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しおりを挟む「おはようございます、アリサ嬢。お迎えに上がりました」
翌朝、そろそろ出勤の時間だと玄関へ向かうと、ギルバートが来客の対応をしていた。
騎士の隊服をまとった背の高いその人は、私を見ると短く刈り込んだ茶色の頭を下げ、騎士の礼をとった。
「お、はようございます……?」
「今日からアリサ・ミレイ嬢の送迎をするよう仰せつかった、レジーナ・トバイアスと申します」
「よろしくお願いし、ます……」
(待って、これは一体どういう……? 友人に一緒に行ってねって頼んだとか、そういう感じじゃないの?)
困惑が顔に思いっきり出ていたのか、珍しくギルバートが助け舟を出してくれた。
「ユーリ様はアリサ様の御身に何事も起こらないよう、大変苦慮されております。トバイアス殿、アリサ様の御身をどうぞ御守りください」
「承知しました」
全然助け舟じゃなかった。
「あの、とりあえず行きましょう……」
見るからに護衛のレジーナと共に、ノラからお弁当を受け取り騎士団へ向かうことにした。
「あの、トバイアスさん」
「レジーナで結構です」
「れ、レジーナさん」
「はい」
私の隣を歩くレジーナは周囲に視線を巡らせながら無表情に返事をする。これでは友人ではなく、完全に私を護衛する人だ。
「あの、ユーリになんて言われているのかわからないけれど、そんなに気を張らなくても大丈夫よ?」
「いえ、何かあっては遅いですから。私のことは気になさらず」
いや、気になります……。何かあるって何があるの?
完全に護衛の人と化しているレジーナを、道行く人がチラチラと視線を向ける。これはこれで目立って恥ずかしい。もう、話しかけて友人を装うしかない。
「あの、レジーナさんはどこの部隊に所属してるの?」
「私はアッカーソン殿と同じ近衛第一大隊の騎兵乗馬連隊所属です」
(アッカーソン殿……)
騎士仲間じゃなかった? これではまるで、彼の部下だ。
「ユーリはあなたの上司?」
「……そう、です」
なんだろう、今の間。
「ユーリは……」
「なんです?」
「いえ……、あっ、レジーナさん、あそこのパン屋さん知ってる?」
「パン屋? いえ、知りません」
「頂いて一度食べたんだけれど美味しかったわ。今度寄ってみたいと思っていて」
「では、いつ行くか決めて寄りましょう。その日は早めにお迎えに伺います」
「ありがとう! ノラに話しておかなくちゃね」
レジーナに好きなパンを聞きながら、もやもやする気持ちを宥めてみる。
(私、本当にユーリのことを知らないのね)
けれどそのことを、他人に聞くのは違う。本人に聞けばいいだけだ。
そんなことは頭でわかっていても、ユーリを前にすると何を聞きたかったのかわからなくなる。
『アリサ』
甘い声、優しい表情、優しい手。
彼を前にすると気になっていたことがすべてどうでもいいような、そんな気持ちになってしまう。
(いつまで続くのかしら)
こんな不安定な関係がずっと続くとはさすがに思っていない。
お互い、静かな生活を送って煩わしい人々の目から逃れるために選んだ偽りの関係、形だけの関係。
けれど、一緒にいて彼という人間を知って、優しさに触れて弱っていた心がすっかり彼に絆されてしまった。
(そう、弱っていたから傾いてしまったのよ)
ザックとの関係に疲れ切って弱っていた私が、すぐ隣で優しくしてくれる彼に絆されただけだ。
きっとこの気持ちもいずれ落ち着く。ザックに対して引いてしまったあの日の私の気持ちのように、彼からも静かに離れていく。
きっと、そうだ。そう思っていた。
「アリサ嬢、お昼はどこで取られますか」
レジーナの声にハッと我に返る。
「あ、多分時間がないから事務棟の休憩室で食べるわ」
「わかりました」
(何がわかったのかしら……)
レジーナは騎士団の門をくぐり事務棟の前まで来ると、私の正面に立ち手を胸に当てた。
「あっ、待ってレジーナさん!」
「はい」
ピタリと動きを止めた彼女はじっと私の言葉を待つ。
「あの、まずは私のことはアリサとお呼びください」
「……アリサ、さん」
「さんもなし。敬語もやめましょう」
