱらりと本のページをめくった。

 同時に、パタンと扉の閉まる音がし、低く、けれどもよく通る澄んだ青年の声が、閉ざされた室内に響く。

「久しぶりだね、大魔女ベアトリーチェ」

 禁書庫の扉を背にした黄金の髪の青年は、普段と変わらない優雅な笑みをうかべたまま、理知的な目をベアトリーチェに向けた。

「……おかしいわね。アリスの話だと、王太子はアストリア大使との会談に出席している時間帯だったはずなのだけれど……」

 唐突に姿を見せた王太子アルフレードに、ベアトリーチェは挨拶も返さず、視線すら向けず、独り言のように呟いた。

 本来、この国の民であれば、誰もがかしずく地位を持つ王太子。
 だが、このリトリアン王国の王城には、そんな人の世のことわりから外れた者達が住んでいる。
 それは、かつて魔法使いと呼ばれた人々。魔術師であり、魔女である。
 そんな彼らは、決して人の世界の決め事に縛られる事はない。そして、人の持つ地位も権力も、財力も、彼らの前には何ら意味をなさない。

「確かに私は今、アストリア大使との会談に出席している時間帯だ。予定では……ね」

「あら、わざわざアリスに偽の予定を掴ませたのね。あの子、王家の影とか言う割に、色々とダメな子ねぇ」

「という事は、やはり魔女殿は、アリスから私の予定を事前に聞き、私を避けていた訳か。魔女殿がこの禁書庫へと来る時には、いつも決まって私が抜けられない用事のある時ばかりだから、そうだろうとは思っていたけれどね」

 王宮にあるいくつかの塔には、魔法使いと呼ばれる者たちが住んでいる。だが、王族と言えど、彼らを権力や力で従わせてはならない。
 それは決して違えてはならない、この国の不文律だ。もしもその不文律を違え、彼らの怒りを買えば、かつてのリネス国のように、この国もまた滅びると言われている。

「で? アリスに偽の予定を教えてまで、私を捕まえたかった訳?」

 ベアトリーチェは皮肉げに問う。

「まさか。魔女殿を捕まえるなど、有り得ない。ただ、王太子である私が、大魔女である貴殿を呼びつけたり、秘密裏に錬金術師の塔にある魔女殿の部屋に訪ねたりするなんて事も、出来ないだろう? だからこんな風に偶然・・、私がこの禁書庫に一人でいる時に、魔女殿と会えれば良いなと思っていた。それだけだよ」

 アルフレードは苦笑を浮かべた。
 実際問題として、アルフレード一人抜け出して、錬金術師の塔を訪ねる事も、出来なくはない。けれど、それに要する時間を考えると、目の前の魔女と話すには、この禁書庫が最も都合が良かった。

 アルフレードの強引な屁理屈に、ベアトリーチェはクスリと笑い、ようやく本から視線を上げた。

「まあ、そういう事にしておいてあげるわ。この禁書庫への入室許可証を私に贈ってくれたお礼にね。それで、貴方は私に何の用事かしら?」

 ベアトリーチェは美しく整った指先で向かいのソファーを示し、王太子に着席を促す。

 促されるままソファーに腰掛けたアルフレードは、ベアトリーチェの手元の本に視線を向ける。
 そして、いつもと変わらない完璧な微笑で、けれども神妙に口を開いた。

「大魔女である君に教えて欲しいんだ。人形師リーベンデイルか、何者なのかを。そして、百年も前に作られた十二体の『宵闇の少女』は、何故、アリシティアに瓜二つなのか」

  アルフレードの問いに、ベアトリーチェは首を傾げた。さらりと彼の黒髪が揺れる。

「リーベンデイルは、一生をかけて美を追い求めた人形師。亡き王女を愛し、見た者を魅了し狂わせる、己が愛した王女にそっくりな十二体もの人形を作り上げた狂人。そして、アリスはその血筋故に、リーベンデイルの愛した王女に偶然似ているだけの少女」

 まるで用意していたかのように、淀みなく答えるベアトリーチェに、アルフレードは苦笑する。

「それはあくまでも、リーベンデイルの人形と共に狂信者達の中で独り歩きした噂と、ただの推測だ」

「そうね。でも、リーベンデイルの狂信者達がそれを信じているのなら、それこそが事実となる」

「そうかもしれない。だけど、私なりに調べたんだよ。宵闇の少女のモデルだと言われている亡き王女についてね。彼女の死後描かれた肖像画は、確かに、宵闇の少女のモデルだと言っても良いほどに似ていた。けれどね、改めて調べたが、彼女の生前の肖像画はそうじゃなかったんだ」

