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【4】運命の出会いと甘い嘘
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「はーい、どちらさま?」
近隣住民の誰かだろう、と思いながらドアを開くと、フードを目深に被った男が立っていた。
(誰……?)
人数は二人。
どちらも背が高い。
「あの?」
首を傾げた瞬間、片方の男がアリアドネを押しやって部屋に入ってきた。
驚きと恐怖で身体が強ばる。このまま押し倒されてひどい目に合わされるかもしれない。
身構えるけれど、男はアリアドネを通り過ぎて部屋を物色し始めた。棚や荷物、買い置きの果物までひっくり返している。
「ちょ、な、なんなの?」
「いやぁ、すみません」
ぬっと、もう一人の男がアリアドネの目の前で身を屈めた。目線を合わせてくれたのだとわかったが、なにぶん、目深にフードを被っているので顔はよく見えない。
そのことに男も気づいたようで、「っとと、失礼しました」と言いながらフードを外した。
焦げ茶色の髪と瞳を持っている男だった。
しかし彼の容貌よりもアリアドネが気になったのは、詰襟のところに刺繍された太陽と月を象った紋章である。
それは、フューリア教が掲げる紋章だった。
「フューリア教……の、人?」
「え? あ、よくわかりましたね。下の階の方はなかなか信じて下さらなかったんで、先に察してもらえると助かります」
フューリア教とは、カーン帝国どころか大陸全土で主流の教団だ。
貴族街にもフューリア教のカーン帝国都支部があるが、アリアドネのような平民には関わることすら恐れ多い場所である。
「これ、失せ物を見つける占いの機械なんですけど、大まかな方角しかわからなくて。今日一日、あっちこっち手当り次第に探し回ってるんですよ」
男は手に奇妙な道具を持っていた。
棒を三本、テントのように組み合わせた台に、振り子がついている。振り子の先にはペン先のように尖ったものがついていて、テントの下に敷いてある方角を記した地図の上で小さく縁を描くように揺れていた。
「字は読めます?」
「あ、はい」
「この振り子、ここを示してるんですよ」
「あの、探し物をされてるんですよね? 私覚えがないんですけど」
部屋の中から、棚の中身をぶちまける音がした。
ぎょっと振り返ると、ヘソクリとして貯めていた小銭が床に散らばっている。
「やめてください。……いくらフューリア教の方でも、部屋を荒らすなんてひどいです!」
「ごもっともです、いやはや。確認をしたらすぐに出ていくので。あ、もちろんすべて弁償します。おカネじゃないって話ですが、俺たちとしても、どうしてもやらなければならないことなんです。人命に等しいものがかかってまして」
申し訳なさそうに言われて、アリアドネは怒りが消えるのを感じた。
アリアドネに危害は加えないようだし、弁償してくれるのならば、よいだろう。
部屋を荒らされるのは腹立たしいが、彼らには彼らの仕事がある。
何より、権力のある者には従った方が身のためだというのは、安全に生きていく上での常識だった。
「わかりました。好きなだけ確認してください。何を探してるのか知りませんが、私の家にあるはずありませんので」
ふと、部屋の中を家探ししている男が寝室に向かうのが見えた。
「待って、そっちにはリリアンがいるの!」
「娘さんですか? あの方も聖職者ですので、決して人を傷つけたりしませんよ」
リリアンは人では無い。
アリアドネは青くなってすぐさま寝室に飛び込んだ。
ベッドの上に堂々と置いてあった桶は、すでに聖職者だという男に見つかっていた。
その男は、震える手をリリアンに伸ばす――。
「やめて!」
アリアドネは勢いよく桶ごとリリアンを抱き込んだ。
手を伸ばした男が、ぎょっとした様子で動きを止めた。
アリアドネを追いかけて寝室にやってきた振り子の男が、二人を見比べる。
「なんです? どうしたんですか?」
「見つけました」
答えたのは、部屋を探し回っていた男だ。
丁寧な口調にも関わらず、命令することに慣れたような絶対的な響きを感じた。
「あったんですか!? どこです?」
「その桶に入っていました」
「桶……?」
はた、と振り子の男がアリアドネを見て、桶を見て、もう一度アリアドネを見た。
なんとも言えない、困ったような情けないような、微妙な表情をしている。
「あの、大事に抱きしめてるようですが、我々はそれを探して――」
アリアドネは、キッと振り子の男を睨みつけた。
もっと早く、彼らが探しているのが物ではなく、魔獣だと気づいていたら、彼らが寝室に入るのを断固として拒否したのに。
「あんまりじゃないですか。聖職者が嘘をつくんですか? 探し物って、リリアンのことだったんですね!」
「リ……リリアン!?」
男が驚いて声を上げた。
「ちょ、待ってください。あなたそれが何かご存知なんですか?」
「魔獣でしょう? 知ってます!」
「……魔獣、って、え、なんでそんなことになってるんです!? 違いますよ!」
「違いません! この子は、生きてるんです。暖かいし少し動くし……」
「妙齢の女性が、そんなもの触っちゃいけません! 本気で魔獣だと思ってるんですか!?」
これが魔獣ではなければ、一体なんだと言うのだろう。
(騙されないわ。大体、この人たちがフューリア教の関係者だって証拠も無いもの!)
