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096 案件No.006_旅行バスの運転代行(その10)
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昔から……他人に評価されるのが嫌いだった。
――ダンッ!
『ぎゃっ!?』
どんな評価だろうと、その全てを素直に受け止めてしまう。褒められれば嬉しく、貶されればその点を気にする。
『ちっ……』
通常であれば、(都合の)良い評価以外は聞き流すのだろうが……発達障害者の場合は違った。
忖度が、人の気持ちを推し量ることが難しく、その言葉通りに受け止めてしまう。
その度に喧嘩すれば長引き、相手の気持ちの裏側が分からずに擦れ違い、最後には……『騙し易い奴』だと、侮られてきた。
『てめっ!』
『このっ!』
しかし、幸か不幸か……睦月は、『裏社会の住人』達に育てられた。
扱える金銭も、巻き込まれる問題も……扱える道具も、格段に違う。
――ダン、ダンッ!
『ガッ!?』
『ゲッ!?』
単に『いい人』だとおだてられ、慣れない女遊びで美人局に出会す。人にとってはよくある、大したことのない出来事だとしても……
……それを繰り返してきた睦月が、人付き合いを諦めてしまうには十分過ぎた。
『やっ、やめっ……』
手に持っていた自動拳銃を反転させ、銃身を握り込む睦月。そして、目の前に居る年上の女の脳天目掛けて、銃把を鉄槌代わりにして叩き込んだ。
『ゴッ!?』
『……くっだらね』
銃弾の無駄だ、せめて9mm口径にしとけば良かった……等と考えながら、睦月はかつてのボウリング場内を歩き、レーン横の座席へと腰掛けた。古びてはいるが革張りは健在で、破れてないところを見ると、単純に客入りが悪くて潰れたと見るべきだろう。
けれども、今の睦月には関係ない。
美人局を仕掛けてきた連中に銃弾を叩き込み、誘い込んできた女を殴って一生消えないだろう傷を負わせた。男共には適当に銃弾を撃ち込んでいたので、生きている者も居れば、死んでいる者も居るだろう。
もっとも……睦月には、どうでもいい話だが。
『あ~……馬鹿らしくなってきた』
冷静になると、完全にやり過ぎだった。
いくら姉妹分や殺し屋が自分達の道を往き、昔馴染みとも疎遠になっていく中、秀吉が遠出の仕事で不在だからと、暇に任せて慣れないことをするべきではなかった。
適当なキャバクラや性風俗に年齢を誤魔化しては入店し、慣れない酒を避けてジンジャーエールの入ったグラスを傾けて、大人ぶって女遊びを繰り返すこと数夜。
意外と見かけが良かったのか、それとも単に金払いが良かったのか。いまさら理由は分からないが……通っていたキャバクラの一つで、問題に巻き込まれた。単なる美人局だが、その時は偶々機嫌が悪く、護身用に持っていた5.7mm口径の自動拳銃を、ただの凶器として振り回した。
(止める人間が居ないと、こうなるんだな……)
まだ、息のある者達が助かろうと、睦月に縋ろうと手を伸ばしてくる。
ただ……睦月に助ける気は、一切なかった。
『あ、ああ……』
自分を獲物だと決めつけ、見下してくる奴等が助かるかどうかなんて……睦月にとっては、どうでも良いからだ。
(うるせぇな……)
心の底から、どうでも良かった。
ただ、『運び屋』としての生き方を決めても、その為に努力を続けられたとしても……独りだと偶に、妙な虚しさを感じてしまう。
――人が、人を愛するのは、その虚しさに耐えられないからだろうか?
