上 下
18 / 38
瑞希の「本当」

しおりを挟む
 塚本先生による事情聴取が終わって廊下に出た私たちは、ホッと大きく息をついた。

「あー……最悪だった」

 遥がこぼした一言が、全員の気持ちそのものだった。

「あの、ごめん」

 瑞希が私と遥に向かって頭を下げた。ぎゅっと握りしめたスカートのチェックが歪んでいる。

「前にちょっと話したけど、うち男兄弟ばっかでさ。あたしも男みたいに育てられたんだ。小学校まではそれでよかったんだけど、中学になったとき、気が付いたらみんなは、なんていうか『女の子』になってた。服装とかメイクだけじゃない。使ってるシャンプーとか、ハンカチの柄とか、髪を結うゴムとか、そういうとこがもう、あたしとぜんぜん違ってた」

 彩りよりも食欲を満たすことを目的にした、いつも茶色ばっかりのお弁当。
 もしかしたら、昔の瑞希を取り巻くものもそうだったのかもしれない。

「ずっと変わりたかった。でも、親も兄弟も『まだ子どもなんだしそのままでいいじゃん』しか言わないし、仲間に入ろうと頑張ってもなんか空回りばっかで、いつの間にかみんなに煙たがられて、無視されて、一人になって、三年のときは学校に行けなくなった。それでもずっと変わりたくて、この高校に入ったら、全部なかったことにして新しく生まれ変わろうって決めてた。嘘ついて、ごまかしていればそのうち、こっちのあたしが『本当』になるって信じたかった」

 オレンジ色の爪。ミルクティーベージュの髪。灰色のカラーコンタクト。短いスカート。
 あれはきっと瑞希の決意表明で、過去の自分へのさよなら。

「でも、入学式でチッカのスピーチに感動したっていうのは本当なの。それだけは信じて。みんなの前でそんなこと言えるなんてすごいって。それに、あたしもその他大勢になんかなりたくない、なってたまるかって思った。だから……チッカの友達になりたかった。ずっと嘘ついてて、迷惑かけて、ごめんなさい」

 瑞希がもう一度、深く頭を下げた。

「瑞希は嘘なんかついてないよ。いまの瑞希も、昔の瑞希も、ぜんぶ本当でしょ。迷惑をかけてきたのは向こうだし」

 私の隣で、遥が小さく笑った。

「瑞希ちゃんは、俺と千佳の大事な友達だからさ。ああいうときは怒らせてよ」
「遥は、ちょっとやり過ぎ。反省して」
「……ごめん」

 私たちのやり取りに、瑞希が笑った。握りしめていたスカートのチェックが、ほどけて揺れる。
 遥は塚本先生にこっぴどく叱られて、反省文の提出を命じられていた。あれだけ大暴れして、それだけで済んだのは奇跡的でもある。

「お前が悪いとは言わない。しかし、暴力的な解決はあまりに短絡的だ。そこは反省するように」

 懇々と遥に言い聞かせる塚本先生のレンズの奥の目は、いつもよりずっと柔らかかった。
 融通が利かない厳しいだけの教師かと思っていたけれど、あれでなかなか硬軟織り交ぜた優秀な教育者なのかもしれない。

「それにしても、塚本先生が文芸部の顧問だなんて知らなかった。桐原先輩もなにも言ってくれないし」

 相原くんと吉田さんの所業について話したとき、塚本先生は「桐原が言ってた生徒か」と口にした。先輩からの報告で、学校側も調査を始めたところだったらしい。
 きょとん、とした私たちに塚本先生が説明したところによると、塚本先生は桐原先輩の元担任で、三年生が卒業したあと廃部寸前だった文芸部の顧問になってくれるよう頼みこまれたのだそうだ。