「ですが、」
「だって、これじゃあ警護対象者と護衛騎士なんだもの。なんだかおかしいわ」
私の言葉に、それまで無表情だったレジーナの眉間が少しだけ寄せられた。明るい琥珀色の瞳が困惑の色に揺れる。
「……アリサが、そう仰るなら」
「じゃあ、今から敬語なしで」
「承知しま……、わかった」
「ふふ」
こほん、とこぶしを口元に当て咳払いした彼女は、「ではまた」と踵を返し騎士団鍛錬場へと歩いていった。
「アーリーサー」
背後からガバッと抱き着かれ、振り返ると、セシルが目の下にクマを作ってこちらを見上げていた。
「おはよう、セシル」
「おはようじゃないわよ! 今のイケメン誰? なんでアリサばっかり!」
「彼女はレジーナ。ユーリの知り合いよ」
「え、女性!?」
セシルは目を丸くしてレジーナが去った方へ視線を向けた。
「てっきりまたアリサがモテてるのかと……」
「そんなわけないでしょ」
ほら行こう、とセシルを促し事務棟の入り口をくぐる。人々の視線はまだ感じるけれど、最初の頃よりはずっとマシな気がした。
(本当に、一週間経てば飽きてくるのね)
それとも他に話題ができたのか。
その人には申し訳ないけれど、ありがたいことだ。
「そう言えば、週末の来賓、変更になったらしいよ」
「え、あの王族の方が来るっていう?」
週末に行われるトーナメント戦では王家からも参加すると言われているけれど、確か王弟殿下の子息だったはず。
「なんか、王太子殿下らしいよ」
「ええ?」
「これでさ、あの噂は確定ってことかなぁ」
「噂って、陛下の?」
「そう。ご病気とかなんとかで、王位を王太子殿下に譲るって」
本来、騎士団は国王陛下直属の組織だ。
基本的には王に独裁的権力を与えないよう貴族院が管理し統べることになっているけれど、緊急時には国民の権利を制限しすべての権限を陛下が執行することができる。
「本来なら陛下が持つべき権限の一部を、王太子殿下に譲渡されたでしょう。あの頃から体調が良くないんじゃないかって新聞にも書かれていたけど、本当っぽくなってきたよね」
「春の任命式にも王太子殿下がいらっしゃってたものね」
「ね。ただのトーナメント戦だけど、誰が統べているのか知らしめるっていうのにはいい機会なのかも」
「それで騎士たちはみんなピリピリしてるのね」
「警備だってコロコロ変えられて大変よねー」
(ユーリが遅いのもそのせいなのかしら)
騎兵連隊は王都周辺の警備ではなく、その機動力を活かし王族の近辺警備を行う。近衛と連携して警備を進めるのなら、まとめるのも中々大変だろう。
(でもユーリって、隊長職ではないのよね)
彼がどうやら優秀、ということしか知らない。
本人が話さないことを根掘り葉掘り聞くつもりはない。仕事のことであれば話せないこともたくさんあるだろうから。
(こういうところが冷めてるって言われるのよね)
別に興味がないわけではないのだけれど。
二人でいる時はあまり仕事の話はしない。他愛もないこと、目についた景色や好きな紅茶、好きな料理、そんな話ばかりしているし、その時間が何より幸せなのだ。
指を絡めつなぎ、視線が合い、微笑むだけ。無理に話をすることもなく、自然にそこにいて過ごす。
「ねえ、応援の時ってさ、いい席用意してもらえるの?」
セシルが思いついたように瞳をキラキラさせて覗き込んできた。
「え、何が?」
「何って、トーナメント戦! アリサの彼氏だって出場するでしょ? 今朝、掲示板に出場者名簿が掲示されてたよ」
「え、そうなの?」
「ちょっと」
セシルが呆れたように私を見上げた。
「一緒に暮らしてるんでしょ? そういう話にもならないの?」
「だって」
昨夜のことを思い出し、顔が熱くなる。そんな私の顔を見て、セシルはふうん、と瞳を細めた。
「あー、ハイハイハイ、わかりました」
「な、なにが」
「仲がよろしいようで結構ですねえ」
「なにが!?」
先に事務室へ向かうセシルのあとを追って、私も慌てて事務室へ向かう。
(出場するのね……)
見に行ってもいいだろうか。
ユーリに会ったら聞いてみよう。
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