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8 チッタゴンからきた聖者

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又兵衛たちサムライの一団は、岸壁にならんで銃を空にむけ、空砲を鳴らした。
乾いた炸裂音が轟き、川面に火薬の白煙が流れた。
船の舳先で出迎えをうけたパードレ(神父)は、供の者たちとともに、荒っぽい歓迎を不安気に見守った。
船が速度を落とし、半弧を描いて桟橋に横腹を寄せた。

又兵衛は、部下たちを起立させたまま大股で桟橋をわたった。
いつものように束髪で着物を着、腰に二本の刀を差している。
太い竹を組み合わせてできた桟橋が、ぎしぎし音をたてた。
又兵衛は船の舳先へさきのまえまできて歩みを止め、両足をそろえた。
そして両手をきっちり胸で合わせ、深々と頭をさげた。

頬のこけた細身のポルトガル人のパードレは、白い法衣をまといい、首に十字架を吊げていた。
出迎えた又兵衛に挨拶を返すことも忘れ、はじめてこの世を眺めるひよこの眼差しでサムライ隊に見とれた。
「パードレ様。ダンマ王の命令で出迎えにあがりました。わたしは王の護衛隊の隊長、前田又兵衛ともうします。ご安心ください。我々は日本からやってきたサムライですが、全員が切支丹でございます」
よどみないポルトガル語だった。

パードレは、やっと気づいたように、おう、と小さく声を漏らした。
商人か特殊な人間以外、現地人はポルトガル語など話さない。
「わたしはパードレで、マンリーケともうす。陸路を急ぎやってきた」
マンリーケは、ようやくからだの力を抜き、うなずいた。

又兵衛は、ダンマ王からの伝達であらましを承知していた。
「いま、あなた方は、切支丹だと申しましたな?」
マンリーケは、岸に居ならぶ束髪そくはつに着物姿の四十人ほどのサムライの一団を、あらためて見渡した。
サムライ護衛隊が留守の間、本来の親衛隊が王の身辺警護の任務に就いている。

「わたしは故郷にいたとき、エコール(神学校)で切支丹きりしたんについて学び、ポルトガル語を話すようになりました。あなた方が訪れるということを知り、王がわれわれに迎えにいくようにと命じたのです」
マンリーケはもう一度、岸壁を仰ぎ見た。
「あなたがたサムライは、日本からこのラカインのミャウーまできたというのか?」
マンリーケの目に、おどろきの色があふれた。
「さようです。ポルトガル人も我が母国、日本まではるばるやってまいりました。そしてわたしたちに、神についていろいろ教えてくれました。いまでもその熱い思いには、感謝いたしております」

パードレのマンリーケは、インドのチッタゴンからやってきた。
ラカインの国軍は、ミャウーの都からチッタゴンに帰る商人たちに『ヤカイン国の海軍はチッタゴンにいるポルトガルの海賊船を退治するため、大規模な遠征計画を準備中』という情報を与えた。
作戦は見事に成功した。
半月後、チッタゴンのポルトガル人居住者を代表し、供をつれたパードレ一行がカラダン川の中域に辿り着いたのだ。そして首都のムラウーに入りたい、とダンマ王宛に手紙で知らせてきたのである。

手紙には、『チッタゴンは、善良なる切支丹たちが住む平和な港湾都市です。ポルトガルの海賊はおりません。どうか遠征計画はお取り止めください。貢物みつぎものを届けるため、ムラウーのダンマ王に謁見したい』と書いてあった。
一行はチッタゴンから陸路を横切り、息せき切ってやってきたのである。
途中、ラカインの山をこえたところで、供の者二人が虎に食われたという。

チッタゴンのポルトガル人たちの慌てふためきようが、又兵衛の目にもうかんだ。
事情を知っている又兵衛には、同じ切支丹として、マンリーケが哀れだった。
この事実が、チッタゴンのポルトガル人から、シリアムのデ・ブリトにも伝わっているだろう。
又兵衛は、いまは追放されて廃墟はいきょになっているポルトガル人町に一行を案内した。
そこが連中にあてられた宿舎だった。