「へぇ?」

「亡き王女の髪や目の色は確かに似てはいた。だが、城の保管室の奥で見つかった、本物の・・・肖像画に描かれたその顔立ちは、宵闇の少女とは似ても似つかなかった。もちろん、アリシティアにも。つまり、今世間に知られているアリスに似た亡き王女の肖像画は、王女をモデルに描かれた物ではなく、宵闇の少女という人形を描いた物だと、私は思うんだ」

 ベアトリーチェは唇に握った手を当て、驚いたように数度瞬きした。

「あら、そうなの。さすがにそれは知らなかったわ。つまり、誰かが亡き王女と宵闇の少女を繋げる為に、ありもしない噂を作り上げ、その噂を真実にする為に、宵闇の少女そっくりな王女の偽の肖像画が作られた……ということね」

「だから、余計に分からなくなった。本当の王女と宵闇の少女に何の関係も無いのであれば、何故、『宵闇の少女』が、あんなにもアリシティアに似ているのか。宵闇の少女とアリシティアの繋がりは、存在し無かった。であるのに、ただの偶然と言うには無理があるほど、宵闇の少女とアリシティアは似ている。だから私は知りたい。世間一般の事実ではなく、リーベンデイル本人にとっての真実を……」

「つまりは、この手記について……という訳ね」

  ベアトリーチェは手の中の古びた本を、指先でトンと叩いた。
 それを肯定するようにアルフレードが頷く。

「やはり魔女殿には、その手記が解読できるのか」

 ベアトリーチェは愉快そうに口角を上げた。

「まあ、こう見えても、私はかつての大魔女ベアトリーチェの正当な後継者だもの。どんな魔法書でも……とは言わないけれど、まあ、この世界の大半の魔法書は解読できるわ。でも、貴方はわざわざこんな呪いに関わる必要などないんじゃない? だって、知らなければ、これまでのように生活できるのよ。国と民のために」 

「知らなければ、いくつもの道は閉ざされ、選択肢が減る」

「知らなければ、与えられた運命のまま、平和に生きていられる」

「それでも私は知っておきたい」

「ならば、貴方の望みを叶えましょう。この国の闇を呑みくだし、膨大な屍の上に座す、次代の王。──無論、相応の対価は頂くけれど」

 ベアトリーチェは嫣然と微笑んだ。

 この魔女の言葉は、まるで予言のようだとアルフレードは思った。

 この男が、本当は何者であるか、アルフレードは何一つ知らない。
 ただ、アリシティアの話に出てくるような、人の良い友好的な魔女などではない事だけばわかる。

 魔女とは享楽的で残酷。
 人を狂わせ、堕ちていく様を楽しみ、世界の崩壊さえも、快楽として受け入れる者達。


 もしも、ここが神代の時代であれば、彼は力を失った世界樹の守護者たる世界の王を殺し、新たなる守護者となりえる力を持っているのかもしれない。

 そこまで考えて、アルフレードは唐突に浮かんだ脈略のない思考を振り払った。


「それで、いい加減真実を教えてくれないか? 何故十二体しか存在しない宵闇の少女が、十三体あると言われているのか。そもそも宵闇の少女とは、一体何なのか。その本当の理由を。もしも十三体目の宵闇の少女が存在するのだとすれば、それが何処にあるのかを」

「あら。王太子殿下は、本当はもう、そんな事とっくに気づいていらっしゃるのでしょう? 」

 ベアトリーチェはくすくすと笑い出し、心底楽しそうに、平然と言葉を繋いだ。

「十三体目の宵闇の少女の名は、アリシティア・リッテンドール」

 ベアトリーチェの言葉に、アルフレードの心臓がどくりと跳ねた。自らの心音がやたらと耳に響き、魔女の声が聞こえづらい。
 いや、アルフレード自身が無意識に、これ以上聞く事を、拒絶しているのかもしれない。

「もっと正確に言えば、十三体目の宵闇の少女は、今は無きリネス国で、取り替え姫と呼ばれていた少女の魂を持つ者」

「は? 」

 普段であれば、アルフレードの口からは決して出ないであろう、間の抜けた彼の声が、禁書庫内に響いた。

「うーん、宵闇の少女は取り換え姫の分身だとでも言うべきかしら? そして、人形師リーベンデイルは、御伽噺『取り換え姫と世界樹の守護者』に出てくる兄王子」

 瞬間、アルフレードは息を飲んだ。鼓膜の奥で心臓の音がうるさく響く。

「──── 御伽噺のように、人の魂は世界樹の下、幾度となく三千世界を巡る。そして、その魂の中には、ごく稀に、前世の記憶を魂に刻んだ者が存在する。リーベンデイルはそんな魂の持ち主」

「なら、リーベンデイルは……」

 アルフレードは、目の前の魔女の紫の瞳を、ただ見つめた。

「このリトリアン王国の初代国王。アルベルト・ルクス・ディ=クレッッシェンティウス、その人よ」

 目前の魔女は、まるで今日の天気の話でもするように、アルフレードが想像すらしていなかった名を口にした。




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