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それは何の熱か
一、
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「この辺りに試食コーナーを配置しようと思っているんです」
「出入り口の動線的にも良さそうだね。ここで決めよう」
ここは、旅館・百夜の一階にある土産屋。
蝶の目の前で、社長の天藍が企画部の女性とそう話をしていた。内容は、土産屋の新しいレイアウトについてだ。
話がひと段落すると、天藍は蝶に書類を預けた。
「じゃあ、僕は次の打ち合わせに行く。あとはよろしくね、蝶」
「かしこまりました」
蝶が了承すると、天藍は着物を翻し、出入り口の方に消えた。
「旦那様って、本当にかっこいいですわよね……」
企画部の女性は、天藍が消えた方を見て、そうポツリと呟いた。
蝶が振り返ると、彼女の目はキラキラしている。漫画だったらハートになっているような、熱い視線だった。
「わたくしと歳が近いのに、落ち着いていて聡明でいつだって完璧で……欠点なんて見たことがありませんわ」
「確かに、仕事上は完璧な人ですね」
……性的趣向がおかしいのは、ものすごい欠点だけど。
蝶はそう同調して、心の中で付け加える。
けれど、蝶も天藍のことは、上司としては特別秀でた人だとそう思っていた。
仕事では蝶の質問に対して、わからないと返ってくることは基本的にない。
常に旅館の運営をより良い方向へ行くよう考えているし、従業員の顔と名前を全員分把握している。
何かあれば天藍を頼ればいい。そう無意識に思うくらいには、蝶も彼を非の打ち所がない人だと捉えていた。
これは、蝶が天藍に対してそう思っていた、矢先の出来事だった。
「今日の予定は……僕は、午前中から打ち合わせが三件入ってる。君は昨日の土産屋の改装についての続きだね。落ち着いたら書類の整理を頼むよ」
朝、書斎でいつも通り、天藍と蝶は二人で仕事の確認をする。
しかし自分の目の前でそう話す天藍を見て、蝶はなにか違和感を覚えた。
「旦那様、今日はあまり体調が良くないんですか?」
「……え?」
天藍は手帳から顔をあげ、蝶と目を合わせる。
そして、困ったように自分のこめかみを指で押さえた。
「確かに、朝から頭痛がしているかな。よくわかるね」
「毎日嫌でも顔を合わせていますし……けれど、それだけにしては、顔色があまりよろしくないような気がします」
そう言って蝶が顔を覗き込むと、天藍は蝶を見つめ返して目を細めた。
「僕のこと、心配してくれるんだね」
「……仕事仲間として、当たり前だと思いますが?」
ああ、変に気を回すんじゃなかった。蝶は後悔して、目を逸らす。
「僕なら大丈夫だよ。またお昼に会おうね」
「……はい」
まあ、旦那様に限って体調を崩すようなことはないか。なんか、病原菌とかにも強そうだし。
そう思い、蝶はその場を離れ、仕事場に向かった。
「……旦那様、食べないなら私がもらいますが」
「欲しいならあげるよ。今はあまり食欲がないんだよね」
昼食の時間。食事を目の前にしても、天藍は頬杖をついて、ため息をつくだけだった。
そのいつもとは明らかに違う様子を見て、蝶はまた彼の体調が心配になる。
「本当に大丈夫ですか? 風邪でもひいているのでは?」
そう蝶が言うと、天藍は目を瞬かせ、そして考え始めた。
「風邪か……風邪なんて十数年ひいてないから、感覚がわからないな。こんな感じだったっけ?」
「ええ……?」
予想外の返答に、蝶は驚きつつも呆れて、言葉をつけ足す。
「バカは風邪ひかないというより、バカだから風邪ひいた感覚がわからないらしいですよ」
「またそうやってトゲのある言い方をして……けど、確かに今日は本調子じゃないかもしれない」
天藍のその言葉に、蝶は椅子から立ち上がり、彼の額を触る。そして、驚いた。
「……明らかに熱いです。一度熱を測ってください」
検温の結果、普通の大人なら立っていられない高熱だった。
蝶に無理やり寝台に寝かせられた天藍は、困ったように笑う。
「熱だけだし、常備薬を飲めばなんとかなるよ」
「原因がわからないんですから、そんなことしたらダメです。途中で倒れたりしたらどうするんですか? お医者様を呼んでくるので、今日は安静にしてください」
蝶はそうきっぱりと言って、隣の椅子に腰掛けた。
「はあ……旦那様がこんなにバカだと思いませんでした」
「そう怒らないでよ。迷惑かけてすまないね」
しかしそう答える天藍の声にも、どことなく元気がない。蝶は毒を吐くのをやめ、枕元に置いていた手帳を手に取った。
「打ち合わせは代理を立てますから、旦那様は大人しく休んでいてください。あとは私がなんとかします」
「ありがとう。君が本当に優秀な秘書で助かったよ」
天藍の言葉に、蝶は無言で返した。
「……そういえば、僕たちの『契約』はどうする?」
日程を確認している蝶に、天藍はそう付け加えた。
契約。要するに、蝶の排泄管理についてだ。
「僕が寝てしまったら、何かあったときにすぐ対応できないよ」