そんな下らないことを、考えている時だった。誰も来ないはずの、廃ボウリング場の扉を開けて、誰かが入ってきたのは。
『まだ……仲間が居たのか?』
ボウリング場内には睦月以外にもう、まともに動ける者はいない。
弾切れに近い自動拳銃の弾倉を差し替えた睦月は、座席に腰を降ろしたまま、視線と銃口を侵入者へと向けた。
『…………』
もう、頭は冷えていた。
感情に呑まれて、誰かを平気で傷付けられる人間を、怪物を見た者の行動は、大体二種類に分かれる。戦える戦えないを問わずに逃げ出すか……戦えずに腰を抜かすか、だ。
同じ怪物ならまだしも、ただの一般人が凶器を振り翳されてしまえば、正気を保つことなんてできるわけがない。
だからこそ、その女を見た時、睦月は驚いた。
『…………ちっ』
ズタボロの格好でも、感情の削げ落ちた表情でも……端を握って引き摺っていた鉄パイプでもない。
この惨状と……凶器を持つ睦月を見て、舌を鳴らすその胆力に。
それが、續木絵美と出会った日の出来事だった。
何故今になって、絵美との出会いを思い出したのか?
それは……睦月の自動拳銃が鳴らした銃声ではなかったからだろう。
「…………」
視線だけを横にして、銃声のした方へと向く。そこには何故か、睦月の昔馴染みとその会社の人間、そして……
(……何やってんだよ、姫香)
後ろ手に拘束されているのか、不機嫌な表情を隠さないまま、理沙に引き摺られて来る姫香。実力的に無傷だとは思っていたが、何故こうもあっさりと、勇太達に従っているのか。
「睦月……悪いがそいつの身柄、俺達に寄越せ」
「あ゙?」
(あ~……やっぱりキレてる)
昔よりは、睦月にも精神的な余裕ができてきている。だから、仕事の邪魔をされた程度では、ここまでブチ切れることはまずない。大方、あの刺客が禁句でも口走ったのだろうと、勇太は当たりをつけた。
しかし、その正誤は今、関係ない。
付き合いが長い分、勇太は昔馴染みがキレた時の面倒臭さをよく知っている。だから刺激しないよう、威嚇の為に上空へと発砲したショットガンの銃口を下げてから、声を掛けた。
「もう……そいつしか、生き残ってねえんだよ」
不運にも、間が悪過ぎた。
勇太達が姫香の近くに来た時には、すでに最後の一人と対峙し、銃口を向け合う直前だった。そこに割り込んで止めようとしたのはまだ良かったが、タイミングが最悪過ぎたのだ。
「俺達が来た時にはもう、この女が全滅させちまってたんだよ。しかも、最後の一人は目の前で、だぞ」
止めようと悪目立ちしたのが、そもそもの間違いだった。
よりにもよって、今理沙が捕らえているこの娘は、勇太達が顔を見せたその瞬間に隙を突き、右手の袖の仕込みで撃ち殺したのだ。下手に割り込みさえしなければ、とも思うが……可能性だけを考えていても、仕方がない。
「そいつには知ってること、全部吐いて貰う。その為にも、頼むから……身柄を渡してくれ」
唯一の救いは、姫香もまた黒幕の正体について探ることに、同意してくれたことだろうか。
もう実行犯で生きているのは、睦月が今相手にしているバスジャック犯だけだった。黒幕どころか姿を見せない裏方すら、見つけて捕まえられる保証はない。
だからこそ、睦月の足元で銃口を向けられている青年の身柄は、確実に確保しておきたかった。
「……で、姫香と人質交換でもするつもりか?」
「まさか……」
顎を振り、理沙に姫香を解放するように指示を出す。今すぐにでも駆け出したいだろうが、さすがの彼女も、無暗に今の睦月へと近付くことはない。ただ様子を見つつ、勇太達からゆっくりと離れて行った。