アリアドネはじりじりと後ろに下がる。
桶を、絶対に離さないとばかりにしっかりと抱きしめた。
「この子をどうするの?」
「どうって……ええっと……たぶん、本来あるべき所に収めることになるかと思うんですが」
明確な言葉を避けていることに、アリアドネはすぐに気づいた。
どうやら本当のことをアリアドネに教えるつもりは無いらしい。
魔獣は危険な存在だ。
だからこそ売買や飼育が禁じられているのである。
彼らがリリアンを手に入れたあとどのような行動に出るかは、想像にかたくない。
きっと、リリアンを処分するのだろう。
ギリッと奥歯をかみ締める。
渡したくはないが力でこられたら敵わないし、そもそもアリアドネがリリアンを飼うことは不可能だ。
魔獣は飼育が禁じられているうえに、アリアドネには魔獣に関する知識がない。
ぐったりとした瀕死のリリアンを助けることすらできないのである。
「……お願い、この子を殺さないで」
ぽつりと呟くように言う。
振り子を持つ男はぽかんとしたが、すぐに頷いた。
「勿論です! でもそれ、魔獣じゃなくて、ええっと、なんて言えばいいんだ」
「出会って一日だけど、私、この子に救われたのよ」
「え?」
「辛い時、そばに居てくれたの。……許されるなら、ずっとリリアンと生きていきたいくらいなのよ。お願い、この子を助けて」
アリアドネの絞り出すような願いの声は、静寂に消えていく。
男はなんと返事をすべきか迷っているようだった。
「……わかりました」
静寂を破ったのは、先に部屋に入った男だ。
「ずっと、《リリアン》と生きることを許可致しましょう」
「ちょ、大神官様!?」
(大神官……?)
大神官と呼ばれた男がフードを外した。
ふわりと起きた風で、陽光を凝縮したような長い髪が小さく揺れる。
フードの下から現れたのは、この世のものとは思えない美貌だ。
宝石のような濃い紫の瞳が真っ直ぐにアリアドネを見つめてきて、息を呑んだ。
「それに、あなたには責任を取って頂かなくてはなりません」
「責任……不正に魔獣を匿っていた罪ですか?」
「それは魔獣ではありません。呪いで一時的に分離された私の体の一部です」
「そんなわけが――」
はた、と初めてリリアンを見た今朝のことを思い出す。アリアドネは初見で、リリアンを男性のアレと見間違えたのだ。
改めてリリアンをじっと見つめる。
(呪い? 体の一部?)
閉鎖的だった寝室に突如現れたのは、魔獣だから。
――呪いもまた、摩訶不思議な力で常識を捻じ曲げると聞いたことがある。
ほんのり暖かいのは、生き物だからだ。見覚えのない姿をしているのは、犬や猫などの愛玩動物ではなく、魔獣だから。
――呪いで人体から分離された体の一部だから、と言われれば、そちらの方が信憑性がある気がする。
「…………じゃあ、リリアンは」
「私の大切な部分です」
(それって、やっぱり……男性の……っ)
理解した瞬間、衝撃でめまいを覚えた。
ふ、と美貌の男が口元を緩める。
神に選ばれたような特別な美貌がさらに輝きを増す。
ぽかんと、アリアドネは不覚にもその美しさに見惚れてしまった。
「アラン、私の局部も見つかったことですし一度皇宮に戻りましょう。早急に、婚姻の手続きをしなければ」
アランと呼ばれた男が、持っていた振り子の道具を落とした。
ガシャンと結構盛大な音がしたが、アリアドネを含めて誰も反応しない。
それどころではなかったのだ。
アリアドネは、なんだか大変なことが起きてしまうのではという予感に青くなっていた。
「え、え、っと、大神官様。婚姻とおっしゃいますと、誰と誰の……?」
大神官は、その地位に相応しい優美な笑みを浮かべた。
「勿論、私と彼女の婚姻です」
(わ、私?)
