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27.悪意
しおりを挟む少しずつ強くなる雨が、私たちの体を濡らしていた。
前には強く私の手を引くセレナがいて、振り返れば衛兵が後に着いてきている。
何か、漠然とした不安があった。
しかしきっと久しぶりに外に出たからだろうと、気にしないようにした。
後のお咎めは怖いけれど、人命が掛かっているなら迷ってなんていられない。
そう思って、医務室を目指していた筈だった。
なのに、何故かセレナは礼拝堂の前でピタリと足を止めた。
セレナ? 声を掛けても彼女は振り返らない。
「どうし─…ひぁっ!?」
突如として浮遊感に襲われたかと思えば、衛兵に担ぎ上げられた。
わけがわからないまま礼拝堂の中へと連れられて、地面へと投げ置かれる。
手荒な扱いに痛みを覚えるけれど、それよりも、手を付いた拍子にべしゃりと鳴った音と、ほんのりと粘度を含んだ液体の感触、生臭く、鉄のような鼻に付く香りに、心臓が冷える。
暗がりの中、辺りは見渡せず、ただどうしてだか、
「あは、あははははっ!」
彼女が酷く可笑しそうに笑う声だけが響いた。
「よかったぁ! 上手くいって!」
ねぇ早く灯りを付けて頂戴、そう弾んだ声は、確かにセレナのものだけれど、
「レネ様~、貴女にプレゼントがあるのよ」
夜の闇と朧げに灯された光とが目に馴染んだ時、自分の手のひらが赤く染まっていて、二人、傍らで横たわっているのが見えた。
「ぁ、」
喉の奥から、震えた声が溢れる。
声だけでなく、這い上がる震えが指先から全身へと広がって、次第にカタカタと奥歯を鳴らしていた。
血を流し横たわっているのは、
「ぁ、ああっ、セレナ、ウィル、なんで、」
這いずるようにして近寄る。
正気のない顔色をしたウィルと、セレナは…見覚えのある癖のある栗色の髪やシルエットで、間違いようもない、なのに彼女の顔は──
「貴女が悪いのよ? いつまで経っても引き籠って出て来やしないから。誘き出そうと思ったんだけど、変身魔法なんて難しいもの、本人の皮でも無い限りできなくてね。そのせいで随分な手間を取られたわ」
目を覆いたくなるような惨状に、思わず口元を押さえた。
「っ、直ぐ、治します、治しますからっ…」
二人を抱き込むように覆い被さり、治癒を施す。
「男の方に用はなかったのだけど、シスターを庇ったりなんてするから。でも庇い損よねぇ。結局ショックで動けなくなって、彼女まともに逃げもできなかったんだから」
幸い二人とも息はある。
大丈夫、大丈夫、二人に言い聞かせるように呟きながら、自分に言い聞かせていた。
「そうそう、綺麗に治してあげてね」
耳が鼓動しているかのように騒がしい。ドクドクと全身が脈打つようなのは、単なる動悸か、それとも一度に魔力を使いすぎているからか、この際そんなことはどうでもいい。
一心不乱に、力を込めた。
背後から、パチパチと乾いた音が響く。
二人を治しきり、呼吸が落ち着いているのを確認してから背後を振り返れば、笑顔を浮かべてこちらに拍手を送るクリスティナ様がいた。
「貴女って本当に器用なのねぇ。シスターのお顔も傷一つ無く綺麗に治っているわ」
私はそういう肩の凝るような魔法は好きじゃないから尊敬しちゃう。クリスティナ様は心の籠らない声音で、こちらを嘲笑うような表情を浮かべて言う。
「貴女が、こんなに酷いことをしたのですか?」
どうして、と問えば、私じゃないわ、と彼女はけろりと答えた。
突然強く背を押され、壇上に立つ彼女の足元へと倒れ込む。
疲弊した体は力が入りづらく、立ち上がる前に彼女に髪を引かれた。痛みに喘げば彼女は嬉しそうに笑みを深めていて、ぞっと悪寒が走った。
「さぁ、まだ仕事が残っていましてよ」
そう言って離れた彼女と入れ替わるように近づいてきた人影が、私に覆いかぶさってきた。
大袈裟な程に体が震える。乱雑な手に仰向けに転がされ、衛兵がこちらを見下ろして卑しい笑みを浮かべていた。
震える手を伸ばす。
洗脳ならば、解くことができる、でも、
「金が貰えて女も抱けるなんていい仕事だなぁ」
彼は私の手を掴み、そのまま手のひらを舐め上げた。
引きつった声が漏れる。彼は私の知っている彼ではない。
「ほ、本物の彼は、どこにいるのですか…!?」
「他人の心配よりも自分の身を心配なさったら? でもご安心なさって。シスターと同じく触媒の為に色々と頂戴しましたけど、ちゃんと生かしていますから。全部が終わったら彼のことも治してもらわないとね」
そうすれば誰も傷つかずに終われるでしょう?
「そして貴女は、顔も知らない誰かとの子を孕んで王宮を出て行くの。大丈夫、処罰はあるかもしれないけど、命を取られたりまではきっとしないわ。だって殿下は貴女にそこまで興味がないでしょうから」
ほら、最良のシナリオだと、彼女は手を合わせパッと笑顔を咲かせる。
「後の弁解などはご自由にどうぞ? 少々手荒な準備はこちら、プロの傭兵の方にお願いしましたから。私は一切疑われる余地などありませんし──」
クリスティナ様は嘲笑が抑えられないとでも言いたげに、口元を隠して続けた。
「誰も淫女の言葉なんて信じませんわよねぇ」
どうして、そう情けなく掠れた声で問いかけた。
「ええ? それ本当に聞いてる? 言わなくたって分かるでしょう? 貴女が邪魔だからよ」
そんな、そんな理由一つで、ここまで惨いことが出来るものなのか──私の疑問を察したのか、彼女は瞳を細め「愛しているから」と、まるで大義名分のように言う。
「貴女のような能天気なお子様には分からない感情よねぇ? 私、殿下を心の底から愛しているの。あの方と結ばれるためなら、どんな試練だって乗り越えてみせる。邪魔なものはこの手で排除するわ。貴女さえいなければ私たちはじっくり愛し合っていけるもの」
罪の意識など微塵も感じさせない、正しい行いであるかのように彼女は主張する。
奪われた立場を取り返すだけ、愛する人を他の女にむざむざと渡してたまるものか。
何より、お前のような人間が彼の隣に立てるなどと驕るなと、言葉が降り注がれた。
「私、貴女みたいな女だ~い嫌い。強請りも、手を伸ばしもできない人間が何かを得られると思っているの? まるで望みなんてないみたいに振舞って、純情ぶりっ子も大概にしてもらえないかしら。良い子のフリして憐憫を誘っているだけでしょう? でも残念ながら、あの方が愛しているのは私なの。あー可哀想。貴女ってとっても可哀想」
可哀想、可哀想。可哀想ねぇ~────それで?
がばりと口を開けて、お腹を抱えて、彼女は高らかに笑った。
「だからって、誰にも愛してなんか貰えないわよ?」
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