「……お前相手に人質は無駄だろうが。いきなり撃たれない為の保険だよ」
威嚇で空に引き金を引いた時、姫香と理沙は、勇太の目の前に居た。居て、貰った。
実際……昔の睦月なら、誰彼構わず撃ち抜いていたことだろう。盾になって貰った二人に意味があったのかは分からない。だが、少なくとも……話し合いの場に持ち込むことだけは、できた。
今の勇太には、それだけで十分だった。
「対価は払う。お前だって、無関係じゃないはずだ。だからもう一度、いや何度でも言うぞ……そいつを寄越せ」
頼むから、とは続けない。それ以上は、目の前の男が嫌悪する行為の一つ……誰か、何かに縋ることだからだ。
そして……結果、睦月の銃を降ろさせることに成功した。
人間は基本、一度に一つのことしかできない。実際に、並列処理のできる者は少ないだろう。誰もが同時にできていると思っている行動の、そのほとんどは並列ではなく、ほぼ同時の連続処理でしかなかった。
しかも、相手は発達障害持ちだ。一つの物事に集中しやすい傾向にある存在だ。だから、睦月の意識は足元の男と勇太に向けられ……静かに近付いて来た姫香を捉えることは、できていなかった。
「…………」
何も言わず、何も示さない。ただ、自らの拘束を手早く取り、銃身の上に手を置いただけ。これからの打算の為か、それとも、彼の心を守る為か……だが少なくとも、これは姫香自身の本音だ。
今……睦月が引き金を引けば、それは心に傷として、永遠に残る。
睦月が望むのであれば、代わりに殺そう。もし殺さないのであれば、それを受け入れよう。けれども、生殺与奪の特権を感情だけで捨て去ろうとすることだけは、決して許せなかった。
……睦月が後悔するような行動だけは、絶対に許せなかった。
もし、それを認めてしまえば……自分もまた、睦月の後悔に含まれてしまうかもしれない。それが、今の姫香には耐えられなかった。
だから、いざとなれば……睦月が引き金を引くよりも早く銃を奪い、代わりに殺そうと姫香は身構えた。
「……分かったよ」
もっとも……姫香の覚悟は、杞憂に終わったが。
自動拳銃の銃口を、雅人から地面へと移した。もっとも、姫香の手が重なった銃身を、そのまま下げただけだが。
「情報は全て、共有しろ。旅行会社への隠蔽工作はこっちでやっておくが、それ以外はお前が責任を持ってやれ。警察にはいつも通り、京子さん伝手で話を通しておけよ。後……」
誰が、何を、どう思っていようと……これだけは変わらない。
「こいつがまた襲ってきた時だけじゃない。最後に、こいつを殺すつもりなら……俺に殺させろ。いいな?」
「……分かった。それでいい」
睦月の許しを得て、勇太は部下に雅人を回収させた。
一歩下がって、その様子を見届けた睦月は姫香に向けて、ある一点を指差す。
「あっちに由希奈が居る。頼めるか?」
「…………」
コクン、と静かに頷いてから、姫香は由希奈の下へと向かう為に背を向けて来た。
周囲から、人が去って行く。誰もいない中、睦月は一人立って、空を見上げた。
「僕は……どうなるんですか?」
「……お前次第だ」
理沙達に拘束され、即席の担架に乗せられた雅人の横を歩きながら、勇太はそう答えた。
「全部話した後、もしやり直したいなら監視も兼ねて、仕事を紹介してやる。清掃業だから色々ときついが、高給取りなのは保証する……まだ、誰も殺してないんだろ?」
「……殺せなかったんです、誰も」
この男が最初に殺そうとしたのが、荻野睦月だった。
しかし返り討ちに遭い、結果的に人を殺さずに済んだ。ただ、それだけに過ぎない。
