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The Ugly Duckling

surveillance 8/10

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 そう言った瞬間だった。不意に視線を感じて、翡翠は振り返った。
 否。違う。この視線は自分の身体の内側から注がれている。
 男の声が聞こえた気がした。

『お前も、その男も、めちゃくちゃに壊してやる』

 ぞ。っと、寒気が走る。まるで、今、耳元に囁かれているような気がした。恐怖で細い肩が震える。

「だめ……だ。見てる……」

 逃げられないと感じる。あの蛇のような男からは逃れられない。こうしている今も、男はいつも翡翠を見ている。
 少しでも一青に気持ちが傾くと、『汚れているお前を愛してくれるヤツなどいない』と、忠告を送ってくる。
 『こちらに帰ってこい』と囁きが聞こえる。

「翡翠さん?」

 一青の腕を振り払って、翡翠は両耳を塞いだ。けれど、耳を塞いでも『お前を愛せるのは俺だけだ』と、耳の奥から聞こえてくる。

「やめ……っ。ゆるし……」

 ぎりぎり。と、締め付けられるように腹が痛む。まるで、巨大な蛇に締めあげられるようだ。酷く熱くて、息苦しい。

「……い……せい。たすけ……連さんが見てる……っ。連さんが……俺……かえりたく……ない……っ。俺……っ一青君と……一緒に……い……たい……」

 苦しくて息が詰まる。けれど、翡翠は一青の腕を握って顔を見上げた。

「お願い……だ。……今すぐ……っ。一青君のものに……」

 言葉が終わらないうちにベッドに押し倒された。そのまま唇を塞がれる。

「ん……っん」

 それは深いキスだった。すぐに一青の舌が口内に入ってきて、舌を絡めとられる。
 一青の唾液の味。久米木とは違う。まるで蜂蜜でも溶けているんじゃないかと思えるくらいに甘い。

「翡翠……も、俺のだ。誰にもやらない」

 キスから解放されて、ため息のような吐息と一緒に一青が囁いた。
 その声があんまり艶っぽくて、眩暈がする。

「う……くぅ」

 けれど、同時に息ができないほどに下腹部が苦しくなって、隠すこともできずに翡翠は呻きを漏らした。

「翡翠」

 翡翠の呻きが、快楽や羞恥のためではないのだと気づいて、ぐい。と、一青の手が翡翠の服の裾をたくし上げる。それは、愛撫のためではなく、信じられないくらいに熱くなってしまっている翡翠の身体を確認するためだった。

「……っ。なんだ……よ。これっ」

 翡翠の身体には幾重にも、何かで絞められたような跡が残っていた。否。今、まさにその絞めあとは動いて翡翠の白く細い身体を絞め上げているのだ。それが証拠に、ゆるゆるとその跡は動いて、まるで蛇がのたうっているようだった。

「……く……う……っ。いっせ……い。いい……からっ……おれ……だい……じょう……ぶ」

 それでも、翡翠は一青に抱いてほしかった。そうすることでしか、痛みからも、久米木からも、解放される方法はない。そして、自分を解放するのは一青であってほしい。いや、一青でなければ嫌だ。
 けれど、そんな翡翠の気持ちを感じ取ったかのように、絞め跡が一筋、翡翠の細い首にかかる。

「う……ぐぅ」

 見えない蛇に絞め上げられて、翡翠の言葉が途切れた。喉に何かが食い込んで呼吸ができない。指で掴んで引きはがそうにもそこには何もなくて、ただ爪が喉に食い込んだ。

「翡翠……っ。凍結の十三。椿。霜柱。天狼。氷雨。流氷。霜夜。垂氷。滴る水よ氷を成せ」

 一青が言葉と共に、翡翠の喉に小さく“凍る”を意味する魔道文字を描くと、翡翠の喉に食い込んでいた何かが白い霜をつけて固まってから、溶けるように消える。

「う……っ」

 ひゅ。と、音を立てて翡翠の喉を空気が抜ける。

「……ゴホッゴホッ」

 背中を丸めて、翡翠はせき込んだ。

「翡翠。大丈夫か? くそ……っ。ごめん。俺の力じゃ、目の前の痛みしか消してあげられない。すぐに茂さんのところに連絡する」

 スマートフォンを取り出して電話をかけようとする一青の手を翡翠は止めた。

「いいっ。いいから……吸魔の十三。一青君が解いて……俺……」

 言いかけた言葉を遮ったのは一青だった。

「言っちゃだめだ」

 翡翠の口を片手で塞いで、酷く苦し気で悲し気な顔で一青が言う。

「ありがと。けど、まだ、ダメだ。このまま翡翠さんを抱いたら……きっと、あなたが壊れる。だから、もう少し待ってて。ちゃんと、方法見つけるから」

 一青の言葉に翡翠が小さく頷くのを確認してから、一青は翡翠の口を解放した。

「何も、言わないで? 俺、ちゃんとわかったから。ちゃんと、方法見つけて、そしたら、あなたが俺のことしか考えられなくなるまで抱いてあげるから」

 両手で頬を包み込んで、一青は笑った。いつもの笑顔ではなかった。だから、今翡翠がどんなに危険な状態の置かれているのかは翡翠にもわかった。

「……ん。……うん」

 ぽろぽろと、涙が零れる。思いを告げられないだけで、こんなに辛いなんて知らなかった。叶わない恋なんていくらでもしてきたけれど、こんなに辛いと思ったのは初めてだ。

「茂さんのところに連絡する。今日はもう一度病院に戻ろう。俺も一緒に行くから。ずっと、ついているから、も、泣かないで?」

 翡翠の頬の涙をそっと指で拭いて、一青は言った。

「……でも……紅二……くんが……」

 今が何時なのか、自分がどれくらい眠っていたのかわからない。けれど、外の光が差し込んでいないから、おそらくは紅二も帰ってきている時間だろう。紅二はまだ中学生だ。一人で留守番させるわけにはいかない。

「紅二は大丈夫。緋色が亡くなってから、ずっと面倒見てくれてる家政婦のおばあちゃんがいて。俺が実習で泊りの時はいつも来てもらってたから。
 翡翠はそんなこと心配しないで。熱あるし、車寄越してもらうから、それまでは寝ていて?」

 そう言って、一青は、ベッドに横たわっている翡翠の上に毛布を掛けてくれた。それから、ベッドに腰かけたまま、翡翠に背を向けて、スマートフォンを操作し始めた。
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