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第30話 ペットじゃありません

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 シスが心待ちにしていた公共の大浴場は、街の中心の円形広場から少し行った所にあった。

 シスに抱き抱えられていると亜人たちに奇異の目で見られるのはもう十分に理解していたので、私は目を閉じて寝たふりを決め込む。

 皆さん、私は今疲れて寝ているんです。決してシスに甘えているペットじゃありません。

 心の中で道行く亜人たちに主張していると、やがて大浴場に到着した。

「小町、降りられるか?」

 シスが頭のすぐ上から柔らかい声を掛ける。

「ん、大丈夫」

 シスは私をそっと地面に降ろすと、すぐに私の手を掴んだ。周りの亜人を警戒する様にジロリと見渡すと、私たちを見ていた亜人らはサッと目を逸らす。

「こっちだぞー」

 私の視線に気付くと、にこーっと笑って私の手を引っ張って進み出した。

 シスが亜人の女性と会話をしているところはまだ一度も見かけてないけど、コイツは誰に対しても愛想よく振る舞うのか、ちょっと気になる。宿の店主とは普通に会話していたけど、モグラ亜人には最初は警戒心丸出しだったし、今も明らかに周りを牽制していた。

 やっぱり亜人の基準はいまいちよく分からない、というのが私の正直な感想だった。

 来た時と同じ様な通りだけど、こちらは飲食店が多いのか、あちらこちらからいい匂いが漂ってくる。それはシスも当然感じ取っていた様で、わくわくを隠しもせず私の顔を前から覗き込んできた。

「風呂の帰りに飯食っていこうか!」

 正直、体調は万全とは言えない。久しぶりの湯船に浸かったら、きっとどっと疲れが出てしまう予感がしていた。そう考えると、宿に戻らず入浴の直後に食事の方が身体的には楽かもしれない。

「そうだね、そうしよっか」

 どうせ私は亜人の通貨は所持していないので、財布はシスが握っている。シスが食べたいと言えばご相伴にあずかるのが私のポジションだから、食事の対象が私でない限り、異論はなかった。

 シスは私の手を引っ張り、左に青の暖簾、右に赤の暖簾が掛かった入り口の丁度間に設置された受付台の前で立ち止まる。

 受付に座っていたのは、ピンク色の魚人だ。多分女性なのか、若干胸の膨らみが見えるけど、鱗で覆われているのでよく分からない。

「あ、さっきの吸血鬼さんね。その子が例のヒト? まあ珍しい! 本当に若い雌じゃない!」
「だろー? 嘘じゃないだろ?」

 魚人の女は、私の首輪を見て頷く。雌。いやまあ、間違っちゃいないんだけどね。

「首輪もちゃんと付けたわね。ヨシヨシ。男だとたまに主人がいるヒトでも襲っちゃう奴がいるんだけど、女の方は男ほど争いを好まないから安心してね、ヒトちゃん」

 魚人の女は、そう言うと私にウインクをしてみせた。

 ヒトちゃん……。思わず頬がピクッと引き攣れる。

 シスは魚人の女に二人分の代金を支払っている。こうしていると、子供っぽさはあまり感じられず、年相応の大人の男って感じだ。

 釣り銭を渡しながら、魚人の女が説明をする。

「タオルは使い終わったら、出口の近くにある大きな籠に戻してね。石鹸は中に設置されてるから。あ、最初に洗ってから湯船に浸かるのよー。これやってくれないと、特に毛が生えている奴らだと湯船に毛が浮いちゃってねえ」

 亜人だけど、この人は穏やかな方なのか。喋り方も明るくて、悪い印象はない。前に出会った魚人とは魚の種類が違うのか、この人には少しながらまつ毛が生えていた。やっぱり魚の目はちょっと、いや大分苦手だけど、とりあえず敵意を感じないだけまだマシかもしれなかった。

 魚人の女が、背後から大きめのタオルをふたつ渡してくる。

「じゃあいってらっしゃい! ヒトちゃん、一度身体をよーく洗った方がいいわよお」
「え? 匂いますか?」

 一応毎日、携帯用小型洗浄機の超音波で汚れは落としていたんだけどな。汚れを落とした後にシスに抱きつかれて寝るのが日課になっていたから、もしかしたらシスの匂いが臭いのかも?

 魚人の女が、シスを軽く指差してにやりと笑う。

「そっちの吸血鬼さんの匂いがたーっぷり付いてるのよ。ちょっと付けすぎじゃない? 見てるこっちが照れちゃうわよ」
「は……?」

 唖然とする私に笑いかけながら、魚人の女はケラケラと楽しそうに続けた。

「あ、ヒトって匂いは分からないんだっけ? 自分の匂い付けなんてちょっと擦って付けとけばいいのに、ヒトちゃんからは全身くまなく匂いがするから、どれだけ可愛がられてるのって話よお」
「は……え?」
「溺愛よ、溺愛! もう絶対俺の物だから近付いたら殺すってレベル! ウフフッ」

 なんてこった。呆れ返り、シスを見る。シスは微笑みながら小首を傾げ、更に肩を竦めた。

「たっぷりの方が安心だろー?」

 そうか、コイツは鼻がいいから匂いが分かるんだ。つまり、私がシスの匂いをプンプン振りまいているのも、余裕で知っていた訳だ。ということは、何も知らなかったのは私だけ。

 道理で道行く亜人が私とシスを見ては笑ったり指でハートマークを作る筈だ。

「シス? あんたねえ……っ」

 こめかみに血管が浮き出そうな勢いでシスを睨みつけると、シスは意に介した様子もなく、私の頭をポンと撫でて微笑む。

「じゃあ、風呂が終わったら受付の前で待ち合わせな!」

 人の話を聞けってば。

 魚人の女が、にこやかに付け加えた。

「吸血鬼さんの方が遅い様なら、私の傍にいたらいいわ、ヒトちゃん」
「あ、はい」

 シスよりもこのお姉さんの方が頼りになりそうだな……。そんなことを思いながら、私はタオルを抱えて女湯の方へと足を向ける。

「小町!」

 男湯の暖簾を潜りかけていたシスが、私を呼び止めた。

「……なに」

 ジト目で睨んだけど、全く堪えた様子はない。まあシスだし。

 シスは偉そうに指で私を差す。

「何かあったら、すぐに俺を呼べよー! 飛んでいくからな!」
「あーはいはい」
「ふふ、本当に可愛がってるのねえ、羨ましいこと」

 魚人の女が何かを言っていたけど、私はもう全てを無視して中へと入っていた。

 ――はあ……。
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