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9 王の旗艦船に乗って戦へ ​

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「なぜおまえは、デ・ブリトに捕まった」
ダンマ王は怒った。
「なぜおまえは、デ・ブリトに負けた」
とらわれたウバイ王子は、金銀財宝との引き換えでムラウーにもどった。
迎えの船で帰ってきたばかりだった。

それなりの扱いは受けていたのだろうが、精神的には辛い日々であったろう。二十歳のウバイは、無表情で長い黒髪をまっすぐうしろに伸ばし、肩の上に落としていた。
父のダンマ王に似て背は高かったが、からだは細い。
「いいか。今度は負けるんじゃないぞ。名誉を回復するんだ」
ラカインの陸軍は、すでにミャンマーのアナウペルン王の陸軍と密かに合流していた。

王子は寡黙かもくだった。憤然ふんぜんとした面持ちで王のまえにひざまずいていた。
「いけ。デ・ブリトをやっつけろ」
王子は一言も発せず、立ちあがった。そして背中をむけた。
「ただし、わしが海軍を率いてシリアムを攻撃するまで、ラカイン軍の旗は立てるな」
後ろ姿を見せたまま振り返り、王子は軽くうなずいた。

帰ってすぐの出陣である。
デ・ブリトはシリアムの砦に、なみなみならぬ自信をもっているのだ。
またこい、またやっつけてやる──そのときは平和協定だ、と。
又兵衛は王の背後から王子を観察していた。
正面から眺めるのははじめてだった。
王子の目には意思があった。
ダンマ王は、王子に理不尽りふじんな怒りをぶつけていたが、それははげましの表れだった。今度の戦いで、勝者としての栄誉を取りもどして欲しいと願っていたのだ。

ウバイ王子は、密かにラカイン国を出立した。
だれもがチッタゴンの海賊退治にでかけるものと思っているラカイン海軍に、出番のときがきた。
港に詰めかけた見送りの群衆のなかには、外国人町に住むオランダ人やフランス人も混じっていた。
外国人の彼らは、ポルトガルの海賊の出現で被害をうけ、商売がしにくくなっていた。だから本気で討伐とうばつ艦隊に声援を送っていた。

艦隊は三十隻の西洋船である。
艦隊のあとに食料物資を運ぶ兵站へいたんの船がつづいた。
ラカインは首都が内陸にあり、一見、海とは遠く離れた感覚だったが、実はベンガル湾に面した細長い海岸線をもつ海洋国家だった。
それゆえ常に強力な海軍をもち、全土を統治しなければならなかったのだ。
海軍は同時に、隣接する他国への備えにもなった。

又兵衛たちサムライは、ダンマ王の旗艦船きかんせんに乗った。
一隻には五百人からの兵が乗り組んでいる。だから海軍の兵力は合計で約一万五千になった。さらに各船には、最新鋭のオランダ製の大砲が六門ずつ搭載とうさいされていた。合計で百八十門である。

大砲はデ・ブリトのポルトガルの大砲よりも、弾の飛距離が長かった。
これら海軍の兵力と約八万の陸軍連合軍とでシリアムを挟み撃ちにするのである。
艦隊はカラダン川の河口に出、陸路沿いに航行する。
チッタゴンではなく、シリアムにむかう事実が戦艦に乗り組む兵士にはじめて伝えられた。各船とも艦長にしかシリアム行きを知らせていなかったのだ。

船は風を帆に受け、星空の下を進んだ。
風も波も、人間の威信いしんをかけた戦争など知らぬ気である。
又兵衛は船倉で波の音を耳にしながら、シリアムのデ・ブリトについて考えた。
異教徒で異人の王の国が認められる可能性があるとすれば、他国と平和協定を結ぶか、全ミャンマーを自分のものにするしかなかった。

デ・ブリトのシリアムは孤立していた。
ポルトガルや隣国のアユタヤ(タイ)から援軍がくるという情報もなかった。
又兵衛からすれば、よほどの誤算がないかぎり、デ・ブリトに勝算はなかった。
前ミャンマー王のナッシンは単独で攻撃して失敗し、デ・ブリトに屈したが、すぐ新たな挑戦者が現れた。
ラカイン軍も陸軍が破れ、王子を人質にとられて休戦した。
だが、敵意を新たにし、再びシリアムに襲いかかろうとしている。


