月鏡の畔にて

ruri

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第七話 天泣

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 ○

 かの事件は火の不始末が原因だったという。
 ユーリは火傷で腕を少し負傷したものの、命に別状は無くすぐに退院した。肌が出る服が好きなだけに誰もが気の毒に思ったが、本人は全然気にしていなかったようだ。火事で失った家は彼女が父と過ごした場所であり、『思い出消え失せて良かったぁ~!』とまで言う始末。現在ユーリは、当初の予定通り兄の泉さん(呼び慣れない)とお母さんと同居している。

 今日で火事から一週間。私たちはカフェのテラス席で穏やかな昼下がりを過ごしていた。近況報告やらなんやらを元気に話すユーリに「心配して損したわ」と冗談混じりに吐き捨てつつ、私はほっと胸をで下ろしていた。

「お兄ちゃんてば、わたしが死にかけたって聞いて大泣きしてた」
「あはは、北方さんも。まあそうね。私もヤバかったし」
「おやシャル、わたしも北方だよ今」
「あー、お母さんの名字に変わったのね」
「おうよ。きたか、きたっ……きっ……言いにくいね」
「メンタル強すぎでしょ、ユーリ。羨ましい」
「そなの?」
「うん」
「いやいや! めっっちゃくちゃ怖かったけども。いろんな人に迷惑かけて面目めんぼくないよう」
「まあ二度目がないようにね」
「よっす。流石に死ぬと思ったし、シャルの顔見たとき幻覚見てんのかってさぁ。ヤバかったよね。ああ良かった、水神さまが助けてくれたんだな~~って。今は思います」

 可愛らしい太眉を下げたユーリが、弾けたように次々言葉を連ねる。あのときの私だって夢や幻でも見てる心地で、大地を踏んでる感覚すら怪しかった。何はともあれ無事で良かった、それに尽きる。
 ただここで、「でもねシャル」と聞き慣れない声音が聴こえた。私はすぐに耳を傾ける。

「現場にシャルが居なかったら死んでたかも。多分わたし、飛び降りてた」
「えっ……?」
「シャル見てめっちゃ安心したんだ。あの時泣いてくれて嬉しかった」

 私は思わず視線を泳がせた。あまりにも幸せそうにユーリが語るので、持ち合わせた語彙ことばでは表現できない妙な気分に襲われた。思い浮かべた恐ろしい『もしも』に寒気がした。親友から向けられた感謝がこそばゆくて、何故か拒絶したくなった。
 そもそもあの場に御影が居なければ、私は一切動けなかったか、無我夢中で火の中へ飛び込んでいただろう。そしたら私は死んでいた。でも、私が取り乱しても彼が無理に腕を引かなかったからこそ、ユーリは助かったんだ。

「……ユーリ。なんていうか、感謝なら私と一緒に居た人にしたげて」
「ん? あ、傘差してた人ね、白い服の。何アレ? 彼氏かおい」
「おわ、見てたんだ」
「濁しちゃいけんよ」
「……仲良いだけ」
「ウソやめような。なんて名前?」
「み、御影ってやつ」
「それお兄ちゃんが話してた人じゃん。イケメンなんだろおい!!」
「よく覚えてるわね……」
「羨まし~~~~」
「声でかっ」
「ねぇシャル、今度連れてきてよ! 拝ませろ!」
「怖……」

 一転してユーリがはしゃぎだして面食らってしまった。イケメン好きでおしゃべりの好きな、いつものユーリである。なんだか嬉しくて口元が緩む。やっぱり普段通りが一番だ。

 それにしても、あの雨の日の記憶は曖昧だ。映像を鮮烈に覚えているような、遠くで曖昧に消えかかっているような。思い出せん。茫然自失ぼうぜんじしつの私の前に御影が来て、いろいろあって雨が降ってきて。ユーリが無事だとわかってから、私は多分、御影かれに甘え散らかしたのだ。
 この胸に灯る気持ちがその証拠。耳朶みみたぶを打つ優しい声がまだ私の中に反響している。ちゃんと覚えてないから文字に起こせないのが惜しい。わざわざ記すにはあまりにも甘ったるかったのかも。

 でも、彼には助けて貰ってばかりな気がする。私だって彼の役に立ちたいのにな……。


「そいやシャル、なんか最近綺麗になったね」
「ぐ……そういう一言、急に来ると結構クる」
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