「もうそれしか、生きる方法がないと思っていたのに……結局残ったのは、自分が発達障害かもしれない、ってことと……『運び屋』を敵に回した事実、だけか」
「そうだな……」
勇太は、雅人の味方じゃない。
「だから……諦めろ」
けれども……今、敵となって追撃する気はなかった。
「お前は一つ、生きる理由を失う……それだけは覚悟しろ」
「生きる、理由……?」
「……諦められなかったんだろ?」
それだけは分かると、勇太は雅人に告げた。
「犯罪者になる人間には二種類いる。生活環境や人間関係とかで影響を受けた奴か……何かを諦めたくないばかりに、やり方を間違えた奴だ。だから、お前は睦月を……『運び屋』を殺そうとしたんだろ? 渡された銃で、自分の頭を吹き飛ばそうなんて考えずに」
まだ、雅人があの世に逝く気がない、逝きたくないことを、勇太は理解していた。
自分も……同じだったから。
「お前が、どんな決着をつけたかったのかは知らねえけど……諦めるんだな」
睦月が女に振られる場面を、何度も見て来た。けれども、絵美に振られた理由だけは、一生忘れられない。
「あいつはいい奴なんだよ。本人が嫌がってる意味でも……本当の意味でも、な」
所詮は憶測でしかない。けれども、同じ発達障害者だからこそ、分かることがある。
『いつか、絶対に別れてやる……』
(ああ……だから、絵美のことを思い出したのか)
絵美が隣に居た間、ずっと、そう言われ続けてきた。だからこそ、睦月にとってそれは、人が嫌がることなのだろうと刷り込まれていた。
もし、絵美の立場になったとしても、相手によっては対応を変えてしまうだろう。人によって態度を変えるのと同じ位、睦月にとってはどうでもいいことだからだ。
だからこそ……それは睦月にとって、けじめ足り得た。
その理由を奪われて、手を引けばそれでいいし、生きる理由がなくなって逝こうとも、睦月に気にする理由はない。それで逆恨みしてくるならば、それこそ返り討ちにすればいいだけの話だ。
少なくとも剣術擬きを使い、雅人を殺そうと考えた時には、すでにそうすると決めていた。姫香や勇太は何も言ってこなかったが……どちらにせよ、いまさら変更はない。
「ふぅ…………」
見上げていた顔を降ろし、動き回って乱れたネクタイを解く。弾倉を替えたものの、その後は結局、一発も撃たなかった自動拳銃を腰のベルトに差し戻した。
(どいつもこいつも、外注で十分だと、思うんだけどな……ま、いつものことか)
何も持たず、空になった両手の指を重ね合わせて……睦月は、冷酷な思考回路を稼働させた。
(…………状況を、整理しよう)
『人の復讐を横取りしたこと……絶対に許さないから』
今回襲ってきた刺客の……雅人の目的かもしれない、報復の為に。
――Case No.006 has forced to close.
――ダンッ!
『ぎゃっ!?』
どんな評価だろうと、その全てを素直に受け止めてしまう。褒められれば嬉しく、貶されればその点を気にする。
『ちっ……』
通常であれば、(都合の)良い評価以外は聞き流すのだろうが……発達障害者の場合は違った。
忖度が、人の気持ちを推し量ることが難しく、その言葉通りに受け止めてしまう。
その度に喧嘩すれば長引き、相手の気持ちの裏側が分からずに擦れ違い、最後には……『騙し易い奴』だと、侮られてきた。
『てめっ!』
『このっ!』
しかし、幸か不幸か……睦月は、『裏社会の住人』達に育てられた。
扱える金銭も、巻き込まれる問題も……扱える道具も、格段に違う。
――ダン、ダンッ!
