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第31話 兎亜人の親子

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 女湯の暖簾を潜ると、一段上がった木板の両脇に下駄箱が並んでいた。

 ブーツを入れられる様な縦に長いスペースは、全て埋まっている。

 仕方ない。私は脱いだブーツの真ん中を折ると、小さめの四角いスペースに詰め込んだ。

 下駄箱の先には更に暖簾があり、それを潜る。暖簾の先は、木の壁に囲まれた脱衣場になっていた。屋根と壁の間に設けられた、換気口と思われる隙間から差し込む太陽光が眩しい。

 巨人タイプの亜人から小人タイプの亜人も利用するんだろう。壁に沿って設置された棚は、かなり上から一番下まで籠が用意されていた。

 まだ早い時間だからか、そこまで客はいないみたいだ。脱衣所にいたのは、兎の様な長い耳と真っ直ぐに伸びた一本の角が頭から生えている、親子らしき獣の亜人の二人だけ。身体の後ろ半分は毛に覆われているけど、前はヒトと同じ肌をしていた。

「うわっヒトだよお母さん!」

 まだ子供の兎亜人が、私を思い切り指差してくる。腹は立つけど、ここは亜人の街でヒトの立場は弱い。私は視線を避ける為、背中を向けて服を脱ぎ始めた。

「ねえお母さん、あのヒトからしてる凄い匂いはなあに?」

 子供は無邪気に母親に聞いている。もういいよ、匂いの話は。思わずじろりと睨んだ。

「しっ。目を合わせちゃだめ」

 母親は、子供に素早く服を被せながら、子供の頭を自分に引き寄せる。

「どうしてー?」

 子供は遠慮なく聞き続けた。もう勘弁して。

 深い溜息の後、母親は囁き声で説明を始める。丸聞こえだけど。

「それはね、あのヒトのご主人様の執着が物凄く強いからよ」
「執着ってなあにー?」
「少しでも他人があのヒトに触れたら、こっちが殺されてしまうくらいの独占欲ってことよ」

 はっきり言った。独占欲とか執着とか、ちょっとやばくないか、私に付いているシスの匂いの量。

 母親は同情的な声で更に続ける。

「可哀想に……。いくらヒトだからって、あんなに匂いがつくほど愛玩されていたら、弱いヒトなんてすぐに死んでしまうでしょうに」

 愛玩。今、愛玩って言った?

 思わず目を剥いて母親の方を凝視すると、母親は憐れみを含む笑みを私に向けた。あ、ちょっと待って、それ誤解だから。

「さ、行きましょう……」
「ヒトちゃん、元気で生きてねー」

 子供に手を振られて思わず振り返していると、暖簾の奥に親子が消えていった。

 素っ裸になり突っ立っていた私の奥歯が、ギリ、と嫌な音を立てる。

「……シスのやつ……!」

 なんて恥ずかしいことをやってくれたのよ、アイツは。あの母親の言うことが本当なら、愛玩ていうことは、まさかヒトと亜人はそういうことがあるってこと……だろうか。

「――あ」

 そうだ。考えてみれば、済世区サイセイ・ディストリクトを出て三日目に立て続けに亜人に襲われてシスと出会ったあの日、人狼に『食べる前に味見』と言われたじゃないか。あれは私も貞操の危機だと感じたから、相手に理性が足りなければそういうこともあり得るのかな、とは思っていた。

 だけど、ペットは別枠なんじゃないの。亜人の間でヒトを飼うのが流行っているのは、単に飼育しているんだとばかり思い込んでいた。

 ――まさか、所謂男女のそういうのもあるんだろうか。主従の間柄なのに。種族だって違うのに。いやでも、考えてみれば、亜人は自身が環境に合わせて進化しただけでなく、他の種族と交配して種の存続を成功させたいわば新人類だ。繁殖力の高さを考えれば、その可能性は十分にあり得る。

 脳裏にポンと思い浮かんだのは、最初に道ですれ違ったヒトのおじさんとトカゲ亜人の姿だ。綺麗に整えられていてリボンまで結ばれていたから、てっきりそれだけだと思っていた。でもあのおじさんのトカゲ亜人に甘える様な素振りは、もしや……?

「……ええええ」

 亜人は亜人。ヒトはヒトだ。亜人とヒトは交わることはなくて、あくまで捕食者と被食者の関係なんじゃなかったのか。

「……考えるの、やめよう」

 とりあえず、シスはそういった色っぽい意味には恐らくだけど気付いていない。年齢は二十歳でも中身はてんでお子ちゃまだから、とりあえず匂いを付けまくっておけば大丈夫だろうくらいの気持ちだったんじゃないか。いやそうだ、きっとそうに違いない。

 何故なら、シスはアホだから。

「よし!」

 私はなんとか自分を納得させると、横開きの木戸をガラガラと開け、浴場へと入っていったのだった。
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