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「第九話 夕子抹殺 ~復讐の機龍~ 」
14章
しおりを挟む満月が青い波間に揺れている。
穏やかな太平洋の波が、飛沫をあげながら満ち引きを繰り返している。湿気をともなった海風が、南の島を爽やかに駆け抜けていく。月明かりが照らすだけの、夜の海岸。普段なら、ここ南海のリゾート地・天海島の裏側には美しい夜景が広がっているのであろうが、今夜に限っては特別な存在たちが、常夏の夜から平穏を奪い取ってしまっていた。
深緑の身体にレンガ色の甲羅を背負った巨大なウミガメの怪物と。
月光に煌く銀色の女神がふたり。
砂浜を揺らし、怒涛を巻き起こす巨大な闘いが、ただひとりの少女が見守るなか繰り広げられている。
「そ、そんなァ・・・」
浜辺に立ち尽くした桜宮桃子の朱鷺色の唇から洩れたのは、動揺と悲痛の呟きであった。
獰猛な獣の勝ち鬨が沸き起こるなか、ふたりの守護天使が鮮血と汚泥にまみれて倒れ伏している。
金色がややまじった茶髪を背中にまで伸ばした紫の戦士は、藻屑のごとく波間に揺られ、スカイブルーの海を滴る血で薄墨に汚していた。プカプカと無言で漂う姿に、無力感が迫る。一方のショートカットも模様も青いスタイル抜群の戦士は、瞳と胸のクリスタルを点滅させながら大の字で傷だらけの肢体を砂浜に横臥させている。
ファントムガール・・・いや、つい先日の5人の少女たちによる会議で、紛らわしいからという理由により、ファントムガール・サトミと呼ぶことにしたリーダー格の戦士と、純粋な身体能力なら最強とすら噂されているファントムガール・ナナ。「エデン」の守護天使を代表するふたりが、ウミガメの怪物の前にいいところなく責め立てられる悪夢は、もう30分近く続いていた。
桃子は・・・いや、恐らく七菜江もそうであろうが・・・勘違いをしていた。
人間の知性と動物の特殊能力を併せ持ったキメラ・ミュータントの脅威には何度もさらされてきた。その強さも恐ろしさも十分理解していたし、闘いの際には常に警戒を怠らなかった。メフェレスやマヴェルといった、人間単体でのミュータントについてもそれは同じだ。
その一方で、動物単体でのミュータントに対してはどうだろうか?
戦略を持たぬ、本能で向かってくる敵に、与しやすいイメージを持っていたのではないだろうか。実際に過去の対戦でも比較的楽に倒してきたし、ウミガメを媒体とする今回の相手についても、さほどの脅威を感じていなかったのが実情だ。
間違っていた。
ウミヌシは恐るべき強さで、ふたりのファントムガールを圧倒し続けていた。
もともと体調が万全ではないといえ、ふたりがかりの銀の女神の攻撃を、甲羅の巨獣は平然と受け止めて見せた。「エデン」の力を解放せずに戦況を見守る桃子の前で、サトミが、ナナが、成す術もなく傷つき倒れていく。
「ふ、ふたりが・・・まるで敵わないなんてェ・・・こ、このままじゃ・・・」
グオオオオオオオオッッッ――――ッッ!!!