唖然としていると、大神官がアリアドネとの距離を詰めた。
「これほどまでに、純粋に私の局部を愛してくださる女性が現れるとは。……私の地位や見目ではなく、純粋に局部を……」
「あの、言葉だけ聞くと私とんでもない変態みたいなんですが……」
決して局部を愛したのではなく、魔獣のリリアンを大切にしたかったのだ。それに、まさか男性の局部だけが密室になっていた寝室に落ちているなど、誰が想像できただろう。
男性のソレを象った玩具ならばまだしも本物だなんて、常識的に考えても有り得ないではないか。
しかしそのことを訴える前に、大神官の伸ばした手がアリアドネの頬に触れた。
「何より、あなたには責任を取って頂かねばなりません」
「さっきも言ってましたね。あの、責任って」
「勿論婚姻のことです。あなたは私の大切な部分を見たのですから」
「そ、それは、さすがに不可抗力じゃ……」
「あなたでしたら、いかがですか? 不本意で己の大事な部分がどこかに消えてしまい、それを見知らぬ異性が大切に持っていたら」
まるで睡眠導入剤のような柔らかな声で言い聞かせるように言われて、アリアドネは想像する。
想像して血の気が引いた。
「それってすごく気持ち悪い……」
「私もです。ですが、あなたは私の局部を大切にしてくださりました」
「……魔獣だと思ってたので」
「そのお優しい心に、私は心を奪われてしまったようです」
(なんでそうなるの!?)
にっこり、と微笑む大神官。
しかし。
(……あら?)
彼の美貌はより輝きを増すが、言葉から受ける印象は社交辞令のそれと変わらない。
まるで、決められた台本を読んでいるようだ。
アリアドネは胸中で首をかしげるものの、実際には深く頭を下げた。
「大変失礼致しました。その、大切な部分はお返しします」
「ありがとうございます」
アリアドネは強引に桶を押し付けるようにして手渡すと、精一杯の笑顔を浮かべて見せた。
かなり引きつってしまったが、神官はとても身分の高い崇高なる存在である。大神官ともなると、さらに偉い人に違いない。
アリアドネのような平民が仏頂面で話すのは、失礼だろう。
無礼を働いたという点については、今更手遅れな気もするけれど。
「……婚姻というのは、冗談ですよね?」
「冗談でそのようなことは言いませんよ。安心してください」
「私、平民ですよ?」
「神のもとでは皆が平等なのです」
「神官様は、独身でなければならないと聞きました」
「その通りです。大神官はその強大な力を子に継がせる必要があるため一夫多妻を推奨されておりますが、神官は清い身でなければなりません。よくご存知ですね」
別に大神官と神官の違いを知っているぞ、と知識を自慢したいわけではない。そもそもそんなことアリアドネが知るはずもなく、当たり前のように大神官も神官同様に未婚でなければならないのだと考えていた。
大神官は桶をベッドに置くと、アリアドネの手を取った。
「あなたに一目惚れをしました。これからの生涯、共にありましょう」
キラキラと期待する瞳と甘やかな笑顔を向けられて、アリアドネは固まってしまう。
頭が混乱していたし、魔獣が魔獣でなかったことがショックで、勘違いしていた自分が恥ずかしくもあった。加えて、自分の行動を思い返すと、申し訳なくて消えてしまいたくなる。
不可抗力だったとはいえ彼を辱めてしまったのだから、『責任を取れ』と言われても仕方が無いのかもしれない。
「そのように喜んで頂けるなんて、私も嬉しい限りです」
「……え?」
何も返事をしていないのだが。
無礼だと思いながらも、つい不満げに大神官を見てしまう。
「言葉にせずとも、お気持ちはしっかりと私に伝わっておりますよ」