「まさか本当に部員が集まるとはな。まったく、あいつにはいつも厄介ばかり押し付けられる」

 わずかに眼鏡を押し上げて目頭を揉むその姿は、内心ちょっと楽しんでいるようにも見えたけれど。

「つーかさ、部長ってなんで相原のこと知ってたの?」

 遥が当然の疑問を口にする。塚本先生もそこまでは教えてくれなかった。

「なんかいろいろ調べたみたい。文芸部をバカにした報いは受けてもらわなきゃねって言ってた」

 ……怖すぎる。
 いつもアガサ・クリスティを手に、にこにこしている桐原先輩しか知らなかったけれど、その内側こそが、なによりもミステリーだ。

「あ、でも瑞希。あれは嘘でしょ。恋愛マスターってやつ」

 申し訳ないけれど、中学時代の姿を見る限り「そっち方面に自信がある」とはとても思えない。

「違うよ、それは本当。恋愛指南本とか雑誌のモテテクとか読み漁ってるもん」
「実践が伴わないんじゃ意味ないから」
「オカンか」
「いや、だから」

 ふふっと笑い合う。

「そのツッコミ合ってないし」
「二人とも仲いいね。ちょっと悔しい」
「遥くんも友達でしょー。あ、でもチッカは……」
「ほらほら! 遅くなっちゃったし早く帰ろ!」

 二人の手を引いて強引に歩き出す。
 誰かに触れられるのは嫌い。
 だけど、遥と瑞希。この二人は「誰か」じゃない。伝わってくる体温に心がすっと馴染んでいく。

「千佳、怪我は大丈夫?」

 手のひらと膝にでかでかと貼られた絆創膏を見ながら、遥が聞いた。

「平気だよ。大げさすぎて恥ずかしい」
「そっか。――ごめんな。俺、約束したのに、またダメだった」

 また。
 その言葉に引っかかりを覚える。
 うつむいて口をつぐんだ遥に、私は曖昧に微笑むことしかできなかった。
 前髪を撫でつける。

――これはねぇ、はるかと、わたしのひみつ。

 ずっと聞こえなかったチーの声がした。
 嘘つきは瑞希じゃない。私だ。
 私は、かつて取り返しのつかない嘘をついた。そして、今もつき続けている。
 それを償うために、私は遥に嘘をついてチーになろうとしてる。
 だって、私の嘘がチーを殺したから。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ボッチによるクラスの姫討伐作戦

イカタコ
ライト文芸
 本田拓人は、転校した学校へ登校した初日に謎のクラスメイト・五十鈴明日香に呼び出される。  「私がクラスの頂点に立つための協力をしてほしい」  明日香が敵視していた豊田姫乃は、クラス内カーストトップの女子で、誰も彼女に逆らうことができない状況となっていた。  転校してきたばかりの拓人にとって、そんな提案を呑めるわけもなく断ろうとするものの、明日香による主人公の知られたくない秘密を暴露すると脅され、仕方なく協力することとなる。  明日香と行動を共にすることになった拓人を見た姫乃は、自分側に取り込もうとするも拓人に断られ、敵視するようになる。  2人の間で板挟みになる拓人は、果たして平穏な学校生活を送ることができるのだろうか?  そして、明日香の目的は遂げられるのだろうか。  ボッチによるクラスの姫討伐作戦が始まる。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

oldies ~僕たちの時間[とき]

ライト文芸
「オマエ、すっげえつまんなそーにピアノ弾くのな」  …それをヤツに言われた時から。  僕の中で、何かが変わっていったのかもしれない――。    竹内俊彦、中学生。 “ヤツら”と出逢い、本当の“音楽”というものを知る。   [当作品は、少し懐かしい時代(1980~90年代頃?)を背景とした青春モノとなっております。現代にはそぐわない表現などもあると思われますので、苦手な方はご注意ください。]

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

高度救命救急センターの憂鬱 Spinoff

さかき原枝都は
ライト文芸
フェローは家畜だ。たっぷり餌を与えて…いや指導だ! 読み切り!全8話 高度救命救急センターの憂鬱 Spinoff 外科女医二人が織り成す恐ろしくも、そしてフェロー(研修医)をかわいがるその姿。少し違うと思う。いやだいぶ違うと思う。 高度救命センターを舞台に織り成す外科女医2名と二人のフェローの物語。   Emergency Doctor 救命医  の後続編Spinoff版。 実際にこんな救命センターがもしもあったなら………

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いていく詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

処理中です...