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第一話 飼い主と飼い猫

飼い猫二匹2

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 〝ルナ

 ララは、白い猫にそう名前をつけた。
 琥珀色の瞳を満月のようだと思ったのは、ロウだけではなかったらしい。
 彼は満足げに頷く。

「さすがは僕の妹分。センスは悪くないね」

 そうしてこうして、白猫ルナは正式に三毛猫ロウの花嫁となった。
 レオは、今日の商談相手から彼女をもらったと告げたが、ロウはルナの口からその詳細を聞くことになる。

「私の前のご主人様は女の人よ。レオは、ご主人様の代わりに私を連れて帰って来たの」
「へえ……なるほど」

 ルナの元の飼い主は、商談相手の愛人だった。
 将来有望な若者を気に入ったらしい商談相手は、大勢いる情婦の一人をレオに譲って関係を深めたいと考えたらしい。
 レオがそういう類の申し出をされることは、これまでも何度もあった。
 しかし、彼はもう一夜限りの相手としてでさえ、女性を賜ることは決してない。

「当然だね、ララがいるんだ。他の人間の女なんか連れてきてみろ、そいつの顔で爪研ぎしてやる」

 ロウはシャキンと鋭い爪を出して、目を細めてそう言った。
 それにルナはちょこんと首を傾げると、仕切り布の隙間からリビングを覗き込む。
 そこでは、レオが片手にペンを持って何やらカリカリと書き物をしていたが、彼のもう片方の手は胸元にあるブラウンの髪を撫でていた。
 レオの膝に抱かれたララは、随分といとけない顔をして瞳を閉じている。

「ララは、レオの〝およめさん〟なの?」
「うーん……」

 ルナの問いに、ロウは少し難しい顔をして唸った。

「今はまだ、違うね。人間っていうのはいろいろと面倒でね。あれだけ交尾もしまくってるのに、そう簡単に番になれないんだよ」
「ふうん……」

 ルナは分かったような分かっていないような微妙な返事をしたが、再びちょこんと首を傾げて問うた。

「私はロウさんの〝およめさん〟になったのだから、ロウさんの赤ちゃんを産むの?」
「えっ……?」

 無邪気に紡がれたルナの言葉に、ロウは今度は怯んだ。
 何度も言うが、ロウは三毛猫では滅多に見られないオスだ。
 それは、猫の毛色を決める遺伝子と染色体に関係し、そして染色体異常が原因の場合は通常生殖能力を持たないと言われている。
 ロウが三毛猫のオスとして産まれた原因がそうだとは限らないが、実際これまでの発情期で交尾したメスとの間に子供ができたことはない。
 だから、飼い主公認で花嫁として迎えたルナが赤子を望んだとしても、もしかしたらロウには一生それを叶えてやれないかもしれないのだ。
 ロウは、おそるおそるルナに問いかけた。

「ルナは……赤ちゃん、ほしいかな?」

 ルナがこの発情期で身籠ることを望むなら、ロウは他のオスに彼女を譲らなければならない。
 それはとてつもなく悔しいことだが、こればかりはロウにもどうしようもないのだ。
 一目惚れした可愛い彼女を誰かに奪われるかもしれないと思うと、ロウは壁中を掻きむしりたくなる。
 ところが、そんな彼の苦悩を知らないルナは、無邪気な顔をしてあっさりと言った。

「別に、まだいらないかな」
「そ、そう?」
「うん。ロウさんがおじーちゃんになる前に考える」
「そ、そっか……」

 ひとまずルナの夫しての首は繋がったようで、ロウはほっとため息を吐くのだった。


 



 ――よお、ロウ。相変わらずの貫禄だなぁ
 ――おっ? その白い別嬪さんはどうした?
 ――あー! ロウ、いいなー! 俺も彼女ほしー!!

 そんな声達が降り注ぐ中、ロウはすいすいと軽い足取りで船内を歩き回る。
 職場を見せてやれ、とレオに提案されたのを思い出し、ルナを案内しているのだ。
 ロウのつれなさをよく知っている船員達は、普段は無闇矢鱈とかまおうとはしない。
 しかし今日は、彼の後をちょこちょこと追いかけるルナに気づいて声をかけずにはいられなかったのだろう。
 彼らは口々に綺麗な子だなとルナを褒めまくり、ロウは旦那として実に鼻が高い。
 一方、生まれてこの方女性の飼い主のもとで蝶よ花よと育てられてきた箱入り娘のルナは、彼らのような男臭い連中を見慣れてはいないのだろう。
 船員達の視線に怯えた彼女が慌ててロウの隣に追いついて、ぎゅっと身を寄せてきた。

「ルナ、大丈夫だよ。面構えは厳ついけど、根はいいやつらだ」
「……ほんと?」

 ロウはそんな新妻が可愛くてたまらず、顔中をベロベロと舐めてやる。

 ――ロウのやつ、デレデレしやがって!