又兵衛の役割は、王の謁見えっけんがあるまで、一行の相手をすることだった。
相手といっても、敵の国からきた使者である。気軽にミャウーの都を案内する訳にはいかなかった。
又兵衛は日本人村に小さな教会を建てる計画を立てていた。
できた新しい教会に福音を与えてもらうと同時に、自分たち日本人に洗礼を授けて欲しい、と依頼した。
そのため又兵衛は、王に教会建設の許可を願い出、承諾も受けていた。
パードレの出現は、かねてから教会が欲しいと願っていた又兵衛にとって、絶好の機会であった。
すでに教会の建設は、はじまっていた。石を土台にし、骨組みは木と竹にし、壁や屋根は編んだ椰子の葉で葺いた。大急ぎの建設で、日本人たちが総出だった。教会ができるというので、誰もが嬉々として仕事に励んだ。完成までは四日間の予定だった。


パードレ一行がポルトガル人町に落ち着いたとき、又兵衛は、旅から帰った部下から次のような情報を得た。
ミャンマーのナッシン王がラカインの援軍をまたず、独自でデ・ブリトのシリアムを攻撃した。
しかしデ・ブリトの猛反撃に会い、ミャンマー軍はあわてて撤退した。
それだけならともかく、デ・ブリトの強さにおどろいたナッシン王は使者を送り、平和協定を結んでしまった、というのだ。

ミャンマーの諸侯に永遠の敵だと宣誓せんせいしておきながら、独自の判断であっさり戦争を終結させてしまったのである。
仏教徒の不倶戴天ふぐたいてんの敵と戦うと、ミャンマー諸侯に兵をださせていたナッシン王のこの行為に怒ったのが、故ナンダバインの弟の王子であるアナウペルンだった。

ナッシン王がいくら平和協定を結んだとしても、仏教をないがしろにし、ミャンマー国内に自分の国を造った異教徒の異人、デ・ブリトを許す訳にはいかない、と宣言した。
すると、仏教を深く信仰していた他諸侯たちがナッシン王を見捨て、アナウペルンのもとに集結したのである。
争いも戦いもなく、新王が誕生した。

ラカイン国のダンマ王に、新王のアナウペルンからも早々に公式の親書が届いた。
ラカインのダンマ王は、陸軍の出陣の準備を終えたところだった。
ダンマ王も、かつて自分の国の雇用兵であり、部下であったデ・ブリトを許す気はまったくなかった。
計画どおり、密かに軍を分散させ、ミャンマーにむかわせる予定だった。
象も馬もつれず、兵の武器や鎧はばらばらに分散させ、別々の馬車で運ぶ用意も整えていた。

チッタゴンからきたパードレのマンリーケに、ダンマ王への謁見の許可はすぐにおりた。
マンリーケは貢物みつぎものをもち、又兵衛に伴われ、王宮にあがった。
一人だけの謁見で、供の随行ずいこうは許されなかった。
通訳として付いた又兵衛に、結果はわかりきっていた。
又兵衛はマリーンケを案内し、王宮の石造りの廻廊をわたった。
廻廊の下の池には蓮の花が咲き、あちこちに水鳥が泳いでいた。
王の謁見の間には各大臣がそろっていた。

マンリーケは、インドのチッタゴンの知事からだと、ダンマ王の好きなルビーとサファイヤをそれぞれ一包みずつ献上した。
「チッタゴンに海賊はおりません。どうか港を攻めるのはおやめください。町には善良な市民がいるだけでございます」
白い法衣を着たマンリーケは、真摯しんしに訴えた。

