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 目を開けた瞬間、その光景は、幼い私には悪夢でしかなかった。横倒しになった馬車から、なんとか這い出せば、外の世界はただ赤く染まっていた。

 むせかえるような熱気と、炎、そしてもう誰のものか分からない血の海。先ほどまで繋いでいたはずの母の手はない。


「だれか……お母様……おかーさまーーーー!」


 辺りを見渡しても、横転した馬車の中にも母の姿はない。振り絞る様に出した声も、この怒号の中では誰も気づきはしないだろう。

 何がどうなってしまったの。私はどうしたらいいの。怖い……怖い。誰か助けて!

 逃げなけれな。本能でそう思うのに、足が地面に張り付いたように動こうとはしない。目の前にいるのが、自国の騎士なのか、それとも違うのか……。それすらも分からない恐怖。


「ああ……」

「王女殿下」


 ふいに後ろから大きな声をかけられ、振り返る。黒い髪に、灰色の瞳。城を出発する前に、お父様から直接紹介された若き護衛騎士だ。胸にはもちろん、我が国の紋章がある。


「……し……シリル……さま?」

「絶対に助けます、王女殿下」 


 私は立ち上がれぬまま、彼に手を伸ばす。すると彼はそのまま私を片手で抱き上げた。泣きたいはずなのに、その腕の中では不思議な安心感があった。

 大きな剣を手に持ち敵をなぎ倒していく。私はその彼の胸に顔を押し付け、ただ時が過ぎるのを待つしか出来なかった。


「少し、休憩しましょう」


 シリルの声で顔を上げる。先ほどまで聞こえていた怒号は、いつしか消えていた。辺りはいつもの鬱蒼とした静かな森である。

 私たち助かったのかしら。
 

「シリル様、あ、あなた怪我を」

「ああ、これですか。大丈夫ですよ、王女殿下」


 私を抱きかかえながらの戦闘。片手での不便な戦闘のせいで、彼の頬には大きな傷が出来、そこからは血が流れていた。


「なにも大丈夫ではないではないですか」

「それほど深いものではありませんよ」

「ダメです。とにかく座って」


 シリルの腕から降りると、そのまま木を背させてシリルを座らせた。

 何かで止血しないと。ばい菌でも入ったら大変なことになるわ。どうしたらいいのかしら。

 何か止血するものをと考えても、荷物は全てあの馬車の中だ。ぐるぐると、シリルの周りを回って考えると、肩で息をしているシリスが笑った。

 こんな状況でも、こんなに傷ついても、笑える人なんだ……。そしてそんな笑顔が、私の心を落ち着かせる。

 ああ、本当にこの人は強い人なのね。私が今彼に出来ることは何かないかしら。私のせいで怪我をしたのに、このまま見ているだけなんて絶対に嫌よ。


「そーだ!」

「お、王女殿下、な、何をなさるのですか!」


 シリルの静止を聞かず、私はドレスの中に着ている下着を引き裂く。外のドレスは土埃や誰とも分からない血がついていたが、中に着ていたものはさすがに汚れてはいない。

 子どもの私でも簡単に破れたその布を丁寧に折りたたみ、シリルの頬にあてた。
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