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9.変調
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「ロクセル隊長……」
驚いた。
勿論、唐突に襲い掛かられたこともそうなのだが。
人の印象とは、ささやかな仕草や表情、声色だけでこんなに変わるものだろうか。
四ヶ月間、討伐パーティの一員として苦楽(主に苦)を共にした人物。派手さはないが実直な人柄で、黙々と課せられた役目を果たす苦労人。疲れの滲み出た苦笑を浮かべることはあっても、心から笑うのを見たことはない。フィオルゼルは何となく自分の境遇に重ねて、同情したりもしていたのだ。
それが、今は、
(……誰だ?)
疑ってしまうほどに違う。こけた頬、無精髭のぽつぽつ生えた顎は、ニヤニヤした笑いのせいで、日々のやるせなさの表れではなく、彼の本性そのもののように見えてくる。わざと汚れて草臥れた格好をすることで、見る者を挑発したがるロクでもない男。ひねくれた性格そのもの。
「その嬢ちゃんが割り込んでこなけりゃ、もっと簡単に話が終わってたんだがなぁ。あの偉そうな第五王子様の依頼だって、無事に叶えられただろうし」
「第五王子……? 私を殺したところで、あの人には何の得もないはずだが?」
「ああ、違う違う」
ロクセル隊長は……いや、もはや「隊長」と呼ぶ必要もないだろう。
ロクセルは大仰に首を振った。
本性を顕しても、その猫背気味なところは変わっていない。目を細めて笑う様子は、以前と比べてやけに楽しそうだが。
「王子様の狙いは、その剣だと。あんたのような出来損ないが使うには勿体無いってね」
「……言わせておけば。塵にして消し飛ばしてやる。お前も、その第五王子とやらも」
アルジェインが前に進み出たが、フィオルゼルは咄嗟に彼女の両肩を後ろから押さえた。
「に、兄様?」
「待ってくれ、アルジェイン。この男の話をもう少し聞きたい」
「でも……」
「私の為に怒ってくれて嬉しいよ、有難う」
微笑みながら「妹」を見下ろすと、彼女は「兄様……」と呟きながらうっすらと頬を染めた。
「……」
ロクセルが急に真顔になった。何を見せられているんだ、と顔に書いてある。
「……」
カイルも沈黙している。あんたらはいちいちイチャつかないと死ぬ病気なのか、と顔に書いてある。
だが、どんなに表情が雄弁でも、見ていなければ通用しない。この兄妹(仮)は欠片も動じなかった。
そして、何事も無かったかのように話は進む。
フィオルゼルが、剣の鞘をそっと撫でた。
「この剣は、私以外に扱えない。そうでなければ、とっくに取り上げられていたはずだ。第五王子も、それをご存知のはずだが?」
「誰かから入れ知恵でもされたんだろ。まあ、俺には何の関係もないことだしな。依頼さえ果たせれば」
「依頼、か……」
そこは「命令」ではないんだね? とフィオルゼルは思ったが、口には出さなかった。
違和感が強まる。
(この男、アルジェインに怯えていない)
フィオルゼルは脳内が花畑になったかのように思われているが(実際にそうだが)、見るべきところはきちんと見ている。彼は基本的に自国から出たことがないのだが、外交の場では下準備、という名の情報収集に追われているので、他国の魔術師や、人外、と呼ばれるものたちについてもそこそこ知識がある。
アルジェインは明らかに人外だし、その魔術は等級:災害級、というやつだ。属性は今のところ、火と土。他にもあるかもしれないがフィオルゼルには分からない。これ以上を知りたければ、王宮魔術師バルサムでも引っ張ってきて精査させるしかない。
とにかく、数千人の魔術師を集めてようやく対抗できるレベルだ。実際には数千人も魔術師は存在しないので、人類の勝ち目はゼロである。そこまで判明していて、フィオルゼルが全くアルジェインを恐れていないのは、彼女に愛されているからだ。
いつからそんなにアルジェインを信頼しているのか? と問われれば、彼女の目を見た瞬間からである。
「……任務失敗の割には、落ち着いているようだが。君は何の交渉材料を持っているのかな」
込み上げる緊張感を覆い隠して、フィオルゼルは穏やかに言った。
「そもそも、本当の依頼主は、第五王子殿ではないんだろう?」
「ははっ、見透かされてるな」
ロクセルは笑い、じゃら、と胸元から鎖を引き出した。
その先に丸く小さな土笛のようなものが付いている。フィオルゼルには素朴な笛にしか見えなかったが、アルジェインはハッと息を呑んだ。
「ファルクトスの笛……!」
その肩が大きく震えたので、フィオルゼルは反射的に触れて宥めようとした。だがその腕を振り切るようにして、アルジェインが距離を取る。
「……アルジェイン?」
「どうしてそれが、こんな所に……まさかアイツが……! こんなことまでして」
「そうそう、お姫様。これが何か、あんたは良く分かっているだろう? 今すぐ逃げ出した方がいいんじゃないか?」
ロクセルが耳障りな笑い声を立てた。
それを不愉快に思う余裕もなく、アルジェインが振り向いた。フィオルゼルを見る目が、不安と悲しみに揺れている。熱から生じる涙が、その下睫毛を濡らしていた。
「ごめんなさい、兄様、私、ここには居られない……! でも安心して、この男は消し炭にして、兄様を煩わせないように始末しておくから」
「アルジェ……?!」
最後まで名前を呼ぶことが出来なかった。
その瞬間、洞窟は激しい業火に包み込まれて、他に何も見えなくなった。
驚いた。
勿論、唐突に襲い掛かられたこともそうなのだが。
人の印象とは、ささやかな仕草や表情、声色だけでこんなに変わるものだろうか。
四ヶ月間、討伐パーティの一員として苦楽(主に苦)を共にした人物。派手さはないが実直な人柄で、黙々と課せられた役目を果たす苦労人。疲れの滲み出た苦笑を浮かべることはあっても、心から笑うのを見たことはない。フィオルゼルは何となく自分の境遇に重ねて、同情したりもしていたのだ。
それが、今は、
(……誰だ?)
