そのシスターは 丘の上の教会にいる

丸山 令

文字の大きさ
16 / 32

導かれるように……⑴

しおりを挟む

 夕刻。

 丘の上の教会から出発する最終便のバスに乗り、ロラはこの街一番の繁華街にやって来ていた。

 普段ならば、そこから直ぐ住んでいる町に向かうバスに乗り継いで、家に帰るところ。

 しかし、今日のロラは、何となく寄り道をしたい気分だった。というのも、今晩夫のテオは、夜勤で家にいないから。


 『心配だから、暗くなる前には必ず家に戻ってね? 夜は、出歩いたらいけないよ? ロラは可愛いから、僕は心配なんだ』


 同棲を始めた頃、不安げに眉を寄せながら、真剣な目で言ってくれたテオを思い出し、ロラは頬を緩めた。


(『そんなに心配しなくても大丈夫』って言ったら、少し怒ってむくれていたのよね。
 『ロラは、僕がどれだけ君を大事に思っているか、分かってない!』とか言って。
 月末仕事で遅くなる時は、いつも迎えに来てくれるし。こんなに大切にして貰って、幸せだわ……でも)


 久しぶりに、夕焼けに染まる繁華街を歩いてみると、胸が躍る気がした。


(こんな時間に、ここを歩くのも久しぶり。結婚してから、できるだけテオの言いつけを守っていたから。
 前は確か、親友のエデンの結婚式の後だったわ。あの時は、予定より少し帰りが遅くなってしまって……でも、折角のお祝い事だから、二人で飲もうと思って、ワインを買いに寄ったのよね……)


 そこまで思い出した時、ロラは唐突に不安に襲われた。


(あら? 何かしら? 何だか、胸が苦しい感じがする)


 心拍数が上がり、呼吸が乱れる。

 これまで そういったことを経験したことが無かったので、ロラはパニックをおこしかけ、その場にうずくまった。
 道行く人が、怪訝そうに振り返っているが、気にする余裕はない。


(おかしいわ。だって、今の今までウキウキしていたじゃない。この商店街だって、特に嫌な思い出があるわけじゃ……)


 考えながら、それでものろのろと立ち上がり、ロラは近くの街灯の下にあるベンチに座った。


(強いて言うなら、あの時ナイフを買ったアウトドアショップが、この通りの一番奥にあるけれど……)


 ロラは、初めて自分が血に塗れて寝ていた時のことを、思い出していた。


(あの時は、何がなんだか分からなくて、慌てて汚れた物を全て水洗いした。
 結局、血が落ちなかったシャツだけは、室内で乾したあと、ハサミで細かく切って捨てたのだけど……。
 そして、そちらに気を取られるあまり、ナイフは水気を軽く拭き取っただけで、シンクの下に放り込んでしまった。数日後思い出して、元の場所に戻そうと思った時には、少し錆びてしまっていたのよね。
 未使用のはずのナイフが錆びていたら、テオが不思議に思うに決まってる。だから、同じ物を買わざるをえなかった)


 ロラは思い出しながら、ゆっくり息を吐き出した。
 

(専門店だから、やっぱり高くて。でも、違うメーカーの物だと、キャンプ用品に詳しいテオには気付かれてしまうかも……そう悩んでいたら、店員さんが型落ちを勧めてくれて安く買えたのよね。あれは、ラッキーだったわ)


 考えるうちに、ロラは少しずつ落ち着いてきた。
 

(どちらかと言えば、成功体験じゃない。そうよ。大丈夫……大丈夫)

 
 自分を安心させるように、ゆっくり呼吸を繰り返す。以前、シスターブロンシュが教えてくれた時のように。


(きっと、寝不足で疲れているんだわ。買い物を終えたら、早めに帰りましょう)


 一人でそう決めていると、下げていた視線の先に、女性もののブーツが見えた。


(だれ?)


 ロラが顔を上げるより前に、その女性はしゃがみ込む。


「大丈夫ですか? お加減悪いです?」


 小柄な、まるで少女と見まごうほど可愛らしい女性が、こちらを覗き込んでいた。


(お人形さんのように可愛らしい方。自然な金の巻き髪に、パッチリとした青いおめめ。どなたかしら?)


「あ、いえ。ちょっと動悸がしただけなの。ありがとう。少し休めば大丈夫だと思うので」


 ロラが答えると、女性は心配そうに眉を寄せ、直ぐに両手を合わせて柔らかく微笑んだ。


「でしたら、私のお店で休んでいきませんか?美味しいお茶もサービスしますから」

「いえ……でも」

(困ったわ。キャッチセールスかしら……)


 ロラは眉を寄せる。
 しかし、女性はあっけらかんと微笑んで、こう言った。


「心配しなくても、無理に商品を売りつけたりしませんよ? 私のお店はハーブティーの専門店なので、お茶は売るほどあるんです」


 それを聞き、ロラは顔を上げた。

 ロラが座っていたベンチの前、女性受けしそうな真っ白な外壁のそのお店。
 扉の上には『サシェ アンジェ』の看板が下げられている。


「あ。私、丁度こちらに行こうと思っていたんです」


 女性は、嬉しそうに破顔した。


「まぁっ! それは、丁度良かったですね。神様のお導きかしら? では、中へどうぞ。どんなお茶がお好みですか?」


 女性が手を差し出したので、ロラは彼女の優しさに甘えて手をとった。
 ゆったりとしたペースで歩いて、二人は店内へと入って行った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...