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第三章 祝祭の街

夜会

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「カレン、大丈夫だ」

 レオニダスが馬車の中でそっと背中を撫でる。でもその顔は笑ってる。
 だって仕方ないじゃない! 緊張するなって言う方が無理だよ!
 身体が強張ってるのが自分でも分かる。
 うううっ、コンクールより緊張する…!!


 今日は、ザイラスブルク公の婚約者として二人で参加する初めての夜会。
 レオニダスとお義兄様が十代の頃、見聞を広めるためにと王都で三年間学んでいて、その時にお世話になった侯爵家の開く夜会にレオニダスとお義兄様が招待された。
 その夜会には二人が王都で一緒に切磋琢磨した騎士達も参加するらしくて、お義兄様は楽しみにしているようだった。
 レオニダスは何故か眉間に皺を寄せていたけど。

「僕達の側を離れないようにね」

 お義兄様もクスクスと笑って頭を撫でてくれるけど、いやもう、一緒にいればいるで何か巻き込まれそうなくらい今日のお義兄様は麗しい。
 ライトグレーの艶のあるスリーピースのセットアップが柔らかさと上品さを表現していてとても似合っている。絶対今夜の御令嬢方のターゲットだ。独身だし。

 対するレオニダスはこちらの世界ではあまり見ない黒尽くめ。濃いチャコールグレーのダブルブレステッドジャケットに黒い襟高のウィングシャツ、黒のアスコットタイを締めてゴールドのタイピン。ウェストコートもズボンも黒で纏めていて、うん、とにかく好き。好きです。ジャケットの前を開けてる感じも好き。

「それにしても、ちょっと露出が強くないか?」

 レオニダスは不満げな顔で私の腕をするりと撫でた。

「……バーデンシュタインの夜会の時の方が露出は高かったと思います」

 今日は濃紺のホルターネックドレス。
 正面からはノースリーブ、後ろ姿は肩甲骨の下辺りまで開いている。
 いつもは割と身体の線を拾うデザインが多いけど、今日はネック部分に寄せたギャザーがゆったりと胸元を包み、ウエストから広がるスカートは細かくギャザーが寄せられて薄いレースがゆったりと広がる。
 そのレースの下のスカートには裾にゴールドの刺繍が施され、シンプルなのにとても豪奢。
 今日は髪も真っ直ぐ下ろすだけでシンプルに、でもピアスはゴールドチェーンが何本も揺れる存在感のあるものにした。

「本当に気さくな人だから大丈夫。僕達の、まあ青春時代を知る人だから何を言うか分からないけど」

 あははと笑うお義兄様と眉根を寄せ難しい顔をしたレオニダス。

「あいつらは酒が入ると余計な事を言うからな」

 なんだろう、黒歴史みたいなことかな? それはそれで聞きたい! 二人の青春時代! いや、なんか怖いかも?

「さあ、着いたよ。美味しいものを食べて帰るつもりで、ね」

 お義兄様は宥めるように私に微笑んだ。



 そう言っていたお義兄様の台詞は今は昔。
 結局、会場に到着して侯爵夫妻に挨拶をしてすぐ、レオニダスとお義兄様は友人達に捕まり、私は彼らに挨拶をして化粧室へ行くためその場を離れた。

 不躾にジロジロと見てくる人、ヒソヒソと囁く人。
 受け入れてくれる人の方がこの場では少ないかもしれない。
 緊張と居心地の悪さでとてもじゃないけど何か食べる気にならなくて、そっとホールに戻るとレオニダスはまだ友人達の輪の中にいた。よく見ると青い髪の人がいる。
 あれ? あれってべアンハート殿下かな?
 邪魔しては悪いかと、少し離れている事にした。疲れてちょっと一人になりたいって気持ちもあるけれど。
姿が見える場所にいれば大丈夫よね。
 ここでは、見てくる人はいるけど話しかけてくる人はいない。
 果実水を受け取って、レオニダス達を眺めながら壁際でため息をついた。


「緊張しているのね」

 油断しているところへ突然声を掛けられた。

「え、あ」
「ふふ、大丈夫? なんだか疲れているようだから」

 ロイヤルブルーのワンショルダードレスに身を包んだゴージャスな美女が微笑みながらこんばんは、と挨拶をして来た。その後ろに二人、女性を伴っている。

「バーデンシュタイン嬢ね? ナタシア・ロンバードよ」

 艶のある栗色の髪を複雑に結い上げ、大きな榛色の瞳を持つ女性はすっと瞳を細めた。
 値踏みされている。
 すぐに同じように挨拶を返した。
 周りのご婦人も同じように挨拶をして、持っていた扇子で口元を隠した。
 うう、なんか嫌な感じ……。
 ロンバード、ロンバード…確か、同じ伯爵家だったはず。