デ・ブリトは野望を抱き、船室の給仕係としてポルトガル船に乗り組んだという。
やがてラカイン国の、ポルトガル人傭兵団ようへいだんの砲兵の仕事にありつき、砲兵隊長となった。そして手柄てがらをたて、たちまちミャンマー国王の覚えめでたき身となり、シリアムの知事に任命されたのである。
だが、デ・ブリトの野望は大きくふくらみ、おやといの知事では満足できなくなった。
大胆だいたんな企みだった。
日本でいえば、天下統一を果たした家康の国にポルトガル人の国を造ろうとしたようなものだった。場所でいえばちょうど大阪あたりか。

勢いで一時的に占拠はできるだろう。
存続のためにどんな計画をめぐらしているのか。
いずれにしてもデ・ブリトは、そのために懸命けんめいに戦っている。
又兵衛は、はじめてシリアムを訪れたときを思い出す。

ポルトガル人たちはたかぶっており、又兵衛たちは危うく殺されかけた。
ポルトガル人の抱く野望やぼうが、白人たちの東南アジアにおける都市国家設立の夢を育んだのだ。
しかし、白人独特の思い上がりや矜持きょうじが反感を買うことなど、デ・ブリトは考えてもいなかったようだ。

夜番の護衛係りを除いたサムライたちは、船倉でならんで眠った。
そんな光景を又兵衛は何度も目撃した。
瀬戸内海や大阪湾や九州や長崎、そして高砂国たかさごこく(台湾)へむかったときなど、数えきれないほどだった。
みんな同じ仲間である。だれもがそんな戦に馴れていた。
今回は外国の戦争だった。自分たちの戦いではなかったが、戦地におもむく緊張感は同じだった。
いずれにしてもデ・ブリトが相当のやり手であり、激しい戦いが予測された。
仲間たちのいびきと波の音が重なり、それが怒涛どとうのごとくとどろく軍馬の大集団の疾走となった──どこのいくさだったか──又兵衛も眠りについた。

船団は、以前にも停泊したラカイン国の最南端、カンサヤ県のガワ港に着いた。
ガワ港から半島をぐるっと廻れば、一日でシリアムである。
ガワは最前線の港だ。
だが、国境警備隊も駐屯ちゅうとんしていまいし、海軍の軍艦が出動しているわけでもない。
浜に大小の漁船が十隻ほどならんでいるだけだ。
デ・ブリトのシリアムが下ミャンマーの支配を目論んでいても、まだそこまでは手がのびていない。

船団はそこで、以前のように情報をもらう。
以前とちがい、今回は指令船から浜にむかい、一隻の小舟がこぎだした。
小舟が岸に着くと物陰から男たちが現れ、小舟に乗りこんだ。
みな私服だ。王が放った物見ものみである。

小舟が指令船にもどってきた。
小舟に乗り込んだ男のなかには、又兵衛の部下の八右衛門もいた。
八右衛門は語学が達者で、ミャンマー語もラカイン語も、だれよりもはやく覚えた。
丸みのある顔と細い目に愛嬌あいきょうがあった。

アユタヤにいたとき、ミャンマー人からルビーの鑑定法をたちまちのうちに会得した男だ。今では自らミャンマーの山奥まで出向き、ルビーやサファイアを買い付けてくる。
シリアムにもたびたび商いででかけていた。
今回は、シリアムの情報を又兵衛にもってきたのである。

男たちは指令船に着くと、一人を除き、王の船室に消えた。
王の護衛隊は副隊長の次郎吉の組の当番だ。

王のいる船室の左舷さげんで、非番の又兵衛が王の使者たちを見守った。
すると、笑顔の八右衛門が目の前に立った。
王の密使みっしたちの仲間と一緒に、迎えの小舟に乗ってきたのである。
又兵衛の顔色を察し、八右衛門が答えた。
「みんなが勝手に、自分もダンマ王の密使と判断したらしい」
「合言葉はなかったのか?」
「ありましたけど、そんなもの必要なかったんです。みんな顔見知りでしたから」

