百夜の秘書

No.26

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月の下で

一、

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 ある東の国にある、旅館『百夜』。
 今週は、この旅館の敷地で夏のお祭りが開かれる。
 例えば、一般客に向けて外に屋台が出たり、大道芸人や音楽家のパフォーマンスが行われたり。
 そして初日である今夜は、この旅館の社長である天藍とその秘書の蝶、そして外部の重役の客人を集めてでの晩餐会が、外の大広間で開かれることになっていた。

「一時間休憩をとったら一緒に下へ行くよ。規程時間外の勤務だから、コレはつけないでおくね」
 夕方十九時。手洗いを済ませ書斎に戻ってきた蝶に、天藍は先ほど蝶がつけていた貞操帯を見せながら言う。
「君は僕の横に付いてご飯を食べているだけでいいからね。もし客人に何か話しかけられたら、失礼のないような受け答えをするように」
「承知しました」
「お祭りは二十三時まであるけれど、蝶がいるのは食事会が終わるまでで良い。もし疲れたら、適当なところで部屋に戻って休んでもらって構わないよ」
「いえ、終了時間までいます。今回は時給なのでしょう?」
「ふふ、抜け目ないなあ」
 天藍はそう言って、椅子から立ち上がった。

「じゃあ、一時間後にここに来てね」
「はい」

 そして一時間後、蝶はいつもより上等な衣服に着替え、同じくいつもより着飾った天藍と部屋で待ち合わせる。
 二人はエレベーターに乗り込み、下へと降りる。
 扉が閉まり、ふと天藍は思い出して蝶に言った。
「ああそうだ、外の仮設トイレはお客様用だから、従業員は使ってはいけないよ。行きたくなったら、建物内の従業員用のトイレを使うようにね」
「承知しました」
 そう蝶が頷いたところで、エレベーターは一階に到着する。
 扉が開くと、途端に外のにぎやかな話し声や音楽が聞こえ始めた。

 空はすっかり暗くなり、星が見え始めている。
 旅館の裏庭には、大きなテーブルと椅子が並べられ、既に十数人の来客が席についていた。
 天藍と蝶が席についたところで、月の下での晩餐会が始まった。


 テーブルに次々と料理が運ばれ、そして空いた皿が片づけられ、時刻が二十一時半を回ったころ。
 デザートの皿が空になり、客人たちは飲み物を片手に和やかに語っていた。

「あの花びらの石鹸、とてもお客様に好評だったんだよ。もっと種類はないのかい?」
「ああ、それならば既に手をつけておって……」
 天藍も酒を片手に、客人として呼ばれた鳳梨という女性社長と和やかに会話を続けている。
 その隣で蝶は、一人静かに後悔をしていた。
 飲み物を飲みすぎてしまったのだ。
 せっかくならノンアルコールのドリンクを一通り飲もうと、蝶は飲み物を何度も頼んで飲み干すことを繰り返していた。合計で一リットル以上は飲んでしまっただろう。
 それが何の後悔になるのかと言うと、簡単な話で、蝶は食事会の最中だというのにトイレへ行きたくなってしまった。
「…………っ……」
 もう気のせいとは思えなくなってしまったはっきりと感じる尿意に、蝶はテーブルの下で静かに足をすり合わせる。
 最後にトイレへ行ったのは、十九時ちょうど。
 それから三時間半しか経っていないが、蝶の膀胱は既に多量の液体を抱え、さらに時間が過ぎると共に急速に増していた。
 今直ぐにでも、トイレへ向かいたい程なのだが。
 そう思いながら、蝶は天藍をちらりと見る。
 天藍は未だ鳳梨と会話を続けている。二人の仲が良いことは蝶も知っていた。
 トイレへ向かうなら、天藍に一言断って向かうべきだ。しかし、そのタイミングが中々訪れない。
 蝶は何度目かのため息をついて、足を組んだ。

「蝶様、お暇そうですな」
 そんな声に顔を上げると、客人の一人がにたにたした顔をこちらに向けていた。
 その中年の男も、この旅館の取引先企業の社長。しかし性格が嫌みたらしく、蝶が嫌いとする人だ。
 蝶は彼を密かに脳内の『来世で殺す人間リスト』に入れている。ちなみにそのリストの一番上には天藍の名前がある。
「やはり子供にはこういう場は退屈ですかな?」
 そう煽るように言われて、蝶は内心イラッと来たが、日頃のように冷静に答えた。
「いえ、皆様のお話お邪魔にならないよう努めているだけです」
「ふふ、お利口さんだね」
 天藍がそう言って蝶に微笑む。いつの間にか鳳梨との会話を終えてこちらを見ていた。
 蝶が口を開く前に、天藍は客人を見渡し、
「皆様、お話中すまない。一度、席を外して屋台の見回りに行ってきてもいいかな。完成形を僕自身も見ていないんだ」
 その言葉に、客人は皆首を縦に振る。
 天藍は微笑み、隣の蝶を見た。
「蝶、ついてきてくれるね」
「はい」
 蝶は頷き、そして内心ほっとした。
 ……これで、天藍に話をつけて、トイレへ向かうことができる……!
 しかし、その希望は天藍の次の一言ですぐに打ち砕かれてしまった。
「他にお祭りに興味のある方がいるなら、一緒に来て頂いて良いよ」

 その言葉に名乗りをあげた数人に、先程天藍と話していた鳳梨と、蝶の嫌いなあの男が含まれていたのだ。
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