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第一話 飼い主と飼い猫
飼い猫二匹3
しおりを挟む――キャン! キャンキャン! ギャン!!
「うるさいなぁ……」
けたたましい犬の声に、ロウは眉を顰める。
彼はこの時、マード子爵と歓談するレオの足元で、その飼い猫らしく大人しくしていた。
人付き合いの苦手なララは中央のテーブルからずっと離れた席で子爵夫人お手製のケーキを堪能し、ルナもその側で寛いでいる――はず。
ロウとレオからは彼女達のいる場所が死角になっているのが気にかかるが、この街の有力者であるマード卿の庭にいる限り危険は及ばないだろう。
そう――ロウも、おそらくレオも、高を括っていた。
――ギャン! ギャギャン!!
「まだ吠えてる。まったく、どこのバカ犬だよ……」
犬が苦手なララに配慮して、マード卿は愛犬を全て別の場所に繋いでいると言っていたため、騒いでいるのは屋敷の外の犬だろう、とロウは思っていたのだ。
しかしその直後、かすかに聞こえた耳慣れた声に、ロウはばっと立ち上がって目付きを鋭くした。
――きゃっ……
「ララ!?」
ロウが可愛い妹分の声を聞き間違えるはずがない。
短い悲鳴はララのものだった。
「レオ! ねえ、ちょっとっ!!」
ロウは慌てて鳴き声を上げ、傍らに立つレオの注意を引く。
すると、彼もすぐさま異変を察知したようだ。
レオはマード卿に一言断ると、ロウとともに駆け出した。
そうして、いくらも行かないうちに小型犬を抱えたマード卿の孫娘ミリアに遭遇し、彼女がその犬をララとルナにけしかけたのだと判明する。
どうやら、犬に驚いたルナがパニックに陥って走り出し、ララはその後を追って子爵邸の敷地から飛び出して行ってしまったらしい。
(まったく……後先考えないおバカさんだよ、ララは)
レオの事情や自分の立場にまでとっさに考えが及ばないのは、ララの幼さゆえだろう。
そんな彼女の短慮に呆れつつも、ロウはやはり妹分が愛おしい。
それに、可愛い新妻も連れ戻さなければならなかった。
――ロウ、ララとルナを探せ
レオにそう命じられるまでもなく、ロウはだっと地面を蹴って走り出す。
そんな男達の背を、ミリアのヒステリックな声が追い掛けてきた。
――猫は今、発情期なのよ! どうせ、オスの野良猫でも漁りにいったんでしょう!
「……っ!」
ミリアのそれは、市場で買われたララを猫に例えて貶めた言葉だったが、ロウは怒りと同時に激しい焦燥に見舞われた。
猫は今、発情期。
あちこちにいる野良猫ももちろん例外ではない。
自分が初めてを奪ったあの可愛らしい白猫に、盛ったオスの野良が近づくのではと思うと、ロウは怒りと焦りで頭がおかしくなりそうだった。
もちろん、ルナが他のオスを誘うなんて思っていない。
レオも、ララが他の男に簡単に靡くなどと思ってはいないだろう。
しかし、彼女をひどく侮辱するミリアの言葉を聞き流すことができなかったらしい。
――貴様……
激しい怒りを滾らせたレオの瞳が、愚かな小娘を射殺さんばかりに睨みつけた。
とはいえ、レオより先に冷静さを取り戻したロウは、ミリアにかまっている時間が惜しいと一鳴き、彼を我に返らせる。
「そんなバカ、放っておきな! 僕らが鉄槌を下さなくても、しかるべき人がきっとデッカい雷を落としてくれるよ!」
そうロウが予言した通り。
ララへの仕打ちはすぐにマード子爵の知るところとなり、普段は穏やかな卿も声を荒げてミリアを叱りつけたらしい。
さらに、客人に対し無礼を働いた罰として、ミリアは乳児院での一ヶ月の奉仕活動を命じられた。
彼女の母親は猛烈に反対したらしいが、当主の命令は絶対だ。
小さい子供達と触れ合うことで、少しはミリアの歪んだ性格が矯正されれば、と彼女を知る誰もが思っただろう。
太陽はすっかり姿を隠してしまっていたが街の灯りは存外に明るく、そうでなくてもロウは猫なので夜目が利く。
ルナとララの匂いを辿り、レオを先導して路地から路地へと走り回った。
やがて、彼女達の匂いを追って大通りへ。
その先は広場になっていた。
広場の真ん中には大きな噴水があり、ロウはその縁にしょんぼりと座り込んでいるララと、彼女の膝の上で丸くなっているルナの姿を見つける。
「いたよっ!」
ロウの声に触発されてその視線を追ったレオも、ララの姿を見つけたらしくほっと肩の力を抜いた。
ところが、その時である。
噴水から少し離れた場所に立派な馬車が止まり、身なりのいい男が降りてきてララに近づく。
とたん、レオの瞳が嫉妬と焦燥で激しく揺れた。
「あーもう、面倒くさいことになりそう……」
ロウはそうため息を吐きながら、先に走り出したレオの後を追った。
「ルナっ!」
「……ロウさん?」
ロウが噴水に辿り着いた時、ルナはララの腕に抱かれていた。
彼は慌てて噴水の縁に飛び乗ると、ララの膝に両の前足を置いて、ルナの白い腹にゴロゴロと額を擦り寄せる。
ルナが噴水の縁に座り直すと、今度はララがレオに抱き上げられてしまった。
「ロウさん、あのね! 犬が、こわい犬がっ……!」
「うんうん、分かっているよ。よしよし、びっくりしたんだね?」
犬に吠えられたのが初めてだったらしいルナには、ミミのような小型犬でも充分恐ろしかったようだ。
