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第1章 忍び寄る黒い影
7 雪の山荘
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どのくらい眠っていたのだろう。
冷たい空気が頬にあたり、ファンローゼはぶるっと身体を震わせ目を開けた。
「あんたたちこんなとこで何してんだい!」
鋭い女の声に二人は飛び起きた。
ランプを持った手を突き出すようにして、納屋の中を照らし、扉の前で恰幅のいい中年女が腰に手をあてこちらを見下ろしている。
明け放たれた扉の向こうは漆黒の闇。
納屋に潜り込んで眠ってから、まだそれほど時間は経っていないようだ。
「すみません。道に迷って、納屋を見かけたから、少しだけ休ませていただこうと思って」
コンツェットは慌てて女に謝罪する。
「あんたたち、まだ子どもじゃないか……」
女は驚いた声をあげた。
「それに道に迷ったって? こんな時間にかい? 滅多に人なんて踏み込まない山の中に?」
言葉がでなかった。
確かに、子どもが夜遅く山の中をうろつくなど、どう考えても疑わしい。
これ以上の言い訳はかえって綻びを生じさせてしまう。
女は鋭い目でコンツェットとファンローゼを交互に見る。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。すぐにここを出ます」
コンツェットは立ち上がり、ファンローゼの手をとった。
出口へと向かう二人の背に、女は声をかけ引き止める。
「おまち。こんな時間にどこに行くというんだい? それもこんな吹雪の中を。今夜は家に泊まっていきなさい」
「いえ……」
言葉を濁すコンツェットに、女はたたみ掛けるように言う。
「何があったか知らないけど困ってんだろ? あたしも驚いてつい怒鳴っちまって悪かったよ。とにかく遠慮しないで家に来て温まりなさい。お腹は空いてないかい? たいしたものはないけど、何か食べ物を用意してあげるよ。それと、暖かいベッドと毛布も。どうだい?」
二人は顔を見合わせた。
確かに身体も冷え切っているし、お腹も空いた。
暖をとれるなら、こんなありがたいことはない。
「いいのですか?」
「あたりまえだろ。困った時はお互い様さ」
女の言葉に、二人はようやく寒さで強ばった顔に笑みをこぼす。
「ほら、いつまでそんなところで突っ立ってんだい。早くこっちにおいで」
にっと笑って家に来るよう手招きをする女に従い、二人は納屋の隣に立つ山小屋に足を踏み入れた。
外とは比べようもない暖かい熱気。
ほっとしたと同時に、張りつめていた緊張が解けていく。
女はマイヤーと名乗り、夫と二人でこの山小屋で猟をしながら生計を立てているという。
居間に入ると、椅子に座って煙草をくゆらしている中年男がいた。
この人がマイヤーの夫だ。
コンツェットとファンローゼはマイヤーの夫に挨拶をしたが、男はうむと頷くだけで、二人からふいっと視線を逸らした。
「夫のメッツィンさ。無口で無愛想だけど、いつもこう。あたしに対してもああいう態度だから気にしないでおくれ。それよりも、ほら、暖炉の側によりなさい。濡れたコートは乾かしておいてあげようね。あんた、この子たちに温かいミルクでもいれておくれ。うんと砂糖を入れた甘いミルクをね」
マイヤーにコートを預け、二人は暖炉の前に座り込む。
冷え切った手足に徐々に感覚がよみがえりじんと痛んだ。
「暖かい」
「うん」
二人は赤々と燃える炎をじっと見つめていた。
不意に目の前にぬっとメッツィンが立ち、無言で二人分のカップを突きだしてきた。
「あ、ありがとうございます」
「いただきます」
カップを受けとると、メッツィンはやはり、うむ、と頷き再び椅子に座って煙草をくゆらしはじめる。
ほどなくして、台所から漂う食欲をそそるいい匂い。
マイヤーが野菜たっぷりのスープとパンをテーブルに用意してくれた。
「さあ、冷めないうちに食べなさい」
湯気のたつスープの器を手にしたファンローゼは震える手でスープをスプーンですくって口に運ぶ。
その目に涙が浮かんだ。
「温かい。おいしい……」
「よかった。おかわりはまだあるから遠慮しなくていいからね」
「本当に、ありがとうございます」
深々と頭をさげ、ファンローゼはマイヤーに礼を言う。
頭を下げた瞬間、目尻にたまった涙がぽとりとテーブルの上に落ちた。
「礼なんかいいから、ほらお食べ。そっちの坊やも、パンもスープもたくさんあるから」
よほどお腹を空かしていたのか、コンツェットは一口スープを飲んで息をつく。
今度はかっこむようにして飲み干し、パンにかじりついていた。
「おやおや、あんたたち、よっぽどお腹を空かせていたんだねえ。かわいそうに。まったく、納屋に忍びこまずとも、素直に山小屋を訪ねてくればよいものを」
二人の様子を眺めていたマイヤーは、ばかだねえ、と苦笑交じりに言って目を細めた。
ぶっきらぼうな口調で最初は怖い人だと怯えたが、口調がきついだけでとても温かい人だった。
「すみません。夜も遅かったし、断られると思ったから」
「謝らなくていいんだよ。だけど、たまたま納屋に用事があって行ってみたからよかったものの、あたしがいかなかったら、あんたたち凍え死んでいたかもしれないよ。それにしても……」
「飯くらいゆっくり食わせてやれ」
横からメッツィンが口を挟み、マイヤーのお喋りを止めた。
「はいはい、わかりましたよ。坊やの方はパンとスープのおかわりだね」
空になった器を手に、マイヤーは厨房へといき、すぐにおかわりのスープとパンを持って現れた。
