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095 案件No.006_旅行バスの運転代行(その9)

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 ――人は何故、努力をするのか?

『随分……馬鹿馬鹿しいことを聞くんだな』
『何となく、聞いてみたくなってな……』
 堅物で有言実行、良く言えば責任感が強く、悪く言えば融通の利かない人間だと、睦月は『剣客彼女』をそう評していた。
 性格的には可もなく不可もなく、人間性も癖はあるがさっぱりしているので、比較的付き合いやすい方だと思っている。もっとも、睦月も彼女も、自分から声を掛けて積極的に関わることはなかったが。
 だからだろうか。天気の良い夏の日に偶々、外で素振りをしている彼女を見かけたからと近付いて話してみれば、会話は続けども、一瞥された後すぐに真正面を向かれてしまったのは。
『ほら、俺の場合は親父に強制されなかったら、大麻あれ、破れなかったろ? 努力というか、ほとんど・・・・慣れで誤魔化したとしか考えられないし……』
『破れれば一緒だと、思うけどな……』
 ほんの少しだが、彼女の素振りに力が入ったように思えた。

『けど、お前は違うだろ? ……今も・・淡々と、努力素振りしてんじゃねえか。誰に・・言われるでもなく』

 しかし、気付いても睦月は指摘せず、その場にしゃがみ込んて空を見上げた。
『今でこそ、俺も目標ができたけどさ……未だに努力が続かないんだよ。どうすりゃいいかと思ってな』
『それで最初の疑問か……』
 ようやく合点がいったのか、口調に最初の落ち着きが戻っている。
 そして、最初から・・・・一糸乱れない姿勢のまま続けられている素振りについて、彼女は答えてきた。
『要するに、努力を継続する方法が知りたいんだろ? 単に、努力の成果を実感・・できて・・・いない・・・だけだと、思うんだけどな……』
『実感?』
 続けられる素振りの中、彼女の答えは至って単純シンプルだった。
『たとえ、知覚し難いほんの僅かだろうとも……努力は、必ず自らの人生に積み重なる』
 真剣・・を振り下ろしているにも関わらず、一切の疲れを見せてこない。それだけ、努力の成果が積み重なっている証拠だった。
『できないことをできるよう、鍛錬なり慣熟なりするのが努力だ。その実感が積み重なれば、嫌でも続くだろう?』
『そんなもんかね……』
 視線を降ろし、変わらず素振りを続ける彼女を見つめる。
『実際、お前は車の運転も銃器の扱いも……私に蹴りを・・・叩き込む・・・・ことも、できるようになっただろうが』
 そう言われた睦月は、反論できずにただ、何かを誤魔化すように首を鳴らした。
『間に小さな目標を積み重ねるでも、目標に至るまでの経路を可視化するでもいい。まずは努力の成果を、お前自身が実感できるようにするんだな』
『実感、か……』
 その難しさ・・・を、睦月はもう実感していた。

 何せ……今に・・なって・・・ようやく・・・・彼女との稽古努力の成果を実感できたのだから。

『……ま、ちょっと考えてみるよ』
『そうしろ……で、』
 そこでようやく、彼女は素振りを止め、日本刀を鞘へと戻しながら振り返ってきた。ただし、その視線は睦月のさらに後方……全速力で駆けて来る数人の男子に向けられていたが。
『……お前はまた・・、何をやらかしたんだ?』
『あいつ等が女子更衣室、覗こうとしててな……』
 軽く膝を曲げながら、睦月は身体をほぐすようにして立ち上がった。
『その情報ネタガキ大将姐御に売っただけだよ。姉妹分弥生達も居た上に、結果的に最後殺人沙汰になるよか、ましだろ?』
 実際、制裁を受けたのだろう。すでにズタボロな男性陣を見て、彼女は呆れたように溜息を吐いてから、睦月に視線を戻してきた。
『損な性格をしてるな。お前も……』
『せっかくのプールサボって、愚直に素振りしてるお前も中々だと思うけど、なっ!』
 それだけ言い残し、睦月は駆け出した。
『……ま、女性陣こちらの借りは、実感する方法これで返せばいいな』
 そう呟いていたことに睦月は気付かず、いや遁走に集中して、他の一切が聞こえなくなっていた。

