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身バレしないはずだった
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いきなり喧嘩腰になったスーパーの従業員、あるいは「もものかいぬし」に、大西は驚いたように眉を上げたが、口調は変えなかった。
「そんな突っかかって来ないでください、直接疑問や不安を伺いたいと思ったんです」
亜希は諦めて、逃げる体勢を解いた。大西の言うとおりである。身バレして困るのは、完全にこちらの勝手な感情でしかない。
「そこの喫茶店までつき合ってくださいね、すみません」
大西に促されて、亜希は踵を返す訳にもいかず、トートバッグの紐を握りしめ彼についていった。公園を出て道を挟んだ向かい側に、マンションに挟まれて小さな店舗が5つ並んでいる。亜希はたまにここのベーカリーを使うが、彼が向かったのはその隣の喫茶店だった。
大西は重そうな扉を開けた。カラカラとベルが鳴り、はぁい、と女性の声がした。店内は半分ほどの席が、客で埋まっている。
「おはようございます、ぬくもりぬいぐるみ病院です」
「おはよう、すぐ淹れますね」
細身の中年女性は、大西の顔をよく知っている様子だ。大西は気軽に彼女に話しかける。
「コーヒー一杯追加できる?」
「ああ、もちろんです、ありがとうございます」
カウンターの中には中年男性と若い女性がいた。女性は焼いたトーストの載った皿を持ち、くるくると店内を歩き回る。男性がコーヒードリッパーに湯を注ぐと、香ばしい匂いが店内に広がった。
中年女性は5つの紙カップをカウンターに並べて、手早く淹れたてのコーヒーを注いでいく。特に愛想が良い訳ではないけれど、丁寧で確実な作業をきちんと客に見せることが、彼らの接客を上質なものにしていた。
「寒いから冷めちゃいますねぇ」
女性はカップにキャップを被せながら、申し訳なさそうに言った。大西は小さく笑った。
「少しくらい冷めてもここのコーヒーがいいっていう連中がいますから」
「あらあら、ありがたいわね」
その時初めて、コーヒーを淹れていた男性がちらっと笑った。
大西が制服のポケットから出したのは、コーヒーチケットだった。5杯のコーヒーと、フレッシュやスティックシュガーが、ダンボールを敷いた袋の中に収まる。
ありがとうございましたぁ、と女性2人の声に送られながら、亜希は大西と店を出た。
「このお店、感染症蔓延してから、コーヒーの持ち帰りを始めたんですよ……ご存知でしたか?」
大西に訊かれて、亜希は黙って首を横に振った。休日に、わざわざコーヒーだけ飲むために店に入ることなど、ほとんど無い。
コーヒーがなるべく冷めないようにしたいのか、大西はやや早足になり、公園を突っ切る。黙って彼にすごすごとついていく自分は、一体何なんだろうと亜希は思った。
子どもの数が増えた遊具のエリアを過ぎ、公園の反対側に出る。そこから100メートルほど直進した場所に、ぬくもりぬいぐるみ病院はあった。先週来た時はもう真っ暗だったので、建物の印象が違う気がした。
大西は亜希を振り返り、扉を開けた。目で促され、暖かい場所に先に入る。受付にいた若い男性が、おはようございます、と明るく亜希に声をかけた。彼は大西と同じ制服を着ている。
「金曜にお問い合わせいただいてた住野さんなんだ、ご近所だから患者さんを連れてきてくださった」
大西は言いながら、受付カウンターの上にコーヒーの入った袋をそっと置いた。
「そうでしたか、わざわざありがとうございます、こちらへどうぞ」
若い男性は、受付の左手にあるテーブルに亜希を導いた。観念して引かれた椅子に腰を下ろす。大西は袋からカップを2つ出して、テーブルにやって来た。
「ちょっと冷めたと思いますけど、どうぞ」
コーヒーフレッシュとスティックシュガーがカップの傍に並べられる。若い「医師」は、残りのコーヒーを持って受付の奥に姿を消した。小さくピアノのBGMが流れていることに気づき、こんなところで2人きりにされたことが、亜希は酷く落ち着かなかった。
「そんな突っかかって来ないでください、直接疑問や不安を伺いたいと思ったんです」
亜希は諦めて、逃げる体勢を解いた。大西の言うとおりである。身バレして困るのは、完全にこちらの勝手な感情でしかない。
「そこの喫茶店までつき合ってくださいね、すみません」
大西に促されて、亜希は踵を返す訳にもいかず、トートバッグの紐を握りしめ彼についていった。公園を出て道を挟んだ向かい側に、マンションに挟まれて小さな店舗が5つ並んでいる。亜希はたまにここのベーカリーを使うが、彼が向かったのはその隣の喫茶店だった。
大西は重そうな扉を開けた。カラカラとベルが鳴り、はぁい、と女性の声がした。店内は半分ほどの席が、客で埋まっている。
「おはようございます、ぬくもりぬいぐるみ病院です」
「おはよう、すぐ淹れますね」
細身の中年女性は、大西の顔をよく知っている様子だ。大西は気軽に彼女に話しかける。
「コーヒー一杯追加できる?」
「ああ、もちろんです、ありがとうございます」
カウンターの中には中年男性と若い女性がいた。女性は焼いたトーストの載った皿を持ち、くるくると店内を歩き回る。男性がコーヒードリッパーに湯を注ぐと、香ばしい匂いが店内に広がった。
中年女性は5つの紙カップをカウンターに並べて、手早く淹れたてのコーヒーを注いでいく。特に愛想が良い訳ではないけれど、丁寧で確実な作業をきちんと客に見せることが、彼らの接客を上質なものにしていた。
「寒いから冷めちゃいますねぇ」
女性はカップにキャップを被せながら、申し訳なさそうに言った。大西は小さく笑った。
「少しくらい冷めてもここのコーヒーがいいっていう連中がいますから」
「あらあら、ありがたいわね」
その時初めて、コーヒーを淹れていた男性がちらっと笑った。
大西が制服のポケットから出したのは、コーヒーチケットだった。5杯のコーヒーと、フレッシュやスティックシュガーが、ダンボールを敷いた袋の中に収まる。
ありがとうございましたぁ、と女性2人の声に送られながら、亜希は大西と店を出た。
「このお店、感染症蔓延してから、コーヒーの持ち帰りを始めたんですよ……ご存知でしたか?」
大西に訊かれて、亜希は黙って首を横に振った。休日に、わざわざコーヒーだけ飲むために店に入ることなど、ほとんど無い。
コーヒーがなるべく冷めないようにしたいのか、大西はやや早足になり、公園を突っ切る。黙って彼にすごすごとついていく自分は、一体何なんだろうと亜希は思った。
子どもの数が増えた遊具のエリアを過ぎ、公園の反対側に出る。そこから100メートルほど直進した場所に、ぬくもりぬいぐるみ病院はあった。先週来た時はもう真っ暗だったので、建物の印象が違う気がした。
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「そうでしたか、わざわざありがとうございます、こちらへどうぞ」
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「ちょっと冷めたと思いますけど、どうぞ」
コーヒーフレッシュとスティックシュガーがカップの傍に並べられる。若い「医師」は、残りのコーヒーを持って受付の奥に姿を消した。小さくピアノのBGMが流れていることに気づき、こんなところで2人きりにされたことが、亜希は酷く落ち着かなかった。
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