微塵も伝わってないと全力で言い切れる。
しかし、にっこり笑顔の大神官を前にすると、彼を傷つけてはいけないような気がして言葉が喉に詰まったような感覚がした。
どうすればいいのか分からずに、アリアドネは助けを求めるようにアランを見た。
「ま、まぁ、結婚は人生の一大イベントですからね! 一度皇宮に戻ってから、じーっくり考えるっていうのはどうですか?」
アランが露骨な作り笑いを浮かべながら声を張り上げた。
「我々も朝からずっと探し続けて疲れてますし。ね、大神官様」
「そうですね。一度、皇宮に戻りましょう」
大神官が、当たり前のようにアリアドネの腰に手を回す。
そこでやっと、アリアドネははっきりと気持ちを伝えることにした。
「あ、あ、あの、私は行きません! ここでの生活がありますから」
「おや、そうなのですか。でしたら私が大神官を退官し、あなたとここで暮らしましょう」
「「え……?」」
アリアドネとアランの呟きを最後に、しんと静寂が下りる。
「――というわけです。アラン、私は大神官の地位を返上致しますので、手続きを」
「いやいやいやいや! 何言ってんですか!?」
我に返ったように、アランが声を張り上げた。
「婚約なさるんですよね? それなら、大神官様が大神官の地位にいるほうが、こちらの女性のためになると思いますよ!」
アリアドネはぎょっとしてアランを振り返った。
彼の額にはこれでもかというほど汗の粒が浮いている。誰が見ても必死だった。
「と、とにかく、皇宮で話し合いましょう。大神官の地位を降りるなんて、とんでもない……あ、そちらの女性もぜひ、皇宮へ」
でも、と言いかけて口を噤む。
大神官は本気でアリアドネと一緒にここで暮らすつもりなのだろうか。
美人でもない平民のアリアドネを気に入る理由が思い浮かばない。しかも出会ってすぐなので、お互いの性格どころか名前すら知らないのだ。
それに、彼の言葉はなんとなく上辺だけのような気がした。
大神官の地位にある方が、嘘などつくはずもないのだけれど。
(強引に断るのも、失礼かしら)
それならば落ち着いてもう一度話し合い、はっきりと断った方がいいだろう。
アリアドネは仕方なく、同行することに同意したのだった。
近隣住民の誰かだろう、と思いながらドアを開くと、フードを目深に被った男が立っていた。
(誰……?)
人数は二人。
どちらも背が高い。
「あの?」
首を傾げた瞬間、片方の男がアリアドネを押しやって部屋に入ってきた。
驚きと恐怖で身体が強ばる。このまま押し倒されてひどい目に合わされるかもしれない。
身構えるけれど、男はアリアドネを通り過ぎて部屋を物色し始めた。棚や荷物、買い置きの果物までひっくり返している。
「ちょ、な、なんなの?」
「いやぁ、すみません」
ぬっと、もう一人の男がアリアドネの目の前で身を屈めた。目線を合わせてくれたのだとわかったが、なにぶん、目深にフードを被っているので顔はよく見えない。
そのことに男も気づいたようで、「っとと、失礼しました」と言いながらフードを外した。
焦げ茶色の髪と瞳を持っている男だった。
しかし彼の容貌よりもアリアドネが気になったのは、詰襟のところに刺繍された太陽と月を象った紋章である。
それは、フューリア教が掲げる紋章だった。
「フューリア教……の、人?」
「え? あ、よくわかりましたね。下の階の方はなかなか信じて下さらなかったんで、先に察してもらえると助かります」
フューリア教とは、カーン帝国どころか大陸全土で主流の教団だ。
貴族街にもフューリア教のカーン帝国都支部があるが、アリアドネのような平民には関わることすら恐れ多い場所である。
