月鏡の畔にて

ruri

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第七話 天泣

【慈雨】

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 ★

 狂ったように泣く大雨の中。黒い焦げ跡と白い氷晶に覆われたその部屋から、金髪の女性は無事救出された。
 消防に誘導されてうつむきがちに歩く女性の姿を拝むと、泣き暮れていたはずの暁が傘の下から激しく飛び出した。御影の驚く声を無視し、野次馬の間をって駆けて行く。顔も服も濡らしながら、女性の名を何度も何度も呼んだ。女性――ユーリも暁に気がつくと、心が決壊したかのように安堵の涙をはらはらと流し始めた。
 二人は抱き合う。地面に打ちつける雨音が暁たちのむせぶ声をかき消した。御影は少し離れた所からその様子を見守り、誰も気に留めない程度の声で独りつ。

「火災による上昇気流の発生で雲を生じ降水……典型的だ。だが不可解な点が多い。『氷閉』もまるで、あの女性を救うために思えた。水神自身に特別な意思があるのか……?」


 最終的に、大事を取ってユーリは病院へ連れて行かれた。一連の感情のとうげを越え、暁の目のそばを伝うのは、やっと雨だけになった。召した灰青のスカートのポケットからハンカチを取り出し、ぐしょ濡れの顔を綺麗に拭っていく。
 なおも激しい雨に打たれながら茫然と立つ暁へ、背の高い御影が背後から傘を傾ける。その行動はもはや意味をなさない。それでも暁はぽっと暖かさの灯るような気持ちになれた。

「……あんた雨男?」

 こちらに背を向けたままたずねる、暁のか細く掠れた声。御影が意外そうに一度瞬きした。

「何故そう思ったんだ」
「私は結構、昔から晴れ女なのよ。だから」
「……雨男だなんだというのは考え方の問題だ。天候は物理法則にのっとり、人の手の届かないところで絶えず変化する。ただの人間が簡単に干渉できるものじゃない。龍神にかれてる訳でもあるまいし」
「マジなこと言うな馬鹿。この雨がないと、火事も消えなかったでしょ」
「雨?」
「そうよ」

 気取られぬよう出火元の部屋を見る――嘘のように氷が消え失せていた。この短時間で融解したか、もしくは昇華したか。関心を無くした野次馬らは既に退散して、そのことを知るよしはない。そして恐らく、今は虚脱状態にある暁のほうも。

「あんた巫なんだし、降らせられるでしょ。雨くらい」
「……肩書だけだと言ったろう。それに、巫の祈りに即効性や確実性は無いよ。水神は恐ろしく気分屋だと聞く」

 そうなの、と興味なさげに返事を寄越される。視線を戻して見下ろせば、彼女の細い肩を覆うブラウスの雨染みがどうしようもなく目についた。

「ここでの雑談は止そうか。このままだと風邪を引く。僕らはさっさと退散しよう」
「そう。そうね」
「家まで送るよ」
「……あっ、あのさ」

 暁が髪先から水滴を散らしながら振り返り、こちらを見上げてくる。夜明けの空を切り取ったような不思議な色の瞳は、今度こそ御影の姿を映していた。
 そのまま固まってしまったので少々待てば、彼女は不意に目を逸らし、小振りな唇で言いにくそうにぼそりと呟く。

「……ありがと。なんか、いろいろと」
「僕は何もしていないよ。いて言うなら、君を止めたくらいか」
「そんだけで、じゅうぶん」
「そうか。助かって良かった」
「うん……」
「珍しい。妙に素直だ」
「……うるさい」

 平坦にからかう相手を小突き、暁はすっかり病的に白くなってしまった肌を少しだけ赤く染める。御影もどこか穏やかな顔つきで、泣き疲れてしまった彼女をいたわるように、濡れた茶髪頭にぽんと触れた。それでも彼女は不思議と落ち着いていた。ただ安堵してひとときの幸せと平穏を感じていたようだった。

「せっかくの髪も服もずいぶん濡れてるな」
「人がしおれてるからって、へんなこといって」
「逆だ。今くらいしか口実が見つからないんだ」
「……あんたがおかしい。風邪?」
「僕に正しい日なんてのは無いよ」

 わかんない、と暁がごにょごにょ言う。やはり気が弱っているらしい。

「今日は眠れそうか? 泣きらすと目が疲れるだろう」
「ガキかっての」
「実際、君は年端としはもいかない。僕は…………僕は、心配なんだ」

 表情の動きにくい御影の、感情のこもった声が雨に混じる。すると暁が視線を向こうにやりつつ、小さく柔い手をずいと出してきた。そこから飛び出すのは、幼稚で強引で切実な言葉。

「手、つないで」
「届くかい」
「……?」

 ここで再び、暁が視線を上げる。こぼれるかと思うほどに瞳を見開いて、心底不思議そうな顔だ。御影は静かに目を閉じた。

「身長差があるから、繋ぎにくいんじゃないか」
「腕組み」
「じゃあそうしよう」

 そうして二人はためらうこともなく肩を寄せ合って、ひとつの大きな黒傘の下、帰路についた。はみ出た肩が雨に降られる冷たさなど、腕から伝わる彼女の体温がいとも簡単に打ち消してくれたのだった。
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