しかしダンマ王は首を横にふった。
「あそこが海賊の基地だということは、わかっている。ミャウーにくる船が襲われ、われわれは自由に商売ができなくなった。海賊は完全に退治しなければならぬ。ここにいるヤカイン国の大臣たちみんなで決めたことだ」
ダンマ王は献上された宝石に目を細めた自分を忘れたように、左右に居並ぶ大臣たちをうながした。

全員が怒ったような顔つきでいっせいにうなずく。
どこかぎこちないのは、演技のせいでもあった。
その光景を見、マンリーケは青ざめた。そして一息つき、言葉を継いだ。
「正直に申し上げます。たしかに以前は怪しい船が停泊しておりました。しかし、町の住民がすっかり港から追い払ってしまいした。ですからいまはもう、荒くれ者たちはどこにもおりません。どうか攻撃はやめてください。やめるという答えをいただかないかぎり、わたしはチッタゴンには帰れません」

マンリーケの指先はかすかにふるえていた。
自ら置かれている立場ばかりではなかった。
供の者をつれ、路なき路を山で虎に襲われながら猛暑のなかを懸命にやってきたのだ。華奢きゃしゃなからだのマンリーケは、馴れぬ旅で体調を壊していた。

「日本人村に教会が建つそうである。あなたの力で、新しい教会に魂を入れてやってほしい。それがすんだらすぐに帰国してくれ。そして、海賊退治をやめるわけにはいかぬといっていたと、チッタゴンの知事に伝えてくれ」
ダンマ王はつれなく応じた。
言葉どおりに受けとれば、チッタゴンの港や町の壊滅を意味していた。
ラカイン国の海軍は、白人の支配する港町をおどかすほど強力だった。

短い謁見であった。贈り物は喜んでくれたが、収穫はなかった
マンリーケと又兵衛は、水鳥の声を聞きながら再び廻廊をわたった。
王宮の外門を潜るマンリーケの足取りは、たどたどしかった。
肩を落とし、大きく溜息をついていた。
 
「又兵衛殿、あなたはサムライとして、いろいろご経験をなさっておられるであろう。なにかいい案はござらぬかのう」
外門からはまっすぐの道が伸びていた。
右側の道をいった川向こうの椰子林の木陰に、小さな十字架が見えた。

日本人村にそびえる教会の屋根だった。
十字架は、意識的に外からちらりと見えるほどの高さに掲げてあった。
しかし、まだ骨組みしかできていなかった。
日本人切支丹たちは、パードレがきて完成した教会で福音ふくいんを与えてくれるその時が楽しみにしていた。

3
「王はことのほか、献上した宝石がお気に召したようすでした。お気が変わるといいんですが……」
又兵衛にはそれ以上、なにもいえなかった。
パードレのマンリーケは、見るからに純粋な神のしもべだった。
又兵衛が日本で出会ったパードレと同じように、切支丹の教えをひろめる以外、なんら野心はなさそうだった。
外門のまえには、マンリーケの供の者たちがまっていた。白い法衣を着た白人が二人と、普段着の十名ほどの色の黒い男たちだ。
荷を運んできたり、護衛だったりした信者たちである。

全員、不安でいっぱいの顔を寄せ合っていた。
「パードレさま、ご首尾はいかがでしたでしょうか?」
修道師らしき一人が進みでて尋ねた。
「王の決意は固かった。だれか数人をつれ、一足先に報告にいってくれぬか。わたしはもうすこしここにいて、再び王に訴えでてみるつもりだ。日本人村に教会もできるということでもあるしな」
マンリーケは、川むこうの木々の間に見え隠れする十字架を、遠く仰ぎ見た。

変わらぬ暑い日差しが緑の森に照りつけている。
「又兵衛殿、いつできるのかね」
又兵衛は、日本人村の教会にきてもらえるその日を打ち合わせたいと考えていた。
が、ダンマ王と交渉がうまくいかなかったパードレに言いだしかねていた。しかし、相手のほうから聞いてきた。