「これ、失せ物を見つける占いの機械なんですけど、大まかな方角しかわからなくて。今日一日、あっちこっち手当り次第に探し回ってるんですよ」
男は手に奇妙な道具を持っていた。
棒を三本、テントのように組み合わせた台に、振り子がついている。振り子の先にはペン先のように尖ったものがついていて、テントの下に敷いてある方角を記した地図の上で小さく縁を描くように揺れていた。
「字は読めます?」
「あ、はい」
「この振り子、ここを示してるんですよ」
「あの、探し物をされてるんですよね? 私覚えがないんですけど」
部屋の中から、棚の中身をぶちまける音がした。
ぎょっと振り返ると、ヘソクリとして貯めていた小銭が床に散らばっている。
「やめてください。……いくらフューリア教の方でも、部屋を荒らすなんてひどいです!」
「ごもっともです、いやはや。確認をしたらすぐに出ていくので。あ、もちろんすべて弁償します。おカネじゃないって話ですが、俺たちとしても、どうしてもやらなければならないことなんです。人命に等しいものがかかってまして」
申し訳なさそうに言われて、アリアドネは怒りが消えるのを感じた。
アリアドネに危害は加えないようだし、弁償してくれるのならば、よいだろう。
部屋を荒らされるのは腹立たしいが、彼らには彼らの仕事がある。
何より、権力のある者には従った方が身のためだというのは、安全に生きていく上での常識だった。
「わかりました。好きなだけ確認してください。何を探してるのか知りませんが、私の家にあるはずありませんので」
ふと、部屋の中を家探ししている男が寝室に向かうのが見えた。
「待って、そっちにはリリアンがいるの!」
「娘さんですか? あの方も聖職者ですので、決して人を傷つけたりしませんよ」
リリアンは人では無い。
アリアドネは青くなってすぐさま寝室に飛び込んだ。
ベッドの上に堂々と置いてあった桶は、すでに聖職者だという男に見つかっていた。
その男は、震える手をリリアンに伸ばす――。
「やめて!」
アリアドネは勢いよく桶ごとリリアンを抱き込んだ。
手を伸ばした男が、ぎょっとした様子で動きを止めた。
アリアドネを追いかけて寝室にやってきた振り子の男が、二人を見比べる。
「なんです? どうしたんですか?」
「見つけました」
答えたのは、部屋を探し回っていた男だ。
丁寧な口調にも関わらず、命令することに慣れたような絶対的な響きを感じた。
「あったんですか!? どこです?」
「その桶に入っていました」
「桶……?」
はた、と振り子の男がアリアドネを見て、桶を見て、もう一度アリアドネを見た。
なんとも言えない、困ったような情けないような、微妙な表情をしている。
「あの、大事に抱きしめてるようですが、我々はそれを探して――」
アリアドネは、キッと振り子の男を睨みつけた。
もっと早く、彼らが探しているのが物ではなく、魔獣だと気づいていたら、彼らが寝室に入るのを断固として拒否したのに。
「あんまりじゃないですか。聖職者が嘘をつくんですか? 探し物って、リリアンのことだったんですね!」
「リ……リリアン!?」
男が驚いて声を上げた。
「ちょ、待ってください。あなたそれが何かご存知なんですか?」
「魔獣でしょう? 知ってます!」
「……魔獣、って、え、なんでそんなことになってるんです!? 違いますよ!」
「違いません! この子は、生きてるんです。暖かいし少し動くし……」
「妙齢の女性が、そんなもの触っちゃいけません! 本気で魔獣だと思ってるんですか!?」
これが魔獣ではなければ、一体なんだと言うのだろう。
(騙されないわ。大体、この人たちがフューリア教の関係者だって証拠も無いもの!)