『ガッ!?』
『ゲッ!?』
単に『いい人』だとおだてられ、慣れない女遊びで美人局に出会す。人にとってはよくある、大したことのない出来事だとしても……
……それを繰り返してきた睦月が、人付き合いを諦めてしまうには十分過ぎた。
『やっ、やめっ……』
手に持っていた自動拳銃を反転させ、銃身を握り込む睦月。そして、目の前に居る年上の女の脳天目掛けて、銃把を鉄槌代わりにして叩き込んだ。
『ゴッ!?』
『……くっだらね』
銃弾の無駄だ、せめて9mm口径にしとけば良かった……等と考えながら、睦月はかつてのボウリング場内を歩き、レーン横の座席へと腰掛けた。古びてはいるが革張りは健在で、破れてないところを見ると、単純に客入りが悪くて潰れたと見るべきだろう。
けれども、今の睦月には関係ない。
美人局を仕掛けてきた連中に銃弾を叩き込み、誘い込んできた女を殴って一生消えないだろう傷を負わせた。男共には適当に銃弾を撃ち込んでいたので、生きている者も居れば、死んでいる者も居るだろう。
もっとも……睦月には、どうでもいい話だが。
『あ~……馬鹿らしくなってきた』
冷静になると、完全にやり過ぎだった。
いくら姉妹分や殺し屋が自分達の道を往き、昔馴染みとも疎遠になっていく中、秀吉が遠出の仕事で不在だからと、暇に任せて慣れないことをするべきではなかった。
適当なキャバクラや性風俗に年齢を誤魔化しては入店し、慣れない酒を避けてジンジャーエールの入ったグラスを傾けて、大人ぶって女遊びを繰り返すこと数夜。
意外と見かけが良かったのか、それとも単に金払いが良かったのか。いまさら理由は分からないが……通っていたキャバクラの一つで、問題に巻き込まれた。単なる美人局だが、その時は偶々機嫌が悪く、護身用に持っていた5.7mm口径の自動拳銃を、ただの凶器として振り回した。
(止める人間が居ないと、こうなるんだな……)
まだ、息のある者達が助かろうと、睦月に縋ろうと手を伸ばしてくる。
ただ……睦月に助ける気は、一切なかった。
『あ、ああ……』
自分を獲物だと決めつけ、見下してくる奴等が助かるかどうかなんて……睦月にとっては、どうでも良いからだ。
(うるせぇな……)
心の底から、どうでも良かった。
ただ、『運び屋』としての生き方を決めても、その為に努力を続けられたとしても……独りだと偶に、妙な虚しさを感じてしまう。
――人が、人を愛するのは、その虚しさに耐えられないからだろうか?
そんな下らないことを、考えている時だった。誰も来ないはずの、廃ボウリング場の扉を開けて、誰かが入ってきたのは。
『まだ……仲間が居たのか?』
ボウリング場内には睦月以外にもう、まともに動ける者はいない。
弾切れに近い自動拳銃の弾倉を差し替えた睦月は、座席に腰を降ろしたまま、視線と銃口を侵入者へと向けた。
『…………』
もう、頭は冷えていた。
感情に呑まれて、誰かを平気で傷付けられる人間を、怪物を見た者の行動は、大体二種類に分かれる。戦える戦えないを問わずに逃げ出すか……戦えずに腰を抜かすか、だ。
同じ怪物ならまだしも、ただの一般人が凶器を振り翳されてしまえば、正気を保つことなんてできるわけがない。
だからこそ、その女を見た時、睦月は驚いた。
『…………ちっ』
ズタボロの格好でも、感情の削げ落ちた表情でも……端を握って引き摺っていた鉄パイプでもない。
この惨状と……凶器を持つ睦月を見て、舌を鳴らすその胆力に。
それが、續木絵美と出会った日の出来事だった。
何故今になって、絵美との出会いを思い出したのか?
それは……睦月の自動拳銃が鳴らした銃声ではなかったからだろう。
「…………」
視線だけを横にして、銃声のした方へと向く。そこには何故か、睦月の昔馴染みとその会社の人間、そして……
(……何やってんだよ、姫香)
後ろ手に拘束されているのか、不機嫌な表情を隠さないまま、理沙に引き摺られて来る姫香。実力的に無傷だとは思っていたが、何故こうもあっさりと、勇太達に従っているのか。
「睦月……悪いがそいつの身柄、俺達に寄越せ」
「あ゙?」
(あ~……やっぱりキレてる)