疑ってしまうほどに違う。こけた頬、無精髭のぽつぽつ生えた顎は、ニヤニヤした笑いのせいで、日々のやるせなさの表れではなく、彼の本性そのもののように見えてくる。わざと汚れて草臥れた格好をすることで、見る者を挑発したがるロクでもない男。ひねくれた性格そのもの。
「その嬢ちゃんが割り込んでこなけりゃ、もっと簡単に話が終わってたんだがなぁ。あの偉そうな第五王子様の依頼だって、無事に叶えられただろうし」
「第五王子……? 私を殺したところで、あの人には何の得もないはずだが?」
「ああ、違う違う」
ロクセル隊長は……いや、もはや「隊長」と呼ぶ必要もないだろう。
ロクセルは大仰に首を振った。
本性を顕しても、その猫背気味なところは変わっていない。目を細めて笑う様子は、以前と比べてやけに楽しそうだが。
「王子様の狙いは、その剣だと。あんたのような出来損ないが使うには勿体無いってね」
「……言わせておけば。塵にして消し飛ばしてやる。お前も、その第五王子とやらも」
アルジェインが前に進み出たが、フィオルゼルは咄嗟に彼女の両肩を後ろから押さえた。
「に、兄様?」
「待ってくれ、アルジェイン。この男の話をもう少し聞きたい」
「でも……」
「私の為に怒ってくれて嬉しいよ、有難う」
微笑みながら「妹」を見下ろすと、彼女は「兄様……」と呟きながらうっすらと頬を染めた。
「……」
ロクセルが急に真顔になった。何を見せられているんだ、と顔に書いてある。
「……」
カイルも沈黙している。あんたらはいちいちイチャつかないと死ぬ病気なのか、と顔に書いてある。
だが、どんなに表情が雄弁でも、見ていなければ通用しない。この兄妹(仮)は欠片も動じなかった。
そして、何事も無かったかのように話は進む。
フィオルゼルが、剣の鞘をそっと撫でた。
「この剣は、私以外に扱えない。そうでなければ、とっくに取り上げられていたはずだ。第五王子も、それをご存知のはずだが?」
「誰かから入れ知恵でもされたんだろ。まあ、俺には何の関係もないことだしな。依頼さえ果たせれば」
「依頼、か……」
そこは「命令」ではないんだね? とフィオルゼルは思ったが、口には出さなかった。
違和感が強まる。
(この男、アルジェインに怯えていない)
フィオルゼルは脳内が花畑になったかのように思われているが(実際にそうだが)、見るべきところはきちんと見ている。彼は基本的に自国から出たことがないのだが、外交の場では下準備、という名の情報収集に追われているので、他国の魔術師や、人外、と呼ばれるものたちについてもそこそこ知識がある。
アルジェインは明らかに人外だし、その魔術は等級:災害級、というやつだ。属性は今のところ、火と土。他にもあるかもしれないがフィオルゼルには分からない。これ以上を知りたければ、王宮魔術師バルサムでも引っ張ってきて精査させるしかない。
とにかく、数千人の魔術師を集めてようやく対抗できるレベルだ。実際には数千人も魔術師は存在しないので、人類の勝ち目はゼロである。そこまで判明していて、フィオルゼルが全くアルジェインを恐れていないのは、彼女に愛されているからだ。
いつからそんなにアルジェインを信頼しているのか? と問われれば、彼女の目を見た瞬間からである。
「……任務失敗の割には、落ち着いているようだが。君は何の交渉材料を持っているのかな」
込み上げる緊張感を覆い隠して、フィオルゼルは穏やかに言った。
「そもそも、本当の依頼主は、第五王子殿ではないんだろう?」
「ははっ、見透かされてるな」
ロクセルは笑い、じゃら、と胸元から鎖を引き出した。
その先に丸く小さな土笛のようなものが付いている。フィオルゼルには素朴な笛にしか見えなかったが、アルジェインはハッと息を呑んだ。
「ファルクトスの笛……!」
その肩が大きく震えたので、フィオルゼルは反射的に触れて宥めようとした。だがその腕を振り切るようにして、アルジェインが距離を取る。
「……アルジェイン?」
「どうしてそれが、こんな所に……まさかアイツが……! こんなことまでして」
「そうそう、お姫様。これが何か、あんたは良く分かっているだろう? 今すぐ逃げ出した方がいいんじゃないか?」
ロクセルが耳障りな笑い声を立てた。
それを不愉快に思う余裕もなく、アルジェインが振り向いた。フィオルゼルを見る目が、不安と悲しみに揺れている。熱から生じる涙が、その下睫毛を濡らしていた。
「ごめんなさい、兄様、私、ここには居られない……! でも安心して、この男は消し炭にして、兄様を煩わせないように始末しておくから」
「アルジェ……?!」
最後まで名前を呼ぶことが出来なかった。
その瞬間、洞窟は激しい業火に包み込まれて、他に何も見えなくなった。
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