アリアドネはじりじりと後ろに下がる。
桶を、絶対に離さないとばかりにしっかりと抱きしめた。
「この子をどうするの?」
「どうって……ええっと……たぶん、本来あるべき所に収めることになるかと思うんですが」
明確な言葉を避けていることに、アリアドネはすぐに気づいた。
どうやら本当のことをアリアドネに教えるつもりは無いらしい。
魔獣は危険な存在だ。
だからこそ売買や飼育が禁じられているのである。
彼らがリリアンを手に入れたあとどのような行動に出るかは、想像にかたくない。
きっと、リリアンを処分するのだろう。
ギリッと奥歯をかみ締める。
渡したくはないが力でこられたら敵わないし、そもそもアリアドネがリリアンを飼うことは不可能だ。
魔獣は飼育が禁じられているうえに、アリアドネには魔獣に関する知識がない。
ぐったりとした瀕死のリリアンを助けることすらできないのである。
「……お願い、この子を殺さないで」
ぽつりと呟くように言う。
振り子を持つ男はぽかんとしたが、すぐに頷いた。
「勿論です! でもそれ、魔獣じゃなくて、ええっと、なんて言えばいいんだ」
「出会って一日だけど、私、この子に救われたのよ」
「え?」
「辛い時、そばに居てくれたの。……許されるなら、ずっとリリアンと生きていきたいくらいなのよ。お願い、この子を助けて」
アリアドネの絞り出すような願いの声は、静寂に消えていく。
男はなんと返事をすべきか迷っているようだった。
「……わかりました」
静寂を破ったのは、先に部屋に入った男だ。
「ずっと、《リリアン》と生きることを許可致しましょう」
「ちょ、大神官様!?」
(大神官……?)
大神官と呼ばれた男がフードを外した。
ふわりと起きた風で、陽光を凝縮したような長い髪が小さく揺れる。
フードの下から現れたのは、この世のものとは思えない美貌だ。
宝石のような濃い紫の瞳が真っ直ぐにアリアドネを見つめてきて、息を呑んだ。
「それに、あなたには責任を取って頂かなくてはなりません」
「責任……不正に魔獣を匿っていた罪ですか?」
「それは魔獣ではありません。呪いで一時的に分離された私の体の一部です」
「そんなわけが――」
はた、と初めてリリアンを見た今朝のことを思い出す。アリアドネは初見で、リリアンを男性のアレと見間違えたのだ。
改めてリリアンをじっと見つめる。
(呪い? 体の一部?)
閉鎖的だった寝室に突如現れたのは、魔獣だから。
――呪いもまた、摩訶不思議な力で常識を捻じ曲げると聞いたことがある。
ほんのり暖かいのは、生き物だからだ。見覚えのない姿をしているのは、犬や猫などの愛玩動物ではなく、魔獣だから。
――呪いで人体から分離された体の一部だから、と言われれば、そちらの方が信憑性がある気がする。
「…………じゃあ、リリアンは」
「私の大切な部分です」
(それって、やっぱり……男性の……っ)
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ガシャンと結構盛大な音がしたが、アリアドネを含めて誰も反応しない。
それどころではなかったのだ。
アリアドネは、なんだか大変なことが起きてしまうのではという予感に青くなっていた。
「え、え、っと、大神官様。婚姻とおっしゃいますと、誰と誰の……?」
大神官は、その地位に相応しい優美な笑みを浮かべた。
「勿論、私と彼女の婚姻です」
(わ、私?)
唖然としていると、大神官がアリアドネとの距離を詰めた。
「これほどまでに、純粋に私の局部を愛してくださる女性が現れるとは。……私の地位や見目ではなく、純粋に局部を……」
「あの、言葉だけ聞くと私とんでもない変態みたいなんですが……」
決して局部を愛したのではなく、魔獣のリリアンを大切にしたかったのだ。それに、まさか男性の局部だけが密室になっていた寝室に落ちているなど、誰が想像できただろう。
男性のソレを象った玩具ならばまだしも本物だなんて、常識的に考えても有り得ないではないか。
しかしそのことを訴える前に、大神官の伸ばした手がアリアドネの頬に触れた。
「何より、あなたには責任を取って頂かねばなりません」
「さっきも言ってましたね。あの、責任って」
「勿論婚姻のことです。あなたは私の大切な部分を見たのですから」
「そ、それは、さすがに不可抗力じゃ……」
「あなたでしたら、いかがですか? 不本意で己の大事な部分がどこかに消えてしまい、それを見知らぬ異性が大切に持っていたら」
まるで睡眠導入剤のような柔らかな声で言い聞かせるように言われて、アリアドネは想像する。
想像して血の気が引いた。
「それってすごく気持ち悪い……」
「私もです。ですが、あなたは私の局部を大切にしてくださりました」
「……魔獣だと思ってたので」
「そのお優しい心に、私は心を奪われてしまったようです」
(なんでそうなるの!?)
にっこり、と微笑む大神官。
しかし。
(……あら?)