八右衛門の外観は、どこにでもいる現地住民だ。
丸顔でにこっとした笑顔と細目に、つい油断してしまうのか。
「もしおまえが敵の暗殺者だったら、大事おおごとになっていたな」
又兵衛は護衛隊の隊長だ。指令船へ出入りする者の検査は、近衛兵たちの仕事だった。

波の音と、潮風が甲板かんぱんを包んでいる。
所々に近衛兵の立哨がいる。
又兵衛がうなずき、八右衛門が語りだした。
ミャンマーとラカインの連合軍は、またも待ち伏せ攻撃にあったという。

だが、ラカイン軍のウバイ王子が勇敢ゆうかんに戦い、デ・ブリトの軍隊を追い返した。
ラカイン軍は、旗を立てず、あくまでもミャンマー軍になりすました。
アナウペルン王のミャンマー軍も戦意が旺盛おうせいで、逃げるデ・ブリト軍を追撃し、ついにシリアムに篭城ろうじょうさせた。
戦乱のなか、幾たびか王が変わり、今はアヴァ(インワ)に都市を置くアナウペルンがミャンマーの王となっていた。

しかし、城にちかづこうとした連合軍は、猛烈な反撃にあった。
大砲を撃ちこまれ、打撃を受けたところに、城からくりだしたデ・ブリトの鉄砲隊に襲われた。
その数はなんと五千。
ミャンマー軍兵士は次々に倒れ、あやうく遁走とんそうしかけた。

そこにラカイン軍が応援にでた。
ウバイ王子のラカイン軍の槍隊やりたいと弓隊は、デ・ブリトの鉄砲隊に側面から襲いかかった。鉄砲隊と白兵戦はくへいせんを展開したのである。
入り乱れた戦いになれば、鉄砲隊は威力いりょくを失う。
鉄砲隊は、逃げるように引きあげた。

砦にこもったデ・ブリト軍は、壁に取り付くミャンマー軍を弓や鉄砲で狙い撃ちしてくる。
逃げ帰った兵が待機していると、砦から騎馬の鉄砲隊が出撃してくる。
ミャンマーとラカインの連合軍は打撃を受けるが、デ・ブリトの鉄砲隊は深追いせず、さっと引きあげる。


シリアムの砦は、ダゴン川のYの字形の流れにはさまれていた。
連合軍は今、わずかな船しか出動していない。それも戦艦ではなく、ほとんどは兵站用の船だ。
一方、デ・ブリト軍は、手持ちの軍艦すべてを川岸に集め、砦を半円に囲っていた。そして軍艦の砲門は、すべて陸の連合軍側にむけられていた。

「気づいていません」
八右衛門の顔に笑みが出た。ラカイン国軍の参戦についてだ。
「開戦前、砦の外に駐屯していた兵隊に、ラカイン軍について聞きました。王子を捕虜ほりょにされ、陸軍を壊滅かいめつされたラカイン軍は、シリアムのデ・ブリトとの戦いを放棄ほうきし、貿易のために、チッタゴンのポルトガルの海賊の基地と戦争をしていると信じていました。なによりの証拠は、デ・ブリトの海軍の陣形です。河口側をまったく警戒していません」

八右衛門は、ミャンマー人が日常に着ている筒袖つつそでの着物のえりから、一本の紙縒こよりを引き抜いた。
紙縒りを指で転がすようにこすってひろげると、一枚の紙になった。
紙には地図が描かれていた。
記されていたのは、砦の港側に寄り添うように停泊している、十隻ほどの軍艦の位置だった。十隻の船のなかには、デ・ブリトがインドのゴアのポルトガル総督そうとくから譲りうけた六隻の軍艦もふくまれていた。

「あとの二人はどうしている?」
又兵衛は八右衛門のほかに、あと二人の物見ものみを送っていた。
「二人は、砦の正確な地図を作っています。砦の外に住む、元衛兵や、戦いで負傷した兵隊などから情報を集めています。艦隊がシリアムを攻めるころには連絡があるかと」
又兵衛は、敵の船の位置を記した紙とともに、自分が得た情報を書き記し、ダンマ王に報告した。