昔よりは、睦月にも精神的な余裕ができてきている。だから、仕事の邪魔をされた程度では、ここまでブチ切れることはまずない。大方、あの刺客が禁句でも口走ったのだろうと、勇太は当たりをつけた。
しかし、その正誤は今、関係ない。
付き合いが長い分、勇太は昔馴染みがキレた時の面倒臭さをよく知っている。だから刺激しないよう、威嚇の為に上空へと発砲したショットガンの銃口を下げてから、声を掛けた。
「もう……そいつしか、生き残ってねえんだよ」
不運にも、間が悪過ぎた。
勇太達が姫香の近くに来た時には、すでに最後の一人と対峙し、銃口を向け合う直前だった。そこに割り込んで止めようとしたのはまだ良かったが、タイミングが最悪過ぎたのだ。
「俺達が来た時にはもう、この女が全滅させちまってたんだよ。しかも、最後の一人は目の前で、だぞ」
止めようと悪目立ちしたのが、そもそもの間違いだった。
よりにもよって、今理沙が捕らえているこの娘は、勇太達が顔を見せたその瞬間に隙を突き、右手の袖の仕込みで撃ち殺したのだ。下手に割り込みさえしなければ、とも思うが……可能性だけを考えていても、仕方がない。
「そいつには知ってること、全部吐いて貰う。その為にも、頼むから……身柄を渡してくれ」
唯一の救いは、姫香もまた黒幕の正体について探ることに、同意してくれたことだろうか。
もう実行犯で生きているのは、睦月が今相手にしているバスジャック犯だけだった。黒幕どころか姿を見せない裏方すら、見つけて捕まえられる保証はない。
だからこそ、睦月の足元で銃口を向けられている青年の身柄は、確実に確保しておきたかった。
「……で、姫香と人質交換でもするつもりか?」
「まさか……」
顎を振り、理沙に姫香を解放するように指示を出す。今すぐにでも駆け出したいだろうが、さすがの彼女も、無暗に今の睦月へと近付くことはない。ただ様子を見つつ、勇太達からゆっくりと離れて行った。
「……お前相手に人質は無駄だろうが。いきなり撃たれない為の保険だよ」
威嚇で空に引き金を引いた時、姫香と理沙は、勇太の目の前に居た。居て、貰った。
実際……昔の睦月なら、誰彼構わず撃ち抜いていたことだろう。盾になって貰った二人に意味があったのかは分からない。だが、少なくとも……話し合いの場に持ち込むことだけは、できた。
今の勇太には、それだけで十分だった。
「対価は払う。お前だって、無関係じゃないはずだ。だからもう一度、いや何度でも言うぞ……そいつを寄越せ」
頼むから、とは続けない。それ以上は、目の前の男が嫌悪する行為の一つ……誰か、何かに縋ることだからだ。
そして……結果、睦月の銃を降ろさせることに成功した。
人間は基本、一度に一つのことしかできない。実際に、並列処理のできる者は少ないだろう。誰もが同時にできていると思っている行動の、そのほとんどは並列ではなく、ほぼ同時の連続処理でしかなかった。
しかも、相手は発達障害持ちだ。一つの物事に集中しやすい傾向にある存在だ。だから、睦月の意識は足元の男と勇太に向けられ……静かに近付いて来た姫香を捉えることは、できていなかった。
「…………」
何も言わず、何も示さない。ただ、自らの拘束を手早く取り、銃身の上に手を置いただけ。これからの打算の為か、それとも、彼の心を守る為か……だが少なくとも、これは姫香自身の本音だ。
今……睦月が引き金を引けば、それは心に傷として、永遠に残る。
睦月が望むのであれば、代わりに殺そう。もし殺さないのであれば、それを受け入れよう。けれども、生殺与奪の特権を感情だけで捨て去ろうとすることだけは、決して許せなかった。
……睦月が後悔するような行動だけは、絶対に許せなかった。
もし、それを認めてしまえば……自分もまた、睦月の後悔に含まれてしまうかもしれない。それが、今の姫香には耐えられなかった。
だから、いざとなれば……睦月が引き金を引くよりも早く銃を奪い、代わりに殺そうと姫香は身構えた。
「……分かったよ」
もっとも……姫香の覚悟は、杞憂に終わったが。
自動拳銃の銃口を、雅人から地面へと移した。もっとも、姫香の手が重なった銃身を、そのまま下げただけだが。
「情報は全て、共有しろ。旅行会社への隠蔽工作はこっちでやっておくが、それ以外はお前が責任を持ってやれ。警察にはいつも通り、京子さん伝手で話を通しておけよ。後……」