ようやく二人の食事が落ち着いたところで、マイヤーは再び口を開いた。
「ところで、あんたたち、どこから来たんだい?」
冷たい空気が頬にあたり、ファンローゼはぶるっと身体を震わせ目を開けた。
「あんたたちこんなとこで何してんだい!」
鋭い女の声に二人は飛び起きた。
ランプを持った手を突き出すようにして、納屋の中を照らし、扉の前で恰幅のいい中年女が腰に手をあてこちらを見下ろしている。
明け放たれた扉の向こうは漆黒の闇。
納屋に潜り込んで眠ってから、まだそれほど時間は経っていないようだ。
「すみません。道に迷って、納屋を見かけたから、少しだけ休ませていただこうと思って」
コンツェットは慌てて女に謝罪する。
「あんたたち、まだ子どもじゃないか……」
女は驚いた声をあげた。
「それに道に迷ったって? こんな時間にかい? 滅多に人なんて踏み込まない山の中に?」
言葉がでなかった。
確かに、子どもが夜遅く山の中をうろつくなど、どう考えても疑わしい。
これ以上の言い訳はかえって綻びを生じさせてしまう。
女は鋭い目でコンツェットとファンローゼを交互に見る。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。すぐにここを出ます」
コンツェットは立ち上がり、ファンローゼの手をとった。
出口へと向かう二人の背に、女は声をかけ引き止める。
「おまち。こんな時間にどこに行くというんだい? それもこんな吹雪の中を。今夜は家に泊まっていきなさい」
「いえ……」
言葉を濁すコンツェットに、女はたたみ掛けるように言う。
「何があったか知らないけど困ってんだろ? あたしも驚いてつい怒鳴っちまって悪かったよ。とにかく遠慮しないで家に来て温まりなさい。お腹は空いてないかい? たいしたものはないけど、何か食べ物を用意してあげるよ。それと、暖かいベッドと毛布も。どうだい?」
二人は顔を見合わせた。
確かに身体も冷え切っているし、お腹も空いた。
暖をとれるなら、こんなありがたいことはない。
「いいのですか?」
「あたりまえだろ。困った時はお互い様さ」
女の言葉に、二人はようやく寒さで強ばった顔に笑みをこぼす。
「ほら、いつまでそんなところで突っ立ってんだい。早くこっちにおいで」
にっと笑って家に来るよう手招きをする女に従い、二人は納屋の隣に立つ山小屋に足を踏み入れた。
外とは比べようもない暖かい熱気。
ほっとしたと同時に、張りつめていた緊張が解けていく。
女はマイヤーと名乗り、夫と二人でこの山小屋で猟をしながら生計を立てているという。
居間に入ると、椅子に座って煙草をくゆらしている中年男がいた。
この人がマイヤーの夫だ。
コンツェットとファンローゼはマイヤーの夫に挨拶をしたが、男はうむと頷くだけで、二人からふいっと視線を逸らした。
「夫のメッツィンさ。無口で無愛想だけど、いつもこう。あたしに対してもああいう態度だから気にしないでおくれ。それよりも、ほら、暖炉の側によりなさい。濡れたコートは乾かしておいてあげようね。あんた、この子たちに温かいミルクでもいれておくれ。うんと砂糖を入れた甘いミルクをね」
マイヤーにコートを預け、二人は暖炉の前に座り込む。
冷え切った手足に徐々に感覚がよみがえりじんと痛んだ。
「暖かい」
「うん」
二人は赤々と燃える炎をじっと見つめていた。
不意に目の前にぬっとメッツィンが立ち、無言で二人分のカップを突きだしてきた。
「あ、ありがとうございます」
「いただきます」
カップを受けとると、メッツィンはやはり、うむ、と頷き再び椅子に座って煙草をくゆらしはじめる。
ほどなくして、台所から漂う食欲をそそるいい匂い。
マイヤーが野菜たっぷりのスープとパンをテーブルに用意してくれた。
「さあ、冷めないうちに食べなさい」
湯気のたつスープの器を手にしたファンローゼは震える手でスープをスプーンですくって口に運ぶ。
その目に涙が浮かんだ。
「温かい。おいしい……」
「よかった。おかわりはまだあるから遠慮しなくていいからね」
「本当に、ありがとうございます」
深々と頭をさげ、ファンローゼはマイヤーに礼を言う。
頭を下げた瞬間、目尻にたまった涙がぽとりとテーブルの上に落ちた。
「礼なんかいいから、ほらお食べ。そっちの坊やも、パンもスープもたくさんあるから」
よほどお腹を空かしていたのか、コンツェットは一口スープを飲んで息をつく。
今度はかっこむようにして飲み干し、パンにかじりついていた。
「おやおや、あんたたち、よっぽどお腹を空かせていたんだねえ。かわいそうに。まったく、納屋に忍びこまずとも、素直に山小屋を訪ねてくればよいものを」
二人の様子を眺めていたマイヤーは、ばかだねえ、と苦笑交じりに言って目を細めた。
ぶっきらぼうな口調で最初は怖い人だと怯えたが、口調がきついだけでとても温かい人だった。
「すみません。夜も遅かったし、断られると思ったから」
「謝らなくていいんだよ。だけど、たまたま納屋に用事があって行ってみたからよかったものの、あたしがいかなかったら、あんたたち凍え死んでいたかもしれないよ。それにしても……」
「飯くらいゆっくり食わせてやれ」
横からメッツィンが口を挟み、マイヤーのお喋りを止めた。
「はいはい、わかりましたよ。坊やの方はパンとスープのおかわりだね」
空になった器を手に、マイヤーは厨房へといき、すぐにおかわりのスープとパンを持って現れた。
ようやく二人の食事が落ち着いたところで、マイヤーは再び口を開いた。
「ところで、あんたたち、どこから来たんだい?」
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