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3、恋に堕ちるのなんて簡単だ side透
しおりを挟む初めて見た瞬間に目を奪われた。
後ろでスッキリ纏められた艶やかな亜麻色の髪、少し釣り上がった薄茶色の瞳。
通った鼻筋を目で追うと、その下の紅い唇はプックリとしていてとても柔らかそうだった。
高い身長を誇らしげに、スッと背筋を伸ばした立ち姿は、凛とした大和撫子と大胆な白人女性のそれを併せ持った……そう、まるで高貴な芸術品のようだった。
じっと見惚れて、その姿を目に焼き付けて……瞬きをした一瞬で、もう心を奪われていた。
恋に堕ちるのなんて、簡単だ。
*
透が弟夫婦の新居に招かれたのは、ニューヨークに到着して5日後の土曜日だった。
彼らがこの日を選んだのは、時差ボケが治ってそろそろ胃袋の調子も整い、ついでにちょっぴり日本食が恋しくなる頃だと見込んでのことだろう。
そして2日後の月曜日には初出勤。
一度仕事に突入してしまえば忙しくて余裕が無くなるので、心置きなくゆっくり楽しむにはこの週末が最適。
気配り上手な奥さんを持って、朝哉は幸せ者だ。
朝哉に案内されて透がLDKに足を踏み入れた時点では、まだヨーコは酔っていなかった。
上品に微笑みながら秘書モードの挨拶を寄越し、皆にいそいそと料理を取り分けたりと、他人行儀な態度を崩してはいなかった。
透以外のメンバーには冗談を言ったり打ち解けた顔を見せているのに、自分にだけよそよそしいのがなんだか寂しい。
だけど……。
酔いが回ってからの彼女は違った。
そりゃあもうビックリするくらいの豹変ぶりだった。
「トオル、飲んでマスカ? 楽しんでマスカ?」
ーーかっ……可愛い!
潤んだ瞳に赤い顔。フニャッと笑いながら少し舌足らずな口調でお酌をしてくる姿に、胸がキュンとした。
これは所謂、後にヨーコがBL講座で教えてくれた、『ギャップ萌え』というやつだったんだろう。
キャッキャとはしゃぐ姿に見惚れていたら、聞き慣れない単語が耳に入ってきた。
「こうして見てると、タケもトオルもハンサムだから絵になりますケド、両方とも受けだからカップルにはならないデス。残念!」
ーー受け? カップル?
「タケは健気受け、トオルは眼鏡受け。そしてトモヤは一見攻めに見えますケド、実は甘え上手なワンコ受けなのデス。ここにいる男全員が尽くし属性の受け! 攻めは何処デスカ~!」
透以外のメンバーは、こういう状態のヨーコに慣れているのだろう。
「ヨーコさん、こう見えても朝哉は結構強引なの。攻める時はグイグイ攻める男ですよ!」
雛子は酔ったヨーコと普通に会話を続けているし(というか、朝哉は強引なのか、そうなのか)、
「ヨーコが攻めのキャラなんだから、野郎が全員受けだって別にいいだろ」
竹千代は攻めとか受けとか普通に使いこなしている。
ーー受け攻め……柔道の寝技なのか? それとも戦争もののゲームの用語とか?
意味がわからず、救いを求めるように朝哉を見たら、気まずそうに苦笑しているだけ。
目を逸らすんじゃなくて、説明してくれよ!
すると、隣に座っていた竹千代が透の戸惑いに気付いてくれたらしい。
「ああ、透さん、ヨーコは日本好きが高じてBLに夢中な腐女子なんですよ。妄想で好き勝手言ってるけど気にしないで下さい」
「B……L?」
尚も首を傾げていると、竹千代が解説を加える。
「えっと……BLっていうのはボーイズラブの略で、男性同士の恋愛って事です。それでそういう漫画や小説なんかに夢中になってる女子のことを、世間では腐った女子……『腐女子』って呼んでいて……」
ーーえっ、ボーイズラブ? 腐った女子?