本来、政治的な関わりは避けるべきだと考えていたが、自分たちが生きるために選んだ国が戦闘状態におちいろうとしているとき、やはり黙ってはいられなかった。
ダンマ王からはすぐに呼び出しがあった。
「前回のチッタゴン征伐せいばつ作戦の案といい、今回の報告といい、大いに役立つであろう」
ダンマ王は左右から大団扇うちわ微風そよかぜをあびている。
もう戦争に勝ったような余裕である。

密使たちがもどったとき、王の護衛にあたっていた護衛隊の副隊長の次郎吉によれば、帰ってきたダンマ王の四人の物見たちは、八右衛門と同じような報告をしたという。そして四人は異口同音に『敵はラカイン軍の介入に気づいていない』と報告した。

「又兵衛、おまえは長期戦にもちこめばいいといったな」
「はい、そう述べました」
「長期戦とは、どのくらいの期間をいうのだ」
どうせなら時間も戦費をかけずに勝利したい、と王も願っているのだ。
「わが艦隊は、オランダの最新鋭の大砲を搭載とうさいしている。シリアムは一斉射撃でほどなく陥落かんらくするであろう」

大阪の夏の陣では、徳川方の最新式の大砲が大阪城の天守閣てんしゅかくを破壊した。
秀頼ひでよりの母、淀君よどぎみは、これですっかりきもをつぶした。戦う気力を失い、和平協定を結ぼうとしたが、徳川側は無視した。

「いずれにしても王が勝利いたします」
又兵衛は確信たっぷりに告げた。
「わしの護衛をしているよりは、兵隊を率いて敵陣に討って出ぬか」
兵隊を与えるから、手柄を立ててみないかといっているのだった。
「機会があれば、そうしたいと思っております」

一瞬、又兵衛は、一県一郡の主になっている自分を想像した。が、あわてて打ち消した。めっそうもございません、と手をふりたかったが、口にはだせなかった。
「わが艦隊は、三日後の夜明けとともにシリアムを攻撃する。川とは反対側の陸地からは、連合軍が攻める。もちろんわがラカイン軍は、堂々と軍旗をかかげてな」


なぎだった。
真夜中過ぎ、艦隊は帆をおろし、沖からバゴー川の河口を目差した。
月と星の明かりを掻き分け、各艦のがしなった。
漁船とも貨物船とも行き会わず、河口からうまく侵入できた。
もし敵の見張りの艦と遭遇そおぐうしても、たちまち砲撃で沈めてしまう。
ラカイン海軍の侵入を、シリアムに知らせる時間はないのだ。

三十隻の艦隊はかいをそろえ、バゴー川をさかのぼった。
ダンマ王の乗った旗艦船はうしろから二番目の位置をとった。
遠く、川岸の月の明かりのなかに、林や家の屋根がかすんでいた。
艦隊の船は、舳先へさきに赤い灯を、ともに黄色い灯をともした。

各船に乗り組んだ兵士たちは、鎧に身を包み、船倉で息をのんでいる。
甲板では砲兵たちが、十人一組で配置についている。
帆柱の上には、遠眼鏡とおめがねをもった見張りがつき、周囲を覗っている。
デ・ブリト側に気づかれたようすはなかった。

魯のきしむ音と、規則的な波の音が川面に響いた。
物音の途絶えた静かな夜だった。
どのくらいたっただろうか。
空の星と月がどこかに消えていた。

空がぼんやり白くなり、あたり一面が霞んでいた。
黒い川面から、かすみが立ち昇っていた。
靄のなかを櫂が水を掻いた。
やがて、白い空気がすうっと引き、透明になった。
夜明けだった。

帆柱の上の見張りが旗をふった。合図だった。
目の前に敵の軍艦とシリアムの砦が迫ったのだ。
もちろん敵は気づいていない。
旗艦船と護衛艦が戦列を離れた。
旗艦船は指揮をとるため、後方の安全な場所に移るのだ。

