余命一年の転生モブ令嬢のはずが、美貌の侯爵様の執愛に捕らわれています

つゆり 花燈

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第三章

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 だが、老女の声を耳にした瞬間、ウィルキウスの全身を得体の知れない恐怖が支配した。唐突に、地を揺らす程の雷鳴の音も、大地に叩きつける大雨の音も、死にゆく女性の悲鳴にも思える風の音も、全てが掻き消えたかのように、周囲から音が消えた。

 目の前の老女の声だけが、彼の鼓膜を揺らす。老女の姿にはそぐわない、光にとけるようなとてつもなく美しい声。その老女の発した声は、ウィルキウスが誰よりもよく知る、とても大切な人の声だった。

 音楽の神の竪琴のしらべのように、光から編み出された、神々をも魅了する玲瓏な声。

 ウィルキウスは体力の限界であったにも関わらず、膝の上の黒猫を払い落とし、勢いよく立ち上がった。
 

「お前!!お前が何故その声で話す!!」

 喉が切れるかと思うほどに声を荒げ、驚愕に恐怖、そして絶望に染まった双眸を、扉の前に立つ老女に向ける。そして、彼が無意識に老女に掴み掛かろうとした、その時。

「『動くな』」

 老女は透明感のある玲瓏な声で、ウィルキウスに命じた。瞬間、老女の首元に伸びようとしていた、ウィルキウスの手が止まる。同時に彼の全身は、目に見えぬ力に支配されたかのように、動かなくなった。
 
「なっ……?!」

 突然己の意思に反して動きを止めた身体に、ウィルキウスは息を飲んだ。そんな彼の足元では、彼の膝から落とされた黒猫が、彼の足に身体を擦り付けながら、くるくると回っている。

「おや、随分とその子が気に入ったようだねぇ」

 老女はウィルキウスの足元にまとわりつく黒猫を見て、喉の奥で笑った。


「何がおかしいんだ、魔女!!」

 まるで全身が氷に覆われたように動けなかったウィルキウスは、その声に怒りを纏わせた。老女の口から発せられる声は、彼の異母姉であるソフィーリアの物だった。  
 有り得ない。けれど紛うことなき、姉の声だ。老女が彼の姉の声で話す理由など、理解出来ない筈だった。だが、ウィルキウスは一瞬にして、その答えに辿り着いた。

「お前、姉の声を奪ったのか?!姉さんに何をしたんだ!!」

 ウィルキウスが怒りのままに叫んだ。
その時。彼の周囲で、パリンと目に見えない何かが砕けた気配がした。同時に、彼の身体を支配していた目に見えない力が、呆気なく消え去った。
 ウィルキウスは自由になった身体で、再び老女に詰め寄ろうとした時、老女は手に持っていた杖を、ウィルキウスの頭に振り下ろした。瞬間、ウィルキウスの頭は勢いよく殴られ、彼の喉からは、潰されたカエルのような呻き声が漏れた。

「『落ち着きな』 誤解するんじゃ無いよ。この声は芸術の神の愛し子が、己の望みを叶える代償に置いて行ったものだ。お前の姉とやらは、ちゃんと生きているさ」


 ウィルキウスのよく知る声で語られる言葉に、彼は老女を掴もうとしていた腕を引き、代わりに杖で殴られた頭を押さえた。
 何故か老女の言葉に嘘が無いとわかった。けれど恨みがましく老女を睨むのはやめない。

「……姉さんは、無事なのか?」

「そうだねぇ。ここを出て行った時は、無事だったねぇ。それにしても、お前面白い奴だね、時渡りの旅人。私の言霊の呪縛を解くとは。お前は生まれながらの魔法使いでもあるのか」

「さっきから何を言っているんだ、旅人とか、魔法使いとか」

 ウィルキウスは訝しげな表情のまま問う。そんな彼を見て、今度は老女が驚いた顔をした。

「おやおや、無自覚なのかい。いや、今の私の言霊のせいで、無意識に力が目覚めたのかねぇ?ふふふっ、本当に面白い。ついに私も引退する時が来たのかねぇ…」

「一体何の話をしている」

「おや?何もわからないのかい?全く、宝の持ち腐れとは、この事だね。お前、神々の落し子でも無いようだし、人の子にしては随分と異質な力の塊だ。その紫の瞳のせいで、女神リネスに愛されているのかねぇ?」

「俺の瞳がなんだと言うんだ」

「知らないのかい?紫の瞳は、かつて女神リネスが愛した、勇者の力を受け継ぐ者の証だよ。お前、周囲の人間がどれ程酷い目にあおうと、お前だけは何故か酷い目に合わずに、常にギリギリの所で助かっていると感じた事はないか?」

 老女の言葉に、ウィルキウスは目を見開き息を呑んだ。これまで考えた事も無かった。けれど、考えれば考える程に思い当たる事が多すぎた。今彼が怪我一つせずにここにいる事も、老女の言葉の一端であるかのように感じた。

 言葉を失って立ち尽くすウィルキウスに、自らを『魔女、ベアトリーチェ』と名乗った老女は、皺だらけの顔に笑みを浮かべた。

「まあ、とにかく中へお入り。そのままでは寒いだろう」

 老女は古びた店の扉を開けて、ウィルキウスを促す。ウィルキウスは、この異様な状態を前に、息を呑んだ。けれど僅かに逡巡したのち、彼は老女の隣をすり抜け、雑然とした店内に足を踏み入れた。

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