ウミヌシが牙の生え揃った顎を開き、天に咆哮を轟かす。海面と大地に沈んだ少女戦士を振り返ることなく、四つの足を交互に踏み出して突き進む。その先にあるのは、少女たちが宿に選んだ一軒家。なにも知らない筋肉獣が、平和に眠っている場所。
「ファントム・リボン!」
清廉なる声とともに、白いリボンが立ち上がった高貴なる戦士の手から放たれる。
岩石のような巨躯に絡みつく正義のリボン。英才教育を受けて育った少女戦士の気力が、動けぬと思われた肉体を立ち上がらせていた。新体操選手でもある五十嵐里美が得意とする必殺の技が、油断し切ったウミヌシを背後から捕らえている。海水を滴らせながら、紫の戦士は残りわずかな光のエナジーを結集させた。
「キャプチャー・エンドッ!」
負のエネルギーを清算する、聖なる光が白い帯を通じて巨獣に注がれる。
かつて固い甲殻を持つカブトムシのミュータントに大ダメージを与えたサトミ必殺の技のひとつ。いかに強固の甲羅に守られたウミヌシとて、直接光を注入されればひとたまりもない――はずであった。
「ギシャアアアアッッ―――ッッッ!!!」
「なッ・・・これも・・・効かないというの・・・」
美麗な銀のマスクがうつろに声を震わせた瞬間、怪物の赤茶色の甲羅が発光する。
数千度にも及ぶ高熱が一瞬で白のリボンを燃やし、帯を伝って疾走した炎が女神の紫のグローブに火をつける。たまらず手放した聖なる帯は、令嬢戦士の目の前で灰となって海中に消えた。
「ファントム・リング!」
容易く技を破られたショックを感じさせず、華奢な守護女神は次なる必殺技を放っていた。間を置かぬ、素早いスピード。両手に現れた白い光の輪が、闇を切り裂いて巨大ガメの正面に迫る。ファントムガール・サトミの技のなかでもっともシャープな円斬を、ウミガメのミュータントは受け切るつもりなのか。
パリンッッ・・・
澄んだ音色を響かせて、甲羅に激突した光のリングは粉々に霧散した。
無惨に消滅する己の武器を、呆然と見遣る美しき女神。ウミヌシの口から発射された灼熱光が、硬直したサトミの胸の中央に直撃する。
「はあぐぅッッ!!」
銀と紫で描かれたバストが、赤黒く焼け爛れる。青色に輝く水晶体・エナジークリスタルに受けた一撃は、里美の魂を震えさせるほどに強力であったのに、エリート戦士であるがゆえに踏みとどまったのが令嬢天使のアダとなった。
荒れ狂う海神の追撃光線。
立ち尽くすサトミの腹部を、腕を、顔面を、次々に灼熱が焦がしていく。
「きゃあああああああッッううううッッ――――ッッ!!!」
琴のごとき優美な声音が、苦痛に揺れて水面を駆ける。
銀色に輝く肌を赤黒く焼け爛れさせ、飛沫をあげて女性らしい肢体が海中に沈む。ジュッ・・・という音とともに黒煙が立ち昇る。
ファントム・リボンも、ファントム・リングも・・・いや、それだけではない。ファントム・クラブも、ファントム・バレットも、最大の必殺技と位置付けられるディサピアード・シャワーまでも・・・
"私の技が・・・まるで・・・通用しないなんて・・・・・・"
ブクブクと海面を泡立たせながら、美しき女神の肢体が夜の海に沈んでいく。
ドオオオオオッッッ――――ンンンッッッ!!!
迫撃砲のごとき轟音。振り返るウミヌシの視界に、横たわっていたはずの青い戦士が直立し、右腕を突き上げている姿が入る。天に向けた右手の上に浮かぶのは、唸りを響かせる光の白球。ビリビリと震える空気が、光球の持つ高密度なエネルギーを教える。
「スラム・・・ショットォォォッッオオッ―――ッッ!!!」
世界が爆発したがごとき炸裂音。
ファントムガール・ナナ必殺の光の弾丸が、一直線に強固な甲羅に飛んでいく。破壊力において、5人の守護天使たちのなかでも比類を見ない最強の光弾。装甲を持つカブトムシもクワガタも、一瞬にして貫いた弩級の破壊砲弾が、鈍重な動きしかできぬ巨獣に迫る。
最強の光の弾丸vs最強の怪物の甲羅。
巨大なる戦闘での、最強の矛vs盾。その結果はいかに―――
交錯する、轟音。
衝撃が、島の浜辺を貫いた。
数多くのミュータントを葬ってきた光の砲弾が、レンガ色の甲羅に着弾するや、バレーボールのように軽々と弾き飛ばされる。