ほかの二十八隻の戦艦は、そのまま突き進んだ
先頭の戦艦が轟音を放った。海軍の全戦艦が開砲かいほうした。
情報のとおり、シリアム軍はラカイン海軍の出現を予測しておらず、まともに砲撃を受けた。
ヤカイン艦隊の当初の狙いは、シリアムを守っていた十隻の軍艦の壊滅かいめつだった。
報告どおり十隻のシリアム艦隊は、搭載とおさいした大砲のすべてを陸にむけていた。

弾丸が飛び、無数の波しぶきがあがった。
敵の艦から離れた場所にあがった波しぶきは、徐々に距離を詰めた。
やがて、敵艦の帆柱が倒れ、甲板が吹き飛ぶ。横腹に大きな穴が空く。
船体をふるわせ、ラカインの艦隊が次々に弾丸を撃ち込む。

白煙が川面に雲のようにながれた。
デ・ブリトの軍艦は搭載とうさいした火薬を爆発させ、炎をあげだした。
勝負は、あっさりついた。
ラカイン艦隊の攻撃をうけたシリアム海軍の軍艦は、一発も反撃できなかった。

ラカイン海軍からすれば、演習ででもあったかのように、敵艦を破壊した。
炎をあげる艦からは、何人もの男たちが川に飛び込んだ。
泳いで岸に這い上がり、砦の壁のほうに逃げていった。

陸地からも喚声があがった。
シリアムの砦の反対側からだ。
夜明けとともに、攻撃を開始したミャンマー軍とラカインの連合軍だった。
河口側の砦にようやく大砲の砲口がのぞいた。
デ・ブリトのシリアム軍が、ラカインの艦隊めがけて撃ってきたのだ。

大砲の撃ち合いならば、ラカイン海軍に分があった。砲弾の飛距離と破壊力がちがうのだ。
応戦しながら後退したラカイン艦隊は、全艦が横一列の陣形で攻撃を開始した。
重たい砲弾の音が辺り一帯をおおう。
それぞれの艦の帆柱に、ラカイン軍を示す緑の仏陀ぶっだの旗がひらめいた。

砲弾が、シリアムの城壁に次々に命中する。
城壁が崩れたら兵を上陸させ、内部に突入させる。
「どうだ、デ・ブリト、降参せい」
ダンマ王は旗艦船の甲板に立ち、腕を組んだ。
旗艦司令部の参謀たちも背後にならんだ。

「撃って撃って、撃ちまくれい」
ラカイン艦隊は、退却時に大砲を二、三発受けたが、損害はたいしたことがなかった。
「又兵衛、うまくいったぞ」
ダンマ王は、司令艦の司令室で又兵衛に呼びかけた。
「はい、うまくいったようです」
又兵衛も重臣たちの背後から答えた。
一方的なラカイン艦隊の艦砲かんぽう射撃だった。

だが予想に反し、砦の壁はびくともしなかった。
壁は大砲の攻撃を予測し、想像以上に頑強がんきょうに造られていたのだ。
しかも、壁の外側にはにぎ拳大こぶしだいの円い石が一面に埋め込まれ、丸い鉄の榴弾りゅうだんを四方八方に弾き返した。

その壁の厚さは、五十センチもあり、硬い石を積み上げてできていた。
しかも壁は三重にもなって、シリアムを囲っていた。
はじめて又兵衛がシリアムを訪れ、城内に入ったとき、深いトンネルを潜ったような気がしたのはこんな構造になっていたからだった。

もっともラカイン軍は壁が三重になっていることは知っていた。
だが、外側の壁の構造の意味はだれも知らなかった。
くわえて、三重の壁の間は通路になっており、所々に鉄扉の門があった。
侵入者が外側の扉を破っても、二番目の壁の扉に辿り着くためには、次の壁との間の通路を右か左かにくねりながら進む。

二番目の扉を破ったとしても、また壁と壁の間の通路がまっている。その間、頭上から攻撃を受ける。
一方、内部から外部に兵を送り出すときは、あらかじめそれぞれの門を開け、一気に突撃する。
そして相手に打撃を与え、さっと引き返す。


