あなたの代わりに恋をする、はず、だった

清谷ロジィ

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海へ

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 次の日の朝、起きてきた瑛輔くんはひどい二日酔いで、まるでゾンビだった。
 それとは反対に元気いっぱいの沙耶さんが、朝の七時に私たちの朝食として、スモークサーモンとアボカドのオープンサンドと野菜スープを運んできてくれた。

「まったくもう、だらしないんだから。保護者代わりが聞いて呆れちゃう」
「うるせー……」

 野菜スープを一口だけ飲んだ瑛輔くんは、私たちに向かって、

「今日は一日まるまる自由時間! 俺は寝る!」

 と、言い渡し、よろよろと自室に戻っていった。その後ろ姿を見ながら、沙耶さんは「あらら」と笑っていた。

「ランチは十二時過ぎたらお店に来てね。そんで、夜六時になったらここのテラスでバーベキューすることになってるから。あとは、あんまり羽目を外し過ぎないように!」

 そう言うと、沙耶さんはお店の手伝いがあるからと帰っていった。
 瑞希がはしゃいだように、ぴょんと飛び跳ねた。

「ほらほらみんな、急いで準備しなきゃ!」
「そうだね、せっかくだし」

 桐原先輩がうなずく。

「準備って、なんの?」
「せっかく海に来てるんだから泳ぎに行くに決まってるでしょ! チッカの水着はどんなの?」
「持ってきてないけど」
「ええっ!」

 瑞希が世界の終わりでも目撃したみたいに私を見た。

「なんで?」
「私、海嫌いだし」
「なんで?」

 そう聞いたのは、瑞希じゃなく遥だった。

「昔は好きだったのに」

――私ねぇ、ずっと海で泳いでみたかったの。プールと違うのかなぁ。

 チーの声がした。
 私たち家族が海沿いの別荘に行くから一緒に行こうと誘うと、チーはくるくると踊るようにして喜んだ。

――楽しみだね、カー。私、海大好き!

「……そうだっけ。とにかく、私は適当にやってるから、みんなは遊んでおいでよ」

 チーになる。そのためにはいくらでも嘘をつくつもりだった。だけど――海が好き、だなんて絶対に言いたくなかった。
 波の音がする。まるで、絶対逃がさないとでも言っているみたいに、ずっと、ずっととどろき続けている。

****

 水着に着替えた瑞希と桐原先輩が、波打ち際できゃあきゃあとはしゃいでいた。そして、ときおり思い出したように、木陰で座り込む私に手を振ってくる。
 時間が経つにつれ、太陽の日射しが強さを増していく。日焼け止めを塗っているとはいえ、ちりちりと肌が痛んだ。
 やっぱり、部屋にいればよかった。
 何度目かのため息をつく。
 泳がなくてもいいから、と瑞希に強引に引っ張ってこられた私は、ただひたすらに砂浜に意味のない模様を描いては消す、を繰り返していた。
 突然、頬に冷たいものが触れる。

「ひゃっ!」

 思わず飛び上がって振り返ると、いたずらっぽく笑う遥が、ペットボトルのスポーツドリンクを手に立っていた。

「水分補給しないと、熱中症で倒れるぞ」
「……ありがと」

 遥は私の隣に座り、私に手渡したのと同じスポーツドリンクを一口飲んだ。
 紺色のサーフパンツにグレーのパーカー。
 ただそれだけなのに、遥はやっぱり綺麗だった。
 いや、むしろ着飾るものがなければないほど、遥自身の美しさがよく分かる。ただ肌を焼くだけだった日射しも、きらきらと輝いているように感じた。
 遥は、世界を美しくする。

「なんで海、嫌いになったの?」

 その質問に胸がきゅっとした。本当のことなんか言えない。絶対に、言えない。

「小さいころは気にしてなかったけど、海っていろんな生き物がいて、いろんなものが垂れ流された、でっかい水たまりみたいなものだから」

 私の苦し紛れの嘘に、遥はぷっと噴き出した。

「なにそれ」

 遥に合わせて笑いながら、私はこう思っていた。
 本当のことなんか言えない。海はなんでも飲み込んでしまうから、だなんて。

「私はいいから、遥は行ってきなよ」
「……実はさ」

 遥が神妙な顔をする。

「俺、カナヅチなんだよね」

 突然の告白に、今度は私が噴き出す番だった。まさか完全無欠の遥に、そんな弱点があるなんて。

「笑うなよ」

 照れくさそうに唇をとがらせて立ち上がる遥の横で、私は笑った。波の音を聞きながら笑うことなんて、もう一生ないと思っていたのに。
 ごめんね、チー。私はすごく薄情だ。
 いつだって「今」が「過去」を押し流そうとしてくる。必死にしがみついて、食らいつかないと、私はチーを忘れてしまうんじゃないかって怖くて仕方ないよ。

「ちょっと散歩でもしようぜ。カナヅチでもそれくらいはできるからな」

 遥が差し出した手を取ると、心臓がどくんと音を立てた。
 誰かに触れられること、海、汗をかくこと、夏。嫌いなものがたくさんそろっているのに、遥がいるだけで世界は鮮やかに色づいていく。
 子どもたちが、波打ち際で砂山を作って遊んでいた。

「そういえば、よく一緒に砂場でああやって遊んだよな。千佳はトンネル通すのうまかったけど、俺は雑だからいっつも崩しちゃってよく叱られたっけ」
「……そう、だね」

 遥が口にする「ちか」は私じゃなくてチーのこと。
 そんなの分かり切っているのに、うなずく前にためらってしまったのは、不意に浮かんだ言葉を飲み込まなくちゃいけなかったから。

『私もね、トンネル通すのうまかったんだよ。チーだって褒めてくれたんだから』

 潮風が吹く。なびいた前髪を慌てて押さえた。
 チーになろうと思ってた。チーがするはずだった恋を、遥としようと思っていた。
 だけど、私の中にいるチーがどんどん小さく、遠くなって、私がどんどん大きくなっていく。
 チーとカー。私たちは二人で一人。一人なら半分。
 ねえ、そうだよね。チー。
 砂遊びに飽きた子どもたちは、流木を振り回していた。取り残された砂の山は、波に削られてかたちを変えて、最後には消えて跡形もなくなった。
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