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第1章 森の魔物と幻の怪鳥(4話)
【1】
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「ケケケケケケ」
森の中で奇妙な声が響いた。
*
ここはナンチャテードの国。人々で賑わう中心街は、木造瓦屋根の家々が並ぶ。その中で目を引くのは、立派な塀に囲まれた広い屋敷。国の主『殿』が住む屋敷だ。
塀の内側には綺麗に整えられた庭。松の木や石灯籠に朝の光が降り注ぐ。地面で戯れていた鳥達が、不意に飛び立った。塀の外側から突如何かが現れたからだ。
猫……いや少年だ。猫のような耳をした少年が、塀の上に颯爽と立つ。表情はどこか楽しげだ。風に揺れた銀色の髪が、陽光で煌めいた。
少年の名は銀河。屋敷に忍び込む曲者……ではない。腰に刀を帯びたサムライである。つまり彼は今、主の屋敷を訪れているのだ。
この少年の一番の特徴は、頭の上にニョキっと飛び出した三角の耳。そしてお尻には細長いシッポが揺れている。彼は猫耳族だった。
「銀河、毎回毎回そんな所から来ないで下さい……曲者と間違えられても知りませんよ」
庭に面した部屋から、女性が姿を現す。音もなく現れた銀河の気配に、いち早く気が付いた。殿の側近、水鏡だ。スレンダーな身体にタイトなロングスカート。頭には水色のバンダナを深々と被り、目まで覆い隠している。
注意を受けた少年はと言うと、全く悪びれる様子は無し。いつも通り至って軽装の彼は、かしこまった様子など微塵も無い。いつの間にか座敷に上がり込み、畳の上でくつろぐ始末。
そこへ何処からか青年の声が聞こえて来た。
「まぁ、良いって水鏡。気まぐれ銀河が今日は来てくれたからさ」
床の間の掛け軸がヒラリとめくれ、その後ろからヒョコっと青年が現れた。すらりとした体躯。白く長い髪。額には勾玉の様な紋様。屋敷の主、殿である。
この殿様、少々子供っぽいところは有るが、とても気さくで民からも慕われている。顔も良いので、女性からの人気も高い。
サムライ銀河は、主が思わぬ場所から登場しても得に驚かない。床の間の壁に隠し通路が有ることは知っている。何度も訪れているこの屋敷は、殿が改装したカラクリ屋敷だ。
「殿も銀河も、もっと普通に登場して下さい」
呆れ顔の水鏡に、殿は子供の様な笑顔を向ける。そして客人の前に腰を下ろすと、おもむろに口を開いた。
「急に呼び出して悪かったね~。早速だけど仕事の依頼だよ~銀河。魔物が人間に悪さしてるって噂でさ。ちょっと捕まえて来てよ」
殿の口調は軽いが、内容はけっこう深刻だ。
「あー……そっか。やっぱ依頼か。う~ん……。あー……俺、忙しいから帰るわ。じゃな!」
銀河は言い放ったが、本当は別に忙しかった訳ではない。面倒くさそうな表情から、依頼から逃げる口実だと解る。「勝手気まま」それが彼の生き方。
来たばかりなのに、ヒラヒラと手を振りながら去って行った。来た時と同様に、軽々と塀を乗り越えて。
実は銀河、殿とは子供の頃からの馴染みだ。殿様の方が年長だが、主従と言うよりは友に近い。殿に対する銀河の態度が軽過ぎるので、周りの者達はいつも気が気ではない。
「あっ、……銀河!」
「あはは。行っちゃったね。そうだ、塀がギューンって高くなる仕掛けでも造ろうかな」
水鏡が引き留める間もない。少年が消えて行った塀を見つめる。殿もその横に立ち、同じく目線は塀を向いたまま水鏡に問う。
「手筈は?」
「草薙から『整った』と報告が」
*
銀河が主の依頼に乗り気になれない理由が、「面倒」以外にもう一つ有った。だいたいいつも殿は、依頼に託つけて何かしらイタズラを仕掛けて来るのだ。少年の口からは溜め息が漏れた。
殿の屋敷を出た所に、何やら人だかりが出来ていた。立て札に魔物出現の注意喚起が書かれている。ざわつく見物人達。
「南の森に魔物が出たってよ」
「何々……三つ目の巨人? 大きな毒蛇? この目撃情報バラバラだな」
「恐いわ。街までは来ないでしょうね?」
「あっ銀河さん! また魔物を退治してくれよ!」