彼の美貌はより輝きを増すが、言葉から受ける印象は社交辞令のそれと変わらない。
まるで、決められた台本を読んでいるようだ。
アリアドネは胸中で首をかしげるものの、実際には深く頭を下げた。
「大変失礼致しました。その、大切な部分はお返しします」
「ありがとうございます」
アリアドネは強引に桶を押し付けるようにして手渡すと、精一杯の笑顔を浮かべて見せた。
かなり引きつってしまったが、神官はとても身分の高い崇高なる存在である。大神官ともなると、さらに偉い人に違いない。
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「……婚姻というのは、冗談ですよね?」
「冗談でそのようなことは言いませんよ。安心してください」
「私、平民ですよ?」
「神のもとでは皆が平等なのです」
「神官様は、独身でなければならないと聞きました」
「その通りです。大神官はその強大な力を子に継がせる必要があるため一夫多妻を推奨されておりますが、神官は清い身でなければなりません。よくご存知ですね」
別に大神官と神官の違いを知っているぞ、と知識を自慢したいわけではない。そもそもそんなことアリアドネが知るはずもなく、当たり前のように大神官も神官同様に未婚でなければならないのだと考えていた。
大神官は桶をベッドに置くと、アリアドネの手を取った。
「あなたに一目惚れをしました。これからの生涯、共にありましょう」
キラキラと期待する瞳と甘やかな笑顔を向けられて、アリアドネは固まってしまう。
頭が混乱していたし、魔獣が魔獣でなかったことがショックで、勘違いしていた自分が恥ずかしくもあった。加えて、自分の行動を思い返すと、申し訳なくて消えてしまいたくなる。
不可抗力だったとはいえ彼を辱めてしまったのだから、『責任を取れ』と言われても仕方が無いのかもしれない。
「そのように喜んで頂けるなんて、私も嬉しい限りです」
「……え?」
何も返事をしていないのだが。
無礼だと思いながらも、つい不満げに大神官を見てしまう。
「言葉にせずとも、お気持ちはしっかりと私に伝わっておりますよ」
微塵も伝わってないと全力で言い切れる。
しかし、にっこり笑顔の大神官を前にすると、彼を傷つけてはいけないような気がして言葉が喉に詰まったような感覚がした。
どうすればいいのか分からずに、アリアドネは助けを求めるようにアランを見た。
「ま、まぁ、結婚は人生の一大イベントですからね! 一度皇宮に戻ってから、じーっくり考えるっていうのはどうですか?」
アランが露骨な作り笑いを浮かべながら声を張り上げた。
「我々も朝からずっと探し続けて疲れてますし。ね、大神官様」
「そうですね。一度、皇宮に戻りましょう」
大神官が、当たり前のようにアリアドネの腰に手を回す。
そこでやっと、アリアドネははっきりと気持ちを伝えることにした。
「あ、あ、あの、私は行きません! ここでの生活がありますから」
「おや、そうなのですか。でしたら私が大神官を退官し、あなたとここで暮らしましょう」
「「え……?」」
アリアドネとアランの呟きを最後に、しんと静寂が下りる。
「――というわけです。アラン、私は大神官の地位を返上致しますので、手続きを」
「いやいやいやいや! 何言ってんですか!?」
我に返ったように、アランが声を張り上げた。
「婚約なさるんですよね? それなら、大神官様が大神官の地位にいるほうが、こちらの女性のためになると思いますよ!」
アリアドネはぎょっとしてアランを振り返った。
彼の額にはこれでもかというほど汗の粒が浮いている。誰が見ても必死だった。
「と、とにかく、皇宮で話し合いましょう。大神官の地位を降りるなんて、とんでもない……あ、そちらの女性もぜひ、皇宮へ」
でも、と言いかけて口を噤む。
大神官は本気でアリアドネと一緒にここで暮らすつもりなのだろうか。
美人でもない平民のアリアドネを気に入る理由が思い浮かばない。しかも出会ってすぐなので、お互いの性格どころか名前すら知らないのだ。
それに、彼の言葉はなんとなく上辺だけのような気がした。
大神官の地位にある方が、嘘などつくはずもないのだけれど。
(強引に断るのも、失礼かしら)
それならば落ち着いてもう一度話し合い、はっきりと断った方がいいだろう。
アリアドネは仕方なく、同行することに同意したのだった。
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