 そして睦月が、彼女をはじめとした女性陣から、努力の成果の実感方法を教わったのは……追い駆けて来た男性陣に捕まって、袋叩きを受けた後だった。



「ああ、疲れる……」
 睦月の口から、思わず言葉が零れ出た。
 加速装置ニトロを扱う為に集中力を上げた代償が精神的疲労であるなら、一発の蹴りに身体能力の全てを載せた場合は肉体的な疲労だった。
 精神的なら程度の差はあれ、多少ふらつく位で済ませられるのだが……肉体的であるならば、話は違ってくる。
 何せ、自らの肉体をぶつけるのだ。下手をすれば身体が動かないまま、しばらく倒れ込む可能性だってある。実際、最初の頃は反動でよく筋肉を痛め、時には骨折すらしていた。
(なんとか、耐えられたな……)
 だから睦月は、滅多に肉体的な制御装置リミッターを外すことはなかった。使う必要がない程に近接戦を避けていることもあるが……それ以上に、その手札カードは正真正銘の切り札ジョーカー。その一枚カードを、易々と切ることはない。
 だからこそ……睦月の切り札ジョーカーに対抗できる人間は少なく、またできない者にしか使わないことで、確実な勝利を得てきた。
 今回もまた、雅人を蹴り飛ばした睦月は再び制御装置リミッターを戻して過集中状態ゾーンを解除する。そして、急激な動作で転がり落ちた、ベルトに差していた自動拳銃ストライカーの下へと向かった。
 地面から自動拳銃ストライカーを拾い上げた睦月はただ静かに、弾倉マガジンを差し替えて銃身スライドを引き、薬室チャンバーに銃弾を送り込んだ。
「さて……」
 ただ蹴り飛ばしただけで話が終わる程、この世界は単純ではない。
 右手に自動拳銃ストライカーの銃把を握ってぶら下げたまま、睦月は雅人の傍へと歩いて行く。
「が、ぁ……」
 偶然とはいえ、拓けた場所が彼への致命傷を外させた。
 たとえ全力の蹴りを叩き込もうとも、その衝撃が身体に留まらなければ、肉体へのダメージも同時に削られてしまう。雅人が辛うじて生きていられるのも、適当な障害物にぶつかることなく、大地を転がったことで結果的に受け流せたからだ。
 しかし、雅人の生死は睦月にとって……どうでも・・・・良かった。
「何だ……まだ生きてるのか?」
「…………ぁ、」
 倒れたまま、無理矢理動かした腕で腹部を押さえる雅人の傍に立った睦月は銃を持ったまま、静かに見下ろした。
「たく……あんな猿真似・・・に、簡単に引っ掛かりやがって」
「な、ぁ……」
 警戒は解かないまま、睦月は雅人に言葉を落としていく。
「あれは元々、達人同士の駆け引きに使うことを前提に編み出された、ただの・・・陽動技フェイントだぞ? しかも剣術やってたわけじゃないから、手練れベテラン相手にはあっさり見破られて通用しないんだよ。だから、玄人それ以外に効くのはただの素人で……」
 睦月は口調に少し、苦みを混ぜながら告げた。

「……過集中状態ゾーンに入りやすい、俺達・・のような発達障害者だけだよ」

 ゆえに、睦月が持つ発達障害ASDは弱点足り得た。
 発達障害ASDを抱えているからではない、相手の過集中状態ゾーンを破るすべが、すでに存在していたからだ。
「…………ぇ?」
 まだ痛みで悶絶する中、それでも疑問の眼差しを向けてくる雅人に、睦月は溜息を吐ぎながら答えた。
「まあ、実際は検査してみないと何とも言えないが……単純な動作で過集中状態ゾーンに入れてる時点で、そういうことなんだろ?」
 ……ある意味、皮肉が効いている。
「大方、周囲と違う思考で苦しんでいたのに、その理解者が居なかったから何もできずに犯罪者になった、ってところだろうが……よりにもよって、俺を狙うかね」
 もしかしたら、睦月もまたこうなっていたかもしれないと思うと、雅人をあまり嫌いになれなかった。
 実際、睦月はまだ恵まれていた。

 ――理解してくれる、家族が居た

 ――受け入れてくれる、仲間が居た

 ――こんな……『普通の・・・人間とは違う』と社会から決めつけられた自分を、選んでくれる者達が居た

 睦月が雅人に勝てたのは、それだけの話だった。
「本当、安っぽい結末だよ……」
 周囲に理解されていた為に、自身を受け入れられた男は、自らを含めた周囲に拒絶され、その果てに犯罪者と化した男を倒した。
 同じ苦悩を抱えながらも、違う環境で生きた人間が戦って、どちらかが勝つ。本当に、今時のB級映画ですらやらないような設定だった。
「俺も……もしかしたら、お前みたいになっていたのかもな」
 不思議と、饒舌になっていることに、睦月自身も気付いていなかった。にも関わらず、今目の前に居る雅人同類に何故か、言葉を掛けずにはいられなかった。
「だが……結局は、『たられば』の話だ」
 ゆっくりと、自動拳銃ストライカーの銃口が、雅人の眼前へと向けられていく。