「二日後でございます。お越しいただけますでしょうか」
「もちろん、いかせてもらいます。みなさんおまちなのでしょう。それがわたしの使命なのですから」
そう答えながら、パードレはさらにつづけた。
「そしてあなたには、わたしが再び王に会えるよう、努力していただく義務がありますよ。あなたやあなたの部下の人たちは、いつも王の側に仕えているのでしょう。ぜひわたしの味方になってください」
パードレにとって切支丹同士、当然の要求だった。

又兵衛は、この純真そうなパードレのマンリーケに質問をしてみたかった。
デ・ブリトの国、シリアムをどう思っているのかと。
ポルトガル人として、シリアムを知らないわけがないはずである。
デ・ブリトはたしかに切支丹の国を造った。だがそれは、又兵衛が夢に描いていたような平和な国ではなかった。あのとき教会に祈りにいったら、野良犬がごとく、いきなり斬り殺されかけたのだ。
これではただの野蛮人やばんじんの行為である。

ラカインの陸軍は、着々と準備を進めていた。
また、新しいミャンマーのアナウペルン王は、信頼できる頼もしい王だという情報が、ダンマ王のもとに入ってきていた。
ダンマ王も、勝手に平和協定を結んでしまった前ミャンマーのナッシン王には腹を立てていた。
陸軍が密かにアナウペルン王の連合軍に合流し終えたら、いよいよ自慢の海軍の出番になる。

しかし、ミャウーのだれもが陸軍の動きを知らなかったし、海軍の行き先がインドのチッタゴンではなく、ミャンマーのシリアムであるという事実も知らなかった。
「もちろんわたしはパードレ様の味方です。わたしはときどきダンマ王の背後で、護衛にあたります。そしてたまに王が話しかけてきます。もし機会があれば、パードレ様が会いたがっているとお伝えいたします」
又兵衛は肩をすぼめるように、マンリーケのまえで姿勢を正した。

いくら訴えても、マンリーケの満足するような答えは得られない。しかし、気休めでもいいからもう一度くらいは会わせてやりたいと本気で考えた。
「たのみますよ。それでは二日後に、わたしの宿舎に迎えにきてください」
マンリーケは出迎えの供の者たちとともに、川岸にならぶ廃墟のポルトガル人町のほうに歩いていった。
又兵衛は追いかけていき、告げそうになった。

『パードレさま、ご安心ください。わたしは嘘をついていました。チッタゴンは襲われません。ただし、このことはご内密にお願いいたします』
そう告白してしまいたい心境だった。
マンリーケを見ていると、幼いころ、日本で出会った、清く、心の優しいパードレを忍ばせるのだ。日本が懐かしくなった。しかし、日本ではもう切支丹は生きていけなかった。
故郷は、ミャンマーの西にあるヤカイン王国の都、ミャウーと決めたのだ。

4
日本人村の広場に、小さな教会が完成した。
屋根のてっぺんに十字架がかかっていなかったら、ただの細長い二階建ての小屋である。
翌朝、又兵衛は、十字架の旗をつけた舟でマンリーケのいるポルトガル人町までパードレを迎えにいった。
体調を壊し、昨日は一日床に伏していたと聞いたが、金糸きんしを縫いこんだ法衣をまとい、供の者とともに岸壁の小屋でまっていた。

十字架の旗をひるがえし、パードレの一行を乗せた舟が川面を進んだ。
まだ朝だというのに、灼熱の太陽がカラダン川の水面を照らしていた。
炎熱の一日が今日もはじまるのだ。
だが、川面に吹く風は爽やかだった。又兵衛の心は晴れがましかった。

日本人村に入ると、パードレが歩くその足元に、子供たちが小脇に抱えた籠から花びらを撒いた。
着飾った子供たちが、朝早く起きて摘んだ花びらだ。
子供たちのなかには又兵衛の娘のマリもいた。