「……そう心配なさらずとも、退勤時間まで我慢できます」
蝶は目を逸らして、そうはっきりと答えた。
「出入り口の動線的にも良さそうだね。ここで決めよう」
ここは、旅館・百夜の一階にある土産屋。
蝶の目の前で、社長の天藍が企画部の女性とそう話をしていた。内容は、土産屋の新しいレイアウトについてだ。
話がひと段落すると、天藍は蝶に書類を預けた。
「じゃあ、僕は次の打ち合わせに行く。あとはよろしくね、蝶」
「かしこまりました」
蝶が了承すると、天藍は着物を翻し、出入り口の方に消えた。
「旦那様って、本当にかっこいいですわよね……」
企画部の女性は、天藍が消えた方を見て、そうポツリと呟いた。
蝶が振り返ると、彼女の目はキラキラしている。漫画だったらハートになっているような、熱い視線だった。
「わたくしと歳が近いのに、落ち着いていて聡明でいつだって完璧で……欠点なんて見たことがありませんわ」
「確かに、仕事上は完璧な人ですね」
……性的趣向がおかしいのは、ものすごい欠点だけど。
蝶はそう同調して、心の中で付け加える。
けれど、蝶も天藍のことは、上司としては特別秀でた人だとそう思っていた。
仕事では蝶の質問に対して、わからないと返ってくることは基本的にない。
常に旅館の運営をより良い方向へ行くよう考えているし、従業員の顔と名前を全員分把握している。
何かあれば天藍を頼ればいい。そう無意識に思うくらいには、蝶も彼を非の打ち所がない人だと捉えていた。
これは、蝶が天藍に対してそう思っていた、矢先の出来事だった。
「今日の予定は……僕は、午前中から打ち合わせが三件入ってる。君は昨日の土産屋の改装についての続きだね。落ち着いたら書類の整理を頼むよ」
朝、書斎でいつも通り、天藍と蝶は二人で仕事の確認をする。
しかし自分の目の前でそう話す天藍を見て、蝶はなにか違和感を覚えた。
「旦那様、今日はあまり体調が良くないんですか?」
「……え?」
天藍は手帳から顔をあげ、蝶と目を合わせる。
そして、困ったように自分のこめかみを指で押さえた。
「確かに、朝から頭痛がしているかな。よくわかるね」
「毎日嫌でも顔を合わせていますし……けれど、それだけにしては、顔色があまりよろしくないような気がします」
そう言って蝶が顔を覗き込むと、天藍は蝶を見つめ返して目を細めた。
「僕のこと、心配してくれるんだね」
「……仕事仲間として、当たり前だと思いますが?」
ああ、変に気を回すんじゃなかった。蝶は後悔して、目を逸らす。
「僕なら大丈夫だよ。またお昼に会おうね」
「……はい」
まあ、旦那様に限って体調を崩すようなことはないか。なんか、病原菌とかにも強そうだし。
そう思い、蝶はその場を離れ、仕事場に向かった。
「……旦那様、食べないなら私がもらいますが」
「欲しいならあげるよ。今はあまり食欲がないんだよね」
昼食の時間。食事を目の前にしても、天藍は頬杖をついて、ため息をつくだけだった。
そのいつもとは明らかに違う様子を見て、蝶はまた彼の体調が心配になる。
「本当に大丈夫ですか? 風邪でもひいているのでは?」
そう蝶が言うと、天藍は目を瞬かせ、そして考え始めた。
「風邪か……風邪なんて十数年ひいてないから、感覚がわからないな。こんな感じだったっけ?」
「ええ……?」
予想外の返答に、蝶は驚きつつも呆れて、言葉をつけ足す。
「バカは風邪ひかないというより、バカだから風邪ひいた感覚がわからないらしいですよ」
「またそうやってトゲのある言い方をして……けど、確かに今日は本調子じゃないかもしれない」
天藍のその言葉に、蝶は椅子から立ち上がり、彼の額を触る。そして、驚いた。
「……明らかに熱いです。一度熱を測ってください」
検温の結果、普通の大人なら立っていられない高熱だった。
蝶に無理やり寝台に寝かせられた天藍は、困ったように笑う。
「熱だけだし、常備薬を飲めばなんとかなるよ」
「原因がわからないんですから、そんなことしたらダメです。途中で倒れたりしたらどうするんですか? お医者様を呼んでくるので、今日は安静にしてください」
蝶はそうきっぱりと言って、隣の椅子に腰掛けた。
「はあ……旦那様がこんなにバカだと思いませんでした」
「そう怒らないでよ。迷惑かけてすまないね」
しかしそう答える天藍の声にも、どことなく元気がない。蝶は毒を吐くのをやめ、枕元に置いていた手帳を手に取った。
「打ち合わせは代理を立てますから、旦那様は大人しく休んでいてください。あとは私がなんとかします」
「ありがとう。君が本当に優秀な秘書で助かったよ」
天藍の言葉に、蝶は無言で返した。
「……そういえば、僕たちの『契約』はどうする?」
日程を確認している蝶に、天藍はそう付け加えた。
契約。要するに、蝶の排泄管理についてだ。
「僕が寝てしまったら、何かあったときにすぐ対応できないよ」
「……そう心配なさらずとも、退勤時間まで我慢できます」
蝶は目を逸らして、そうはっきりと答えた。
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