遠くて近い世界で

司書Y

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Internally Flawless

12 熱情 1

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 ◇翡翠◇

 スイの部屋は、郊外のさほど大きくないマンションだった。2階建の2階の角の部屋。エレベーターはなくて、二人で手を繋いだまま階段を上がる。
 アキの手が熱い。
 鼓動がどんどん早くなる。

 今朝。うちを出る時にはこんな風になっているなんて思わなかった。
 まるで、この世が終わってしまうような気分でいた。
 夢のことも。あの女の人のことも。ケンジのことも。仕事のことも。喧嘩のことも。何もかもが嫌で、消えてしまいたかった。

 自分の世界はアキと、ユキで回っているのだと、改めて気付いた。スイにとっては、どちらか片方ではだめなのだ。二人ともいてくれないと、世界が崩れてしまう。
 気持ちが変わっても、アキを手放すなんて無理だ。ユキと離れるなんて無理だ。
 二人にとっては重いだろうことも、我儘だということも、それが困難な道だということも分かっている。でも、スイはそのために全て捧げようと決めた。あの日、いつ死んでもいいと諦めた命だ。全部捧げても構わない。
 そう。思う。

「スイさん。ここ?」

 部屋の前に立って、アキが言う。
 頷いて、鞄から鍵を取り出す。鍵を開けようとするけれど、何故か手が震えて、うまく開けられなかった。

「……あれ?」

 その手をそっと包むように、後ろからアキの手が添えられる。

「……俺が怖い?」

 耳元で甘い声。ぞくりと、背中を切ない期待が駆ける。

 怖い?

 スイは思う。

 そんなはずはない。そんなことがあるわけがない。強がりとか、思い込みではない。アキが怖かったのは、嫌われるかもしれないと思ったときだけだ。

「ちがう……そ……じゃなくて……その……久しぶり……だから……緊張……してきて」

 声まで震えている。それでも、これは恐怖ではない。
 ただ、アキには片手で数えられるほどしか、抱かれたことはない。その上『手加減できない』なんて、甘い声で言われて、頭が破裂しそうなだけだ。

 うまくこたえられるんだろうか。
 夢を見たばかりなのに、思いだしたりしないだろうか。
 この身体で、彼は満足してくれるだろうか。
 はしたなく求めてしまう自分に呆れたりしないだろうか。

 色々な思いが頭の中で駆け回っていた。

「翡翠」

 名前を呼ばれて、思わずびくり。と、身体が震える。

「……怖がらないで。優しくする」

 がちゃり。音がして鍵が開く。ドアノブに手をかけるとその上から、アキの手がそれを握りしめて、ドアを開けた。腰を抱かれてるまま、部屋の中に入ると、アキが後ろ手で鍵を閉める。
 こく。と、翡翠の細い喉が上下した。
 そのまま、その場で壁を背に抱き締められて、唇を奪われる。戸惑う間もなく熱い舌が侵入してきて、スイの舌が絡めとられた。
 甘い。
 頭の中までかき回されるみたいな乱暴で、それでいて甘いキス。まるで、アキそのものだ。
 上顎を舐めあげられて、歯列の裏を刺激されて、戸惑う舌を吸われて、いろいろと考えていたことがもう、どうでもよくなってきた。ただ、スイはアキの舌に蹂躙されて、身体の奥に集まる熱を感じていた。

「……ぁ……はぁ」

 名残惜しそうに、ぺろ。と唇を舐めてから唇を離される。もう、膝に力が入らなくて、スイはアキの腕に身体を預けた。

「……やさ……しく……んて」

 自分の声じゃないような、甘えた声が喉の奥から出てきたことに、少し驚く。でも、まるで熱に浮かされるように、スイは続けた。

「……優しくなんて……しなくていいよ。……アキの……したいように……して?」

 何を言っているんだろう? 自分は酔っているんだろうか?

 スイは思う。
 それから、思う。

 そうじゃない。

「や。違う……俺のことめちゃくちゃにして?」

 望んでいるのは翡翠自身だった。アキが望むからとか、酔っているからとか、理由をつける必要などないのだ。
 3週間。アキに触れられない間。ずっと、頑ななだけの自分ではなく、アキが望むまま、スイ自身が望むまま、全部あげられる自分でありたいと、望んでいた。そればかりを考えていた。
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