パードレを迎えにいくとき、マリが又兵衛にいった。
「おとうさま、わたしはキリシタンになるわ。だから今日は、みんなでパードレさまをむかえる花をつみにいくの。でもともだちはキリシタンじゃないけど、いっしょに花をつみにいくって」
マリは、お袖が縫った着物を着ていた。マリは昼間、一人で外に出、近所の子供たちと遊んでいた。暗がりには入らないこと、明るいうちに帰ってくること、などをしっかり言い聞かせてあった。

「切支丹じゃなくても、仏陀を信じていてもいい。好きな神様がちがうからといって、いちいち喧嘩をしていたら、争いごとは永遠に終わらない。相手を認めてなかよくするのがいちばんだ。どんな神様も、みんながなかよく平和に生きることを望んでいる。それがなかよく生きる秘訣だ」
又兵衛はマリに教えた。

「わたしもそうおもうわ、お父さま。わたしはだれともけんかをしません。いつもなかよくしています。いってきます」
マリは元気に答え、廊下をかけだした。
村の広場に面した又兵衛の家のまえには、日本人村に住む子供たちが大勢集まっていた。切支丹の子供も仏教徒の子供も、日本人の子供も、現地人の子供も、現地人との混血の子供もいた。

その日、日本人村に入ったパードレは、花の路をまっすぐ広場にむかった。
竹や椰子の葉でできた教会は、青い香りでいっぱいだった。
教堂は十畳にも満たない粗末な空間だったが、パードレの供の者たちに贈られたキリストの像や、マリア様の絵や、蝋燭ろうしょくの灯る蜀台しょくだいなどがそれぞれの場所に置かれ、にわかにおごそかかになった。

ミサがおこなわれ、供の者たちによって聖歌が唄われた。
ダンマ王の護衛の仕事についている者以外、日本人村のすべての住民が出席した。
ミサが終わると、洗礼の儀式がはじまった。
まだ洗礼を受けていない二十数人ほどが一列にならんだ。

又兵衛は、さっきからパードレの顔色が気になっていた。
旅で壊した体調が、完全ではないようなのだ。頬が青白く、立っているのが辛そうだった。しかし、パードレのマンリーケは知らぬ顔で、洗礼の儀式をつづけた。
突如、壇上だんじょうで、白い布がふわりとゆれた。
パードレだった。倒れたのである。

又兵衛が駆けよった。
「めまいがした……」
パードレは、苦しげにつぶやいた。
そして、自分を覗き込んでいる又兵衛に気づくと、又兵衛殿と呼びかけた。
「なんとしても今一度、ダンマ王に会いたい。なんとかしてくれぬか」
倒れるほどの体調不良でありながら、約束どおり日本人村にやってきてくれたその心意気と、チッタゴンを思いつづける気持に又兵衛は心で手を合わせた。

「努力いたします。それよりも、おからだのほうは大丈夫でしょうか、パードレ様」
「心配はいらない。二、三日寝ていれば快復する」
布団が敷かれた戸板に、パードレが寝かされた。日本人村の住民が戸板を担いだ。
日本人村の切支丹たちは十字を切り、運ばれるパードレを見送った。

又兵衛はポルトガル人町までパードレについていった。
オランダ、フランス、イギリス、支那の外国人町に医者はいなかった。
ポルトガル人町にいた医者は、デ・ブリトとの戦いの一件があり、ポルトガル人の住民とともに追放されていた。
又兵衛は現地人の医者を呼び、治療にあたらせた。
病名は、はっきりしなかった。
当分は安静にすること、という注意をうけ、気付け薬が処方された。
異国で病を得たマンリーケが哀れだったが、又兵衛にはどうすることもできなかった。
栄養を考えた三度の食事をマンリーケの宿まで運ぶだけだった。

5
翌日、又兵衛は王宮で王の護衛についた。
その日は朝から各地の税使たちが納税の報告をするため、次々と王の間に現れた。
ラカイン国は戦争の準備中である。資金はいくらあっても足りなかった。