ファントムガール・ナナ必殺のスラム・ショット、敗北の瞬間―――
「ハアッ・・・ハアッ・・・ハアッ・・・そ・・・んなッ・・・・・・」
ウミガメの甲羅がカブトムシやクワガタの甲殻などとは比べ物にならぬほど強固なのは、今更言うまでもない。だが、ウミヌシの飛び抜けた防御力には、さらに理由があった。
「エデン」は寄生したものの能力、精神によって、変身後に与える力を大きく変える。飢えたものならば獲物を求め続ける狩人にさせ、魔術を信じるものには本物の魔術を与える、など。
ウミガメに心があるかはわからないが、もしあるとすれば固い甲羅に守られた彼らの主張はこうではないのか。
《甲羅さえあれば、なんびとたりとてオレを傷つけることなどできはしない》
その揺るぎない絶対的信念は実際以上に甲羅を頑強にさせ、飛躍的に防御力を高めているのだ。能力と精神とが合致したこの強固な堅牢を、いかなる者が崩せるというのか。
さらにいえば、精神状態によって強さを左右させるという「エデン」の特性は、ウミヌシの戦闘力を、もうひとつの側面から非常に高めていた。
「ナ、ナナッ! ダメだって!」
地上で叫ぶ桃子の言葉が聞こえるわけもなく、無謀にも突進した青い少女戦士がめちゃくちゃに拳を振るう。
必殺技を完全に破られたショック。工藤吼介の命が危険に晒された焦燥。憧れの生徒会長が目の前で敗れ去った悔しさ。度重なる衝撃に、純粋なアスリート少女の身体は我を忘れて飛び掛っていた。勝算も戦略もない、ガムシャラな特攻。最初からダメージを負っていた肢体を気力だけで動かし、叫びながら強固な甲羅を殴り続ける。
「ハアッ! ハアッ! ハアッ! あたしが! あたしがやらなきゃッ! ゼエッ! ゼエッ! ゼエッ! ゼッタイにあたしがッ! あんたを止めてみせ・・・」
ガブウウウッッッ!!!
ウミヌシの尖った牙が、無防備な天使のくびれた腹部に噛み付く。
ズブリと埋まる黄色の牙。火傷を負ったナナの胴体から、真っ赤な鮮血が泉のように噴き出す。
「ぐあああああああッッッ?!!」
「キャアアアッッ――ッッ!! ナナッ?! ナナぁぁッッ――ッッ!!!」
破裂した水道管のように、凄まじい勢いで牙の埋まったナナの腹部から噴き出る血。滴る雫がみるみるうちに肉の詰まった下半身を紅に染め上げていく。激痛に貫かれ動きの止まった青い天使を、噛み付きのギロチンがさらに断絶していく。
ゴキッ・・・ゴキゴキッ・・・ブチブチッ・・・ビリッ、ブチブチンッッ!!
「ふぎゃあああああああッッッ―――ッッッ!!!!」
筋繊維が、皮膚が、肋骨が、砕かれ噛み千切られているのか。
南の島で展開される凄惨なパノラマに、超能力少女の意識が吹き飛びそうになる。
もしウミヌシが単なるカメのミュータントであるなら、固い守備力はあってもここまでの苦戦を強いられたかどうか。
だが、今のウミヌシは、生命を賭けて子供を産み落とそうとしている、産卵期のウミガメなのだ。全生命力をこの一瞬に捧げた母親の想いは、あまりに深く、強い。全ての生物に共通した根幹の本能が、1に己の命を守ることであり、2に種の繁栄であることを思えば、根深い本能に直面した今のウミヌシは、相当に戦闘力を高めているはずであった。子を守る親ガゼルが、襲い来るライオンを蹴散らしてしまうように。
ヴィーン・・・ヴィーン・・・ヴィーン・・・
ナナの胸の水晶体が、弱々しく夜の海辺に鳴り響く。
ガクリとショートカットを垂らし、瞳の光を失った豊満な肉体が、胴を噛み付かれたまま体重を巨大ガメに預けている。
肉体の崩壊と精神のショック。タフネスではズバ抜けたファントムガール・ナナが、ついに限界を迎えて意識を失っていた。物言わなくなったグラマラスな肉体は、時折思い出したようにヒクリヒクリと揺れるのみ。
ブチブチブチッ・・・蹂躙する顎の食い込む音だけが、言葉のないナナの肢体から響いてくる。
動物であるがため、敵がとっくに敗北していることも気付かず、青い少女戦士を両断するまで、ウミヌシの牙は天使の引き締まった腹部を切り裂いていく。ぐったりと脱力した健康的な肉体美を、ギリギリと噛み潰しながら弄ぶように振り回す。