サムライである銀河は、かつて魔物を退治し国を救った有名人だ。この国では彼を英雄と崇める者までいた。ファンクラブも有るとか無いとか。
民衆に囲まれかけた少年は、咄嗟に空を指さして叫ぶ。
「あっ、変な鳥!」
つられて視線を上げる人々。一瞬キョトンとなった後、視線を戻すと英雄は姿を消していた。
*
「おーい! そこに居たのか銀河」
民家の屋根の上で、だらけている猫耳少年。その特徴的な耳に、聞き覚えの有る男の声が飛び込む。
「あー、何だ草薙か。んな所で何してんだ?」
草薙と呼ばれたこの青年が、やや老けて見えるのは無精髭のせいだろう。陣羽織姿に、目にはゴーグルサングラス。奇妙な出で立ちだが彼もまたサムライである。背が高い上に、顔も長いので全体的に「縦長」の印象だ。
銀河の態度は、相手が殿だろうが先輩だろうが変わらない。草薙は見上げながら応じる。
「何だとは何だ。……て言うか『何してんだ』はこっちのセリフだ」
草薙と言う男は一見頼りなさげに見えて、実は殿の信頼も厚い。大方、サボり癖の有る後輩の尻を叩きに来たのだろう。
「お前、魔物捕獲を依頼されただろ。行かなくて良いのか?」
「んー……。気が向いたらなー……」
「相変わらずの気分屋か。それはそうと一つ魔物の噂を聞いたぞ。魚屋の禿げオヤジが、南の森付近で魔物に遭って、頭にけが……」
話の途中で「ギョッ」となる草薙。屋根の上に見知らぬ老婆の顔が突然現れたのだ。
「イ゛?!」
銀河は言葉にならぬ声を出し、飛び上がった。
「ってーな! 誰だよ俺のシッポ掴むのは!」
毛の逆立った自分の尾を撫でながら、反射的に警戒ポーズをとる。
謎の老婆は「どっこいしょ」と屋根の上に登り詰めた。白髪を頭頂部でちょこんとまとめたお団子ヘア。人の良さそうな柔和な笑顔。シワに埋もれたつぶらな瞳が、期待の光を湛えて少年の顔を覗き込む。
「猫の人、さっき言ってた変な鳥はどこかねぇ? 幻の怪鳥じゃないかと気になったんじゃが……。アアッ、イタタ! 腰……腰がっ! 腰をやってしまったよ」
「えぇぇぇぇ!?」
唐突な展開に、二人の男は困惑の声を上げた。
*
殿の屋敷。広い庭に面した縁側で、青年は趣味に没頭している。愉しそうに、箱形ロボットの様なカラクリ人形を製作中だ。
「気まぐれ銀河、ちゃんとお仕事しているかい?」
口に笑みを含み独り呟いたその背中に、すかさず刺さる言葉。
「殿もお仕事して下さいね」
側近の水鏡は抱えていた書類の山をドサリと置き、ニッコリと笑った。
*
「へっぶし」
くしゃみをしたのは、気まぐれ銀河。魔物捕獲のお仕事は、まだしていないようだ。先程屋根の上で会った老婆を背負い、歩いている。
この老婆は銀河が言った嘘の「変な鳥」を信じた挙げ句、屋根に登り腰を痛めてしまったのだ。銀河は申し訳なく思い、家まで送ってやることにした。
他用のため離脱した草薙に「ちゃんと魔物も捕獲して来いよ」と念を押されたが、この状況では直ぐに果たせずとも仕方有るまい。
「猫の人は知っておるかの? 幻の怪鳥コケコリスの話。その昔、悪い魔物を懲らしめて下さったんじゃ」
「はいはい会長のコケコッコさんね。その話三度目な。ところで婆ちゃん、本当にこの道であってるのか?」
街中を「右だ」「左だ」と振り回され、気が付けば街外れの細い道。周りには民家どころか人の気配も無い。人をおぶったまま歩き回ったので、足元が若干おぼつかなくなっている。
ふと背が軽くなった。そこで老婆が、猫の人の背からするりと降りたのだ。
「お、ここで降りんのか? ……つっても婆ちゃん、もう家が一件も無……あれ? 婆ちゃん?」
振り向くと、そこに居たはずの老婆は忽然と消えていた。まるで幽霊か何かの様に。一瞬背中が冷やりとしたのは、おぶっていた人の体温が冷めた為なのか。
「まさか……。すげぇな、あの婆ちゃん……くのいちか?」
目を白黒させながらも、辺りを改めて見回してみる。うっそうと生い茂る木々。視界に入るのは木や草ばかり。あちこち歩かされたが、街を南下していたのは分かっていた。
「……って、ここ南の森じゃねぇか!」
じゃねぇかー……かー……
少年の声は、木々のざわめきの中に吸い込まれて行った。