誰が、何を、どう思っていようと……これだけは変わらない。
「こいつがまた襲ってきた時だけじゃない。最後に、こいつを殺すつもりなら……俺に殺させろ。いいな?」
「……分かった。それでいい」
睦月の許しを得て、勇太は部下に雅人を回収させた。
一歩下がって、その様子を見届けた睦月は姫香に向けて、ある一点を指差す。
「あっちに由希奈が居る。頼めるか?」
「…………」
コクン、と静かに頷いてから、姫香は由希奈の下へと向かう為に背を向けて来た。
周囲から、人が去って行く。誰もいない中、睦月は一人立って、空を見上げた。
「僕は……どうなるんですか?」
「……お前次第だ」
理沙達に拘束され、即席の担架に乗せられた雅人の横を歩きながら、勇太はそう答えた。
「全部話した後、もしやり直したいなら監視も兼ねて、仕事を紹介してやる。清掃業だから色々ときついが、高給取りなのは保証する……まだ、誰も殺してないんだろ?」
「……殺せなかったんです、誰も」
この男が最初に殺そうとしたのが、荻野睦月だった。
しかし返り討ちに遭い、結果的に人を殺さずに済んだ。ただ、それだけに過ぎない。
「もうそれしか、生きる方法がないと思っていたのに……結局残ったのは、自分が発達障害かもしれない、ってことと……『運び屋』を敵に回した事実、だけか」
「そうだな……」
勇太は、雅人の味方じゃない。
「だから……諦めろ」
けれども……今、敵となって追撃する気はなかった。
「お前は一つ、生きる理由を失う……それだけは覚悟しろ」
「生きる、理由……?」
「……諦められなかったんだろ?」
それだけは分かると、勇太は雅人に告げた。
「犯罪者になる人間には二種類いる。生活環境や人間関係とかで影響を受けた奴か……何かを諦めたくないばかりに、やり方を間違えた奴だ。だから、お前は睦月を……『運び屋』を殺そうとしたんだろ? 渡された銃で、自分の頭を吹き飛ばそうなんて考えずに」
まだ、雅人があの世に逝く気がない、逝きたくないことを、勇太は理解していた。
自分も……同じだったから。
「お前が、どんな決着をつけたかったのかは知らねえけど……諦めるんだな」
睦月が女に振られる場面を、何度も見て来た。けれども、絵美に振られた理由だけは、一生忘れられない。
「あいつはいい奴なんだよ。本人が嫌がってる意味でも……本当の意味でも、な」
所詮は憶測でしかない。けれども、同じ発達障害者だからこそ、分かることがある。
『いつか、絶対に別れてやる……』
(ああ……だから、絵美のことを思い出したのか)
絵美が隣に居た間、ずっと、そう言われ続けてきた。だからこそ、睦月にとってそれは、人が嫌がることなのだろうと刷り込まれていた。
もし、絵美の立場になったとしても、相手によっては対応を変えてしまうだろう。人によって態度を変えるのと同じ位、睦月にとってはどうでもいいことだからだ。
だからこそ……それは睦月にとって、けじめ足り得た。
その理由を奪われて、手を引けばそれでいいし、生きる理由がなくなって逝こうとも、睦月に気にする理由はない。それで逆恨みしてくるならば、それこそ返り討ちにすればいいだけの話だ。
少なくとも剣術擬きを使い、雅人を殺そうと考えた時には、すでにそうすると決めていた。姫香や勇太は何も言ってこなかったが……どちらにせよ、いまさら変更はない。
「ふぅ…………」
見上げていた顔を降ろし、動き回って乱れたネクタイを解く。弾倉を替えたものの、その後は結局、一発も撃たなかった自動拳銃を腰のベルトに差し戻した。
(どいつもこいつも、外注で十分だと、思うんだけどな……ま、いつものことか)
何も持たず、空になった両手の指を重ね合わせて……睦月は、冷酷な思考回路を稼働させた。
(…………状況を、整理しよう)
『人の復讐を横取りしたこと……絶対に許さないから』
今回襲ってきた刺客の……雅人の目的かもしれない、報復の為に。
――Case No.006 has forced to close.
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