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過去編:約束
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「今日は雨が降ってるね」
じめじめとぬるい暑さが続く真夏日。縁側で濡れ縁からしたたる雨粒を見つめていると隣に美しい水神が座った。そして儚げに微笑んで見せた。
最初に出会った時は色素の薄い髪色に真っ黒の瞳だった彼は、今では真っ黒な混じり気のない黒髪に透き通った青い瞳をしていた。その青い瞳に見つめられ、梗夏は恥ずかしくなり顔を伏せた。水神はそんな梗夏の様子を見て更に笑みを深める。
「今日も梗夏は可愛いね!」
「それ毎日聞いてるから………」
生贄の儀式から派手にやらかして数日が経った。龍に乗って梗夏を助けに来てくれた青年が実は水神でしたなんて、最初は何を言っているのかさっぱり分からなかったが、非現実的な龍の姿を目の当たりにしたら受け入れるしかない。だって好きな人なのだから、その人に何があろうと梗夏は愛している。そして目の前にいる水神も私のことを好きと言ってくれた。その時はなんだかむず痒くてでも嬉しくて、思わず笑ってしまったのを覚えている。
梗夏は「愛」というのを知った。
村では1人で過ごしていた日々。常に自分を守るために周囲を警戒し、歳も若い娘ではあるが強く生きてきた。愛というものを知らない純粋な娘であった。けれど今は違う。儀式から逃れてこうやって幸せに愛を育み生きながらえている。
梗夏は顔を上げると水神を見つめる。
私達がこんなに幸せでいいのだろうか。これからあの村では生贄の儀式が途切れることなく続き、梗夏のように罪のない若い娘が次々と死んでゆく、そんなの耐えられない。あの辛さが、悲しみが、幸せが崩れて目の前が何も見えなくなるあの感覚を強いるのは間違っている。
「儀式を止めたい」
「………………」
「あの村はおかしい。なんで…なんのために生まれてきた命なのよ!あんな珍妙な儀式のためだけに生まれて死ぬなんてまるで儀式のためだけの物のように扱うし殺す。最低……ほんと最低よ………!」
「梗夏………」
あぁ悲しい。まるで何かが私を縛り付けてるいるようで、助けを求めているようで。
梗夏は顔を両手で覆い泣き出しそうなのを堪える。足元では三毛猫が心配そうに擦り寄ってきた。
梗夏は両親の顔を薄らと思い出す。もう何年も前にいなくなってしまった2人の最後の表情を。都に降りてたくさん稼ぎまた戻ってくると微笑んでいた両親。
その後戻ってくることはなかった。
都で何があったかなんて村娘が知るはずもない、死んだということだけ耳に挟んだだけだ。けれど信じて疑わなかった。子供は純粋だ、嘘だ嘘だと絶対戻ってくると信じて、結局その優しい2人から授かった命も生贄となり信じてきたもの、これからの未来全てが生贄の儀式で犠牲になっていく。そんな思いがあの沼にはたくさん渦巻いて絶望して恐怖をあらわにしたその感情をご馳走のように待っている邪神がいる。
「許せない。いや、許さない」
許す許さないの問題ではないかもしれない。あの邪神にはこれまで生贄に捧げられた分だけの罪を償ってもらわないとならないのだ、歴史上のなか数え切れないほどの生贄の娘の分を。
隣で静かに耳を傾けてきいていた水神は梗夏の肩に寄りかかる。綺麗な長い黒髪がさらさらと肩から滑り落ちる。そして降っていた雨もぴたりと止まった。
水神はゆっくりと閉じていた瞼を開けると優しい口調で言う。
「みんなには幸せになってほしい」
「…うん」
「僕たち水神のことじゃない。あの生贄に捧げられてきた娘さん達や、これから犠牲になってゆく者。その家族や身内の人々が幸せに笑っていける未来を」
「…………そうだねっ」
涙が溢れてきた。冷たい感情に温かい涙が滲みるように温めるように慰めるように。水神の言葉がとても温かい。
「変えていこう。絶対に」
涙で前が潤んで見えなかったがきっと水神の表情は至って真面目だと思う。まっすぐ前を向いていて確実にその願いを希望を叶えていく覚悟を言葉に感じた。
ぴたりと止まっていた雨は再び動き出し庭を濡らしてゆく。水神は泣いている梗夏を抱きしめると優しく背を撫でた。
「それにこんなに可愛い僕の妻を泣かせるなんて本当許せない」
「う、うん?」
「大丈夫だよ、これからもっと色んなことを好きになっていけばいいんだから」
最後に一言、梗夏の耳元で囁く。
「愛しているよ、梗夏」
その言葉は今まで聞いてきた言葉で1番温かなものだった。
『愛している』
それに応えるように梗夏も水神の背に手を回し抱きしめ返す。そして微笑んだ。
「私も愛しているわ」
水神は皆優しい。きっとこれから長い年月をかけてあの沼は消えていく。どうかその長い年月のなかで少しでも幸せを感じてくれるものが増えるように願う。
どうか。
『生贄の娘は必ず救われる、だってみんな優しいもの』