魔物が居る……かもしれない南の森に、 期せずして到着してしまった銀河であった。
つづく
森の中で奇妙な声が響いた。
*
ここはナンチャテードの国。人々で賑わう中心街は、木造瓦屋根の家々が並ぶ。その中で目を引くのは、立派な塀に囲まれた広い屋敷。国の主『殿』が住む屋敷だ。
塀の内側には綺麗に整えられた庭。松の木や石灯籠に朝の光が降り注ぐ。地面で戯れていた鳥達が、不意に飛び立った。塀の外側から突如何かが現れたからだ。
猫……いや少年だ。猫のような耳をした少年が、塀の上に颯爽と立つ。表情はどこか楽しげだ。風に揺れた銀色の髪が、陽光で煌めいた。
少年の名は銀河。屋敷に忍び込む曲者……ではない。腰に刀を帯びたサムライである。つまり彼は今、主の屋敷を訪れているのだ。
この少年の一番の特徴は、頭の上にニョキっと飛び出した三角の耳。そしてお尻には細長いシッポが揺れている。彼は猫耳族だった。
「銀河、毎回毎回そんな所から来ないで下さい……曲者と間違えられても知りませんよ」
庭に面した部屋から、女性が姿を現す。音もなく現れた銀河の気配に、いち早く気が付いた。殿の側近、水鏡だ。スレンダーな身体にタイトなロングスカート。頭には水色のバンダナを深々と被り、目まで覆い隠している。
注意を受けた少年はと言うと、全く悪びれる様子は無し。いつも通り至って軽装の彼は、かしこまった様子など微塵も無い。いつの間にか座敷に上がり込み、畳の上でくつろぐ始末。
そこへ何処からか青年の声が聞こえて来た。
「まぁ、良いって水鏡。気まぐれ銀河が今日は来てくれたからさ」
床の間の掛け軸がヒラリとめくれ、その後ろからヒョコっと青年が現れた。すらりとした体躯。白く長い髪。額には勾玉の様な紋様。屋敷の主、殿である。
この殿様、少々子供っぽいところは有るが、とても気さくで民からも慕われている。顔も良いので、女性からの人気も高い。
サムライ銀河は、主が思わぬ場所から登場しても得に驚かない。床の間の壁に隠し通路が有ることは知っている。何度も訪れているこの屋敷は、殿が改装したカラクリ屋敷だ。
「殿も銀河も、もっと普通に登場して下さい」
呆れ顔の水鏡に、殿は子供の様な笑顔を向ける。そして客人の前に腰を下ろすと、おもむろに口を開いた。
「急に呼び出して悪かったね~。早速だけど仕事の依頼だよ~銀河。魔物が人間に悪さしてるって噂でさ。ちょっと捕まえて来てよ」
殿の口調は軽いが、内容はけっこう深刻だ。
「あー……そっか。やっぱ依頼か。う~ん……。あー……俺、忙しいから帰るわ。じゃな!」
銀河は言い放ったが、本当は別に忙しかった訳ではない。面倒くさそうな表情から、依頼から逃げる口実だと解る。「勝手気まま」それが彼の生き方。
来たばかりなのに、ヒラヒラと手を振りながら去って行った。来た時と同様に、軽々と塀を乗り越えて。
実は銀河、殿とは子供の頃からの馴染みだ。殿様の方が年長だが、主従と言うよりは友に近い。殿に対する銀河の態度が軽過ぎるので、周りの者達はいつも気が気ではない。
「あっ、……銀河!」
「あはは。行っちゃったね。そうだ、塀がギューンって高くなる仕掛けでも造ろうかな」
水鏡が引き留める間もない。少年が消えて行った塀を見つめる。殿もその横に立ち、同じく目線は塀を向いたまま水鏡に問う。
「手筈は?」
「草薙から『整った』と報告が」
*
銀河が主の依頼に乗り気になれない理由が、「面倒」以外にもう一つ有った。だいたいいつも殿は、依頼に託つけて何かしらイタズラを仕掛けて来るのだ。少年の口からは溜め息が漏れた。
殿の屋敷を出た所に、何やら人だかりが出来ていた。立て札に魔物出現の注意喚起が書かれている。ざわつく見物人達。
「南の森に魔物が出たってよ」
「何々……三つ目の巨人? 大きな毒蛇? この目撃情報バラバラだな」
「恐いわ。街までは来ないでしょうね?」
「あっ銀河さん! また魔物を退治してくれよ!」
サムライである銀河は、かつて魔物を退治し国を救った有名人だ。この国では彼を英雄と崇める者までいた。ファンクラブも有るとか無いとか。
民衆に囲まれかけた少年は、咄嗟に空を指さして叫ぶ。
「あっ、変な鳥!」