砲弾をあびても砦は無傷に等しかった。
ラカインの艦隊は、城壁の頑強がんきょうさにおどろいた。
ダンマ王は、砦内への砲撃を命じた。
そのためには、相手の大砲の射撃範囲内に侵入しなければならなかった。
大砲と大砲との戦いである。

ラカイン艦隊全艦の大砲百八十門が、シリアムの町に襲いかかった。
町の中心にそびえる教会が、一挙いっきょに崩れ落ちた。
しかし、計算してあるのか偶然なのか、砦の奥のポルトガル人たちの建物には届かなかった。
それでもラカイン艦隊の砲は、砲身をたぎらせて攻撃をつづけた。
攻撃を終え、河口から引きあげたが、各船ともわずかに被弾しただけだった。
予想どうり、敵の二千人のインド人砲兵は、それほど優秀ではなかった。

ウバイ王子のラカイン軍は、堂々とラカインの国の旗を立て、夜明けとともに攻撃を開始した。
ミャンマー軍とラカイン軍は手柄を争うかのごとく、砦の壁に取り付こうとした。
だが、砦の守備は堅固けんごだった。
シリアム軍は、梯子いすや素手で壁にとりつく兵を銃と弓で追い返した。
何度攻めても、ミャンマー軍もラカイン軍も壁をこえられなかった。

死傷者が多数におよび、連合軍は一時的に退却を決意した。
すると後退するミャンマー軍とラカイン軍を追い、シリアム騎兵軍が砦から出撃してきた。
ようやく安全地帯にのがれた連合軍が一息ついていると、機をつくようにシリアムの鉄砲隊が襲ってくる。
ミャンマーとラカインの連合軍は、一筋縄でひとすじなわはいかないデ・ブリトに大いなる脅威きょういいだかされた。

戦いが不利に転じようとすると、デ・ブリト軍は、潮が引くように後退し、砦の内に消えた。
そんなとき、銃や大砲、軍馬や人のざわめきがふいに途切れ、静寂が訪れる。
一瞬、戦争はどこにいったのか、という錯覚におちいりそうになる。

しかし、連合軍はすぐに気をとりなおし、戦車や梯子車はしごしゃをくりだす。
壁に取りつき、乗りこえていく兵がいたが、門は内側からは開かなかった。
二重、三重の壁と鉄の扉にさえぎられたのだ。
侵入した勇敢な兵は、二度ともどらなかった。

デ・ブリト軍は悠然ゆうぜん篭城ろうじょうしていた。
もしかしたらポルトガルからか、仲の良くないはずの隣国、アユタヤ(タイ)からか、援軍がくるのではないのかといぶかしんだほどだ。
もしそうならば、どうしてもその前に陥落かんらくさせなければならなかった。

勤務を終えて船倉せんそう…の船室にもどったとき、又兵衛は非番の部下たちと話し合った。
「水攻めはどうでしょう」
集まった部下たちが蝋燭ろうしょくの炎のなかで、額を寄せ合う。
地理的には可能性が十分にあった。
連合軍は数十万でデ・ブリト軍を包囲している。
だが、シリアムを水没させる土木工事には、早くても半年ほどはかかった。
工事中に援軍が現れ、背後から攻撃されたらはひとたまりもない。

「隧道(ずいどう)はどうでしょう」
外から城内に通じる穴を掘る作戦だ。
この提案は、又兵衛の部下ならばだれでもよく知っていた。
大阪城での徳川側との戦いではこれをやられ、豊臣側は大打撃をうけた。

又兵衛も長い戦いのなかで二度ほどこの作戦を使った。
そのときの部下がいまも一緒だ。
「やはり、隧道ずいどうがいいみたいだな」
又兵衛もそれを頭に描いていた。
仲間たちも一堂にうなずいた。

これは、ダンマ王になにを聞かれたときに応じる提案だった。
もし、採用されれば、自分が先頭にたって動かなければならない。
又兵衛は二度と踏み込みたくない世界にひきずりこまれる運命を感じた。
また、砲弾をはじき返す城壁と三重構造に気づかなかった自分の名誉も回復させたかった。
                  9章了

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