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番外編《ルチアの触手》

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「―――ッ、ルチア、上!」
「え……?」

 エランの必死な声に対して、ルチアの声はどこか気が抜けていた。
 あと少し早く気がついていれば、間に合ったかもしれないのに―――、ルチアの腰のあたりに赤い飛沫しぶきが散る。

「……っ」

 ルチアが息を飲んだのが聞こえた。
 だがまだ、自分の身に起きたことをはっきり理解はできていないようで、啞然とした表情で自分の腰のあたりを見下ろしている。

「何……これ」

 ルチアのローブが赤い液体で染まっていた。
 だが、血ではない。
 その赤いものの正体が気になったのか、ルチアがおもむろに手を伸ばす。指先がローブに触れる前に、エランがそれを阻止した。

「……触るなよ。それ、ロシュだろ」
「ロシュ……?」
「その汁の原料になってる木の実の名前だ。壁に塗って魔物避けにする。知らないのか? ―――というか、お前は平気か?」
「魔物避け? これが……?」

 ルチアのローブに付いた赤い液体は、魔物避けとして使われるロシュのしぼり汁だった。
 ロシュは森で取れる小さな木の実の名前だ。ロシュの樹の周りには魔物が寄りつかないことで有名で、その木の実は魔物避けとしてよく使われていた。
 二人の足元にはそのしぼり汁が入っていたと思われる、小さなバケツが転がっている。どうやらこれが上から落ちてきたらしい。
 ルチアはロシュを赤い染みを見つめている。エランはそのルチアの横顔をじっと見ていた。

 ―――魔物避けは魔族には効かないのか?

 体調に変化はなさそうか、エランはルチアを観察する。
 特に顔色が悪そうな感じはしない。半魔であるルチアにこれは効果がないのかもしれない。

「すいませーん」

 そう言って隣の建物から駆け出してきたのは、エランよりも少し背の高い青年だった。
 年はエランと同じぐらいだろうか。短く切りそろえた赤毛と、鼻のあたりに散ったそばかすが特徴的な青年だ。腰のあたりにロシュの汁で汚れた前掛けをしている。
 もしかして、彼は―――、

「あちゃー……ばっちり、かかっちゃってますね」

 やはり、このバケツを落とした張本人のようだった。
 地面に落ちたバケツと汚れてしまったルチアのローブを交互に見ながら、頭をぼりぼりと掻いている。申し訳なさそうに眉尻を下げ、エランたちに向かって頭を下げた。

「本当にすいません……それ、大丈夫じゃないっすよね……」

 誰がどう見ても大丈夫ではない。
 ロシュのしぼり汁は、べったりとルチアのローブを汚している。右腰あたりから裾まで、拭いてどうにかなる状態ではなさそうだ。

「これは一度ついたら取れないのか?」
「……ええと、ストゥの薄め液に一晩漬けこまないと無理っすね。もし、そのローブを預かっても大丈夫でしたら、もちろんやらせてもらいますけど」
「……だそうだ。ほらルチア、それを脱げ」
「え……、でも、それは」
「なんだ。不便でもあるのか?」

 ルチアはすぐにローブを脱がなかった。何やら渋っている。
 何か特別なローブというわけでもないというのに。今、着ているものだって、先日街に来ていた行商人から買ったものだ。エランが着ているものに比べれば多少値は張るものだったが、だったら余計に綺麗にしてもらったほうがいい。
 ダメ元であってもこの青年に預けてみるべきだとエランは考えていたが、ルチアはどうも違うようだった。

「あ、オレはここで塗装師をしてるレッチャってもので、……ちょっと待ってください。ええっと、身分証は……」

 眉間に皺を寄せたままのルチアを見て自分の素性を疑われていると感じたのか、レッチャは一度建物の中に引っ込んでいった。
 身分証を取ってくるつもりらしい。
 二人きりになり、エランはルチアのほうに一歩近づく。

「どうしたんだ」
「……いや、んーっと」
「脱ぎたくないのか? だが、そんなに汚れては着ていられないだろ?」
「そう、なんだけど……」
「だったら脱げ」

 ルチアはなんだか、はっきりとしない返事ばかりを繰り返す。痺れを切らしたエランは、強引にそのローブを手を掛けた。無理やり脱がせる。
 普段、家では着ていないのだから、今ここでローブを着ていなくとも、なんの問題もないだろう。

「あ、ちょっと」

 ルチアの背丈に合わせたローブはエランが持つと引きずるほどに長い。
 それを適当にくるくると丸めていると、身分証を手に持ったレッチャが建物から出てくる姿が見えた。

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