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第二部 六章:余計な

エピローグ What Color Does It Look Like――b

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 レーラーが乾いた笑みを浮かべたせいか、フリーエンは黙り、レーラーも黙る。
 話が理解できず、また進まないのを悟り、夕食の準備に戻ったライゼが鳴らす包丁や水の音以外が聞こえない。 

 俺はそんな静寂の中で、少しだけ心の中で溜息を吐きながら更に丸まった。

「……トレーネは……トレーネは元気だったか」

 そしてフリーエンが重苦しい空気の中、ようやく皺が刻まれた口周りを動かし、レーラーに訊ねた。
 心配するような、後ろめたさがあるような、悲しいような声音だ。

 問われたレーラーは直ぐには答えず、半眼だった瞼を開き、フリーエンを見定めた。澄んだ翡翠の瞳が光に反射している。
 そして数秒か、数十秒か経った後、丸まっていた俺を掴んで掌に乗せた後、溜息を吐きながら艶やかな唇を開いた。

「喧嘩別れしたでしょ。それか、口足らずで誤解させたか」
「……」

 フリーエンは押し黙る。
 図星なのか如何なのかわからないが、目を伏せている。その姿は、厳つく背が高く、堅強な肉体を持つ先程の姿と似ても似つかず、ただ弱り切った老人がいた気がした。

 掌に乗っている俺はチラリとレーラーを見た。
 だが、天上に吊るされている光の影がレーラーの顔を埋め尽くし、ハッキリとした表情は見えなかった。けど、掌から感じる震えは悲しさだろう。

「良い師匠だったらしいね。私よりもずっと」

 レーラーは鍋で何かを煮込んでいるライゼの後姿をチラリと見る。
 俺もライゼもレーラーをとても良い師匠だと思っているが、レーラーの自己評価は違うらしい。

「トレーネが真摯に取り組んだのもあるだろうけど、闘気と魔力の同時操作の技術を身に付けるのは良い師が必要だ。根気よく弟子に付き合い、弟子がもつ感覚を受け入れて、導く必要があるから」

 つまり、フリーエンはそれができるってわけか。
 凄いな。フリーエンもトレーネも。それができるってことは、強力な武器が二つもあるってことだ。いや、三つか。

 いや、そもそもそんな話をしているわけではない。

「それにいくら才能を持ち、洗礼を受けようとも、真実を見て向き合う強さと優しい心がなければ神聖魔法は使えない。使えたとしても王級ほどの魔法は使えない。両方ともフリーエンが日常生活で教えたんだと、いや、フリーエンの生き様から学び取ったのかな。まぁ、どっちにしろ心技ともに良い師匠だったと思う」
「……やけに饒舌だな」

 押し黙っていたフリーエンが少しだけ苛立ちを含んだ呟きをレーラーに向けた。
 レーラーは歯牙にもかけない。

「ねぇ、トレーネはフリーエンがあと一年半後に死ぬことを知ってるの? フリーエン。フリーエンがどう思っているかは知らないけど、トレーネはフリーエンの事を師匠だけじゃなくて親だとも思ってる。あの子が漏らした小さな叫びがそれを表してた」

 親か。
 岩人ドワーフとしてはまだ子供だったらしいしな。それは普通に親だと思う……いや、どうなんだろ。ライゼと老人の関係に似ている気がする。
 だとしたら。

「何で〝視界を写す魔法ヴィジィフォトゥ〟で写真を撮ってもらおうとした? 何で私たちのパーティーにトレーネを入れる事を望んだ? それにこのボロい本は何?」
「……」
「どういう意図があってそれを望んだかは知らない。けど、大切な人が知らない内に死んでるのは本当に悲しい事だ。辛く苦しい事だ。トレーネにその苦しさを一生背負わせるの?」

 フリーエンの言葉が強くなった。覇気が混じり、怒気と悲しみが入り乱れる。
 掌から震えが伝わってくる。

「…………はぁ。レーラー。そんな顔をするな」

 そして俺の背中に水が落ちる。
 部屋は明るいのに天泣みたいに、俺の背中に水が何度も落ちる。

「レーラーはレーラーだな。だからこそ、トレーネをパーティーに加えてもらいたいんだ」

 フリーエンは懐かしそうに赤錆の瞳を細めて、嬉しそうに頷いた。
 何故嬉しいそうなのかは分からない。

「すまんな、レーラー。そんな表情をされても儂の依頼は変わらん」
「…………分かった」

 目を赤く腫らしたレーラーはグスッと鼻を啜った後、頷いた。
 そしてとても小さな声で「卑怯者」と呟いた。フリーエンに聞こえたかどうかは分からない。

 そもそもレーラーがそう呟いた時には、ライゼが重苦しい空気を祓うかのように机の上に鍋敷と鍋を置いたからだ。
 温かな鹿の乳のスープの匂いがする。美味しそうだ。

 そして、ライゼは二人事など気にせずに机の上に、サラダやお肉、あとはお皿やスプーンなどを手際よく並べていく。
 それから、水差しと蝋燭を机の上に置いた後、“空鞄”を取り出し、中から小さな氷嚢を取り出した。

 そして氷嚢の中に魔法で氷を入れた後、レーラーに渡した。

「レーラー師匠、そのままだと明日まで目が腫れるよ」
「……分かった」

 レーラーは受け取った氷嚢を赤く腫れた目の周りにゆっくりと当ててい。
 それを見たライゼは再び台所に戻ると、包丁で何やら切り、そして籠を持ってきた。中には白いパンが入っている。

 それから机の椅子をひいて座った後、手を合わせた。
 そして雰囲気を全く考慮しないライゼの行動に呆然していたフリーエンを見た。

「レーラー師匠が好きな味です。お口に合えば嬉しいです」
「あ、ああ」

 そしてライゼは「いただきます」と言った後、鍋からスープをよそり夕食を食べ始めた。
 俺はレーラーの掌から降りて、ライゼが用意してくれた専用の夕食を食べ始めた。

 レーラーは目の腫れが収まるまでお預けだった。
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