今一つちゃんと理解出来ていないが、要はヨーコが同性愛に興味があって、周りの皆がそれを受け入れている……と。
「ヨーコさんは……同性愛に寛容な方なんですか?」
「ハイ。BLバンザイ!……なのデスヨ」
ーーマジか……彼女は同性愛者、つまり異性との恋愛に興味が無いということなのか?!
要約すれば、男である透は最初から対象外……。
思わず深い溜息が出る。
「……せっかくの美人なのに勿体ないな」
ついつい溢れ出た一言に、皆の顔が引き攣った。その場が一瞬で凍り付いたのに気付いて、フォローを入れなくてはと思った時には遅かった。
「ハァ? 勿体ないとは何事デスカ! BLを見下しています!」
「いや、見下しているとかではなく、あなたみたいに美しい人がそういうものに夢中というのは……」
駄目だ、彼女の顔が能面のように固まって目が据わっている。
完全に不快にさせてしまった。
「ヒナコ、トモヤ、タケ! この男が私のBLを侮辱しましたヨ!ショックです~!エ~ン!」
ーーうわっ、とうとう泣かせてしまった!
「ヨーコさん、BLが素晴らしいって私は分かってるわ、泣かないで。透さん、その言い方は酷いです!」
「そうだそうだ、エ~ン!腐の沼に引き摺り込んでやる~!」
思いっきり女子2人を敵に回してしまった。そんなつもりじゃなかったのに……。
ーー俺は最低だ……。
自分が恋愛対象じゃない事にショックを受けたからって、彼女の嗜好にケチをつけて良いわけがない。
こんなの叱られて当然だ。潔く頭を下げて許しを乞おう。
「ヨーコさん、すいませんでした。俺が悪かったです。泣かないで下さい」
ダイニングテーブルに手をついて謝ると、朝哉と竹千代が同時に「ええっ! 」と驚きの声を上げた。
「マジか……こんな茶番に騙されるほど俺の兄は単純な男だったのか……」
「朝哉さん、俺、ヨーコの泣き真似に騙されるのは、お人好しの雛子さんくらいだと思ってましたよ」
2人が小声で何かヒソヒソ話をしていたけれど、今はそれどころではない。
早く泣き止んでもらわねば……。
「ごめんなさい、俺が失礼でした。女性を泣かせるなんて男の風上にも置けないですよね。 BLのことを良く知りもしないのに低俗だと決め付けて、全く失礼でした。大馬鹿野郎だ、本当にごめんなさい……」
テーブルにゴリゴリと額を擦り付けていたら、ピタリと泣き声が止んだ。
「本当に反省しましたか?」
「はい。ちゃんと勉強してきます」
ガバッと顔を上げて真っ直ぐに見つめると、途端にパアッと花開いたような笑顔が浮かぶ。
「……トオル、いい奴!」
ヨーコが赤ワインのボトルを鷲掴み、隣の席に移動して来る。
「ヨシッ、兄弟盃だ。飲みねぇ飲みねぇ」
可愛い声でべらんめぇ口調。なんだこれ、キュンキュンする。
兄弟盃と言わずに、もう三三九度で夫婦の契りでもいいんじゃないだろうか。
ーー駄目だ、せっかくお酌をしてくれようというのに、ボケッとしている場合じゃないだろ!
グラスを両手で持って恭しく差し出すと、ヨーコが上機嫌でなみなみと赤ワインを注ぐ。
せっかくなのでグイッと一気に飲み干した。
「おっ、兄ちゃんいい飲みっぷりダネ。飲みねぇ飲みねぇ!」
「はい、いただきます」
とりあえずヨーコの機嫌がなおり、安堵する。
……と、彼女の口から予期せぬ台詞が飛び出した。
「よし、トオル!盃を交わした以上は弟も同然! 私がBLの素晴らしさを教えてあげマス!」
ーーえっ、BLの素晴らしさ? 教えるって……。
透はまだ気付いていなかった。これが腐の沼の入口の第一歩だったという事に。
そしてここから腐の世界にも恋愛にもどっぷり嵌まり、新しい世界を知るという事に……。
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