くすんくすんとベソをかいて甘えてくるのが可愛くて、ロウは人間達のやりとりにはかまわず、ひたすら彼女の顔中を舐め回した。
「今後何か困ったことがあったら、僕のところに逃げてくるんだよ? ルナのことは、必ず僕が守るからね?」
「うん……ロウさん」
「ん?」
「……こわかったの」
ルナは白い耳をぺタンと伏せ、うるうるした大きな瞳でロウを見上げてくる。
ああ……、とロウは深いため息を吐いた。
こんな時、人間のように彼女をすっぽりと腕に抱き締めることができればいいのに――
いかにロウが特別であろうと、猫の身では叶わない願いだ。
代わりに彼は、ルナの耳をかみかみと優しく甘噛みしつつ、たっぷりと愛を囁くのだった。
レオが拾った馬車で船に帰り着くと、ロウはうとうととし始めたルナの側に踞った。
彼のベッドであるクッションが敷き詰められた籠が、今日から夫婦の愛の巣だ。
自分の傍らで丸くなり、安心したように寝息を立て始めた新妻に、ロウは愛おしげに目を細める。
一方のレオとララはというと、さっそく浴室でおっ始めた。
いつにも増して悲鳴じみたララの嬌声が少し気がかりではあるが、レオの気持ちを考えると今夜ばかりは大目に見てやろう、と兄貴分は目を瞑る。
遣り手と評判のレオだが、ララを前にするととたんに不器用になる。
彼女の姿が見えなくてひどく心配したこと。
彼女に触れそうになったあの紳士に嫉妬したこと。
それをそのまま言葉にしてしまえばいいのに、苦しい気持ちを身体でしかララにぶつけられないなんて……
「レオも、まだまだガキなぁ」
いつの間にか、レオの年齢も追い越してしまったロウとしては、飼い主の青さもまた愛おしかった。
「んーん……」
「ん?」
ふいに、ルナがむにゃむにゃと寝言を言う。
それから、両前足の肉球をむにむにとロウの胸に押し付けて、長いしっぽをぱたぱたと上下させた。
さらには何か夢でも見ているのだろうか、にゃっにゃっ、と実に可愛らしい声で小さく鳴く。
それはまるで愛撫に応える慎ましい嬌声のように聞こえ、ロウはごくりと生唾を呑み込んだ。
「……ルナは、僕を眠らせないつもりなのかな?」
彼はそう呟くと、音もなく立ち上がりルナの身体を跨ぐ。
次いで、はむはむと歯を立てずに彼女の首筋を食んだ。
そういえば、ロウやララと違ってルナにはまだ首輪がない。
これは是非、彼女にも自分とお揃いの首輪を用意するよう、レオに訴えねばなるまい。
ロウに瞳の色と同じエメラルドの石がついているなら、ルナには猫目石がふさわしい。
猫目石はクリソベリルの一種で、半球状に磨くと中央に一本の光彩が現れる、その名の通り猫の目みたいな宝石だ。
レオは宝石を扱うことも多く、目が肥えているからきっと良質のものを用意してくれるだろう。
成金趣味丸出しのゴールドの首輪なんぞ寄越しはしまいと思うくらいには、ロウは彼のセンスも信頼している。
しかしながら、首輪をはめてしまうとルナの首を愛撫しにくくなるだろうか。
そんなことをつらつら考えつつ、ロウは一際大きく口を開いて白い毛並みを甘く噛んだ。
「……んん?」
さすがに異変に気づいたらしいルナが、薄く目を開ける。
その時にはすでに、ロウの腰は狙いを定めてしまっていた。
浴室に響くララの鳴き声に煽られたわけではない。
だが、同じほどルナを鳴かせてみたいと思ったのも事実。
まだ微睡みの中にいるルナを押さえつけ、ロウはついに腰を突き上げた。
「――い、いたぁい!!」
「んんっ、ごめんねぇ」
「う、うえぇぇんっ……」
「あー……ごめんね、ルナ。泣かないで……」
悲鳴を上げるルナの中を棘で散々引っ掻いて、自身の匂いを染み付ける。
他のオスなんて、決して近づけないように。
(今年の発情期は、さすがに張り切り過ぎかなぁ)
ロウはそう苦笑を浮かべながら、事が済めばあっさりと白い身体を離した。
すると……
——ベシッ!
すかさず彼の腹の下で身体を反転させたルナの猫パンチが、左頬に炸裂する。
「――ロウさん、ひどいっ!」
「いたた……ル、ルナっ?」
「ばかっ……きらいっ!!」
「ル、ルナぁあ!?」
今年初めて発情期を迎えた相手に対し、ロウはさすがにハッスルし過ぎた。
可愛い新妻は満月のような瞳を涙でいっぱいにして彼を睨みつけると、二人の愛の巣を飛び出して行ってしまった。
「ル、ルナ!? ま、待ってぇ……!!」
もちろん、ロウは慌てて彼女を追いかける。
そうして、二匹の猫は夜通し船内を追いかけっこして回り、ドタバタうるさい! 眠れん! とホウキを振りかざしたアベルに追いかけられ、最終的には元居たレオの私室に戻ってきた。
ただし、日が高くなって目覚めたララがアベルに靴擦れの手当を受けている時も、実を言うとまだルナは拗ねたままだったのだ。
その後、ルナの機嫌を直すために、ロウは特別な貢ぎ物を用意した。
馴染みの料理長に愛想を振りまきまくってマグロを一切れもらい、それを彼女に贈ったのだ。
「ロウさん、これ何? おいし! ササミより、おいしい!」
「そ、そう? よかった……」
初めてマグロを口にしたルナの目の輝きといったら、それはそれは凄まじいものだった。
おかげで、夫婦喧嘩の後には必ず、ロウはマグロを求めて奔走することになる。
応援ありがとうございます!
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