「昔からザイラスブルク公とは親交があるの。いつの間にか婚約していて驚いたわ」

 ふふ、と笑うゴージャスな美女は、そっと顔を寄せてきた。

「貴女、大丈夫?」
「……なんでしょう?」
「だってほら、貴女はとても細いから……ねえ?」

 クスクスと笑いながら他のご婦人と顔を合わせる。
 わーなんだこれ。なんかのドラマに出てくる嫌な人みたい。
 いくつくらいなんだろう、そもそも婦人? 令嬢……ではないな。あー、貴族名鑑が今欲しい。

「……は、激しいのが好きだから」

 ふふっと笑って私を見据えた。

 それって、……。

 なんと返したらいいのか分からず、黙り込んでしまった。
 その反応が彼女達の嗜虐心を擽ぐると言うのに。

「彼は色々知っているから……体力が必要でしょう?」
「一晩中なんて、細いのに大丈夫?」
「あらでも身体付きは大人の女性が好みだとか」
「あら、誰だってたまには嗜好を変えたいものよ」

 クスクスと笑いながら三人で私を蔑んでくる。

 えーっと、……そういう話?
 ……やだな…こういう時、お義母様ならなんて返すかな。

「ナガセ」

 ご婦人方の後方からよく響く声で名前を呼ばれた。
 見るとべアンハート殿下がいつの間にかご婦人方のすぐ後ろに立っている。さっとご婦人方がカーテシーをして頭を下げた。

「べアンハート殿下にご挨拶申し上げます」
「一昨日振りだね、ナガセ。今日のドレス姿も美しい」

 にっこりと笑うその顔は完全に外向き。
 え、そんな風にお話できるんですか! 王子様みたい!
 側にいるご婦人方をまるっと無視してべアンハート殿下は腰を曲げ私に片手を差し出した。

「私と踊っていただけますか?」
「……喜んで」

 差し出された手にそっと手を載せる。
 ここから離れられるのなら喜んで。
 ご婦人方の横を通り過ぎる時、私を睨んでくるのを視界の隅に捉えた。

 べアンハート殿下のエスコートで、ホールの空いている位置に移動する。向かい合わせに礼をして手を取り、音楽に合わせステップを踏んだ。

 時々視界に入る、もの凄く楽しそうに笑ってこちらを見ているお義兄様と、もの凄く不機嫌な顔で見ているレオニダス。


「……あの、」
「下品な婦人達だったな」

 踊りながらべアンハート殿下が呟いた。

「私は読唇術も出来るんだがたまたま目に入った君の様子を見ていたら近くにいるご婦人も目に留まって君に下品な事を言っているのが分かったから我慢ならずつい声を掛けたんだが、……余計な事だっただろうか」
「いいえ、大変助かりました。ありがとうございます」
「そうか……その、気にするな」

 思わずべアンハート殿下の顔を見上げた。

「なんだ」
「いえ、あの……はい。仕方ない、と思います」
「仕方ない?」
「はい、その……レオニダスは大人ですし、あれだけ素敵ですから。何もない方が変ですし、……それもどうかと、思います」

 べアンハート殿下の足が急に止まった。

「? べアンハート殿下?」

 ぶふっ、とべアンハート殿下は吹き出して上を向き声を出して笑った。近くで踊っていたカップルが驚いてこちらを見る。

 え、何? 変なこと言った?

「はははっ、君は本当に……面白いな」

 笑いながらステップを再開する。慌てて私もついて行くけど、流石王族、踊りが凄く上手。

「レオニダスは……そうだな、君の言うとおり仕方ない、そういう事もあった。確かに無い方がどうかしているな。くくっ…。だが君と出会ってからそんな事は一度もない。私の解析に間違いはない」
「……はい」

 そんな事解析してるんですかとは言えない。

「先程もずっと君が一人で離れて行ったことをソワソワと気にしていて女性の化粧室に飛び込んで行きそうな勢いだったが流石に周りに止められていた」
「……ふふっ」

 レオニダスっぽい。

「レオニダスは君を大切に思っている」
「……はい」
「ナガセ」
「はい」
「これからも、クラリッセを頼む」

 見上げると、いつもは眼鏡の向こうであまり見えない黄金の瞳が優しく細められこちらを見下ろしていた。

「はい」

 そう答えると、べアンハート殿下は嬉しそうにまた笑った。


 音楽が終わり、向かい合って礼をする。
 べアンハート殿下にエスコートされホールを出ようとしたところをサッと手を奪い間に入って来た人物。

「カレン、次は私と」

 レオニダスは満面の笑みを向け、私の指先にキスを落とした。

 その瞳は全く笑っていなかったけれど。
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