つられて視線を上げる人々。一瞬キョトンとなった後、視線を戻すと英雄は姿を消していた。
*
「おーい! そこに居たのか銀河」
民家の屋根の上で、だらけている猫耳少年。その特徴的な耳に、聞き覚えの有る男の声が飛び込む。
「あー、何だ草薙か。んな所で何してんだ?」
草薙と呼ばれたこの青年が、やや老けて見えるのは無精髭のせいだろう。陣羽織姿に、目にはゴーグルサングラス。奇妙な出で立ちだが彼もまたサムライである。背が高い上に、顔も長いので全体的に「縦長」の印象だ。
銀河の態度は、相手が殿だろうが先輩だろうが変わらない。草薙は見上げながら応じる。
「何だとは何だ。……て言うか『何してんだ』はこっちのセリフだ」
草薙と言う男は一見頼りなさげに見えて、実は殿の信頼も厚い。大方、サボり癖の有る後輩の尻を叩きに来たのだろう。
「お前、魔物捕獲を依頼されただろ。行かなくて良いのか?」
「んー……。気が向いたらなー……」
「相変わらずの気分屋か。それはそうと一つ魔物の噂を聞いたぞ。魚屋の禿げオヤジが、南の森付近で魔物に遭って、頭にけが……」
話の途中で「ギョッ」となる草薙。屋根の上に見知らぬ老婆の顔が突然現れたのだ。
「イ゛?!」
銀河は言葉にならぬ声を出し、飛び上がった。
「ってーな! 誰だよ俺のシッポ掴むのは!」
毛の逆立った自分の尾を撫でながら、反射的に警戒ポーズをとる。
謎の老婆は「どっこいしょ」と屋根の上に登り詰めた。白髪を頭頂部でちょこんとまとめたお団子ヘア。人の良さそうな柔和な笑顔。シワに埋もれたつぶらな瞳が、期待の光を湛えて少年の顔を覗き込む。
「猫の人、さっき言ってた変な鳥はどこかねぇ? 幻の怪鳥じゃないかと気になったんじゃが……。アアッ、イタタ! 腰……腰がっ! 腰をやってしまったよ」
「えぇぇぇぇ!?」
唐突な展開に、二人の男は困惑の声を上げた。
*
殿の屋敷。広い庭に面した縁側で、青年は趣味に没頭している。愉しそうに、箱形ロボットの様なカラクリ人形を製作中だ。
「気まぐれ銀河、ちゃんとお仕事しているかい?」
口に笑みを含み独り呟いたその背中に、すかさず刺さる言葉。
「殿もお仕事して下さいね」
側近の水鏡は抱えていた書類の山をドサリと置き、ニッコリと笑った。
*
「へっぶし」
くしゃみをしたのは、気まぐれ銀河。魔物捕獲のお仕事は、まだしていないようだ。先程屋根の上で会った老婆を背負い、歩いている。
この老婆は銀河が言った嘘の「変な鳥」を信じた挙げ句、屋根に登り腰を痛めてしまったのだ。銀河は申し訳なく思い、家まで送ってやることにした。
他用のため離脱した草薙に「ちゃんと魔物も捕獲して来いよ」と念を押されたが、この状況では直ぐに果たせずとも仕方有るまい。
「猫の人は知っておるかの? 幻の怪鳥コケコリスの話。その昔、悪い魔物を懲らしめて下さったんじゃ」
「はいはい会長のコケコッコさんね。その話三度目な。ところで婆ちゃん、本当にこの道であってるのか?」
街中を「右だ」「左だ」と振り回され、気が付けば街外れの細い道。周りには民家どころか人の気配も無い。人をおぶったまま歩き回ったので、足元が若干おぼつかなくなっている。
ふと背が軽くなった。そこで老婆が、猫の人の背からするりと降りたのだ。
「お、ここで降りんのか? ……つっても婆ちゃん、もう家が一件も無……あれ? 婆ちゃん?」
振り向くと、そこに居たはずの老婆は忽然と消えていた。まるで幽霊か何かの様に。一瞬背中が冷やりとしたのは、おぶっていた人の体温が冷めた為なのか。
「まさか……。すげぇな、あの婆ちゃん……くのいちか?」
目を白黒させながらも、辺りを改めて見回してみる。うっそうと生い茂る木々。視界に入るのは木や草ばかり。あちこち歩かされたが、街を南下していたのは分かっていた。
「……って、ここ南の森じゃねぇか!」
じゃねぇかー……かー……
少年の声は、木々のざわめきの中に吸い込まれて行った。
魔物が居る……かもしれない南の森に、 期せずして到着してしまった銀河であった。
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