「ハアッ!」
裂帛の気合とともにウミヌシの背後から襲い掛かったのは、海中に沈んだはずのファントムガール・サトミであった。
その女性らしいプロポーションのどこに力が湧くのか。不屈と呼ぶに相応しい闘志で再度立ち上がった紫の女神がレンガ色の甲羅に飛び乗り、細い腕をカメの短い首に巻きつける。
生物の構造をよく理解した攻撃。短い手足にぶ厚い甲羅を持ったカメでは、この状態からの反撃は不可能だ。首を引っ込めることも叶わず、締め付ける窒息の苦しみに、ナナに食い込んでいた顎が思わず開く。腹部を真っ赤に塗らした青い戦士が、地響きとともに砂浜に落下する。
はちきれんばかりの柔肉を内包した瑞々しいボディは、砂地で軽くリバウンドした後、光の粒子と化して幻のように消え去った。
「ギイエエエエッッ・・・ギュオオオッッ――ッッ!!」
頑丈という意味では無敵のウミヌシも、酸素が届かなくなれば生きることはできない。千載一遇のチャンスに、くノ一戦士の細腕に力がこもる。獣の手足をバタバタと振り回すウミヌシだが、甲羅にしがみついたサトミのどの部分にも爪がかかることはない。
「ナナッ! しっかりしてェッ!! ナナぁッ!!」
蕩けるような桃子の甘い声が、切迫した感情に研ぎ澄まされる。
巨大カメと銀色の女神の死闘が続く場所からわずかに離れた波打ち際に、ピクリとも動かぬ藤木七菜江の姿が転がっていた。
駆け寄った桃子がショートカットを抱き起こす。意識を無くした元気少女の唇から、苦しげな吐息が洩れてくる。まくれあがったTシャツから覗くくびれた腹部は、細かな擦り傷に覆われ血が滲み出していた。瞳を閉じ、口を半開きにし、細い眉を八の字に歪ませて、苦悶を刻んだまま固まった天真爛漫な少女の表情は、闘いで受けた仕打ちの酷さを如実に物語っていた。
「ご、ごめんね、ナナ・・・あたしが・・・あたしのせいで・・・・・・」
ルージュを塗らなくとも紅い唇を、超能力少女はぐっと噛み締める。熱い雫が目蓋の奥からこみあげてくるのがわかる。だが桃子に、悲嘆に暮れている時間はなかった。
「キャアあああああああッッッ――――ッッッ!!!」
月夜を切り裂く美麗女神の絶叫に、桃子の神秘的な瞳が巨大な死闘に向き直る。
岩石のような赤茶色の甲羅がビカビカと発光し、背に張り付いたスレンダーな守護天使を高熱で焼いている。
今まで必死でしがみついていた肢体を、今度は引き離そうとするサトミ。しかし高温で溶けた皮膚が貼り付いてしまったのか、積み重なったダメージが身体の自由を奪っているのか、か細い両腕に力を込めて反り上がるヴィーナスのごとき肢体は、奮闘空しく灼熱の甲羅から離れない。密着した腹部が、太腿が、銀色からみるみる赤黒く変色していく。
「アッ・・・アア・アッッ!!・・・ウァッアッ・・・!!」
ジュウウウウゥゥゥッッ・・・・・・
黒い煙がウミヌシの甲羅とスレンダーなボディの間から立ち昇る。桃子の鼻腔を刺激するたんぱく質の焦げる悪臭。美を司る神が造形したとしか思えぬ秀麗なマスクが苦悶に歪み、青い切れ長の瞳が点滅を開始する。途切れることない灼熱地獄に堕ちた、高貴なる銀色の蝶。くノ一としての修行で鍛錬を積み、苦痛への耐性が強いはずの五十嵐里美が、生きたまま焼かれる煉獄の苦しみに弱々しく喘ぎ続けるのみ。
「さ、里美さァんんッ?! そんなァッ・・・そんなァッ!!」
超能力少女の叫びを遮るように、クリスタルの点滅音が浜辺の潮騒に混じる。
ついに力尽きたのか、突っ張っていた両腕がガクリと折れ、銀と紫の女神は形のいいバストも憂いを帯びた美貌も、赤褐色に燃える甲羅の鉄板に沈んでいく。
ジュッ、という燃焼音。うつ伏せのまま四肢をダラリとぶら下げ、灼熱の甲羅に突っ伏したまま光の聖少女が焼かれていく。限界を悟ってしまったのか、もはやサトミの身体はピクリとも動かなかった。
ただ神々しい銀色の皮膚を、ジュウジュウと赤く爛れさせるのみ。魔物の防御と攻撃の前に、手も足もでないまま、人類の守護天使が惨めな火炙り刑に処されていく。
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