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10.道を外れたもの

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「うわ、あつ、熱っ、死ぬ……………あれっ? 熱くない?」

 兵士たちの悲鳴が幾重にもこだましたが、すぐに収まった。

 本当に熱くない。一見、全てを焼き尽くすように炎が渦巻いているが、フィオルゼルとその周辺には熱さえも及ばないのだ。強固な結界で守られているらしい。

(だが、結界師の使う術とはまるで違うな)

 動揺しながらも、フィオルゼルはそのことを意識に留めた。何でもかんでも記憶しておくのは、下働き王子として培われた習性のようなものだ。

 アルジェインの姿はすでに無い。

(ロクセルはどうなった?)

 アルジェインが「消し炭にする」と言っていたのだから、おそらく生きてはいないだろう。その予測は、ごく簡単に覆された。

「ああ、あっつー……。本当に焼肉にされるところだったぜ。あのお姫様、怖いったらないな」

 炎の中から、のそのそとロクセルが這い出してきた。その装備のあちこちが焦げて煤けているが、ほぼ無傷と言っていい。

(アルジェインが、仕留め損ねた……?)

 信じがたい話だ。先ほど見せられた笛といい、フィオルゼルのあずかり知らぬ何かが作用しているようだ。それとも、アルジェインの口走った「アイツ」が関わっているのか。

「……」

 フィオルゼルはスラリと剣を抜き放った。

 アルジェインが仕留められなかったというのなら、彼が仕留める。もしくは、叩けるだけ叩いて情報を引き出すしかないだろう。その思いに呼応してか、剣の刀身が青く輝いた。

 ロクセルが顔を上げて、殺意しかないフィオルゼルの目を見て青褪める。

「あー、今、これ以上あんたらと事を構える気はないんでね……こいつの首にかけて、今は見逃しちゃくれねえか」
「?! オーリィ!」

 カイルが叫んだ。

 一拍遅れて、フィオルゼルも状況を理解した。

 ロクセルが脇の下に抱え込んでいるのは、カイルとよく似た赤髪の頭だ。その下の身体は、だらりと気を失って垂れ下がっている。カイルの末弟、結界師のオーリィだ。

 カイルによって救出されて、安全な場所に移されたはずなのだが……安全な場所など、今はどこにも無かったのか。

(人質を取られるとは……)

 生まれながらに尊大な王族であれば、高貴でもない人間の命など簡単に見捨てていただろう。しかし、フィオルゼルは下働き王子だ。家族同然に育ったカイルの弟を見捨てられるはずがない。その点、ロクセルはフィオルゼルのことをよく理解しているようだ。

(四ヶ月も旅に同行したわけだから、私の思考など読まれている、というわけか)

 苦々しい思いを噛み締めるフィオルゼルの傍らで、

「貴様……!」

 カイルが吼えた。「おお、こっちも怖ええな」などとうそぶきながら、オーリィを抱えたままロクセルが後ずさる。

「取り引きしようぜ、王子サマ。ナイジェルカの街で、地下街のハイマンって奴に話を通してくれ。そしたら、こいつを連れて、会いに行くよ。そこで話そう」
「……分かった」
「フィオルゼル殿下!」
「状況が不利すぎる。カイル、抑えてくれ。このままでは終わらせないと約束するから」

 フィオルゼルは淡々と言いながら、氷のような眼差しでロクセルを見た。

 その視線で射すくめられて、ロクセルが苦笑する。

「おお、怖い怖い。やっぱりあんた、あのお姫様の『兄様』だよ」







「……これからどうするんです?」

 しばらく沈黙していたカイルが問い掛けたのは、彼ら一行が焼け焦げた洞窟から抜けて、ようやく、久しぶりの青空を仰ぎ見たときだった。

「まずは兵を国に返す。聖女に関して言えば、私を裏切った形の第五王子にわざわざ報告する義理もないだろう。後は、秘密裡にバルサムに接触する。魔術師の知識はどうしても必要だ。資金が欲しいから、途中でカゼウの港にも立ち寄りたい。ナイジェルカの街に赴くのは、その後だな」

 ごく事務的に言い切ってから、フィオルゼルはカイルの顔を見た。

「……納得がいかないかい?」
「な、納得はしてますよ! このまま、何の準備もなく突っ込んで、敵の方策に嵌まるわけにはいかない。ただ、オーリィはひ弱だから、俺は心配で心配で……いや、あいつも一人前の結界師なんだから、自分でなんとかするって思いたいところですけど」
「ロクセルは裏切り者だが、話は出来そうだ。ああいうタイプは忠誠心では動かない。金か、権力か知らないが、何かの欲に突き動かされている顔をしていた。交渉できているうちは、自棄を起こすこともないだろう。オーリィは貴重な交渉材料だと思われているだろうし、しばらくは無事だよ」
「殿下……」

 カイルは乳兄弟として、フィオルゼルの事をよく知っているつもりでいた。

 だが、私人としてのフィオルゼルを知ってはいても、職務を果たしているときのフィオルゼルを知っているとは言い難い。普段、二人の仕事場は異なりすぎていて、滅多に交差することもないのだ。

 だから、フィオルゼルの冷静さは、カイルにとってあまり見覚えのないもので。

 しかし、

(殿下がそう言うなら、オーリィはしばらくは無事なんだろうな)

 カイルは、すとんと腑に落ちるのを感じた。

「……頼みますよ、殿下。こういうの、俺は不得意分野なんで。殿下なら慣れているんでしょう」
「無茶振りはよく受けていたからね……やることは基本いつも同じだ。情報収集して、弱点を見極め、切り崩してから交渉する。何にせよ、先立つものは金だな……」

 どこか独り言のように言うフィオルゼルの目は遠くを向いていて、深い考え事に耽っているようだ。

 今後起こる出来事、起こすべき行動について、じっくりと考え込んでいるのだろう。見た目は優しげな王子だが、今はとても頼もしく思える。カイルは自然と尊敬の念が湧き起こるのを感じた。

「………カイル」
「何でしょうか、殿下」
「先ほど、ロクセルが『あんたはやっぱりあのお姫様の兄様だ』と言っていたけれど。カイルもそう思うかい? 本当に、私はあの子の兄なんだろうか? だがとにかく、あの子が私を兄だと言うのなら、その願い通り、理想の兄でいてやりたいし。理想の兄とはどんなものなんだろうな」
「……………………やっぱりあんた、あの姫様に会ってから滅茶苦茶おかしいですよ。殿下!!!」

 カイルの絶叫がのどかな野山に響き渡って、驚いた野鳥たちを羽ばたかせた。
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