税使たちの謁見が終わると、ダンマ王は、一息つくかのごとく又兵衛に話しかけてきた。
「又兵衛、前にでてこい。教会ができたそうだな」
又兵衛は腰の刀を部下に預け、王の背後から正面にまわった。
「おかげさまで、ようやく完成いたしました。許可をいただき、ありがとうございます」
又兵衛は、片膝を突いた姿勢で頭をさげた。
「デ・ブリトも切支丹であるが、おまえとはどうちがうのだ」
ふいに訊いてきた。ダンマ王は異教徒に寛容かんような態度をとっていた。

又兵衛は慎重に言葉を選んだ。
「わたしたちの願いは、生きているときも死んでからも、平和な日々が送れることです。特に、生きてこの世で平和な日常を送るためには、金銀や財産などは不要と考えております。家があり、日々の食べ物さえあればそれで充分です。デ・ブリトは、欲望という名の悪魔にとりつかれているようです。欲望は、人に無限の争いをうながします」
「しかし、おまえの住む土地を、誰かが奪いにきたらどうする」
王は皮肉でいっているのではなく、真面目に訊ねていた。
「戦います」
又兵衛は即座に答えた。

王がかすかに微笑ほほえんだ。
「戦わねば滅びるからな。我々仏教徒も同じである」
「日本人村にも仏教徒はたくさんおります。でもわたしたちは仲良く暮らしております」
「わがムラウーでは、日本人村の住民がいちばん穏やかに暮らしていると聞いた。争いごとも犯罪もいっさいないそうだな。だから、教会の建設を許したのだ。チッタゴンからきたあの男はどうしているか」

ダンマ王の話の方向が変わった。又兵衛は、いま自分がめられた名誉を忘れ、話を継いだ。
「チッタゴンからきた使者は体調をくずし、休んでおります。ですが、いま一度、王への謁見を望んでおります」
からだの線の細いマンリーケが、一人静かに天井を見あげている姿が、又兵衛の目に浮かんだ。
宿舎になっているポルトガル人の家の寝台の上だ。

「病気などともうして、長居を決め込んでいるのではあるまいな。一日もはやく帰国させるようにいたせ」
王は動じなかった。
又兵衛は、承知しました、と答えざるをえなかった。事実、作戦上、さっと帰ってもらい、ラカイン海軍がチッタゴンを攻撃する、とマンリーンケ自身からも伝えてもらわなければならなかった。

王の間を辞すると、又兵衛はカラダン川のほとりの外国人町にむかった。
チッタゴンのポルトガルの海賊が活躍したおかげで、たしかにムラウーへの貿易船の入港が減った。
外国人の姿も最盛期の半分以下だ。
閑散かんさんとしたポルトガル人町に入った。
日干し煉瓦れんが造りの、四角い窓の家が物音もなくならんでいる。
パードレたちはそのうちの数軒に、隣り合って住んでいた。

マンリーケは寝台に横たわっていた。
「パードレ様、王への謁見えっけんの願いはなりませんでした。王の意思は固いようです。すぐにムラウーを出ていくようにとのお達しです」
心苦しかったが、告げなければならなかった。

マンリーケは寝台の上で黙って聞いていた。顔色は倒れたときと変わっていなかった。元気をだしてください。本当は、海軍はチッタゴンへはいかないんですから、と又兵衛はいいたかった。
「旅に必要な寝台を作らせましょう。チッタゴンにいちばんちかい海岸まで船を用意いたします」
翌日、又兵衛は船や食料など旅に必要なすべてを用意し、パードレ一行をムラウーの港から送りだした。
パードレたちの供を乗せた船は、あわただしくムラウーを出発した。
『ラカイン海軍は、近日中にチッタゴンの掃討そうとう作戦を決行する』という報告をするために。
                      8章了
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