この言葉があの子に届いたかどうかは定かではない。
じめじめとぬるい暑さが続く真夏日。縁側で濡れ縁からしたたる雨粒を見つめていると隣に美しい水神が座った。そして儚げに微笑んで見せた。
最初に出会った時は色素の薄い髪色に真っ黒の瞳だった彼は、今では真っ黒な混じり気のない黒髪に透き通った青い瞳をしていた。その青い瞳に見つめられ、梗夏は恥ずかしくなり顔を伏せた。水神はそんな梗夏の様子を見て更に笑みを深める。
「今日も梗夏は可愛いね!」
「それ毎日聞いてるから………」
生贄の儀式から派手にやらかして数日が経った。龍に乗って梗夏を助けに来てくれた青年が実は水神でしたなんて、最初は何を言っているのかさっぱり分からなかったが、非現実的な龍の姿を目の当たりにしたら受け入れるしかない。だって好きな人なのだから、その人に何があろうと梗夏は愛している。そして目の前にいる水神も私のことを好きと言ってくれた。その時はなんだかむず痒くてでも嬉しくて、思わず笑ってしまったのを覚えている。
梗夏は「愛」というのを知った。
村では1人で過ごしていた日々。常に自分を守るために周囲を警戒し、歳も若い娘ではあるが強く生きてきた。愛というものを知らない純粋な娘であった。けれど今は違う。儀式から逃れてこうやって幸せに愛を育み生きながらえている。
梗夏は顔を上げると水神を見つめる。
私達がこんなに幸せでいいのだろうか。これからあの村では生贄の儀式が途切れることなく続き、梗夏のように罪のない若い娘が次々と死んでゆく、そんなの耐えられない。あの辛さが、悲しみが、幸せが崩れて目の前が何も見えなくなるあの感覚を強いるのは間違っている。
「儀式を止めたい」
「………………」
「あの村はおかしい。なんで…なんのために生まれてきた命なのよ!あんな珍妙な儀式のためだけに生まれて死ぬなんてまるで儀式のためだけの物のように扱うし殺す。最低……ほんと最低よ………!」
「梗夏………」
あぁ悲しい。まるで何かが私を縛り付けてるいるようで、助けを求めているようで。
梗夏は顔を両手で覆い泣き出しそうなのを堪える。足元では三毛猫が心配そうに擦り寄ってきた。
梗夏は両親の顔を薄らと思い出す。もう何年も前にいなくなってしまった2人の最後の表情を。都に降りてたくさん稼ぎまた戻ってくると微笑んでいた両親。
その後戻ってくることはなかった。
都で何があったかなんて村娘が知るはずもない、死んだということだけ耳に挟んだだけだ。けれど信じて疑わなかった。子供は純粋だ、嘘だ嘘だと絶対戻ってくると信じて、結局その優しい2人から授かった命も生贄となり信じてきたもの、これからの未来全てが生贄の儀式で犠牲になっていく。そんな思いがあの沼にはたくさん渦巻いて絶望して恐怖をあらわにしたその感情をご馳走のように待っている邪神がいる。
「許せない。いや、許さない」
許す許さないの問題ではないかもしれない。あの邪神にはこれまで生贄に捧げられた分だけの罪を償ってもらわないとならないのだ、歴史上のなか数え切れないほどの生贄の娘の分を。
隣で静かに耳を傾けてきいていた水神は梗夏の肩に寄りかかる。綺麗な長い黒髪がさらさらと肩から滑り落ちる。そして降っていた雨もぴたりと止まった。
水神はゆっくりと閉じていた瞼を開けると優しい口調で言う。
「みんなには幸せになってほしい」
「…うん」
「僕たち水神のことじゃない。あの生贄に捧げられてきた娘さん達や、これから犠牲になってゆく者。その家族や身内の人々が幸せに笑っていける未来を」
「…………そうだねっ」
涙が溢れてきた。冷たい感情に温かい涙が滲みるように温めるように慰めるように。水神の言葉がとても温かい。
「変えていこう。絶対に」
涙で前が潤んで見えなかったがきっと水神の表情は至って真面目だと思う。まっすぐ前を向いていて確実にその願いを希望を叶えていく覚悟を言葉に感じた。
ぴたりと止まっていた雨は再び動き出し庭を濡らしてゆく。水神は泣いている梗夏を抱きしめると優しく背を撫でた。
「それにこんなに可愛い僕の妻を泣かせるなんて本当許せない」
「う、うん?」
「大丈夫だよ、これからもっと色んなことを好きになっていけばいいんだから」
最後に一言、梗夏の耳元で囁く。
「愛しているよ、梗夏」
その言葉は今まで聞いてきた言葉で1番温かなものだった。
『愛している』
それに応えるように梗夏も水神の背に手を回し抱きしめ返す。そして微笑んだ。
「私も愛しているわ」
水神は皆優しい。きっとこれから長い年月をかけてあの沼は消えていく。どうかその長い年月のなかで少しでも幸せを感じてくれるものが増えるように願う。
どうか。
『生贄の娘は必ず救われる、だってみんな優しいもの』
この言葉があの子に届いたかどうかは定かではない。
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