 そんな声が聞こえてきたが、事実なので否定はしまい。
 ロウの陰に隠れて船員達をおそるおそる眺めると、ルナは大きな琥珀色の瞳をぱちくりさせて問うた。
 
「この船に乗っている人間って、男の人ばかりなのね。女の人はララだけなの?」
「まあ、船員は体力勝負だからほとんどが男だね。でも、厨房には女性もいるよ。あとで紹介するね」

 厨房には、いつもロウにおやつをくれる恰幅のいい女性料理長がいる。 
 彼女とはララも親しく、レオの許しさえあれば厨房に入って料理の下ごしらえを手伝うのだ。 
 実の両親に捨てられたララは、明るく大らかな性格の料理長に母親の温もりを求めているのかもしれない。
 それを思うと、ロウはいつも彼女がいじらしくてならなかった。

 ロウは、人間の言葉が分かる。
 彼らがロウに何を求めているのかも、独り言のつもりで呟いた言葉も、全部理解している。
 猫だから、当然人間よりも鼻が利くし耳もいい。
 雨の気配はヒゲが教えてくれるし、危険を察知する原始的な本能も人間より強く残っている。
 そのためロウは、レオの船を嵐から遠ざけたり、鯨の大群を回避させたりと、これまで数々の功績を上げてきた。
 当初の航行ルートを辿った別の船舶がことごとく沈没したと聞いては、人間達だってロウの感覚を無視できないだろう。
 ロウはレオの船にとって、お飾りではなく正真正銘の守り神だった。
 そういうわけで、幹部クラスしかおいそれと足を踏み入れられない操舵室にだって顔パスだ。
 ロウが一番眺めのいいその部屋にルナを案内すると、立派な白髭を蓄えた老紳士が笑顔で迎えてくれた。

 ――おお、ロウ。いらっしゃい。可愛い子を連れているねぇ。わしにも紹介してくれるかな?

 彼はこの船の船長である。
 レオを赤子の頃から知っているらしい船長は、ララのことも孫娘のように可愛がっているし、ロウに対してもとても紳士的だ。
 ロウは顎の下を撫でられてゴロゴロと喉を鳴らしながら、可愛い新妻を紹介した。
 ところが、その直後のことである。

「げっ」

 操舵室の扉をくぐってきた人物を目にしたとたん、彼の機嫌は急降下する。
 現れたのは、レオの従兄であり秘書でもあるアベルだった。
 
 ――またこんな所に入り込んでいるのか。

 そう言って、細いフレームの眼鏡の奥から冷ややかに見下ろしてくるこの男。
 ロウは、こいつが大っ嫌いなのだ。
 忘れもしない、あれはレオに買われて初めて屋敷に連れていかれた日のこと。
 ララをせっせと世話したのは、お揃いのお仕着せを纏ったメイド達だったが、ロウの首根っこを掴んだのはこのアベルだったのだ。

 ――ノミを屋敷に持ち込むな。

 彼はそう言って、ロウを洗面所に連れていくと、有無を言わさずシャンプーしたのだ。
 生後間もない幼気な子猫に、何たる仕打ち。
 あの時シャンプーのしみた両目の痛みを、ロウはいまだに忘れられない。
 猫は執念深い生き物なのだ。
 
「いいかい、ルナ。あの男には懐いちゃいけないよ。お菓子をくれると言っても、決してついていってはいけない」
「ついていったら、どうなるの?」
「猫鍋にされて食べられる」
「ええっ!?」

 ロウのデタラメな脅しに、こわい! と叫んだルナがぎゅっとくっ付いてくる。
 すると、ルナの鳴き声に片眉を上げたアベルが、彼女を見下ろして口を開いた。

 ――ああ、レオが連れて帰ってきたメス猫ですか。
 ――おや、レオ様のお眼鏡に適った子かい。では、ララが面倒をみるんだね。

 レオやララには荒っぽい口調でしゃべるアベルだが、年嵩の船長の前では生意気にも猫をかぶる。
 レオの秘書として今日の商談に同行していた彼が、ルナを譲り受けることになった経緯を船長に話し始めた。
 ララの存在を歓迎していないアベルだが、レオに成金爺さんの愛人を押しつけられるのはもっと嫌ならしく、代わりにルナを受け取ったことに関しては文句はないようだ。
 しかし、そんな彼の口から、ロウは驚くべき事実を知らされることになる。

 ――この白い猫。明日避妊手術を受ける予定だったそうですよ。何でも、初めての発情期にそうするのがいいのだとかで。

「……っ」
「ロウさん?」

 ロウは、はっとエメラルドグリーンの両目を見開いてルナを見た。
 しかし、彼と違って人間の言葉が理解できないルナは、きょとんとして首を傾げるだけ。
 そんな彼女をじっと見つめたまま、ロウはアベルの話の続きに耳を傾けた。

 ――あちらさんは手術が済んでから譲ろうかと申し出てくれたんですが、断ったんです。我々の船は明日の朝には出航しますしね。それに、レオは子供を持てる可能性をロウに残しておいてやりたかったんでしょうね。

「……」
「ロウさん、どうしたの?」

 子孫を残せる可能性が低いロウだが、レオはまだ諦めてはいないらしい。
 それを聞くと、何だか無性にレオの思いに応えたくなった。
 そういうわけなので、ロウはさっそく、傍らの白いうなじに噛み付くことにする。

 ――こら、ロウっ! こんなところで盛るなっ!!

 アベルの無粋な声は無視。
 ロウは再び、ルナににゃんにゃん鳴き声を上げさせた。

「ロウさん、ロウさん、痛い……いたぁいっ」
「んっ、ん……ごめんね、ルナ。いい子だから、ちょっとだけ我慢するんだよ」

 こんな時ロウは、オスもメスも快楽を味わえる人間の交尾を少々羨ましく思う。

「んっ……、んう……」
「ルナ……ルナ、ごめんよ……」

 従順な新妻は、ふるふる震えながら床に這いつくばって、彼の責めに耐える。
 そうして交わりを解いた後、ロウは詫びるようにたっぷりと彼女の身体中を舐めてやった。
 
 まさかその数時間後、ルナとララを探してレオと一緒に夜の街を駆け回ることになるなどと――

 ロウはこの時、夢にも思っていなかった。


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