「俺は……お前を、殺す」

 そして睦月は、自らの決意を口にした。
「お前が犯罪者だからじゃない。俺の仕事を邪魔したからでもない。ただ、お前を逃がすと俺や周りの奴に危害が及ぶ。だから殺す……禍根も、脅威の火種も一切残さない」
 それこそ睦月が、かつて由希奈に告げた言葉の真実だった。
「その為なら、どんな脅威や絶望だろうと関係ない。その全てを上回る悪意を以て……必ず振り切ってみせる」
 それが、睦月が結果的に、『卑怯な蝙蝠ノーボーダー』の通り名あざなを受け入れた理由だった。
「周囲が傷付くのも、俺が傷付くのもごめんだ。だがそれ以上に、周囲が傷付くかもしれない・・・・・・状況を、俺自身が受け入れられない。だから俺は、お前を殺す……自己保身・・・・の為に」
 人差し指が、引き金トリガーに掛けられる。
 後は少し、力を入れるだけで5.7mm小口径高速弾が放たれ……目の前の刺客は命を落とす。
「……僕は、死ぬの?」
「ああ……俺が・・殺す・・
 それが、睦月が齎す不変の結末だと、ようやく話せる程に痛みの引いてきた雅人に、そう言い・・聞かせた・・・・
「急がないと、お前の仲間も来るしな。さっさと殺して……」
 瞬間、睦月の眉間に皺が寄る。
「……何で笑う・・?」
「いや……」
 雅人の表情が、どこか緩く……バスで暴れ出した時よりも、穏やかに見えた。

「君が……すごくいい人・・・だと、思って」



 最初は、ただの標的ターゲットとしか見ていなかった。
 最狂と呼ばれていようとも、所詮は戦闘職ではない『運び屋』。銃をはじめとした武器を持ち込めない、用意された乗り物を運転しなければならない仕事中に、相手に指定させた確実に・・・『人気のない場所』へと連れ込む。
 標的ターゲットの有利、不利を調整して一番弱まる瞬間に、銃と過集中状態ゾーンを凶器にして襲い掛かれば、たとえ素人だとしても圧倒できる。
 そう依頼主プランナーに言われ、その通りにした結果が……この有様だ。
 元々、何かに利用されていることは分かっていた。けれども、もう犯罪に手を染めることでしか、生きるすべはない。少なくとも、そう考えていた。
 だから報酬も良く、に使えそうな技能スキルも身に着けられる、この依頼を請けたのだ。

 そして、返り討ちに遭った。

 殺される可能性も考慮していたが、話を聞いた段階ではかなり低いと楽観視していたところもある。けれども、下手をすれば依頼主プランナーすら知らなかったかもしれない剣術スキルを見せられ、その直後に蹴り飛ばされてしまった。
 たった一つ、隠された手の内だけで状況を逆転された時点で、もう諦めはついていた。
 そもそもの話、積み上げてきたものが違い過ぎた。
 知識はあっても、自分が発達障害持ちだという認識はなかった。現に、銃口を向けられた状態でかえって冷静になった今だからこそ、その指摘を受け入れることができた位だ。
 これまで周囲と馴染めず、自分のことにも気付けないまま孤独な道を歩んでいる中、目の前の青年は障害を受け入れ、それを前提として自身を磨いてきていた。
 障害を他人ひと事のように捉えていた男と、自分自身が障害者だと受け入れた男。
 その差が、勝敗を決したのだ。
 だからすぐ、殺されると思っていたのだが……引き金よりも先に、彼から言葉が放たれていた。
「……僕は、死ぬの?」
「ああ……俺が殺す」
 わざわざ、言う・・必要も・・・ない・・言葉を残してくれる青年に、雅人は思わず、笑みを零してしまう。
「……何で笑う?」
「いや……」

が……すごくいい人だと、思って」

 久し振りに、心の底から素直な気持ちが漏れ出ていた。
「…………あ゙」
 しかしそれは、彼にとっては禁句だったらしい。
「俺は俺の都合で、お前を殺すんだよ……お前の評価なんて、知って堪るかっ」
 険しい表情と、徐々に絞り込まれる人差し指。

「てめぇの価値観を…………俺に押し付けるなっ!」



 そして山中に、銃声が鳴り響いた。
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